従業員約50名のうち、およそ七割が知的障音をもった方々で占められている。

神奈川県川崎市のその会社は、多摩川が近くに流れる、静かな環境のなかにあります。

この会社こそ、日本でいちばん大切にしたい会社の一つです。

昭和12年(1937)に設立された

「日本理化学工業」は、主に

ダストレスチョーク(粉の飛ばないチョーク)を製造しており、50年ほど前から障害者の雇用を行っています。




そもそものはじまりは、近くにある養護学校の先生の訪問でした。

昭和34年(1959)のある日、一人の女性が、当時東京都大田区にあった日本理化学工業を訪ねてきたそうです。

「私は養護学校の教諭をやっている者です。むずかしいことはわかっておりますが、今度卒業予定の子どもを、ぜひあなたの会社で採用していただけないでしょうか。大きな会社で障害者雇用の枠を設けているところもあると聞いていますが、ぜひこちらにお願いしたいのです」

障害をもつ二人の少女を、採用してほしいとの依頼でした。

社長である大山泰弘さん(当時は専務)は悩みに悩んだといいます。

その子たちを雇うのであれば、その一生を幸せにしてあげないといけない。

しかし果たして今のこの会社に、それだけのことができるかどうか・・・。

そう考えると自信がなかったのです。

結局、

「お気持ちはわかりますが、うちでは無理です。申し訳ございませんが・・・」

しかしその先生はあきらめず、またやって来ます。

また断ります。

またやって来ます。

それでも断ります。

三回目の訪問のとき、大山さんを悩ませ、苦しませていることに、その先生も耐えられなくなったのでしょう、ついにあきらめたそうです。しかしそのとき、

「せめてお願いを一つだけ」

ということで、こんな申し出をしたそうです。「大山さん、もう採用してくれとはお願いしません。でも、就職が無理なら、せめてあの子たちに働く体験だけでもさせてくれませんか?そうでないとこの子たちは、働く喜び、働く幸せを知らないまま施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。私たち健常者よりは、平均的にはるかに寿命が短いんです」

頭を地面にこすりつけるようにお願いしている先生の姿に、大山さんは心を打たれました。

「一週間だけ」

ということで、障害をもつ二人の少女に就業体験をさせてあげることになったのです。

「私たちが面倒をみますから」

就業体験の話が決まると、喜んだのは子どもたちだけではありません。

先生方はもちろん、ご父兄たちまでたいそう喜んだそうです。

会社は午前8時から午後5時まで。

しかし、その子たちは雨の降る日も風の強い日も、毎日朝の7時に玄関に来ていたそうです。

お父さん、お母さん、さらには心配して先生までいっしょに送ってきたといいます。

親御さんたちは夕方の3時くらいになると

「倒れていないか」

「何か迷惑をかけていないか」

と、遠くから見守っていたそうです。

そうして一週間が過ぎ、就業体験が終わろうとしている前日のことです。

「お話があります」と、十数人の社員全員が大山さんを取り囲みました。

「あの子たち、明日で就業体験が終わってしまいます。どうか、大山さん、来年の 4月1日から、あの子たちを正規の社員として採用してあげてください。あの二人の少女を、これっきりにするのではなくて、正社員として採用してください。もし、あの子たちにできないことがあるなら、私たちがみんなでカバーします。だから、どうか採用してあげてください」

これが私たちみんなのお願い、つまり、総意だと言います。

社員みんなの心を動かすほど、その子たちは朝から終業時間まで、何しろ一生懸命働いていたのです。

仕事は簡単なラベル貼りでしたが、10時の休み時間、お昼休み、3時の休み時間にも、仕事に没頭して、手を休めようとしません。

毎日背中を叩いて、

「もう、お昼休みだよ」

「もう今日は終わりだよ」

と言われるまで一心不乱だったそうです。

ほんとうに幸せそうな顔をして、一生懸命仕事をしていたそうです。 

社員みんなの心に応えて、大山さんは少女たちを正社員として採用することにしました。

一人だけ採用というのはかわいそうだし、何よりも職場で一人ぼっちになってしまいやすいのではないか、二人ならお互い助け合えるだろうということで、とりあえず二人に働いてもらうことになりました。






それ以来、障害者を少しずつ採用するようになっていきましたが、大山さんには、一つだけわからないことがありました。

どう考えても、会社で毎日働くよりも施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが幸せなのではないかと思えたのです。 

なかなか言うことを聞いてくれず、ミスをしたときなどに「施設に帰すよ」と言うと、泣きながらいやがる障害者の気持ちが、はじめはわからなかったのです。

そんなとき、ある法事の席で一緒になった禅寺のお坊さんにその疑問を尋ねてみたそうです。するとお坊さんは

「そんなことは当たり前でしょう。幸福とは、①人に愛されること、

②人にほめられること、

③人の役に立つこと、

④人に必要とされることです。

そのうちの②人にほめられること、③人の役に立つこと、そして④人に必要とされることは、施設では得られないでしょう。

この三つの幸福は、働くことによって得られるのです」

と教えてくれたそうです。

「その4つの幸せのなかの3つは、働くことを通じて実現できる幸せなんです。だから、どんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。施設のなかでのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しく、テレビだけ見るのが幸せではないんです。真の幸せは働くことなんです」普通に働いてきた大山さんにとって、それは目からウロコが落ちるような考え方でした。

これは、働いている多くの人たちも忘れていることかもしれません。

それを障害者の方によって教えられたのです。 このの言葉によって、大山さんは

「人間にとって“生きる”とは、必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ」

ということに気づいたそうです。

「それなら、そういう場を提供することこそ、会社にできることなのではないか。企業の存在価値であり社会的使命なのではないか」

それをきっかけに、以来50年間(当時)、日本理化学工業は積極的に障害者を雇用し続けることになったのです。





出典元:(日本でいちばん大切にしたい会社 坂本光司)



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