酒は男を磨く水 | 天理合気道

天理合気道

大変身!大開運!大発展!

 

上矢印オリエンテーション合宿最終日のスローダウンです上矢印

左は1回生の時で右は3回生委員で見本を見せた時です。

 

 入寮してからは、2回生の先輩が寮生活について細かく指導してくれます。

 基本的に同学年どおし和室の二人部屋で、1回生の部屋は4回生と3回生の部屋の間にあって、使ってもらいやすいように配置されています。

 壁を叩かれたら大声で「ハイッ!」と返事して、ダッシュで先輩の部屋へ行きノック、「こんばんは!」と挨拶したら「ラーメン作って」とか「ジュース買ってきて」とか「マッサージして」とか色々ですが、もちろんお金は先輩が出すし、例えばラーメンだったら先輩の分だけでなく呼びつけた1回生の分もあって、先輩の部屋で一緒に食べることになります。

 

 4月は先輩の「お部屋回り」があって、同じ階の1回生(私は3階で同回生4名でした)で4回生から順番に寮内全ての先輩の部屋に挨拶回りしました。

 夜の9時頃から始まり、1晩に2部屋ずつだったと思いますが深夜に及ぶことも多々ありました。

 夜遅いから大声は出しませんがビシッと「挨拶」することや「タバコの火付け」等々オリエンテーションで習ったことの再確認と他にも色々と2回生から注意を受けた上で回ります。

 先輩の部屋で1回生の自己紹介が終わると、先輩が「足くずせ」と言ってくれますが、先輩が「足くずせ」を3回言うまで「どうもありがとうございます」と言って正座でいなければなりません。3回目で「どうもありがとうございます。足をくずさせていただきます。」となります。優しい先輩は連続で3回言ってすぐに足をくずさせてくれました。

 1回生4人と先輩2人の6人分のラーメンを作って、食べながら色々話をすることが多かったですが、酒を飲ませてくれる(当時は飲まされる=苦痛)ことも何部屋かありました。

 

 4月中旬、寮全体の新入生歓迎会がありました。ここでも事前に2回生が色々指導してくれました。

 私は酒のつぎ方、つがれ方は高校生の時に成山師範から教わってましたが殆ど飲めませんでした。新歓の日は先輩につがないでいいから、先輩がつぎに来たら必ずコップを空にして「どうもありがとうございます。」と言って、両手でコップを持ってついでもらうように指示されました。

 1次会は食堂で酒を飲んだかどうか覚えていない程度?で当時の私達にとってはかなりの御馳走でした。

 

 そして2次会・・・ここから地獄の始まりです。

 南寮と北寮の間にある日頃は全く使われていない空家状態の古い木造2階の建物=旧寮に連れて行かれ、余り覚えてないですが「柿の種」みたいなつまみがあったと思います。

 二次会開始とともに先輩がビール瓶を持ってどんどんつぎに来て、1回生一人ひとりの横にバケツが用意されていて、吐きながら一気飲みの連続、どれくらいの時間だったかもわかりませんが、このあと3箇所の「女子寮回り」で、この日だけは玄関まで入れてもらえて、1回生が一人ずつ自己紹介をしました。

 女子寮の1回生が玄関に並ばされて見てましたが涙を流している子もいたとのことです。

 私は、せっかくの「女子寮回り」でしたが全く覚えておらず、途中から歩けなくなって同じような状態の者と一緒にリヤカーで運ばれて知らないうちに部屋で寝かされてました。

 悲惨な状態になっている旧寮は翌朝に2回生が掃除することになってました。

 

 この日の後も寮内学科別の新歓とか色々飲む会がありましたが、私はビールも日本酒も苦痛でした。

 ところが夏休み中に寮以外の先輩と飲む機会があって、その時に「こいつ、めっちゃ強いな!」と言われて、初めて自分が飲めるようになっていたことに気づきました。

 それからは宴会が楽しくて大好きになりました。

 「酒は男を磨く水」と思って、深く愛するようになってしまいました。

 

 

 大学祭の神輿パレード中に駅前で休憩中上矢印後輩に芸をやらせるのが大好きですが、私自身4回生になっても芸出しをやってました。