Xから風の時代の話 | ふわりフワフワ♪

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ふわりフワフワと日常を綴ります


すっかりアメブロづいてる、ここ数日

きっと、そういうタイミングなんだろうね
なんていうか時代の雰囲気や流れが

もちろん、以前からずーっと
アメブロ投稿頑張ってる
(頑張るという表現もどうかと思ったりするが)
かたはいますが
わたしから見ると
アメブロ続いてるかたは
ビジネスまたはオタク業務に突出されてるかた
というイメージなんです

だから
Xなどで投稿しているかたは
そちらで事が足りてしまっていたのではないかな
今まではね

でもさ、だんだん飽きてきて(何となく)
放置していたり手付かずだったツールに
戻るというか気づいて
少しお試し的に動かしてみようかな、なんて
そんな感じの人が増えてるのかな?って

そうそう、4年のあいだに
Twitterも変わりましたね!

名称がXにかわり
ロゴも変わりましたし
仕様もだいぶ変わりましたよね

認証バッジがついてる一般のかたが
たくさんいらっしゃいますし
収入を得ることもできたりね

ツイートはポストに
リツイートはリポストになりました
認証バッジがあると
長文ポストも編集も可能になったし

これは進化なのか
うーん、まだわかりません
進化だとも、そうではないとも断言できない

これが風の時代の色、なんだと
個人的には思っております

白とも黒ともつかない
グレーとも言えないが限りなくグレーで
濃淡は様々、みたいな

数年前まで200年余り続いた
地の時代といわれる期間は
ある意味で生きづらいところもありましたが
ホショウ(保証、保障、補償)に関しては
充実して恵まれていたと思います

『 地 』が象徴することとして
物質的な豊かさというものがあります

バブル期辺りもですが
ハイブランドにステイタスを求めるのも
地の時代のひとつの在り方で
三高なんかもそうですね

俗に言う、良い大学良い会社に進学就職し
結婚式を挙げて新婚旅行をして
マイホームを建て子どもをつくり育て
出世街道に乗り
車を所有しブランド品で身をかため…
みたいな感じが地の時代を手短に語るには
しっくりくるのではないかと

だから、そういった流れに
乗りきれない人にとっては
生きづらさを感じることもあったでしょう
(わたしもそうでした)

みんながするから
みんながそうだから
それが普通だから 
みんなと一緒じゃないと恥ずかしい
…みたいな

その一方で、年金制度とか金融利子とか
土台として守られてきたところも
少なからずあったわけでね

だから……
例えばの話になりますが
夜な夜な飲み歩いていても
フラフラした生活をしていても
時代に守られていたわけなんです

反論あるかたもいらっしゃるかもですが
接待、とかがそれに通じてきますよね
社用の伝票が溢れていたバブル期とか
全部会社のお金で落とせていた
(大手でなくても一時期は)

最近は交通費全額支給の
パートやバイトも復活し始めているようですが
バブル期は交通費全額支給はあたりまえでしたし
普通のウェイトレスのバイトでも
時給が1500円、2000円なんてこともありました

バブル崩壊してからは
様々なことが変化して厳しくなりましたが…

風の時代は一見すると軽やか、です
いろんなところに風が通って
明らかになっていく

ただ、その分
自分が確立されていないと
吹き飛ばされてしまうかもしれない

そして、実は軽やかさより
そちらに目を向けたほうが良い

基盤が自分、なのが風の時代です

社会や企業や集団ではないので
(今はまだ移行期だから名残がある)
夜な夜な飲み歩いたり
フラフラした生活をするには不向きなんです

それを示唆するような出来事が
コロナに関するあれこれですね

制限や自粛
コロナ期は、その人の在り方が
浮き彫りになったのではないかと思います

そして
これからの風の時代は
今はまだ序章ですが
本格的にペースをあげていくでしょう

どういうことかというと
本質が炙り出される、ということなんです

在り方が浮き彫りになる、なんて
生易しいものではないと思うくらい
本質が否が応でもはっきりします

逆を言えば
抗わないで本質を出してしまったほうが
楽だと思います

だから、これまで我慢したり
いい人を演じたりしてきた人には
少し苦しいかもしれない

我慢している、というと
「そうなの~、自分を抑えてきたから」
と言う人が必ず居ますが
本当に我慢している、我慢してきた人は
その文言を遣わないんです

その見当違いが炙り出される、ということなのです

少し厳しいかもしれませんが
そういった意味でも軽やかさは
与えられるものではないんですね

確かにそこに軽やかさはあるのだけれど
自分の鎧や仮面を剥ぎ取らなければ
感じることは難しいのです

なんていうのかな
イカサマは通用しなくなるということなんですね

正直者が馬鹿を見るとよく言いますが
馬鹿を見るくらい正直であったほうが良いのです
それは自分自身に対して

自分に嘘をつき取り繕い
本当は良い人なんかではないのに
面倒だから損したくないからと
言うべきときに言うべきことを言わず
言わなくて良いときに言わなくて良いことを言う
矛盾した自分自身のままでいると
間違いなく時代に翻弄されます

本当の軽やかさや自由は
責任のもとに成り立つということ

自立というより自律が肝になってきます

あなたがあなたであるって
こういうこと

イカサマ野郎は淘汰されていきます


……ってさぁ、笑
わたし、お前誰?何様?みたいなこと
書き連ねてきたけど

何て言ったらいいかな、
すごくあやしいかもしれないし
たぶんあやしいのかもなんだけど
預言なんです

予言じゃないよ、預言ね
似て非なる言葉
(違いの意味は調べよう、自分で調べない
ひいては確認もしないで人任せも
炙り出しやイカサマに通じていくよ)

あ、先日
占い師が占いの内容を盗用して
自身が打ち出したものとして
週刊占いの記事を執筆していたニュースが
ありましたね

自分で占いをしないで
盗用した(いわゆるパクリね)ものを使って
生成AIに文章を作らせて
その週の占いとして発表する、って

なんと大それたことをする人なんだと
思うと同時にね
大仰なことを言ったりやったりしていても
肝っ玉の小さい人なんだろうなとも思う

パクる人ってさ
なんにも考えてないというより
わかってやってるけど
それの何が悪いの?と思ってるんだろうな

自分の作品となるもの
アートや文章等
有名無名に関わらず
誰かの書いた&描いた
本やブログやXポストや
インスタやFacebook投稿や
イラストや絵画や写真
個人的なLINEやお手紙含め

コピーして一部改竄するのはもちろん
すべてを生成AIにかけて
文章を書き換え
それを自分オリジナルとするって…
やっていて虚しくならないのかなと不思議

占いに限らず
平気でパクる人いるよね
自分がされたらどう思うか考えないのかなぁ
たぶん自分がされたら激怒するか
へんに物わかりよく許すのかもねー

自分がされて嫌なことをしないって
あたりまえのことなんだけど
されて嫌なことが人によって違うこともあるから
厄介だし平行線をたどるんだろうな

このブログも長いけど 笑
スマホから全部手打ちしてるよ
(一応言っておく)

自分の気持ちや考えやお知らせを
生成AIに考えてもらって
文章にしたいとまったく思わないし
打ち込んだり考えたりする時間が
自分と向き合う時間にもなるし
この時間を知っていると知らないとでは
語弊があるのは承知で言いますが
温かさや優しさや在り方の質が
雲泥の差に(あるいはそれ以上に)なると思うから


Xから風の時代に話が流れましたが
アメブロを離れていた4年って
あらためて変化・変容の時間だったんだなぁと
しみじみしています