1960年代の日本には、まだ冷房が普及していませんでした。


 

関西電力がクーラーを発表した時、技術課長だった父はすぐに採用しました。


普通なら、本社の社長室や役員室から入れるところ、父は反対を押し切り、真っ先に工場へ導入したのです。


重役たちからは、「君は経営者の味方か?それとも労働者の味方か?」と非難ごうごうだったようですが、「一番暑いところで働いているのは工員だ。


本社の社員や役員は、扇風機があって涼しく仕事をしているのだから、クーラーなんかなくていい」という考えでした。


当時はいざなぎ景気で、工場は毎晩遅くまで残業です。


私は小さい頃からよく工場へ連れて行かれましたが、こんなところでよく働けると思うくらいの蒸し暑さでした。


クーラーを入れて涼しくなったあと、父は私を連れて行って、こう言いました。


「丈人、涼しいだろう。ここだったら快適に働けるだろう」

「お父さん、かわいそうだからこういうふうにしたの」と尋ねると、「暑いと、そして残業して夜遅くまで仕事をしていると、気が散漫になってケガをするんだよ。働いている人にはみんなお前みたいな子どもたちがいるのだから、仕事でケガをしないようにするのが、会社にとって一番大事なんだ」と答えてくれました。


そして、こう続けました。


「工場で働いている人たちだけでなく、会社にとってもありがたいのだ。暑いから汗がぽとぽとと落ちると、帳簿だとかノートブックは不良品で使えなくなってしまう。だから、涼しくて働きやすい環境をつくると、会社も儲けさせてもらえる。経営者にとっても社員にとっても、幸せにつながる」 


 「公益」資本主義原 丈人 著文春新書


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三越伊勢丹ホールディングスの元社長“大西洋”氏は「社員が幸せでないと、いいサービスはできない」と言いました。


では、社員の幸せとは一体何なのでしょうか?


もちろん人によって違いはあると思います。


何不自由ない暮らしや、待遇、条件がいいというのも大事です。


お金も休みもあったら嬉しい。


でも、それはマズローの欲求説で言ったら低次の欲求です。


本当に求めているのは、人から必要とされることや、頼ってもらえること、誰かのお役に立てること、喜ぶ顔を見ること、やりがいのある仕事ができること、そうして自分という存在が、なくてはならないかけがえのない存在になることこそ、自分を好きになることにも繋がるし、幸せを感じる瞬間でもあるのでしょう。


人生を振り返ってみてもそうじゃないですか?


してもらった事も嬉しいけど、本当に嬉しいのは“誰かに喜んでもらえたこと”や“必要とされたこと”だと思います。


イキイキとしている職場や人は、圧倒的に「してもらう」ことよりも「自分がしてあげる」ことを率先して行っています。


魅力的な人というのも、よくよく考えてみると、「してあげる」ことに喜びや幸せを感じる人だと思います。


自分のことばかりを考えて、人や社会に貢献しなければ、それは動物に近い行動です。


家族や社員、仲間、社会に、より貢献できるよう、自分自身をもっと磨いていかなければと感じます。


Win-Winよりも、日本流の三方良し(売り手良し、買い手良し、世間良し)がしっくりきますね♪ 


 ※魂が震える話より