「そりゃ身も蓋もない・・」

と思いながらも

これは伝えたいなと

思った

クレーム心理学の

藍色シアンです。


結論から言います。


加害者を

不幸にしても

被害者は

幸せには

なれません

絶対に・・・。


モラハラを

受けました

もう精神的に

ぼろぼろです

今でも

相手が笑顔でいるかと

思うと

相手がゆるせません。


パワハラで

仕事をやめることに、

どうしてこんな不幸が

自分に来るのだろう。

あんな上司

不幸なってしまえ!

これって

願っちゃいけない

ことですか。


こんな声が

僕のところにも

届きます。


だよねえ

恨みたいよねえ

相手に復讐したいよねえ

そうやって

相手を「不幸」に

したいよね


お百度参りで

五寸釘で

恨みの藁人形

やっちゃいたいよねえ


僕だってまだある。

経験したモラハラ

今だって

相手の友達だった夫婦を

恨んでるところある。


クレーム対応の仕事

どんな難しいクレームを

解決したって

やって当たり前の上司

辛さを受け止めない

そんな周りの理解と組織。


もうさっぱり忘れたさ

もう浄化されて

恨みもなにもないさ

なーんて

言えない言えない(^^ゞ


でもね

やっぱり

身も蓋もない

言い方だけど


僕がどんなに

その相手の不幸を

願っても

不幸にしたとしても

僕は幸せには

ならないことを

僕は知っている。


気が済む

ってのはあるかも

でも、それをやっても

それは「幸せ」じゃない

せいぜい

「不幸せ」じゃ

なくなった。


うーん

違うなあ。


自分の「不幸せ」を

一時忘れられる

ぐらいかな。


恨むのもいい

復讐したいと

思うのもいい

藁人形を

思い浮かべてもいい


でも実際には

復讐もできないし

藁人形を打ち付ける

そんなこともできない

そんな自分を不甲斐なく

思うのもいい。


でも、そこに一言

加える勇気を

持って欲しいなと

僕は思う。


そうやって

相手を不幸にしても

自分の本当の

幸せにはならない。


じゃあ、どうする?


それが「幸せの選択」

うん、それ勇気いるよ

でも、それが今

必要な人って

沢山いるんだろうなって

思う。


そんな勇気を

持てること

手伝えたら

いいなと思ってます。




クレーム心理カウンセラー
藍色シアン