「最近、調子がいい人、食欲があって毎日笑って過ごせる人は病気で、『あぁ~』とため息をついたり、憂鬱になったり、気持ちが沈んでいる人のほうが健康的なんじゃないか」と作家の五木寛之さんは語っていた。

年間3万人を超える人がこの平和な日本で自殺している。
戦後半世紀の右肩上がりの時代に誰も体験しなかったような状況が今日の日本にはある。
こんな時代にあって、「何と言うことだろう」と嘆き悲しみ、心が萎えてしまうのは、健康な精神の持ち主なら当然のことである、というわけである。
「心が萎える」というのは、「しおれる」「しなえる」という意味と同義語で、一般社会ではあまりよくないこととされている。
しかし、五木さん言う。
「萎えたり、しなびることで、折れずにすんでいるんです。だから萎えていいんです」
雪国では木の枝に雪が積もると、その雪の重みに絶えかねて太い枝でも折れてしまうそうだ。
ところが、柳や竹のように細い木は、雪が少し積もっただけで枝がしなえて雪をふるい落とし、またもとの状態に戻る。
「そんな木を見ていると人間の心も萎えていいんだなぁと思うんです」
ため息をつくことで、萎えた心をしゃんと元の状態に戻そうとしている。
ため息には命を活性化する力があるんです、と。
もう一つ、現代社会に対する五木さんの文学的なメッセージは「いのちの軽さ」だ。
自殺や他殺の動機はとても軽い。
これは心が乾いているからだと思う。
カラカラに乾いたものに、さらに熱を加えると焦げて、握るとばらばらに壊れてしまう。
水分、湿り気が必要だ。
現代社会に欠けている潤い、水分、湿り気、これは一体何なのか?
「一言でいうとそれは『情』ではないでしょうか。愛ではだめなんです。愛情が必要です。メル友だけではだめ、友情が必要です。熱があるだけではだめ、情熱が必要です」
戦後日本人は「情事」とか「義理と人情」というように、じくじくした人間関係を嫌い、お互いのプライバシーに踏み込まないような、あっさりとした関係を好んだ。
しかし、今日のようにカラッカラに乾いてしまった社会には、むしろ『情』という水分を補給し潤う必要がある。
「その湿り気は涙ではないか」と五木さんは言う。
「泣きなさい、笑いなさい」と歌った『花』という歌が大ヒットした。
涙を流すことは笑うことと同じくらい大事だ、と訴える。
共に笑い、共に泣き、萎えた心に大きなため息をつきながら、明日の日本を語ろう。

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この文章を読んで少し心が楽になりました。
ため息をついた方が良いんですね。
逆に頑張りすぎると折れてしまう。
しなやかに生きたいものです。
泣くことも忘れずに・・・
