「あれは何?」
母が認知症になった。


施設には入れずに、自宅で介護を続けてきた。


施設の見学には行ったが、
母をそこに入れることが不憫に思えた。


3年後。 


懸命な介護にもかかわらず、母の認知症は進んだ。 


その頃には私も介護に疲れ、少しのことでイラつくようになっていた。 


ある日、家の庭に野良猫がやってきた。 


母は猫を指差し、「あれは何だい?」と訪ねてきた。 


私は「あれは猫だよ。」と、少し冷たく答えた。


母は1分もしないうちに私に訪ねた。 


「あれは何だい?」 


「母さん。さっき言っただろ?あれは猫だよ。」


 私は少しイライラしていた。 


母はまたすぐに言った。 


「ねぇ、あれは何?」 


私は感情にまかせて母を怒鳴った。


 「母さん!何度も言ってるだろ!あれは猫だよ!!分からないの!!」


 母は恐れるような眼で私を見つめ、それからは黙っていた。 


その後すぐに、私は母を施設に入れることにした。 


母の荷物をまとめるために部屋を整理していると、古いノートが何冊も出てきた。 


パラパラとめくって中身を見ると、それは母の日記で、
私を産んでから数年間、毎日のように書かれたものであった。 


私はハッとした。 


それを読んでも母を施設に入れる気持ちは変わらないと思ったが、
なんだか申し訳ない気持ちになって、なんとなく読み始めていた。 


内容はありふれたもので、
『私が初めて・・・をした。』というようなことがほとんどであった。 


私は大した感動をすることもなく1冊目を読み終えると、
2冊目の日記を読み始めた。 


6月3日。 


もうすぐ4歳になる息子と公園に行くと、
1羽のハクセキレイが目の前に飛んできた。 


息子は「あれは何て言う鳥?」と、
私に何回も何回も訊いてきた。 


私はその度に
「あれはセキレイって言うんだよ。」
と、言って息子を抱きしめた。 


何度も訊いてくれることが、
私をこんなに穏やかにしてくれるなんて。 


この子が生まれてきてくれてよかった。 


ありがとう。 


読み終わった私の目には涙があふれ、
母のもとに駆け寄り、
やさしく抱きしめながら泣きじゃくった。 


母は、そんな私をただやさしく撫でていた。


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介護は大変だと思います。 


このように余裕がなくなる時もあるでしょうね。 


でも、人は同じように年を取る。 


改めて考えさせられました。