生まれた初期状態のヒトには差がなく、みな同じと考えてみます。(議論を単純化するため、特に障碍をもって生を受けた子は除外します。)おなじヒトですから、みなが同じことを経験すれば同じように成長するはずですが、実際にはその生まれや育つ環境によって、時間経過とともに人によって違う経験をします。良い経験を積むことで自信をつけ人生も楽しくなり、前向きな意欲を持つことで成功にも近づけるでしょうし、反対に悪い経験が重なるとやる気をなくし絶望してしまうこともあるでしょう。

 

仮に10回のチャンスがあったとして、良い経験が何回できるか、その確率を考えてみます。出発点として、良い経験・悪い経験はそれぞれ1/2の確率で遭遇するものとします。

 

10回のチャンスがあって1/2の確率で良い経験ができるのなら、平均的に5回は良い経験ができると直感できますが、7回できることもあれば3回しかできないこともあるでしょう。高校で数学Bを勉強した方なら、こういう確率は二項分布で計算できることを思い出すでしょう。表計算ソフトで計算すると、5回経験できる確率は0.246、7回だと0.117くらいと分かります。

人生では数えきれないほどの経験を重ねますのでもう少し多くの、例えば40回のチャンスがあると考えると、確率はこんな感じになります。チャンスが増えるほど、確率はよく知られた正規分布に近づきます。

40回のうち運悪く5回しか良い経験ができない確率は1/167万くらいです。本人の資質など一切関係なく、一定割合で幸運/不運な人が発生することになります。それではどうしたら不運な人を減らせるでしょうか?

 

経験の数nは人為的に増減させられないと考えると、もう一つのバラメータp(良い経験ができる確率)を増やすことが考えられます。仮に社会を豊かにできれば、悪い経験をする確率は減らせるでしょう。試しにp=0.8としてみます。

明らかに良い経験のできる回数は増えました。良い経験が18回以下になる確率は1/94万くらいです。p=0.5のときは良い経験が18回以下となる確率は1/3ていどですから、p=0.8 ともなれば不運な人は大幅に減らせそうです。

 

現実社会は良い・悪いの二元論では測れず、また経験といっても金銭的なもの・精神的なもの・人との出会いなどさまざまですから、このような単純計算では成り立ちませんが、このようなモデル計算から、本人の資質や責任でない後天的な経験だけでも相当の格差の要因になることが示唆されます。

 

ときに「成功したのは努力したから」「うまくいかないのは努力が足りなかった」と自己責任に傾きがちな人もいますが、本人の頑張りだけではどうにもならない経験格差も相当に影響していると思えば、成功しても"ラッキーだった"と謙虚になれますし、失敗しても"自分が悪い"と悲観しすぎる必要もなく平穏に過ごせて良い気がします。