「天国へのありがとう」 

 ※NTT西日本コミュニケーション大賞 


藍さん(ペンネーム)より  


「変わりはないかい?」 いつもの水曜日。


短く電話のベルが鳴ると、白い紙が顔を覗く。


正常に受信するには少し頼りなくて、赤く透明なボタンを押すと、やっと機械が口を開けた。


必ずこの水曜日になると、私宛に一通のFAXが届く。 


冒頭は毎回同じ文章で始まり、一週間にあった出来事等が綴られたあと、 「くれぐれも体には気をつけて。」と結ばれる。 


これは遠く離れたところに住んでいる祖父からのものだった。    


私は一通り目を通すと分厚いクリアファイルに綴じ込む。 


母から返事を書くように急かされたが、「あとで書くよ。」といってごまかした。  


祖父からのFAXは私がまだ小学生だったころから続いている。 


始めのうちはきちんと返事を書いていたのだが、中学に入り忙しくなってきたので、中々返せなくなっていた。 


否、ただ単に面倒臭かったから適当に理由をつけて返さなかっただけなのかもしれない。 


いつか電話でもすればいいし、会おうと思えばいつでも会えるぐらいに考えていた。  


そんな祖父が死んだ。 


突然だった。 


年齢的にはおかしくないが、元気だったし、先週のFAXでも、もうすぐ遊びにくると書いてあった。   


あまり実感のないまま飛行機に乗って、祖父の家にかけつけた。 


家の中には既に親戚や友人がお葬式の準備を始めていた。 


母もそれにすぐ加わり、ぽつんと一人残された私は何もすることが見つからなかったので、久しぶりに来た、祖父の家を探検してみることにした。  


木製の階段をふむと、一つ上がるのにあわせて軋む音がする。 


手で支えながらそこをぬけると小さなブランコを見つけた。 


これは小さい頃、よく遊んだものだった。 


私が来ると知ると、祖父はこのブランコを組み立てて、待っていてくれた。 


私はとても楽しみで、乗りながら「もっと押して。」とせがんだものだ。   


私はそれにゆっくりと腰かけてみた。 


昔は大きく感じたブランコも、もう高さが低くて、勢いよくこぐことはできない。 


私は静かに目を閉じ、あの時背中に感じた、優しい手の温もりを思い出していた。   


少しだけ加速して床に立った。 


決してうまい着地とは言えなかったが、昔の風景が飛び込んできたような気がした。  


踵を返し、私は一階に戻ろうとした。 


何となく古びた机に目をやると、そこには数枚の紙があった。 


それは、いつも私の所に届いていたFAXの原稿用紙だった。 


よく見てみると右上の日付記入欄には水曜日、また次の水曜日と書いてあった。 


これは私の元に届くはずのものだったのだろう。 


もううまることのできない白紙達は時間の経過を私に知らせるように、悲しくも光っていた。


ぼーっとその(水曜)という文字を眺めていると、一つのことに気づいた。 


祖父が亡くなったのは確か水曜日。 その日の紙がない。 


祖父は亡くなる前に、私にFAXを送ってくれたのかもしれない。 


どこかにあるはずの原稿を、私はあえて探さず、この残された紙と共に帰路についた。 


「あった。」 やはりあった。 


電話はいつものように紙を離さず、最後のメッセージをつかまえていた。


一度深呼吸をして、赤いボタンを押す。 


床に落とされた紙を拾うとまた同じ冒頭の文章があった。 


「変わりはないかい?」


紙の上に一つ、一つ、と滴が落ちる。 


私は泣いていた。 


私はいったい祖父の為に何をしてあげられたのだろうか。


 FAXの文字はとても丁寧で、一生懸命書いてくれたのだろうことがうかがえる。 


でも私は?


私は何もしていない。 


いつまでも無限に時間が続くと思って、大事なものに気付けなかった。 


気付くには遅すぎて、幼なさ故の残酷さを痛感するばかりである。   


「おじいちゃん、ごめんね。」 


私の声は白い白い紙に吸い込まれていった。 


そして、また水曜日がやってきた。 


もう絶対に望む場所からのFAXは来ないだろう水曜日。 


私はペンをとっていた。 


そして、祖父の家からもらってきた原稿用紙の中から今日の日付けのものを選び、一言書いて、電話に通した。  

 

「ありがとう。」   


届くことのない、あの場所へ。



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