「やってもいいけど~」

でもそれって

もしかすると

ただ便利に

踊らされているのかも

なんてふっと

時代劇を見ていて

日本文化の

盲点に気がついてしまった

クレーム心理カウンセラーの

藍色シアンです。


日本人の文化に

「仇討」っていうの

あるじゃないですか。

忠臣蔵とかは

未だに年末の

ゴールデン番組だし。


この「仇討」っていうの

まさしく被害者が

加害者に復讐すること

しかも政府公認

大義名分があれば

殺してもOKですよ~

っていう日本文化がある。

復讐っていうのは

どの国にもあるけれど

政府公認ってのは

日本以外には

あまりないのかも

しれないです。


最愛の夫を

藍色シアン之丞(なんて名前だ)

とか言う素浪人に

殺されてしまった

美人妻(^^ゞとその子供

宿敵になった藍色シアン之丞を

夫の仇と、戦いを挑む。


でもね、妻と子供。

刀だってようつかえん

そこでばっさり

返り討ち・・・・

無念でござりまする・・・


っていうストーリーになるか


助太刀でござると

颯爽と若侍かなんかが出てきて

宿敵、藍色之助の剣を封じ、

いまでござる

妻と子供、短刀を傍らに

えーい、夫の仇!

めでたく本懐を遂げました。


でもいいんだけど。

どうして仇討って言う

文化が生まれたのか。


ふっと思ったことが

あったんですね。

あくまで

スーパー私見ですけど(^^ゞ


ある問題が発生した。

さっきの場合で言えば

藍色シアン之丞は

その妻の夫を

殺してしまった。

理由はいろいろあるでしょう。


そして、政府(お上)は

どう考えたか。

ある問題が起きたときに、

どっちが正義だとか

どっちが悪だとか

そんなこと一回一回

吟味なんかしてらんない。


だとしたら、

どうすればいいか。


加害者が居なくなれば

被害者もなくなるから

問題は自動的に解決。

でも逆もありなんです。

被害者がいなくなれば

それでも問題は

解決してしまうんです。


つまりお上にとっては、

加害者が死んでしまおうが

被害者が死んでしまおうが

どっちでもいい

でもどっちかが居なくなれば

問題はなくなってしまう

というとっても

効果的な方法を思いついた。


しかも武家の世界では

面目という

命より大切なモノが

あったんだと思います。


それがぴったりあったのが

仇討という制度だったんじゃ

ないかと思えました。


実際仇討という制度

一度お上に仇討をしますと

申請したとすると

本懐を遂げるまでは

家に戻ることもできない

仇討の費用は実費

仇討補助なんてないです(きっと)。


そして、返り討ちにあったとしても

その補償もきっとない。

あ、仇討は失敗だったのね

ぐらいで終わってしまった。


それだけ厳しい状況を

文化として創り上げたのは

もちろん犯罪抑止効果ってのも

あったと思うんですが


どっちが正しいとか

どっちが間違いだっていう

そんな真偽なんて意味が無い

それより被害者としての

復讐という気持ちに火をつければ

あとは勝手に

加害者が居なくなるか

逆に被害者がいなくなる。


そうすれば問題は

自然消滅するんです。


そんな問題解決方法

それが「仇討」という

復讐心を煽った

やりかたなのかも

しれませんよね。


何を言いたいか

僕達の間では

自分が受けた被害を

相手に償わさせようすること

それは身を犠牲にしても

いいくらいのもの

そう思ってしまう

文化を背景にした

思いこみって

あるのかもしれない

しかもそれって

美学だってくらいに

思っているかも。


でもそれって

やってもいいけど

美学でも何でも

ないのかもしれません。


お上が便利に考えた

そんな制度なのかも

しれない。


被害者には被害者なりの

正義があるように

加害者には加害者なりの

正義がある


この面倒な

被害者と加害者の

「正義」ってことに

深く入り込むと

問題は果てしなく

大きくなっていきます。


でも自動的に

問題を解決してしまう

この「仇討」という

文化って

便利ですよねぇ。

(これもスーパー私見です)


そしてこの文化に根付いた

被害者という意識が

自分が不幸になったって

加害者に私の正義を

認めさせるんだ~

というような

被害者であるがゆえの

不幸な自分を

創造してしまっているのかも。


そんな視点で

被害者という心理を

見てみるのも

いいのかもなんて

時代劇をみて

思ってしまいました。


クレーム心理学
藍色シアン