【一源三流】 


 致知出版社、藤尾秀昭氏の心に響く言葉より…


 世の中には人がつくった道を歩いていく人と、自分で道を作る人の二通りがある。 

 以前は後者の人生こそ尊いと思っていた。 

 だが最近、そうではないと思うようになった。

二つの道は別のものではなく、交錯しているということである。 

 孔子も釈迦も独自の道をつくった人である。 

 しかし、孔子も釈迦も最初から孔子、釈迦であったわけではない。 

 それぞれの成長期にそれぞれの道を学び、その道を踏査(とうさ)していくことによって独自の道をつくり出していったのである。 

 道をつくった人は、道をつくろうと思った人である。 

 その思いを強く熱く反復した人である。 

 行ったり来たりする中で道はできる。 

 一回通っただけでは道はできない。

このことは歴史が教えている。 

 「一源三流」という古語がある。 

 「一源」は誠、誠実である。 

 この誠、誠実を源とにして、

一、汗を流す

二、涙を流す

三、血を流す

すなわち、「三流」である。 

 汗を流すとは勤勉、努力すること、一心不乱に打ち込むことである。 

 涙を流すとは降りかかる困難に耐えて人知れず涙を流す、あるいは達成の喜びに感動の涙を流すこと。 

 血を流すとは命を込める、命をかけることである。 

 「一源三流」は人をつくり、道をつくる万古不易の原理である。 


 『小さな人生論5』致知出版社 


 「一源三流」とは、よく剣道や武士道において使われる言葉だ。 

 投資の神様、ウォーレン・バフェットは「誠実さ」についてこう語る。 

 『私は人を雇う際、3つの条件で判断する。

第一が人間としての誠実さ。

第二が知性、そして第三が行動力だ。

ただし第一の条件が欠けると、他の二つはその人を滅ぼす凶器と化す。』

汗を流すとは、勤勉であるということ。 

 もし、少しでもましな人間になろうと思うなら、凡人は、コツコツと日々努力する以外にはない。 

 また、涙を流すとは、人のために涙を流すことだ。 

 どんなに頭がよかろうが、「情」のない人間は人からは好かれない。 

 血を流すとは、身を削って、努力すること。

本気になることだ。 

 死に物狂いになって取り組めば、どんなに厳しい道であろうとそこに一筋の光を見ることはできる。 

 「一源三流」の道を歩みたい。


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