「人は生きてきたように死ぬ」 


Mさんは、28歳の若さで末期癌患者となってホスピスに来られました。 

当時5歳と3歳の子供さんのお母さんでした。 

病室に到着された後、挨拶に伺った私に涙を浮かべて、「私、どんな姿になっても、子供たちのために生きていてやりたい」と言われました。 

それからの日々、病室で子供たちとの時間を大切に過ごされた彼女でしたが、ある日、訪問した私に初めてこんな弱音を吐かれました。「私、もうダメだわ」淋しそうにいわれたその言葉に対して「どうしてそう思うの?」と問うと、「だって体の中から力が出てこないんですもの。 自分の体でわかるわ。 もうあまり長くは生きられないと思う」と言われ、レターセットを買ってきてほしいと頼まれたのです。 

翌日、レターセットを手渡すと、彼女はその日から、少しずつ子供たちに宛てて手紙を書き出されました。 

5歳の長男が、小学校に入学する日まで生きられないと思った彼女は、まず長男への手紙を書きました。 


しょうがっこうに、にゅうがくしたさとしくんへおめでとう。

おかあさんは、さとしががっこうへいくすがたを、ちゃんとおそらから、みていますよ… 

ひらがなばかりで書かれた手紙でした。 

小学生になった長男を、どんなに誇りに思うかという彼女の気持が込められていました。 

 彼女は次に、中学生になった長男を想像して手紙を書きました。 

「しばらく、ご無沙汰をしていました」と書き始められた手紙は、ユーモアも込められていて、漢字も使われた手紙でした。 

高校生になった長男へ宛てられた手紙は、大人としての文体で書かれ、所々に涙の跡が見られました。 

まだ5歳の息子の姿を見ながら、高校生になる姿を想像することは、どんなに辛かったことでしょう。 

家族に内緒で書かれた手紙は、亡くなる前にご主人の手に渡されました。 

そのとき、彼女はこう言ったそうです。 



 「今までありがとう。あなたと結婚できて幸せでした…。あなたはまだ30歳。だから私がいなくなった後、いい方が現われたら再婚してください。子供たちを大切にしてくださる方だったら、私は天から祝福します。しかし、こんなに早く旅立つことになって、子供たちに十分に愛を注げなかったことが残念でなりません。それで子供たちへの手紙を書きました。子供たちの成長に合わせて一通ずつ渡してくださいませんか。私の姿が消えても子供たちへの愛は残せると思いました。これからも愛されているこを知るならば、子供たちはどんなことがあっても、真っ直ぐに生きていくことができるでしょう。だから、愛されていることを感じさせてやりたいのです」


 出典元:(癒されて旅立ちたい 校成出版社)



ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)