相田みつをが若い頃のエピソードをご紹介します。

「黙」
いまはなんにもいわないほうがいい
語らないほうがいい
つらいだろうが
黙っているほうがいい
いえばべんかいになるから
☆「あのなあ、この仏道修行を終わり、娑婆に出れば、何の理由もなく文句を言われたり、喧嘩を仕掛けられたり、不条理な悪い噂を立てられたり、不当に扱われることがあるんじゃ。これを体で覚えておけ」
相田みつをは青年期になって人生の意味がわからずさまよい、仏道へ意味を求めた。
1942年に栃木県足利市家富町の曹洞宗高福寺の武井哲応老師と出会い、在家しながら仏法を学ぶ運命を自ら選び、住み込みで、仏道修行を始めた頃のことです。
朝早く起きて水をくみ、寺の廊下を雑巾で拭き、庭を箒で掃き、食事を作り、お経を上げ、老師に仕え、仏道修行に励んだ。
ある日のこと、老師武井哲応はみつをに向かって
「今日はお寺を留守にする」と言い、「仏道に励み、仏に仕えるように、仏壇にお菓子が供えてあるが、人に取られたり、食べたりしないように」
ときつく言いつけ、外出しました。
みつをは言いつけを守り、仏道に仕えたそうです。
夕方、老師武井哲応はお寺に帰ってきました。
しばらくして、みつをは大きな声で仏壇のある部屋に呼ばれて、「お前はお菓子とまんじゅうを食べたな」と言われた。
仏壇の前にはお菓子とまんじゅうはなく、誰かが持って行ったか、食べたか、そんな状況でした。
みつをは自分が食べたのではなかったので、その旨を老師武井哲応に言ったところ、老師武井哲応は烈火のごとく怒って一切話を聞かず、こう言いました。
「お前は仏道に入りながら、自分が食べたにもかかわらず、嘘をつくのか。それで仏道修行が出来るとでも言うのか。
食べたことを素直に認め、反省し、謝るのならまだしも、お前は開き直るのか。その根性が腐っている。もう一度自分の部屋に帰り反省をせい。」
みつをは実際食べていないので、どうして嘘つきだと言われ、断定されるのかわからない。
「食べてないものは食べてないのであって、食べたと言って、非を認めるのは嫌だ、そんな自分は自分が許せない」
と思いながら、時間を過ごしていた。
そこへ、老師武井哲応が部屋の中に入ってきて、反省が出来たかと言われた。
しかし、みつをは食べていないのだから、その旨を告げた。
またもや老師武井哲応が大きな声で「嘘をつくな!」と怒鳴り、詰問し、庭を箒で掃きながら、反省を続けろと命令した。
みつをは自分の言い分を受け入れてもらえずに仕方なく庭を掃いた。
掃除が終わった頃、老師武井哲応がお寺の仏間からみつをに中に入るように呼んだ。
部屋に座らせられたみつを前に、老師武井哲応がこう言った。
「仏壇に供えられていたお菓子はお前が食べたのでない。ほら、それはここにある。食べてもないのにお菓子を食べたと言われたのは腹が立っただろう。自分の正しい言い分を主張しても受け入れられず、苦しい思いをしただろう。自分が犯人扱いをされて悔しかっただろう。それがな、人生だ。その連続が人生なんだ。」
続けて、たたみかけられるようにこうも言われた。
「あのなあ、この仏道修行を終わり、娑婆に出れば、人から何の理由もなく文句を言われたり、喧嘩を仕掛けられたり、不条理な悪いうわさを言われることがあるんじゃ。耐えろ。歯向かっていってはならん。これが人生なんだ。仏教の神髄でもあるぞ。これを体で覚えておけ。お前が前世や今生でやったことなんだ。そして正しく生きろ。」
「七転八倒」
つまづいたり
ころんだりするほうが
自然なんだな
にんげんだもの
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないくるしみが
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえないかなしみが
ただだまっているだけなんだよ
いえばぐちになるから
*老師武井哲応はカルマについてこのような方法で相田みつをに説いたらしいです。
この世に生まれ代わって来たら、人から何の理由もなく文句を言われたり、喧嘩を仕掛けられたり、不条理な悪く言われたり、悪いうわさを言われることがある。
悪く扱われることがある。
それらはお前が前世や今生でやったことなんだ。
相田みつをの人生観は1942年に曹洞宗高福寺の武井哲応老師と出会い、在家しながら仏法を学ぶ運命を自ら選んだことにあります。
仏教で、禅宗の般若心経の世界で、人間の実体の本質を学ぶ仏道を選び人間の本質は霊であるということを会得したのだと思います。
「諦念」
なんでもいいんだ
ともかく一所懸命やって
みることだ
いのちがけでやってみることだ
そうすれば 人間の
不完全さが よくわかる
自分の至らなさ よくわかる
骨身にしみて よくわかる
頭でなく からだ全体で
よくわかる
諦念の世界は そこから
ひろがってくる
手をあわせずには
いられない
諦念の世界が
