すこし前に、「部活動参加で守られるべきは継続性でなく任意性である」という記事を書きました。そこでは部活動の継続を学校の規定で拘束することが、本人に不本意な活動を続けるインセンティブになってしまい、本人がより良く活躍できる他の分野にチャレンジする機会を奪う可能性のある点はむしろ有害になるという趣旨のことを書きました。

今回は、いろいろなことをチャレンジすることのポジティブな面について、いくつか事例を紹介してみたいと思います。

この手の話でよく引き合いに出されるのは“バスケの神様”マイケル・ジョーダンでしょうか。彼の父親が野球好きだった影響か、幼少期は父のジェームズとキャッチボールをすることを好み、野球選手を夢見る少年で、中学生の頃はリトルリーグで活躍していたようです。

その後バスケに興味をもち、高校からバスケを始めるのですが入学当時まだ身長がそう大きくなかったこともあり、当初はバスケ選手として目立つ存在ではなかったようです。その後10センチ以上身長が伸び1軍チーム入りをはたし、大学入学前には数々の強豪大学からリクルートされるほど活躍したようです。その後ノースカロライナ大学で頭角を表し、NBAプレーヤとなってからの活躍は多くの人が知る通りです。チャレンジすることの大切さについて、彼は名言を残しています。

“I can accept failure, everyone fails at something. But I can't accept not trying.”
「失敗することは耐えられるが、挑戦しないことには耐えられない。」

本人が「やりたい!」と思ったことを遮らずにのびのびと本人の意思に委ねることで成功した例は日本でももちろん、あります。
大谷翔平と藤井聡太の両親の子育て、実は「意外すぎる共通点」があった…!という記事で、具体的に列挙されています。

「好きなことを妨げない」方針がうまくいった例として、将棋棋士の藤井聡太さん・体操選手の内村航平さん・東京五輪の水泳個人メドレーで2冠を達成した大橋悠依さんの例があげられています。大橋さんは大学2年のときに貧血で『水泳をやめるかもしれない』と相談したときも、ご両親はあっさりと『じゃあ、実家に戻ってくる?』と答えたそうです。子供がやめたいと言い出したら反対しないのは、超一流を育てた両親たちの大きな特徴とその記事では指摘しています。

日本人初の全米オープン決勝進出者・錦織圭さんの"父・清志さんは、2歳で水泳、3歳でピアノ、5歳でサッカーとテニス、小学1年生で野球と、息子が「やりたい」と言えば何でもやらせた。大体は長続きしないのだが、錦織が「やめたい」と言い出したら、叱らずスパッとやめさせた" とあります。
唯一熱心に続けたテニスの才能が開き、中学生にして奨学金でアメリカに留学する権利を得たとき、義務教育の半ばで海外に留学することでその後の進学に支障をきたす恐れも懸念されますが、清志さんは迷わなかったようです。

"「当時、お父さんは『挫折して中卒になったって、生きていく道はいくらでもある』と語っていました。もし親御さんが『絶対テニスで成功できなければダメだ』というプレッシャーをかけていたら、錦織があそこまで才能を開花できたかわかりません」(テニス協会関係者)"

上記のように、実際に色々な経験をしたり、好きなことを妨げないことで活躍された、優れた事例があります。とくに『スポーツの基本は非実用的な活動を意味する"遊び"であり、労働に対する余暇活動』なのであり(桑田真澄の常識を疑え!(書籍))、他人や規則によって縛られる類のものではありません。

記事「部活動参加で守られるべきは継続性でなく任意性である」のなかで、『内申書の記載程度のちっぽけなことで、より人生を豊かにする分野・人との出会いのチャンスを失うようなルールは生徒にとって不合理であり、廃止されるべきものと考えます』と書いたのも、おなじ考えによるものです。

がまんして頑張って3年間取り組んだことが内申書に記載されることで評価されることもあるでしょうが、教育者ならば、ひとつの競技だけでなく色々な競技にチャレンジしたことも素晴らしいことだと、同様に評価してあげてほしいと思います。

おおぶ将棋クラブでは例会の出席も欠席も自由ですし、いつ入会されても、また気が進まなければいつでも退会は自由です。しばらくお休みだった方が再入会されることも歓迎です。そのような運営にしているのは、自由意志での参加が楽しさの大前提であるとの考えにたっているからです。そのぶん、クラブ会員数は変動しやすくなることは運営上のリスクになりますが、それを負うことで参加者に将棋を好きになって続けてもらいたいと運営を工夫するインセンティブにもなっています。このように参加の任意性を保証することで部活動・クラブの参加者が楽しめる運営を競争していくことが、社会を豊かにしていくのではないかと考えるのです。