「自分って誰?」
そんなとっても当たり前のことに
でも自分って誰なのだろうと
疑問をふっと持ってしまいました。
僕たちはどうやって
「自分」を知ったのだろう。
小さいころ、僕たちは
「自分自身」だった。
そしていつか「大人」が
それに条件を付けだした。
お前はくだらない・・・とか
お前はぐずだ・・・とか
お前は出来そこない・・・とか
お前はいい子だ・・・とか
お前は強い子・・・とか
お前は優秀だ・・・とか
そして子供は
その条件を自分自身だと
思い込むようになったんだよね。
自分はくだらない・・・だとか
自分はぐず・・・だとか
自分は出来そこない・・・だとか
自分はいい子・・・だとか
自分は強い子・・・だとか
自分は優秀だ・・・とか
そして成長して自分が大人になって
そんな自分になっていることが
悲しかったり
嫌だったり
違和感があったり
無理してたり
苦しかったり
辛かったり
そしていつのまにか
ぼろぼろになってしまった時
ふと思うことがあるかもしれない
「自分ってなに?」
外が決めた自分が自分なのだろうか?
外のいいとか悪いとか
そんな決め事でしか
自分って理解してもらえないんだろうか?
そしてそんな決め事でどんなに理解されたって
それって「自分」なのだろうか
悪いと言われれば落ち込み
いいと言われれば嬉しい
それって自分なのだろうか?
それってただ自分で自分を
良い条件とか悪い条件に
当てはめているだけじゃないのか
もういいんじゃないかな
その外の条件に自分をあてはめ続ける
その努力なんかなんの意味もないことに
気がついてみても。
「くだらない子」だね
そう言われて
自分を責め続けることも
「いい子」だね
そう言われて喜んで
そう言われる自分に
さらになろうとすることも
ただの今までの惰性なのかも
しれないんだから。
だからまさしく今
それを「ぶっ壊す」
その時かもしれないよ。
クレーム心理学
藍色シアン