「涵養(かんよう)」という言葉があります。
涵養とは、地表に降った雨が地面に浸透して、地下水となることです。
そこから、水が染み込むように、無理せずに育てることを意味します。
この言葉は、合気道で生徒たちを達人にしようと日々、指導をしている私の方針と全く同じです。
合気道は肉体を根底から変え、感性を鋭く磨く武術です。
真実の合気道を身につけるには、地道な稽古を何年も積まないといけません。
しかし、あるレベルに達すると日常生活が即、武術になります。
まさに、気がつけば稽古時間だけの武術が、地下水となり、「生活 即 武道」となるのです。
涵養そのものです。
そして1番大切なことは、涵養を指導方針とする指導者は寛容な気持ちが必要となります。
ここは洒落ですから、笑って下さい。笑
大事なことほど、笑いを入れて、記憶してもらうのも、私流の指導ですから。
寛容さがなければ、涵養指導は出来ません。
そして、「瀉瓶(しゃびよう)」という言葉があります。
これは、瓶に入った内容物をべつの瓶に移し替えることです。
昔、お醤油の一升瓶から、金属製のじょうごで、卓上の小瓶に移した、あのことです。
これも譬喩として、師匠が丁寧に弟子に自分の持てる知識や技術、経験を伝授することを意味します。
合気道の師範となり、この言葉を強く実感します。
合気道は関節技ですから、個人個人に丁寧に指導しないと形だけの使えない合気道となってしまいます。
つまり、瀉瓶、そのものです。
生徒さんの完成度を見ながら、その都度、必要な分だけ、注ぎます。
その量が個人により、異なり、また、上達度により、変わります。
一列に並ん並べて、号令を掛けているだけでは、誰も上達しません。
想像してみて下さい。
様々な分量の卓上醤油瓶を一列に並べて、そこに、一升瓶の醤油を横に移動しながら、一度に注ぎこむことを。
溢れてしまう瓶、半分にも満たない瓶、適量となる瓶。
やはり、一瓶、一瓶、瓶の中を見ながら、一升瓶から丁寧に注ぎ込むしかありません。
毎回の稽古で生徒たちの体調から、モチベーションの高さまでを見て、指導をします。
合気道の稽古にマニュアルは作れません。
マニュアル化した稽古では、一列に並べた醤油の小瓶に、一升瓶でまとめて一度に注ぎ込むのと同じことになります。
合気道S.A.越谷には、マニュアル化した指導はありませんが、その代わり、10年単位での指導方針はあります。
それは、生徒さんの合気道を入れる容器の形も大きさも異なるからです。
卓上醤油小瓶の大きさは大体決まっていますが、合気道を受け止めるための生徒さんの小瓶の量も形も異なります。
やはり、一人一人、丁寧に瀉瓶していくしかないのです。
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