5月5日の子どもの日に、私も参加している弁護士とソーシャルワーカーの協働を考える会主催で

 

公開座談会『新型コロナと学童保育カラ学童保育の「アフターコロナ」を考える』

 

 

https://youtu.be/1FbI_akbd90

 

 

というオンラインイベントを開催しました(↑のリンクからはYouTubeにアップされた公開座談会の動画が見られます)。

 

準備期間の乏しい急な企画ではありましたが、「コロナ禍のまっただ中に、その時の状況を語っておきたい」という思いもあり、実現したこの企画。

 

○新型コロナウイルス感染症対策としての一斉休校からの学童保育のドタバタ。

○運営面での構造的な課題。

○「子どもの居場所としての学童保育の意義」(子どもが学校で見せる顔、家庭で見せる顔、学童保育で見せる顔がそれぞれ違うこと。違うことの意味の大きさと、新型コロナにより、学童保育がそのような子どもの居場所としての機能を果たせなくなっている現状への懸念)

○登所の自粛要請で「現実に子どもを預かることができない」状況下でも、「子どもの居場所」としての機能をできる限り果たすための「オンライン学童保育」の実践

法教育アドボカシーの視点からの学童保育実践の再評価

 

等々のテーマについて、

 

安井飛鳥@千葉(元学童保育指導員、弁護士、社会福祉士、精神保健福祉士)

鈴木愛子@名古屋(弁護士、社会福祉士、放課後児童支援員)

佐藤真紀@滋賀&岐阜&東京(元学童保育指導員、社会福祉士、精神保健福祉士、放課後児童支援員)

中山勇魚@東京(民間学童保育CFAKids運営。特定非営利活動法人chanceforall代表理事)

糸山智栄@岡山(岡山県学童保育連絡協議会会長)

 

という、それぞれ異なる運営形態の学童保育に関わった経験を持つ5人の登壇者で語りました。

 

今回のブログ記事では、上記の公開座談会の内容のうち、法教育視点からの学童保育実践の再評価について、少し補足させて頂きます。

 

この公開座談会の中で、私は、名古屋市内のある学童保育で実施されている「子ども役員会」という取組を紹介しました。

「子ども役員会」は、高学年の子ども達が、学童保育内でのルールを自分達で決める等の自治的な生活作り、集団作りの取組です。

 

 

 

 

 

 

私は2019年夏と2020年1月にこちらの学童保育の「子ども役員会」に取材に行きました。

写真のホワイトボードは、2019年夏の「子ども役員会」で子ども達自身が自分達の議論状況を板書したものです。

 

夏休みにマンガを家から持ってきてはいけないといった、従前、その学童保育にあったルールについて

 

なんでそのルールを、守らないといけないか、分からない!!

 

という子ども達からの声に。支援員さん達も

 

(そう言われてみると、忙しさもあり、惰性でこれまでのルールのままになっていたかもしれない)

 

と考えられ。学童保育の生活やその中で起こるトラブルについても既にいろいろな経験をしている高学年の子ども達による会議で、夏休みの持ち物についてのルールを決めてみよう、ということになりました。

 

学童保育の生活を知り尽くした高学年の子ども達の作ったルールだから、ルールを作ったらそれで万事OK!かというと。

 

やはり、物事。そう簡単に上手くはいかず。「高学年の子達が作ったルールを(会議に参加していなかった)低学年の子ども達は上手く守れない」等の問題も起こりました。

 

写真のホワイトボードは、その「低学年の子がルールを守れない」という、

作ったルールを実際に適用してみて初めて分かったルールの不具合

をどのように解決したら良いかについての高学年の子ども達による議論の内容なのです。

 

一生懸命考えたルールも、実際に適用してみたら、考えていたようには作用しなかったり、想定していなかった、あるいは想定以上の副作用があって、ルールの見直しが必要になったり。

 

ルールを集団の代表者(ここでは高学年)としては明確に決めたつもりでも、ルール作りの議論に直接参加していない集団に属する個人(ここでは低学年)には、明確性を欠く内容だったと適用してみて気がつく。

 

そういった取り組みが子どもの声から始まった取り組みとして、なされていました。

 

子ども役員会での、子ども達による議論の内容をみて「学童保育での子ども達によるルール作り」について改めて感じたこと。

 

○自分達にとって身近で切実なテーマであるため、ルールの適用対象とされる社会における前提条件(ここでは学童保育施設の広さや設備、支援員の人手がどの程度あるか等)を理解した上で、ルールを作ることができる

○ルールを作るだけではなく、実際に適用してみて分かる不具合を体験し、その上で改めてルールを作りかえることができる。

○授業時間のコマ数のような形での制約のないなかで、長期的なスパンで、「ルールを作る→適用してみる→見直してみる」という流れを経験することができる(ちなみに、2020年1月に再度、訪問取材した際には、子ども達は、「特に意見が割れたルールについては、一定期間試してみた後に見直すことにする」という対応を既に行っており、子ども達の成長を実感しました。)

私は、2019年夏に子ども役員会を見学させてもらった後。天秤の絵を書いて、ルールを考える時の「比較衡量」について説明しました。

 

説明に使った具体的なテーマは、この子ども役員会でも議題になった、「マンガへの記名の仕方」。

マンガへの記名の目的は、学童保育内で、マンガが誰の持ち物か分からなくなってしまうことを防ぐため。学童保育が数十人の子ども達が遊び、生活する場であることからすれば、この目的自体には合理性はありますよね。

 

この目的を達成するには、できるだけ大きな字で見やすいところに書かれているのが良い。書く場所も決まっていた方が、(いつも学童保育内で迷子になった子ども達の物について、「これ誰の~??」をやっている)支援員さん達も助かる。

 

でも。「とにかく大きな字で一番見やすいところに書くこと」に、子どもの目線でなんのデメリットもないかといえば。

 

「(表紙に大きい字で書かなきゃいけないとかだと)大事なマンガがダサくなるのは悲しい。私、字が汚いし。」

 

そう発言してくれた子がいました(←私も、悪筆でマンガも好きなのでとても分かります)

 

ルールの目的が合理的な場合でも。そのルールがなんらかの自由を制約するものである以上、失われる利益はあります。

 

『だから、あるルールが適切なルールかどうかを考える時には、そのルールによって得られる利益と、そのルールによって失われる利益を比べるんだよ。

ルールの目的は間違ってはいなくても、あまりにも厳しいルールだと、得られる利益より、失われる利益の方が大きくなる場合があるよね。

ルールの目的が間違っていなければ、どんな制約でもしてもいい、ってことにはならないよね。

ルールの目的が達成されるのなら、目的が達成できる範囲で、なるべくみんなの自由が制限されない方が良いルールだよね。

例えば、マンガの表紙の大好きなキャラの上に、マンガの表紙いっぱいいっぱいの大きさで極太油性マジックで名前を書くこと、ってルールになったら。

「そこまでしなくてもすぐ誰のマンガか分かるようにできるじゃん。表紙にそんなことしたら、マンガ台無しだよ。」って思うよね。』

 

そんな話を子ども達にしました(天秤の絵を描いたとき、子ども達、めちゃくちゃ食いついてくれて嬉しかったです。)

 

FacebookLiveでのリアルタイムで視聴して下さった学童保育関係者の中には「ルール作りは学童の醍醐味」というコメントをくださった方もいました。

 

(ただ残念ながら、非常に管理的で、安易な一律禁止、過剰に子どもの自由を制限するルールを設ける学童保育、子どもがルールについての意見を表明できない学童保育もあります。どこの学童保育でも、子どもに影響のある学童保育のルールについて子どもが意見を表明できたり、「一人ひとり違う子ども達が、一人ひとり違うことを尊重されながら、みんなで主体的に過ごすための決まり」について、子ども達が理解を深められるような経験が積めるようになっていくことを望みます。そして、そのためには、学童保育実践に活用することを想定した放課後児童支援員向けの法教育研修が一般化することが必要だと思っています。)。

 

遊びと生活の中で、トライアンドエラーしながら、自治的な集団作りをしていく学童保育と法教育との親和性をこれからも語りたいです。