ブドウ畑の中の陳列台 -2ページ目

ブドウ畑の中の陳列台

「酒にまつわる歴史と文学と映画、そして旅」を愉しむために

 尾道から上京してきた義父母・周吉、とみの二人をささやかに歓待するために紀子が、アパートの隣室にお酒を借りるシーンがある。

 

  『東京物語』のなかの一シーンである。

 

   紀子は次男の嫁で、戦争未亡人、狭いアパートの一室で一人暮らしをしていて、生憎、酒の買い置きはない。

   で、隣家の主婦から酒を借りた。

   手渡された一升瓶には半分以下しか入っていない。この量では周吉には足りないだろう、と何度目かに『東京物語』を観ていたときに、そんな下司なことを案じた。

   東京にいる旧友たちを訪ね、小さな飲み屋に入ったときにはかなり呑んだ周吉であったから、紀子が調達してきた酒量では、「足りないよなぁ、足りない」と、左党としては、変なことに気を廻したのだった。

 

   尾道へ帰る途上、義母のとみが体調を崩した。尾道に戻り、他界した。

 

   周吉、とみ夫婦が上京し、子どもたちに会いに行ったのは、無意識に「さよなら」を言いに行ったのではなかったのか。

   「物語」の最後、とみの葬儀のために尾道にやって来た紀子に「戦死した息子のことは忘れて、あたらしい伴侶を見つけて幸せになって欲しい」と周吉が伝えるシーンがある。つねづね周吉のこころのなかには燻っていた思いなのであろう。

 紀子の貧しい部屋を周吉が訪れたとき、「もう少し呑ましてあげたかった」と思ったのは、そんな周吉のこころを慮ったからであった。長女の志げに押しつけられて訪れた紀子のアパートであったが、こころの底ではやさしく縁を切りに行ったのではなかったかと思え、物語の核心は切ない。

   1953年に封切られた映画である。

   悲惨で理不尽な戦争を引きずることから脱却し、前向きに生きてゆくべきだという思いと、生あるものは死んでいかなければならないという理が交錯するところに、

 

   「戦死した息子に義理立てする必要はない」

 

という周吉の思いが屹立している。

   思い切らねばならない時がある。四合くらいじゃ、酔えはしないだろう。

 

 

 前回の文化十二年から二年後、別の酒飲み大会があった。両国柳橋で、である。

 

 このとき、優勝したのは鯉屋利兵衛という男であった。

 

 三十歳、飲み盛りの年齢であろう。

 芭蕉のパトロンであり俳人でもあった杉山杉風の通称も鯉屋藤左衛門を名のったが、幕府御用の魚問屋の主人であった。

 鯉屋利兵衛も鯉屋ということだから、魚を商って生計を立てていたのであろう。

 

 三升入りの盃で六杯半飲んだのだという。十八升半である。

 

 このコンテストは、飲み潰れるまで飲むという趣向だったらしいから千住での定量を飲み干すものとは違い、ギブ・アップした時点で終了というものだった。利兵衛はへべれけになって投了、ということだったのだろう。

 

 文化文政の時代の酒の値段は、一升につき200から250文だったと言われている。大工・左官の日当が300から500文くらいだった時代だから、安くはない。

 利兵衛さん、最低でも3700文を飲み干した勘定になる。一文30円換算で、11万円近くを飲んだことになる。翌日は、11万円かけた二日酔いに苛まれたことだろう。

 

 

           酒のない国に行きたい二日酔い

 

  そんな川柳があったはずだ。

 

   文化十二年(1815)、千住の中屋六右衛門という商人が還暦になった年に、それを記念して大酒飲み大会を開いた。

 五合、一升、一升五合、二升、二升五合、三升の酒が注がれた六つの大盃が用意され、それを順に飲み干していくという趣向であった。

 合計で十升五合、飲み干せる手合いがいるのだろうか。

 

   いた。

 

   すべてを飲み干し、優勝したおとこがいたのである。松助という男であった。

 

          「一杯は人酒を飲む 二杯は酒酒を飲む 三杯は酒人を飲む」

 

という諺があるけれど、大盃六杯、十升五合を飲み干した松助の場合、何と表現すればよいのだろうか。六杯を飲み干してもケロっとしていたということだから、松助にとっては「六杯は人酒を飲む」状態だったということなのだろうが、酔う、酔わないよりも、十升五合という大量の水分を受け入れた胃袋の強靭さには驚くばかりである。

 

       「酒が酒を飲む」

 

という諺もある。

   酔いが回ると、その勢いで大酒を飲んでしまうことをいうが、松助の場合は、ケロッとしていたということだから、酒が酒を飲んだことには当たらない。

 

 ウワバミ、というのは確かに、いる。

   いや、いた。

 

 

 

 

 

 

 

  • 芳醇で、さわやか、アロマは中程度。 上質の米のフレーバーは、いくつかのフローラルとマシュマロを含みます。きめ細かなビロードのような質感。うま味は中程度の味わい。辛口で、やや重め、余韻は長い。
  • 原料米 ぎんおとめ、他 精米歩合 55% 仕込水 折爪馬仙峡伏流水(中硬水) 酵母 M310、9号系酵母 日本酒度 +4 アルコール度数 15〜16度 酸度 1.5
  • おすすめの飲み方: あつかん
  • アルコール度数: 15%

 

 

   酒の消費量が激増したのは元禄年間(1688~1704)のことである。この時期、経済的に発展し、商家でも、農家でも、読み書きそろばんができなければ、使い物にならない、ということで、寺子屋も増えた。

 農村地帯でもさまざまな産物がつくられ、売られた。

 

 経済的な発展が元禄の繁栄を築いた。

 

 その繁栄は、それまでにごり酒などに親しんでいた関東の人々に、摂津の国で醸された上質な清酒をもたらすことになった。特に、江戸では、上方からの上質な酒が「下り酒」として、おおいに飲まれるようになった。

それが元禄年間のことであった。

年間、20万石を超える酒が江戸に運ばれたと言われている。

 

 摂津の国の優れた醸造技術で生産された酒であるというだけでなく、江戸へ運搬される船のなかでほどよく揺られ、道中、馬の背で揺られたりすることで吉野杉の酒樽の香りが酒に移り、美味だと喜ばれたのでもある。

 関東でも清酒が生産されたが、安価ではあるが、酸っぱかったりして「下りもの」には遥かに及ばなかったようである。

 それにしても、大量の酒が運ばれた。成人一人当たり、年間、三斗になる勘定だという。

 

 斗酒なお辞せず

 

 いつの世でも酔いたい人間はいっぱいいたのだ。

 そのことを称えるべきか、憂うるべきか。まあ、そんなことどちらでもよい、か。難しい顔をして飲んでも、楽しい心で飲んでも、酒は酒、即時一杯の酒なのである。今すぐ飲める酒がありがたい、のである。

 

  

 

 

 

 

 

 

 オールド・パーって洋酒の銘柄があるけれど、ものの本によると、イングランドに実在したトーマス・パーという農夫の名前に由来するのだと言う。

 

 1635年に152歳で没したらしい。 

 

 長生きだ。とても長生きだ。

 しかし、このパー爺さん、元気すぎて、100歳を過ぎてから不義の子供をもうけて教会から説教されたとか、女性に「乱暴」を働き捕まった猛者だとか、いろいろ書かれている。酒のうんちくについて書かれた古い本などでは、現在では使うのも憚れる言葉でパー爺さんの「乱暴」のことが綴られていて、ほんとかどうかは知らないけれど、たぶん、眉唾だろう。

 

 いくら好色でも、100歳を過ぎてからの、「乱暴」は無理だ。

 

 生きた時代がちょっとずれる同姓同名の親族をごちゃまぜにしているから150歳などと、とんでもない「長寿」になったのだともいわれているけれど、そんな「事実」などどちらでもいい。

 100歳を過ぎてからも旺盛な活力をもち、152歳まで生きたパー爺さんが「実在」したという「伝説」こそが大切なのだ。

 痴漢行為に近いそれらしきことはあったかもしれないけれど、それ以上のことはでっち上げっぽい。

 「パー爺さん幻想」に、後世のおとこたちはパブなんかで盛り上がり、で、尾ひれはひれがつき・・・、 

  

 まあ、そんなところだろう。

 

 酒の肴として、そんな荒唐無稽な「無理」は話としては面白い。

 パー爺の長寿を寿ぐ話でもあるのだ。

 だからだろうか、ディケンズやジョイスもそれぞれの作品でパー爺さんに言及しているし、オールド・パーのラベルにうっすら描かれている肖像画は、国王チャールズ1世の依頼で、ルーベンスが描いたものだと言われている。

  あのルーベンスが、だ。

 

 

           https://www.oldparrscotch.com/ より

 

 

   奥深くに、悲しみを湛えた目だと思う。

 

 ジョイスの『フィネガンズウェイク』の書き出しの三段落目は「The fall」で始まるが、こう書かれている。

 

   The fall (bababadalgharaghtakamminarronnkonnbronntonnerronn-    tuonnthunntrovarrhounawnskawntoohoohoordenenthurnuk!) of a once wallstrait    oldparr is retaled early in bed and later on life down through all christian    minstrelsy.

 

    「The fall・・・ of a once wallstrait oldparr」

 この転落は、ウォ―ル・ストリートの株価暴落と(パー爺さんに因んだ)オールド・パーの転落が掛けられているが、『フィネガンズ・ウェイク』の主人公である大工のフィネガンが梯子から転落したことを導くための暗示となっているが、柳瀬尚紀の訳では、「転落(・・・)、旧魚留街の老仁の尾話は初耳には寝床で、のちには命流くキリシ譚吟遊史に語り継がれる」となっている。 (・・・)の部分は、落下音のオノマトペ。   

  

 この転落・落下について、「助言者もいないフィネガン(HCE)は梯子から落ちて死に、湖底の墓に埋葬され、そして『落下後の復活』を果たす。居酒屋の亭主として甦ったかれは、しかし、公園での軽罪によってふたたび転落する。かれはこうして『天に至る梯子』を登ろうとしては落伍する。人類もまた、善き意志からであれ、傲慢さからであれ、『梯子』に足をかけて上昇と落下を繰り返す。」と宮田恭子は書いている。           『ジョイスと中世文学』P94

                                   

 物語は、人類の総体としての「意識の流れ」がエンドレスであり、フィネガンが『天に至る梯子』を登ろうとしては落伍するように、人類もまた、『梯子』に足をかけて上昇と落下を繰り返すことが示されているのであろうが、100歳を超えてからのパー爺さんの女性への「乱暴」も「落下・転落」として、捉えていたジェームズ・ジョイスがいた、ということであろう。そして、パー爺さんの転落はウォール街の株価暴落とセットになっているのである。

 

 ところで、現在の日本では、78歳の衆議院の議長が、セクハラ疑惑で揉めている。

 その疑惑だけではなく、一旦、衆議院区割り審の会合でまとまった「10増10減」案を批判する発言など、議長としての資質が問われているけれど、セクハラ疑惑については釈明会見を開くように勧められても、沈黙を守っている。

 農民であるパー爺さんが100歳を過ぎてから起こした「不祥事」にはどことなく微笑んで付き合うことができる。

 ても、権力を背後にした78歳の衆院議長のセクハラには、怒りよりも、悲しみを感じる。

 ぼくらの国の、国権の最高機関の議長がこの程度の人間だったのか、という悲しみである。

 78歳で鼻の下が長くて悪いことはない。

 しかし、・・・。

 

 パー爺さんを讃えるこんな話がある。

 国王チャールズ1世は、「誰よりも長生きした人間は偉大な先人たちと並んでウエストミンスター寺院に埋葬されるべきだ」と宣している、とオールド・パーの公式hpにはある。以下、その文面だ。

 

   トム・パー爺さんは1483年に生まれたイギリスの農民でした。152歳9か月という   

   並外れた年齢まで生き、10人の君主の治世、そしてエリザベス一世の黄金時代の目撃者

   になりました。

 

   長い人生の間に、かれは敬虔な国民的な人物になり、英知と成熟の伝説的なシンボルとな

   りまた。

 

   かれの威信に敬意を表して国王チャールズ1世は、「誰よりも長生きした人間は偉大な先

   人たちと並んでウエストミンスター寺院に埋葬されるべきだ」と特別な布告を宣しまし

   た。

 

    

オールドパー18年 [ ウイスキー イギリス 750ml ] [ギフトBox入り]

 

 

 hpの別のところには、”A unique bottle design typifies a different perspective on life.”ともある。

「ユニークなボトルデザインは、人生の異なる視点を表しています」という意味だろうか。 

 Different perspective on lifeが気になったのだけれど、件のチャールズ1世は議会と対立し、48歳で処刑されている。

 パー爺さんの三分の一の人生だった。

 

 

 
 

 舞台は長崎。

 団塊世代の「おかのゆういち」は、広告営業をしているサラリーマン。立派なハゲ頭の、初老に手が届きそうなおとこである。

 仕事よりも、趣味の音楽活動や漫画にエネルギーを割いている。

 「ペコロスおかの」を名乗っているが、ペコロスとはプチ・オニオンのことで、旬は夏、初物はみずみずしく、甘味がある。

 だから、「ゆういち」が「ペコロス」を名乗ることは、その頭の形状としては納得なのだけれど、くたびれた男の内実としては皮肉でもある。

 

 そんな「ゆういち」の母・みつえは、夫の死を契機に認知症を発症している。

 男やめものゆういちは、みつえの面倒を見ていたが、症状が進行し、介護施設に預けることになるのだが・・・。

  監督は、森崎東
  出演は、岩松了、赤木春恵
 
 長崎という「地」には、原爆体験という痛みがある。
 認知症が進行する中、みつえは原爆体験や過去の記憶と「現実」が交錯する中でいきているのだが、「ゆういち」のハゲ頭だけはしっかりと覚えている。
 
 物語の背後に流れるユーモアやペーソスは人生経験の豊富さに基づくものであろう。森崎東の作品にはどこか変な味がある。そこが好きなのだが、学生時代に池袋・文芸地下で『黒木太郎の愛と冒険』を観たのが彼の作品との出会いだった。

 『男はつらいよ フーテンの寅』のメガホンをとったのは山田洋二ではなく森崎東だったが、かれの作品の根底にはユーモアやペーソスがゆったりと流れていることからの起用だったのであろう。原作は山田洋二、脚本にも加わっていたが、まだ、メガホンを握りうる経験が不足していたということだったのであろう。

 

 『ペコロスの母に会いに行く』の前には『ニワトリは裸足だ』(2004)を観ていたが、こちらはあまり感情移入できなかった。主演は肘井美佳、NHK教育の『大人の基礎英語』のなかのドラマに出演していた女優だ。

 その前は『ラブレター』だった。

 

 『ペコロスの母に会いに行く』は、老いというテーマを、森崎本来のユーモアやペーソスを余すところなく発揮させながら描いているところが、心地よい。

 ブラックな笑いやナンセンスな笑いは、多分、森崎の中にもあるのだろうが、それを直截に表わさない。

 ブラックなものやナンセンスを人生という劇場の中で昇華させたものがペーソスなのだ。

 

 ペーソスを表現するためには年季がいる。   

 

                                1時間52分 2014年

 

 

 

 

 

   クラプトンよりもジンジャー・ベイカーが好きだった。

 もうアルバムは失くしてしまったけれど、たしかジンジャー・ベイカーにはアフリカのスタジオで録音したアルバムがあって、それがとても好きだった。

 バイオリンの名器、ストラディバリウスをもじったようなアルバムタイトルだったけれど、正確なところは覚えていない。でも、ヘッドフォンを装着し、ボリューム・マックスで、聴きはじめると、いつしかトランス状態に入ってしまうようなドラミングだった。

 音楽の始原と究極は、こんな風に頭ん中がからっぽになり、体が微熱を帯びたまま音に合わせてリズムを打ちはじめるような、そんな状態を求めているんじゃないか、とマジで思ったものだ。

 

「すべての芸術は音楽の状態を求める」

 

とぬかしたのはショーペンハウエルだったか。

 そのことばをパロって言えば、「すべての表現はトランス状態を求める」のかもしれない、そう思うと、「楽」になった気がした。

 薬物をやった訳ではない。

 ジンジャー・ベイカーのドラミングに音量マックスで浸っていて、ある種のトランス状態に入っただけの話だった。

 

 そんな状態も酒と同じで、覚めてしまえば逃げ道のない現実が立ちふさがっているのだけれど、19世紀ごろの歩兵中心の戦争では、士気を鼓舞するために行進する部隊の前にドラムを叩く音楽隊がいて、あれなんかもある種のトランス状態に兵士たちを導くための「音」なだったのかもしれない。

 死の恐怖を麻痺させる「音」だったのだろう。

 

 太鼓の音って、聴覚的である以上に触覚的なんじゃぁないかと思ったりもする。

 

 エレキ・ベースなんかも大音量の低音が地面を揺らし、はらわたとか子宮を振動させるようなしびれるような触覚的感覚があるけれど、地べたから這い上がってくるベース音にとっ捕まると、イッてしまった体のように蹲ってしまう感じなのだけれど、あのアルバムのジンジャー・ベイカーのドラミングはそんな感じじゃなかった。

 

 ところで、「クリーム」のジンジャーとジャックの二人は元々、ジャズ畑の出だからということでもないのだろうけれど、ジンジャーのドラムにはR&Bという枠組みには納まりきらないものがあった。

 

 R&Bがやりたくて「クリーム」に参加したクラプトンと「の温度差」を聞かされたことがあった。

 

 ジンジャー・ベイカーがアフリカに渡ったのは黒人音楽のルーツそのものに深入りしたかったというよりも、ある種の原始体験への沈潜だったのではなかったかと、そんな風に思われたりもする。それはより深く、人間の身体に眠っている「暴力性」へと架橋するものなのかもしれないが、シャコンヌのバイオリン演奏を、大聖堂のてっぺんで聞くと湧き上がってくる天使のさえずりを聞いているような感覚になる、とういう話を聞いたことがある。真偽はわからないが「音」の直接的で、不可思議な「何か」?

 

 「すべての芸術は音楽の状態を求める」

 

 ショーペンハウエルは、本当のところ、何がいいたかったのだろう。

 

 

 

 エドガー・アラン・ポー(1809~1849)はアル中だった。

 

 かれのアル中は筋金入りで、ウエスト・ポイント(士官学校)は酒が原因で退学になったし、酔いどれのまま路傍で死んだ。

   そんなかれの生き方の中に<自分を受け入れることのできない>人間の、苦悩を窺うこともできる。

 

 『世にも怪奇な物語』(1967年制作)というオムニバス映画のなかに『ウイリアム・ウイルソン』がある。

 「わたし」と、「もう一人のわたし」の、ひんやりと緊迫した関係が描かれている作品である。

 

 寄宿学校に通うウイリアム・ウイルソン。

 サディスチックで「悪」に走る少年である。

 その彼の前に、もうひとりのウイリアム・ウイルソンが現れる。彼の性格とは正反対の少年で、ウイリアム・ウイルソンの悪事を妨害するのである。

 卒業し、士官となったウイリアム・ウイルソンは以前と変わらず、「悪」と「サディズム」に小賢しく生きている。

 そんなとき、もうひとりのウイリアム・ウイルソンが出てきて、彼の悪事を暴くのであった。

 暴かれたウイリアム・ウイルソンは暴いたもうひとりのウイリアム・ウイルソンを殺害するのであった。

 

  ポーの自伝的な短編をベースにした作品らしいが、ルイ・マルがメガホンをとった。

 

 映画のなかでは、アラン・ドロンが二人の「ウイリアム・ウイルソン」を演じていた。

 演技がそれ程上手だとはいえない当時のアラン・ドロンだけれど、かれの美貌と裕福とはいえない出自のなかに潜むひんやりとした冷酷が、自分自身をひややかに眺めるドッペルゲンガー的なと言おうか、分裂した自己に脅かされる男の、影の部分の自分の「気配」におびえる人格を演じていた。

 

 邦訳されたタイトルは「影を殺した男」。

 

 実際のエドガーの出自は恵まれてはいない境遇だった。

 マサセッツ州ボストンに生まれ、旅芸人であった両親を早くに失うと、ポー家に貰われ、17歳でヴァージニア大学に進む。

 このころすでに詩人として認められるが、博打と酒で養父と諍い、退学。ウエスト・ポイントに入るが、前述したように退学になっている。

 切実なこころの叫びを宿していた詩人であったというべきかもしれない。

 

 かれの作品には推理小説から入ったという、そんな読者がほとんどだろう。

 

 だからだろうか、「作家」を強調しすぎたり、「作家であり、編集者であり、詩人であった」と言ったりする人が多いけれど、「詩人」という括り方で十分だと、私は思う。

 いや、エドガー・アラン・ポーは「詩人」以外の何物でもない。

 そう確信している。

 

 ところで、「ポ」と呼ばれる詩人がもう一人、いる。

 

 Li  Po こと李白である。

 かれについては、”Li  Bai, also  known  as  Li  Po ”という説明もあるから、Li  Baiとも表記されるが、ここはPo で貫きたい。

 その李白もかなりの飲べいで、酒にまつわるエピソードは多々、ある。

 同席する貴人たちをこき下ろし、悪態をつく。

 普通なら即刻、首が飛ぶところだろうが、この天才は許される。

 

 かれへの畏敬の念と異質性が非礼を働かれた貴人たちを寛大にさせたのであろう。

 

 李白には異郷の血が流れていたという説もあれば、先祖が何らかの事情で新疆に流された漢人だという説もある。

 どちらにしろ、東トルキスタンの文化や風土の中で育った。

 現代中国の異民族問題を語るつもりはないけれど、このことは李白の精神形成に何らかの影響を与えたであろう。

 かれの出自のなかに、ふたつの異なる文化や言語や血が流れていたとするなら、「ウイリアム・ウイルソン」同様に「自己の中に、対立するもう一人の自分」を抱え込んでいたということであろう。

 はげしい葛藤の心的ドラマが、そこにあった。

 

 「言葉にひとつの意味しか感じないとき、何事も生じません。矛盾した意味、異なった意味が加わったとき、ことばはそそけだち、異様な要素とのあいだにスパ-クを発します。この『矛盾の共在』のはっするスパ-クをポエジ-と呼びます」  吉野弘

 

 言葉だけではなく、存在そのものに「矛盾の共在」を抱え込んでいたPoePo も詩のゆゆしい震源地を抱え込み、詩人として生きた。

  

 酒を抜きにして語れない二人の詩人。

 

 Edgar  Allan  Poe   と Li  Po。  

 

 ふたりの詩にはへだたりがあるけれど、ふたりともポーと呼ばれている以上に、酒神に溺れつつことばを捻りだしたという点は共通していた。

 

 バッコス(酒神)はネプチューン(海神)よりも多くの人を溺死させた。

 

 そんな格言があったはずだが・・・。

 

                                          9:48:48 PM  9/16/2010

 

 

 

 

 

 

y

仕事に追われ、疲れたからだで帰宅する。

ネクタイを外して、ため息をつく。

一風呂あびて、食卓に着く。

 

一杯のビールで、人心地つく。

 

 

 
 

 

呑兵衛の父親なら、それから、焼酎か、日本酒か、ウイスキーか?

ワインなんて柄じゃない。

 

どんな酒が好みかはぞれぞれだろう。

 

でも、渇いた喉へぐいっと注いだ一杯目のビールは大切だ。

人には、それぞれのルーティンがあるように、ビールにも好みの銘柄があるだろう。

 

でも、たまには、変化をつけるのもいい。

 

「父の日」なんて忘れているだろう父に、いつもとは違ったホップの味で、いつもは伝えられない感謝の気持ちを添えて、プレゼントするのも乙かもしれない。

 

いつもと違う味に、歳のせいか頑固になりはじめた父が不満そうな顔をしたら、さりげなく「ありがとう」と感謝の思いを告げて、いっしょにグラスを重ねることができたら、・・・父は喜ぶ。

内心では、きっと嬉しい。

 

それから、それから、あらかじめ仕入れていた「地ビール」のうんちくで、父の胸襟を開こう。もっともっと、近づけるかもしれない。

ビールを堪能しながらも、堪能しているのはビールだけではないのだ。

 

父が、そこにいる。

 

それがどんなに幸運なことかを噛みしめてほしい。

 

 

 

 
 

 

 バーボン・ウイスキーは1789年にエライジャ・クレイヴ牧師が生みだした蒸留酒であり、西部開拓時代を彩る酒なのだろうけれど、西部の荒くれ男たちは、この「牧師」が作り出した酒を好んだ。

 

 さまざまな銘柄が生まれ、粗悪品もいっぱいあったらしい。   

                                   

 そのトウモロコシやライ麦などを主原料とするウイスキーに課税がかかることになり、酒造業者たちはケンタッキー州などの非課税地帯に移住した。

 安くなければ売れない。

 何しろその日暮らしの荒くれ男たちが飲むのである。課税された分を業者側で負担するか、価格に上乗せするかは、死活問題だったのだろう。そんな訳で、バーボンの名はケンタッキー州バーボン郡に由来することになるのだけれど、この郡名はフランスのブルボン王朝にちなんで、あのトーマス・ジェファーソンが名づけたらしい。

 そう、「アメリカ独立宣言」の起草者のひとりで、3代目大統領となったあのトーマス・ジェファーソンが、だ。   

                                                                                                              

 ケンタッキーといえば、ケンタッキー・ダービーだとか、フォスターの「ケンタッキーのわが家」だとか、ケンタッキー・フライドチキンぐらいしか知らないけれど、アメリカ先住民イロコイ族のことばで「草原」を意味するらしい。

 そんな場所にブルボン家にちなんだ地名があるのは、ケンタッキー州がフランスの探検家であるラサール卿ロベール・カベリエによって発見されたかららしいけれど、発見などと言っても、すでに原住民が住んでいたのだから、西欧の価値観を押し付けただけとも言える。

 

 そんなことごとを考えながら、バーボン・ウイスキーを贖っては、ロックで酔いつぶれていくのだけれど、二日酔いで目覚めた朝などに、西部の荒くれものの酔い方はどんなだったのだろうか。いろいろな酔い方があり、酔いつぶれ方があったのだろうけれど、その日暮らしの人間の酔いつぶれ方は万国共通なんじゃないか、と埒もない妄想が過ったりもする。

 

 ところで、ロック違いだけれど、ケンタッキー出身のバンドにBlack  stone  cherry がいる。サザン・ロックの流れを汲むバンドだ。

 サザン・ロックといえば、テキサスにはZZトップ、エドガー・ウインター・グループ。ジョージアにはオールマン・ブラザーズなんかがいて、それほど好きではないけれど、なぜか、時々、むしょうに聞きたくなったりする。

 

 ケンタッキーにはBIGなバンドはいなかった。

 けれど、Black  stone  cherryが出てきた。

 地理的には南部に位置するけれど、南北戦争では北軍につき、奴隷解放にも賛成したケンタッキー州が果たしてサザン・ロックの圏内か? と疑問視する人もいるけれど、そんなことはどちらでもいい。

 大体、サザン・ロックの黎明期などと目されている、たとえば、CCR、The Band、Little Feat なんかも、それぞれ、シスコ、カナダ、LA出身じゃあないか。

 偏狭な「・・ナショナリズム」には反論したい。

 いやいや、言いたいことはそんなことじゃない。

 「土」と密接に生きている世界が「パトリ」だとしたら、「ナショナリズム」などは近代国家の産物に過ぎない。重なる部分はあるけれど、その違いは大きい。要は、「土着の息の長さ」である。

 ちょっと前に中国や日本に吹き荒れたチープなナショナリズにも閉口したけれど、様々なところで「偏狭さ」「非寛容さ」が巾を利かせている時代は、悲しい。

 

I saw cotton
and I saw black
Tall white mansions
and little shacks.
Southern man
when will you
pay them back?
I heard screamin'
and bullwhips cracking
How long? How long?

   Neil Percival Young “Southern man”

                                                

 スワンプ・ロックというと、サザン・ロックの中でも、より泥臭さ、土臭さを強調した音をいうけれど、土着に拘泥するからと言って、偏狭であってはならないし、変な概念で縛り上げるべきではない。

 土臭い音、それでいいのではないのか。パトリなのだ。

 人種や性や民族の違いはあるけれど、差別からは自由でいたい。

 

 土臭い音

 

 その響きがあれば、LAのバンドであろうが、カナダのそれであろうが、ドイツのそれであろうが、広義のサザン・ロックなのだろう。

 ロックは叫びなのかもしれないが、「偏狭さ」を声高に叫んでいるだけなら、悲しい。

 

 「ガラガラ蛇のおしっこ」

 

 開拓時代には、そんな名前の粗悪酒もあったらしい。

 ちょっと、ちょっと、と言いたくなるような名前だけれど、とんがったナショナリズとは違う遊び心が感じられる。

 「このバーボンは粗悪品ですよ」と白状しながら、そのことを逆手にとり、ウリにしている。「JUNGLE JAP」的な、この感覚は、愉快だ。

 とはいえ、行きつけのバーのカウンターに座り「ガラガラ蛇のおしっこ、頂戴」なんて冗談でもいえない。

 

 「だから、今夜は、ブラントンで」       

                                      

 いろいろな樽の原酒をブレンドしない「ブラントン」は、シングルバレル・バーボン。

 南部の主張の強い個性が味わえるケンタッキー州のバッファロー・トレース蒸留所の逸品である。

 ある意味、土着性に通じるスピリッツに拘っているともいえる。

 何しろ、バッファローの名を冠した蒸留所の「作品」なのだ。おまけに、ボトルキャップにはケンタッキー・ダービーを象徴するかのような乗馬のフィギュアが載っている。

 

 スワンプ・ロックな逸品である。