ある日の夕方のこと

 

友人とスプラトゥーン3を遊びながら

 

スプラ難しくない?って話をしていました

 

やっとランク10になったくらいとはいえ、確かに勝率は悪い

 

元々対人要素のあるゲームは好まないこともあって

 

なかなか上達するための情報を集めたりしていない

 

携帯モードで遊んでいるし、操作的な障害もあるのかな

 

とかなんとか考えたりもしますが・・・

 

ごめんなさい

 

スプラトゥーンの話は、今回あまり関係がないんです

 

 

 

スプラトゥーン3を終えて数分後

 

タイミングを見計らったかのように姉家族がやってきました

 

姪の1人が高校生になるので、制服姿のお披露目にきたんです

 

夕飯時も近かったので、出前を頼んで待っている間の談笑タイム中

 

唐突に、姪の中学のクラスメイトが恩師のために

 

演奏して歌ったものの録音を聴かせてくれたんです

 

もしかしてオリジナルなのかな?って思ってたら

 

Superflyの『愛を込めて花束を』だったで

 

これ難しいよなーって思いながら聞いていました

 

 

 

大変によく演奏できているし、歌も歌えてるなーと思いつつ

 

どんな音が聞こえてきてるかなとか

 

どんな映像が見えるかなとか

 

目に見えない部分にも意識を持っていっていたんですけど

 

(終始ボーカルの音量がちょっと弱いかなーとは思い続けてました)

 

その場には他にも聞いていた人がいて

 

気がついたら会話の方向が

 

上手さとか物足りなさの方に

 

引っ張られていたんですよね

 

 

その子達が練習して、合わせて一つの曲として

 

演奏できていただけでもスゴイことなんで

 

よく演奏できてるねとか

 

これなら喜ぶだろうねとか

 

(これでも簡単にすませすぎかな)

 

そんな言葉が出てくれれば良かったのだけど

 

教育を受けて所謂大人になっていくと

 

上手いとか下手とか

 

良い悪いなんてことを

 

ついポロッとこぼしてしまいがちで

 

息をするかのように、ボロクソに言ってしまう人もいたり・・・

 

(不思議なことに、止まらなくなってしまうんですよね)

 

 

ここがこうなるともっとよくなるよねとか

 

この部分が良かったなとか

 

その人の感性からでる感想なんかを

 

大事にする文化が広まるといいなって自分的には思う

 

 

もちろん、いい言葉だけじゃなくて

 

よくなかった部分に対しても

 

こういうふうに聞こえたとか

 

言っていいとは思うけど

 

比較要素を持ち出すことだけは

 

最新の注意を払いたいよね

 

なんて思ったりもしています。

 

 

余談

 

僕は大人になってからピアノを習っていた時期があって

 

発表会にも参加したことがあります

 

他の参加者はお子さんしかいなかったけど

 

演奏された曲で涙ぐむことがありました

 

なんというか演奏の背景にある

 

積み重ねてきた練習とか

 

日々の努力はどんなものなのなかって

 

そんなことを考えた瞬間

 

急に込み上げてきたりしたんです

 

自分も参加者なのに

 

一人一人にコメントを残したいくらい

 

どれも素敵な演奏でした