戸田智弘氏の心に響く言葉より…

 

昔、有難屋吉兵衛という男がいた。

この男、すこぶる楽天家であり、かつて不平不満を言ったことがなかった。

その吉兵衛がある日、急いで外出しようとしたところ鴨居に頭をぶつけ、饅頭のようなこぶをつくった。

しかし、痛いとも言わず、両手でこぶをおさえながら「有難い、有難い」と感謝するばかりだった。

これを見ていた隣人は怪しんで尋ねた。

「吉兵衛さん、あんたはこぶができるほどの怪我をしながら、何が有難いのじゃ」

吉兵衛さんは答えた。

「有難いですよ。頭が割れても仕方がないのに、こぶぐらいで済んだんですもの。実に有難いと思います」


■《残っているものを数えよう》


 自身に起きた小さな不運にいつまでもとらわれていても、痛みが和らぐわけではない。

忌々しさがこみあげ、かえって痛みが増すのが落ちである。

それよりも、その程度で事が済んだ幸運をかみしめるほうがよほど生産的だろう。 

こんなユダヤ人ジョークがある。

「ユダヤ人は足を折っても、片足で良かったと思い、 両足を折っても、首でなくて良かったと思う。

首を折れば、もう何も心配することはない」

 失ったものを数えるな。

残っているものを数えよ。

そして、残っているものがあることに感謝し、それを最大限に活かそう。

これは真実である。 

生きているからこそ心配できるのであって、もしも首を折って死んでしまえば心配することさえできない。

だから、首が折れなかったことに感謝しよう。


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曾野綾子氏の著書『思い通りにいかないから人生は面白い/三笠書房』の中にこんな文章があった。


『三浦朱門の知り合いの青年が、高校時代にアメリカに留学していた時のことです。

高校の階段の手すりに腰を掛けて友人としゃべっていて、バランスを崩して転落してしまった。

頭のいい青年でしたが、典型的な優等生ではなくて、少しやんちゃな若者だったらしい。

彼は、その事故で車椅子の生活を送ることになりました。

それで母親が彼を日本に帰すか、アメリカへ行って面倒を見ようとしたら、

本人は、「大丈夫。ぼくが全部一人でやりますから」

と言って、車椅子で大学を受験して入り、大学での生活もほんとうに一人で乗り切った。

すばらしい人ですね。

その青年も、ケガをした直後は当然いろいろ悩んでいた。

その時一人のカトリックの神父が、彼にこう言ったそうです。

「ないものを数えずに、あるものを数えなさい」それは慰めでも何でもないと思います。

誰にも、必ず「ある」ものがあるのです。

でも、人間というのは皮肉なことに、自分の手にしていないものの価値だけを理解しがちなのかもしれません。

自分が持っていないものばかりを数えあげるから、持っているものに気づかないんですね。』


人は、往々にして、ないものを数え、ないものねだりをしてしまう。

「自分がもう少しカッコよかったら」

「もうちょっとお金があったら」

「いい会社に入っていたら」

「コロナ禍がなかったら」と、あれが足りない、これが足りないと、ないものを数える。

幸せに生きることができる人は、嫌なことが一つも起きなくて、幸せなことばかり起こる人ではない。

どんな状況になっても、幸せなことを見つけ、そこにスポットライトを照らすことのできる人だ。

有難屋吉兵衛の生き方を目指したい。 

 


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