こんち?

 

おはざいます?

 

ちぱこです

 

 

ここに遊びに来てくださっている方々はご存じな、ちぱこの家庭事情

 

生活保護を受けているっつー案件について、変更点が生じたので備忘録ついで…書きます

 

 

3月31日付で、保護を廃止となります

 

あちらの方から対象外ですとか、禁止事項が発生したので廃止です! となったわけでありません

 

今回のこれは、こちらからの申し出で、廃止決定となった次第です

 

長女と次女が進学と就職の絡みで保護から抜けて、別世帯扱いとなり

 

三女が通信制の学校に入学して以降、長女たちが住む家の方でWifiが使えることもあり、そっちに通ってタブレットで勉強をしていました

 

保護世帯の方で、そっち方面の契約をするのが、保護手帳だけだと難しく、審査が通らず…

 

また、普段三姉妹が何かとお世話になってる病院などが、長女側に多くあるので通院が結構面倒だったり…

 

街中の病院だとそこまで問題視することもないんでしょうけど、そうじゃないもんでどうしようかなーと考えてました

 

ましてや、病院の新規開拓って地味にストレスかかる

 

人見知りが激しい三女あたりに、また先生と信頼関係を築くところから…とその経過を見守る時間を考えると、無駄だなと思った

 

保護を受けるに至った経緯の、一番の問題点…お金について、そこが一番悩みどころでもあり一番先に決めなきゃいけないとこでもありました

 

ん、で、ですが…

 

皆さん知っての通り、相方=元旦那は現在、障害者です

 

就業中に落下事故に遭ったことで、労基の方から障害年金をもらい、更に年金事務所の方からも障害手当をもらっています

 

もうひとつ、旭川の市の方で自宅かリハビリなどの医療施設じゃないグループホームで過ごす場合に適用されるという、

 

特別障害者手当…というものももらっています

 

なので、言い方が悪いかもしれませんが、過去に相方がこうなりたいと言っていたことが叶う経済状況ではあります

 

『働かずして、金が手に入るといいのに』

 

という、状況です。

 

とはいえ、特に左腕の障害が完治することはないようで、左脚は若干以前よりは動くようになりました

 

が、障害者なのは変わらず、そういった障害者に与えられる手当てで相方は生きています

 

今回保護を抜けるということで、保護課の方から毎月どうやって暮らすのか…の収入状況を提出しなきゃいけませんでした

 

そこに記入したのが、現状就職している長女の源泉徴収から年間でいくらもらっていたかという金額と

 

相方からいくら援助をしてもらう話になるのか…という金額でした

 

本当は、さ

 

あたし自身だけのお金で暮らせるのなら、それが自分の矜持も含めて一番なんだってわかってた

 

働けるのならば、そうして得た収入で子どもたちを養いたかった

 

けれど、長いことかけて体にいろんな変化が起きて、歩けなくなったり、眠れなくなったり、食べれなくなったり、味がわからなくなったり、そこにいない人を五感で感じるようになったり、いつも自分以外のことしか気にかけないようになったり

 

ぶっ壊れていたあたしを救うキッカケをくれたのは相方だったのかもしれない

 

それが事実だとしても、ふさがっていたはずの傷痕から、こっちの痛みなどおかまいなしに瘡蓋を剥がしていったのは他の誰でもない相方だ

 

その影響で、いまだにまともに就活が出来てない

 

仕事を探すどころじゃない

 

いつ、どのタイミングで眠気が来るのかわからない、謎の恐怖と共存しながらの生活なんだもの

 

寝て起きたら働けばいいっていう問題でもない

 

寝たんだからと油断していたら、そんな前置き無しで外出先で抗えないくらいの眠気に襲われるんだから…

 

夜は以前よりも深く眠れる時間が増えてきたとはいえ、まだそういうことが起きてしまう以上…仕事を選ばなきゃいけない

 

そして、そんなあたしに都合がいい仕事なんか見つかった試しがない

 

就職しました!って報告したかったんだけどね、すまねーって感じです

 

そんな感じで、相方によってまともに仕事が出来ない環境やら体調を作り上げられてしまったので、あたし自身に慰謝料…ヨコセヨーって気はした

 

ま、なんにせよ、いつまでも保護世帯にいても、あたしに何かあった時のサポートが逆に難しくなるとか思った

 

生命保険に入れない、三女だけ保護扱いになっていたとして、あたしの死後にケースワーカーさんとのやりとりを三女が?と想像して、無理だろ…と思った

 

なら、(いつか誰かが嫁に行くかもしれないんだとしても)三姉妹でごちゃっと一か所に固まって、以前のように暮らしていた方がいいんじゃないかと思った

 

そう考えていく中で、一番避けたいと思っていたことを頭に思い浮かべて、しばし悩んでいた

 

結果だけ言えば、あたし的に一番選びたくなかった選択肢を選ぶことにし、今後の生活の一部を相方から援助してもらうことにしました

 

いわゆる養育費というか、慰謝料というか?

 

あたしとの関係は、今後減らすという念書を書いてもらったとはいえ、三姉妹の父親でもあるわけで…

 

三姉妹が相方をものすごく気にしているというわけでもないんだけど、相方は関わりあい方が微妙なことが多かったとはいえ…相方なりに大事に思っていた

 

その気持ちを三姉妹もわかってるので、最低限の交流という形を取って、年に数回一緒に映画を見るとか食事に行くなどしている

 

なので、三姉妹に対して出すお金…という扱いになるのだろうけど、相方の障害者という名目で出されているお金から援助をしてもらうこととした

 

その旨を書類にて提出をし、廃止決定通知をもって確定と相成りました

 

なので、奇しくもといっていいのかわからないけれど、自分の誕生日に保護生活最終日を過ごして、翌日から長女たちとの新生活! ということです

 

ぶっちゃけさぁ…相方を昼夜働いて食わせていた時期もあった

 

正社員でもないから、入る給料なんて微々たるものなんだけど、それでも誰かを守っているって感じがしていた

 

やっぱりというか、その生活費で相方が我慢できるはずもなく、あたし名義で作ったカードとか何かしらで勝手に買い物だのキャッシングだの…どんどん追い込まれて行った時期もあった

 

相方も働いて養ってくれた時期があったけれど、社会的な信頼とかは存在したのかもしれなくっても

 

家の中での相方はただの甘ったれで、愛しているって言葉だけを盾にして、自分の都合に合わせてくれるまですぐそばに立ち続けるような人だった

 

形容しがたい恐怖感が常にあった気がする

 

そんな感情が存在していた時点で、夫婦ではなかっただろうし、夫婦として再生だなんて出来るはずがなかった

 

片方だけが我慢するなんて、おかしかったんだよねー

 

今だからわかる

 

そういうところを振り返っていくと、常に緊張状態で心身ともにきつかったと思います

 

自分のやりたいことをやっていいよと言われる割に、柵の中から出してくれなかった

 

小説の執筆だって、書いてていいよという割に、常に何かを求めてくる日々に警戒していて自分の時間を作るなんて無理だった

 

なので、去年から小説を書くのをまた始めたけれど、本当にやっと気が抜けている気がします

 

…あ

 

ここんところの小説の執筆は長女の家での更新だったので、ぶっちゃけその辺の都合的にも保護から抜けての生活の方が楽っちゃ楽

 

それも保護を抜けようと思ったキッカケのひとつになってます

 

とはいえ、すぐに引っ越しが完了するわけもなく、4月分の家賃だけは自腹で支払い、4月中に退去の予定です

 

保護を受ける際に、一部の家財道具のレンタルも家賃に含んでいたのが、今回の契約でした

 

んで、そのレンタル品の返却と、車も免許もない引っ越しになるので、大物は持って行けない…てことで

 

大家さんに協力を仰ぎ、買取、もしくは引き受け、または外部の業者に処分の手伝いをしてもらうこととなりました

 

まあ、その前に家の中を片づけ、まとめ、必要なものは移動させなきゃなんだけどねー

 

っても、教科書だの、過去の高校の制服だの、鍋や炊飯器、食器って程度の持ち出しになるくらい

 

箱やバッグに入れて、衣類あたりは100均で圧縮袋を持っていき、移動の時だけ平べったくコンパクトにして運べば、量が運べるでしょう

 

タクシーを使って運べる範囲内の量になる予定なので、早めに終わらせられるようにがんばるぞ…っと

 

長女が、休みの日に時間があれば片づけに協力してくれると言い出してくれたのは、本当に嬉しかった

 

とかいっても、そこまでの量じゃないから、短時間で片が付くだろうけど、一人多いだけで気持ちも随分軽くなるはず

 

そういうことを、ごく自然に口に出来る長女に、なんだか大人になったなぁ…と思ったわけです

 

とか書いているうちに、また…眠気が襲ってきています

 

ひとまずここまでにして、追記があれば書きます

 

まずはお知らせまで

 

では、おやすみなさい

 

 

 

ちぱこ