ブドウ畑の中の陳列台

ブドウ畑の中の陳列台

「酒にまつわる歴史と文学と映画、そして旅」を愉しむために

 

   封切られたのは1953年だから70年近く前の映画だ。『禁じられた遊び』のことである。そんなに古い映画を思いだしたのは、ウクライナやガザでの惨劇に触れたからだ。

 『禁じられた遊び』と言うとナルシソ・イエペスの抒情的なギターの切ない音色が、心に浮かぶけれど、ある時期まではかれのギター演奏が、結構、ラジオなんかで流されていた。クラッシックギターの教室に入門しても『禁じられた遊び』が弾けるようになるとすぐに辞めてしまう、という逸話を聞いたことがあるけれど、兎に角、人気があった。   

                                     

 でも、最近はまったく聞かない。 

                                                       

 メディアに流れることもない。

 時代はおおきく変わったということだろう。そして、当然のことだけど、人も変わる。「禁じられた遊び」で、少女ポーレットを演じていたブリジット・フォッセーも変わった。カンヌ映画祭のインタビュー映像で、そう、十年ほど前のものだったと思うけれど、ジャン・レノなんかと登場して、カンヌ映画祭について喋っていた。                                

 お年を召していて、ブリジット・フォッセーというアナウンスがなければ分からなかった。                                                         

 かなり皺が目立っていたけれど、あの「禁じられた遊び」のポーレットの面影はかすかに残っていて、目元のあたりのくりくり感はまんま、だった。                                                

 そのことが何故か、みょ~にうれしかった。

 

 ところで、ブリジット・フォッセーって、そんなに多くはないけれど、映画には出つづけていて、ジャン・エルバン監督の『さらば友よ』(1968)では、アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソンという当時のスターと共演しているし、フランソワ・トリフォーの『恋愛日記』(1972)、クロード・ルルーシュの『レジスタンス』(1976)にも出演していた。

                                                                       

 だけじゃぁ、ない。

 

 時代は前後するけれど、羽仁進が娘の羽仁未央を撮った『妖精の詩』(1971) にも出ていて、主人公のミオは、戦争の影を引きずる少女、西の国の島の孤児院に入れられるという設定なのだけれど、ブリジット・フォッセーは保母の役だった。 

 1982年にはソフィー・マルソーが主演した「ラ・ブーム」にも出演していた。 

 

 羽仁未央は2014年、深酒がもとで(?)他界したと聞く。『都市の論理』の孫娘が深酒に起因して他界してしまったのだけれど、ブリジット・フォッセーは今年75歳になる。

 

 十字架を立てるという「遊び」=「悪戯」に託して戦争の痛みやかなしみや少女の運命を描いた『禁じられた遊び』のポーレットの、75歳の顔いっぱいにひろがった小皺を、只、讃えたい。 

 

 

 

「駆けつけ三杯、ぐいっといっきにやってくれ」

そんなセリフを時代劇などで耳にした覚えがあるけれど、「いっき」「いっき」の大合唱などはなかったなどと想ったりするのは、「いっき」「いっき」の大合唱にはほとほと迷惑したからであった。

うんざりするくらい迷惑した。

そう、一時、流行ったあの「いっき飲み」は、酒の味を知らないお子様たちのバカ騒ぎでしかなかった筈なのだけれど、

 

ありゃ一体、何だったのだろう

 

「いっき飲みしたけりゃ角打ちへ行け」と横目で蔑みながら居酒屋でじっと我慢し、苦虫を嚙み潰すように安酒を舐めたものだったけれど、角打ちを貶めているのではない。夜勤明けに夜勤を終え、疲れているはずなのに、妙に、神経が昂っている心身を鎮めるために、<グイっといっきに飲んで、帰る。バタンキューと寝る>。それが角打ちの極意だと心得ているから、そういいたかったのである。

夜勤明けの心身は、仕事がはねても硬直していたりする。

だから、酒をいっきに注ぎこみ急速にほぐす。歩きながら少しずつ酔いが回り、茅屋にたどり着いたときには、爆睡スタンバイ。

 

てな訳で、

 

「健全」な労働者の、「健全」な立ち飲みは、潔よいくらいいっきに飲み干すのが極意で、気持ちよい。夜勤経験者として、そう確信する。

 

だから、「いっき飲みがしたけりゃ角打ちへ行け」とは、酒のTPOを知らない「お若けぇ」皆さまを毒づきつつも、人生勉強してこい、という意味をこめてのこころの底からの叫びであったのだ。

小心者のさびしい叱責でもあった。

声に出せないところがほんとうに小心で、小市民で、小者であったのだけれど、それにしてもと思う。あのばかげた空騒ぎのエネルギーを注ぎ込んで仕事に集中したら、「落ち目のニッポン」などからは即座に脱出できたのかもしれないはずなのに、と。

 

が、そうはならなかった。

 

考えてみる。

あの一気飲みの掛け声は、前世紀に流行った「24時間働けますか」の零落した掛け声であり、怨嗟だったのかもしれず、周囲の迷惑も考えず、ひとりよがりの「いっき」「いっき」は、気づかぬところでヘイトや排外主義の伏流水になったのかもしれないと思えたのであった。

 

24時間働けるはずなど、ない。

 

その言葉の裏にはグローバリゼーションに真向かう勇ましい「戦士像」があったのかもしれないが、夜勤明けの朦朧感を知らない連中の、戯言だ。労働流動性を高めれば経済は活性化するとか、トリクルダウンだとか、一個の人間の痛みや現実をまったく心得ない言説なども、根は同じだろう。

鶴橋や川崎などのヘイト・コールを見聞きしたときに、あれはあきらかに「いっき」「いっき」のノリだ、ヴァリアントだ、周囲の迷惑も考えず、ひたすら自分たちの狭隘な思いこみや幻想に満足し、閉じている、と思った。呼吸をし、感情を持つ他者がいないから妄想の風車に挑みかかっているだけなのだ。

 

とはいえ、それが大きさを増すと、おとろしい。

 

もう一度、言おう。「いっき飲み」には迷惑した。本当に迷惑した。

最近は見かけなくなってほっとしているのだけれど、しかし、あのエネルギーはどこに流れこんだのだろう。

 

 社会を維持してゆくための大切な良識が問われている。考え方の違う他者と粘り強く対話してゆく「見識」「勇気」「胆力」こそが必要なのだ。

左右の問題ではない。

 

そう思う。

 

 

 

 「ロバートは本を読むけど、ボブはテレビを観る」 

 

 映画『イコライザー』の中のセリフである。

 百冊を読破するために深夜のダイナーで読書していたロバート・マッコール(デンゼル・ワシントン)が、そこで出会った少女に「ロバートだ」と自己紹介したときに、少女が言ったセリフである。

 少女の名は通称アリーナ(クロエ・レース・モレッツ)、ロシア人である。

 近ごろはロシア人と聞くと閉口してしまうけれど、プーチンやかれの為政に賛同する人々もいれば、異議申し立てをする人々もいる。いや、いた。独裁的な国家は反対勢力を厳しく弾圧するから、異議申し立てもままならなくなり、良心的なこころを持った抵抗者や兵役逃れの若者のなかには他国へ逃げだす人々も少なくないようだ。

 現政権とその国民を全く同一視することには問題があろう。

 

 映画の中で、アリーナがどんな経緯でアメリカに滞在しているのかは語られないけれど、アメリカに居住しているアリーナは虐げられた存在なのだ。ロシアン・マフィアが営む売春組織によって強制的に客をとらされている。

 そんな彼女、嫌な客に暴行したことで、組織によってひどい仕打ちを受けてしまう。

で、元海兵隊の特殊工作隊員で、今はホームセンターで働いているロバートがロシアン・マフィアに復讐、いや、手厳しいお仕置きをするといった物語である。

 

 ところで、ロバートという名前の語源はドイツ語のHruodpherhtだと言われ、Hruodには「名声」の意味があるらしい。このことば、印欧語としてはかなり由緒のあることばで、インド・アーリー語の「詩人」という語にまで辿れるのだという。

 北欧神話のオデーンでも「詩人」を意味し、神のことばを受け取り、ことばを操る詩人の気高さと結びついたHruodなのだ。後半部分のPherhtは「輝く」を意味する。

 

 だからロバートいう名前には「詩人として輝く」という意味が含意されているのだ。

 

 「ロバートは本を読むけど」というセリフにはそんな下敷きがあり、聞きながらニヤリなのだけれど、「ボブはテレビを観る」というところで思わず吹きだしてしまうのだ。良く知られているように、ボブというのはロバートの愛称だからだ。

 売春を強要されながらも歌手を夢見ているアリーナの機智がそのあたりに窺われる。まだ十代半ばなのだろうけれど、賢い。ロバートの愛称は他にもロビン、ボビー、ロブ、ルバートなどがあるのだけれど、ボブを選んだところに、機知があるのだ。ボブという響きには卑近で、ちょっとだらけていそうな、そんな感じが、ある、ことからのセリフなのだろう。

 「日本語で5音はハイカラだけれど2音になると卑近な感じになる。ミニスカートをミニと呼ぶと卑近になるように」と言語学者の大野晋が言っていたけれど、たしかに2音になると「ポチ」っぽくなるし、それは日本語であろうが、英語であろうがおなじなのだろう。

 親しみやすくなる、という意味でもだ。

 

 キリン・シーグラムに「ロバート・ブラウン」があるけれど、この名前は、カナダの酒造メーカーであるシーグラム社がスコットランドに進出したときの蒸留所の名前であり、スコットランドの典型的な名前なのだそうだけれど、ロバート・ブラウンを愛飲している御仁は、きっと読書家でなければならない。何しろ、ロバートの語源は「詩人」なのだ。いやいや、それ以上に『イコライザー』のなかで、アリーナが「ロバートは本を読むけど、ボブはテレビを観る」と言っているのだ。 

 でも、ボブ・ディランがテレビばかり観ているとは思えないし、何しろ、ノーベル文学賞だもんなぁ。

 ボブ・マリーだってかなり戦闘的だ。

 いや、いや、「ボブ」だからいいのであって、ロバート・ディランやロバート・マリーなんてなったらちょっと敷居が高い。

 「ボブ」を舐めたらあかんよ。

 

 『イコライザー』は2014年の作品だからクリミア侵攻があった年の作品なのだけれど、現在のロシアのリベラル派などが感じている息苦しさや困難とは、直接、関係はないだろう。けれど、あらためて観なおしてみると、アリーナをはじめ異国で暴力的な管理下で売春を強要されている少女たちには「ロシア的な閉塞感」とでもいうものを背後に抱え込んでいるのを感じたりもする。

 ロシア男性の平均寿命は68歳。

 寒いからウオッカを浴びるように飲み(註)、おまけにマヨネーズ好きであることが生活習慣病を惹起し、そのことが原因で短命なのだと冗談ぽく言われたりするけれど、『イワン雷帝』的な強権を求めてしまう国民性に内在するジレンマとでもいうべき「ロシア的な閉塞感」にもよるのかもしれない。

 

 ロシアン・マフィアは強権性の象徴なのかもしれない。

 

 マルコムXを演じたデンゼル・ワシントンは、『イコライザー』の中で強権的・独裁的な勢力を瞬殺する「善人」を演じているけれど、そんな勧善懲悪の背後には、ロシアン・マフィアに代替された権力中枢への批判が見え隠れする。ロシア本土に住んでいるマフィアのボスの豪邸がゲレンジーク近郊にある「プーチン宮殿」を連想させるからだろうか、そんあ風に思えるのだ。単純化するなら、

 プーチンのロシアは「×」

 アメリカの民主主義は「〇」

といういうところにこの映画の眼目があるのではないかと思えたりもするけれど、それだけではない問題をも提示してはいる。

 

 「アメリカ人は何でも金で済まそうとする」

 

というセリフをロシアン・マフィアに言わせてもいるのだ。「今だけ、金だけ、自分だけ」という新自由主義的な世界を糾弾というか、揶揄していそうなことばを、である。

 でも、暗示するだけで終わっている。

 映画のタイトルの『Equalizer』には、均一化し、平等をもたらすものというほどの意味があるから、ヴィジランテとして「世の中の不正」を正そうとするロバート・マッコールは平等をもたらす者という意味が付託されているのであろうが、悪の血は流れるけれど、自らの血が流れることはない。

「面白いけれど、深みはない」という批評は的確な指摘だろう。

 傷つき果てた「ボブ」でなければ、深みはでないからだ。『ジョーカー』的な作り方もあるはずなのだけれど、『Equalizer』の製作陣は望まないだろう。

 

 でも、でも、デンゼルワシントンは好きだ。

 

 ベトナム戦争以来、傷つきっぱなしのアメリカは、決して傷つかない古典的なヒーローを求めているのだろうか?

 

 

 

(註) ロシア人の40%は飲酒をしない。飲酒する人の40%はワイン、16%はビール、ウオッカを飲む人は12%に過ぎないという統計もあるが、アルコール依存症の問題はロシアが抱え込んでいるゆゆしい問題であるとも言われている。どこの国でもアルコール依存の問題はあるけれど、北欧やロシアでは厄介でゆゆしい社会問題であるようだ。

 

     「男爵さま お髭が曲がっています」

  「ジャンヌよ それが人生さ」

 

   そんな広告を目にしたのはかなり昔のことだけれど、日経新聞紙上で、だった。当時はまだそれなりに高級品だったレミーマルタンの広告だったけれど、男爵、というとところが気になった。

   ゴーリキーの『どん底』に、

 

     「男爵! 酒場へいこうぜ」

 

というセリフがあって、響き合ったのだ。『どん底』のこのセリフの後は、、

 

  「ほんとうにあの人は男爵だったのかね」

  「わかるもんか。もっとも、だんな衆だったことはほんとうらしいや・・・やつは今で  

     も・・・ときどきだんならしい癖をだすからな。まだ昔の癖が抜けきらねえと見えて」

 

とつづく。

 レミーの男爵の人生も、『どん底』の男爵の人生も嘘がまぶされているのだろうけれど、この嘘、他者を陥れ、傷つけるための嘘ではなく、自己保身のためでもないだろう。自己粉飾の嘘ではあるけれど、いわば、トリックスターとしての「嘘」なのだ。

 

   フランスの男爵といえば、哲学者のモンテスキューやオリンピックの父と言われるクーベルタンなどがいるけれど、たしか、ジル・ド・レェも男爵だったはずだ。最下位の爵位である男爵。その下には準男爵や騎士がいるのだけれど、そのあたりまでがアッパークラスに属している。

 とは言え、気位の高さを除けば、裕福なミドルクラスと生活水準は大差なかったかであろうし、むしろ、「虚飾」のせいで借財を抱えこんでいたりする者も少なくなかったようだ。気位が高い分、実利には疎く、蔑すむようなところがあり、勢い虚飾に走る。「男爵さま、お髭が曲がっています」というコピーはそんなところを突いているのかもしれない。

 現代でも「そんな「男爵さま」はあちこちにいらっしゃる。

 

 ジル・ド・レェは百年戦争のころの戦士である。  

                                              

 ジャンヌ・ダルクと共に英国軍(と言っても、その王朝の出自はフランスなのだけれど)と戦い、オルレアン包囲戦では、それまで旗色が悪かったフランス軍に多大な戦果をもたらした。それなのにパリ包囲戦の後は自領に引きこもってしまうのである。                  

 で、錬金術にのめりこみ、あれやこれやで莫大な借財を抱えるようになり、生活は荒みきった。

 更には、多数の少年たちを凌辱しては殺害することで興奮を覚えるようになり、その悪名は現在までも語られる。真偽はさだかではないけれど、『青髭』のモデルになったとも言われるが、ジャンヌが捕縛され、心の平衡を崩してしまったのだ、と言う説もある。                

                                        

 リュック・ベッソンの『ジャンヌ・ダルク』(1999)ではヴァンサン・カッセルがジル・ド・レェを演じているけれど、イングリッド・バークマンが主演し、ヴィクター・フレミングがメガフォンを取った『ジャンヌ・ダーク』(1948)には登場していない。                 

 ジャンヌの存在はジル・ド・レェに多大な影響を与え、彼女への尊崇の思いや、見捨てたことへの呵責やら、さまざまな思いがジル・ド・レェを苛んだのかもしれない。シャルル7世のために戦いながらも、そのシャルルに裏切られ、異端と烙印されたジャンヌへの思慕と呵責が、ジル・ド・レェの正気を蝕んだ。負債感を補うためにより破滅的な凶行に及ぶかのような心理を感じたりもする。

 挙句、聖職者の拉致・監禁の罪で裁判にかけられ、その公判ですべてを告白、懺悔するのだが、絞首刑になる。遺体は埋葬されず、火炙りにされた。

 当時のフランスで絞首刑の後に火刑になるということの意味を知らないけれど、重い罰なのだろう。                    

 

 ところで、レミーのコピーの「ジャンヌよ」という呼びかけにつづく「それが人生さ」は、C’est la vie という慣用句なのだろうか。                             C’est la vieには「それが人生だ」という意味以外にも「仕方ない」というあきらめの意味合いがあるようだけれど、このあたりの諦念は、レミーの「男爵」にも、『どん底』の「男爵」にも、共通するのであり、さまざまな痛みを抱えこんでしまい飲まずにはいられない、男爵どもなのだろう。

 自分のなかの「男爵」に目配せしながら、「男爵、酒場へ行こうぜ」とこころのなかで呟いていたりするのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



   

 

   酒が、小道具の役割を果たすだけではなく、物語の伏線や重要なメッセージになっている映画がある。

  『ホワイト・アウト』もその一つだ。

 織田裕二が主演している『ホワイト・アウト』(2000) ではない。「南極初の殺人事件」と銘打たれたドミニク・セナ監督の作品(2009)のことである。

  殺人事件と南極のホワイト・アウトを描いた映画であり、原作はグレッグ・ルッカ、1969年生まれの米国の作家である。同作はコミックの出版社「オニ・プレス」社から1998年に出版されたグラフィック・ノベルであり、イラストはスティーブ・リーバーが担当している。

 因みに、オレゴン州ポートランドに本拠を置く「オニ・プレス」社の「オニ」は日本の「鬼」に由来している。

 

                         §

 

 さて、『ホワイト・アウト』の主人公・女性連邦保安官のキャリー・ステッコ(ケイト・ベッキンセール)は、マイアミでのドラック捜査での忌まわしい過去から逃げるようにして南極という勤務地を選んだ。軽犯罪しか起こらない南極を、である。

 信頼していた同僚のジャックに裏切られ、射殺したことの責めとして、でもある。

 

 そんな彼女に南極での遺体回収の命令が下り、老医師と共に回収に向かう。遺体は殺害されたものだと判明した。

 そんな中、基地ではポップな50年代風音楽が流れるどんちゃん騒ぎが繰り広げられていて、パイロットとして働く男 ― 後に、主人公に協力することになる ― が、アイスピックで南極の氷を割りながら「百万年前の氷だ」とはしゃいで乱暴に氷をロックグラスに投げ入れると、

「十年前のウイスキーだ」とウイスキーをドバドバと注ぎ、

「最高だろう」

と悦に入る。

 百万年前の氷と十年前のウイスキーの対比は、自然の長さと人為の短さを暗示するのだけれど、それをミックスし、混交した時間を飲み干すことができることを「最高だろう」と賛美しているのである。

 

   人類の誉と驕慢が、そこにある。

 

 次の場面では、遺体の死因が「ピッケルによるものだ」と検死役の医師が連邦保安官・キャリーに告げるのであるが、遺体の損傷部分を見た彼女にはマイアミでの忌まわしい過去がフラッシュ・バックする。

 そんなキャリーに、ロシア共和国のボストーク基地から「とにかく来てくれ・・・ここに来ればすべてがわかるんだ」と調査隊のジョン・モーニーの呼び出しがかかっていた。

 ボストーク基地に向かう直前に、忌まわしい過去を思い起こしてしまったことを医師に告白する。

 すると、

「時間は解決にならん、だからスコッチというものがあるんじゃないか・・・気をつけろよ」

と医師は云った。

 気をつけろよ、とはこの物語の伏線になることばだけれど、「時間は解決にならん」というセリフは、人為の時間であり、過去に囚われていることに対して云ったものである。一方、「気をつけろよ」はボストーク基地へ行くことへの警告ともなっている。

 このあたりは見落としがちではあるけれど、物語全体の方向性を暗示し、重要な連結点でもあろう。主人公・キャリーの過去と未来が交錯するのである。その背後では人為の時間軸と自然の時間軸が交錯してもいる。

 

                    §

 

 ボストーク基地で起こった事件は、1957年に南極上空で起こったソビエトの飛行機の墜落に由来するのだけれど、機内に残されたウオッカやら、蒸留酒が暗示的に出てきくる映画である。

事件の発端は原石のダイヤモンドであった。

 超高温で形成された結晶体であるダイヤモンドはC(炭素)でできているが、常温で燃やせば単なる灰である。

 

 時間では解決できないから酒に逃げるのであろうが、うたかたに過ぎない。

 

 かつては信頼していた同僚に裏切られ、南極では信頼を寄せていた医師にも裏切られる。医師は、ソビエトの国策で運ばれていたダイヤモンドを奪うために三人を殺害し、主人公キャリーの指を凍傷で奪った。

 犯人が老医師であることに気づいたキャリーは、

「あなたを逮捕するわ」と医師に告げる。

「ああ、分かっているよ」と言いながら老医師はグラスの中のスコッチを飲む。

・・・。

「知ってるか。この時期のオーロラはすばらしいんだよ。・・・じっくり見たことなんかないだろう」

「ええ」

「見納めをさせてくれ」

 外は、荒れ狂うホワイト・アウトの世界である。

「いいわ」

「いつか機会があったら見てみるといい」

 老医師はそう言い残して扉を開け、グラスを持ったまま吹き荒ぶホワイト・アウトのなかへと出てゆく。

 哲学を背負ったシーンであろう。酒とホワイト・アウトが紡ぎだす哲学を、である。

 

   脚本は、

   Jon Hoeber 

   Erich Hoeber

     Chad Hayes

         Carey W. Hayes

の四人である。

 

 

     機会があれば飲む、機会がなくとも飲む

 

という言葉は『ドン・キホーテ』を書いたミゲル・デ・セルバンテスのことば、

 

   機会があれば飲む、時には機会がなくとも飲む  

 

を捩ったものだけれど、「時には」という連語は、必要ない。そう、思った。その方が呑兵衛にとってはすっきりする。いつだってスタンバイなのだ。

 

 中世の騎士物語を読みすぎて現実と物語の区別がつかなくなってしまったドン・キホーテは、方々でトラブルを起こす。そんなトラブルメーカーはいつだって酩酊状態、酒なんか飲んでいなくても酔っていた。

 耽溺するとはそういうことだろう。

   「時には」などと限定してしまうと、飲んでいないときもあることになる。

 そんなことでは、風車に立ち向かえない。

 だから、

 「時には」は必要ないのだ。かなり極私的な見解、いや、思い込みなのかもしれないけれど、ここは譲れない。

 

 作者のセルバンテスは何度も投獄された。長い囚人生活を送った。『ドン・キホーテ』も監獄の中で構想されたのだという。

 で、思った。

 『死霊』の作者・埴谷雄高も、戦前、豊多摩刑務所に収監されていたことがあり、そのとき、「一時的に発狂したのではないか」と評論家の秋山駿が発言していたけれど、セルバンテスの囚人生活とダブった。

 想起すると、「夢魔」は宇宙の涯てからでも一瞬でやってくることを埴谷は口にしていたけれど、壁の奥からやってきた「夢魔」を幻視した埴谷がいたということなのかもしれない。「虚体」概念は、埴谷の重要な主題であるけれど、それは未出現宇宙であり、夢魔であり、のっぺらぼうの発展形でもあった。

 壁の奥からやってきた。

 今とは違う衛生環境、陰湿で暴力的な取り調べに、長時間、苛まれていると、なるほど、「壁の向こうからやってくる幻覚にとっつかまり、現実と幻想の区別がつかなくなったりすることもあるのかもしれない。

 

 痩せ驢馬のロシナンテに乗ったドン・キホーテ・デ・ラ・マンチョも、サンチョパンサ(太鼓腹という意味)も、囚人のセルバンテスの許へ、壁の向こうからやってきたのかもしれない。

 

 アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスなどのギリシャ悲劇と、仏蘭西のコルネイユやラシーヌ、西班牙の『ドン・キホーテ』、英国の『ハムレット』などの17世紀悲劇との違いは、前者が「運命」に翻弄される人間を描き、後者は「意志」を貫くことでカタストロフに追い込まれる人間を描いているのだ、と西洋文芸思想史の授業で習った覚えがある。

 ソルボンヌ流の解釈だという。

 それによれば、ドン・キホーテは狂ったのではなく、意志を貫いたことで常識からズレてしまった、ということになるのだろう。

 永田耕衣に,

 

   恋猫の恋する猫で押し通す  

 

という句があったけれど、「意志」を「押し通す」ことは、カタストロフとまではいかなくても、たしかに争いやいざこざを惹起することがある。

 とまれかくまれ・・・呑む・・・機会があれば呑む、機会がなくとも呑む、のぢゃ。

 

 余談だけれど、ギリシャ悲劇を意味する「トラゴーディア」は「山羊の歌」を意味する。中原中也の第一詩集のタイトルも『山羊の歌』だった。「悲劇」を想定しての命名だったのだろう。

 、

   汚れちまったかなしみに

   今日も小雪のふりかかる

 

 そんな日は、機会がなくても「飲みたい」。詩人でなくとも、だ。

 

 

   Rauch、苦みの強い燻煙ビールである。

 

   日常を忘れて、ちょっとばかりハードボイルドな気分に浸りたい。そんな夜の入口にはうってつけのスモーク・フレーバー、個性的だ。

 

   バーボンやジンとは違った世界がひろがる。                                            

 

   燻製麦芽で製造されたビールで、ドイツ語の「煙」Rauchに由来する。麦芽を乾燥させるときに燻煙(スモーク)させるからである。

                                   

                            

 

 

   疲れきっているのに眠れない夜がある。

   そんな夜の入口には、日常生活を飛び越える異世界への想像力に遊びたい。疲れた心身を癒したいのだ。

 

   扉は、そこにある。

 

   Rauchの心地良い苦みは煙に燻されて育てられた世界、 想像力をひらくための「扉」なのだ。

 ラッパ飲みでいきたい。

 

 Rauchの発音は「ラオホ」というよりも「ラオ」に近い。

 

   甘い囁きに耳は、弱い。

 

 蛇は樹上からイブの耳に囁き、唆した。弱いところをついたのである。耳は性感帯であり、災いを招きよせるよわい器官であろう、か。三島由紀夫は女性の性的エクスタシーを「音楽」と名指したが、的を得ていよう。

 

   か、かよわい 鯨の耳を噛んでみる   坪内稔典                            

   耳おそろし眠りの外で立っている        折笠美秋

 

 稔典の「耳」は、そんなイブの耳の弱点を十二分に心得ているのかもしれない。

 鯨の耳に耳朶はない。

 ヒトやダンボのような耳が身体から飛び出ていたりはしないのだ。眼のすぐ後ろに穴もない耳があるだけらしいから、「噛む」ことはできない。「眠りの外で立つ」ような芸当もできない。

 だから稔典の、鯨の耳を噛んでみるという句はまったくの空言なのだ。空言を愉しんでいるのだ。「か、かよわい」などという形容でもっともらしく演出しながらも、である。そのあたりがこの句の肝なのであろうが、読み手は騙された訳ではない。そもそも鯨の耳の所在は、不明なのだ。無い、のではない。

 外からはわかりづらいという意味で、不明なのだ。

 鯨の年齢は耳垢で測るらしい。

 検査捕鯨では、必ず、この耳垢栓を採取する。噛んだらガリリと音がするのかもしれない。が、齧ったことがないので本当のところはわからない。                                               

 稔典の「耳」が凹の「耳」であるのに対して、美秋の「耳」は凸で、身体から自立し、「立っている」のであるが、わたしの身体のパーツでありながらも、自立している。場合によっては、眠っている身体から歩み去ってしまう魂胆や動機を隠し持っている、そんな耳なのだ。汎神論的な世界観がこの「耳」には感じられるのだが、しかし、<杉林歩きはじめた杉から死ぬ>という句をものにしている美秋は汎神論的なパースペクティブを持ちながらも、そのパースペクティブのなかへと歩み入ることには二の足を踏む。近代的な合理主義を捨てることができないのだ。多くの現代人はオリガサのように、踏みとどまる。そこから21世紀のぼくらは、どのような道に進みうるのだろう、か。 

                                                                       

 耳の本性を、もう少しつきつめて考えてみるべきなのかもしれない。宇宙史というスパンを以って、である。

 温暖化が進めば季語の土台は崩れる。そのあたりを見据えてコスモロジカルでオントロギッシュな視点を取り戻すのだ、といったら大袈裟であろうか。「原始感覚を取り戻す」(河原枇杷男)とは、そういうことなのだと理解しているが、天野不争という江戸期末期から明治にかけての俳人の句に、

 

   松風を気つかう耳やほととぎす

 

があり、しばらく、奇妙な感慨に囚われたことがあった。

 不争は、甲州谷村藩境村の人で伴蔵を名乗ったが、かれの父親は江川英龍や大場久八とも親交があった天野海蔵であり、豪商であった。

 久八は吉田の人斬り長兵衛の許で渡世修行を積んでいる。竹居安五郎も同じであった。そんなふたりと交友をもっていた海蔵は広い渡世人人脈を持っていたはずであり、そのネットワークで流通していた情報の在り方は再考すべきであろう。

 「耳」のネットワークを、である。

 ドモ安こと竹居安五郎が島抜けしたときには久八とともにその逃走劇を手助けしているが、役人たちの目をすりぬけ、逃亡犯の幇助をした時、警戒の「耳」はするどく立っていたことであろう。

 もちろん、美秋の「耳」のオントロギッシュな立ち方とは異なる犯罪者の「耳」の立ち方ではあったであろうが。

 江川英龍の依頼で品川沖のお台場建設を託った時には久八と共に荒くれ人足たちを仕切り、お台場を完成させるために尽力している。

 明治33年に87歳で他界しているが、清濁併せ呑む人物であり、造り酒屋や廻船問屋を営んだり、社会事業や慈善事業にも積極的に勤しんでいる。

 倅の不争も広い俳諧人脈を持ち、活躍していたが、逆縁で、明治19年に47歳で没している。

 『峡中俳家列傳』には「菩提寺なる廣徳院の住持大森香芸に従つて俳諧を学ん」だ不争の許には「慕ふて來るの俳客亦は行脚して且過する雲水の徒常に其の蹤を絶たず、食客三千人の盛無しとするも、また却々に盛なるものであった」とある。多くの俳人たちが不争を慕って訪れたことが記されているが、信州の花國という俳人などは二十年以上も不争邸で暮らし、家人のような状態で、そこで永眠している。

 父、天野海蔵が築いた財力があったからこそ可能だったのであろうが、不争の人柄にもおおいに依ったであろう。

 さて、不争の掲揚句であるが、芭蕉への挨拶句であろう。

 

 天和3年、大火で深川の芭蕉庵を焼け出された芭蕉が谷村藩の家老の許に身を寄せ、当地で<馬ぼくぼく我をゑに見る夏野かな>などの句を詠んだといわれているが、同年には<清く聞ン耳に香焼いて郭公>などの句も詠んでいると云われている。

 「ン」という撥音や「耳に香焼いて」という奇妙な措辞に閉口するが、この句について岩波の『芭蕉俳句集』の注には「泊船。芭蕉は貞享元年の部に出す」とあり、角川『芭蕉全集』には「耳に名香をたきしめて郭公の声を聞こうという意。なお奇趣をねらった談林調の句である」と記されている。

 角川ソフィア文庫の『芭蕉全句集』の解説には「『耳に香焼て』というありえない設定を通して、時鳥に対する強い愛着心を示したもの」と記されている。

 どれも一句の評価に立ち入るのを抑えている。

 

 小学館『松尾芭蕉集』には、香を焚くのプレテクストが足利義政が千鳥の声を聞きに行くのに、香をたいて出かけたという故事が下敷きになっていることが記されているが、このあたりを山本健吉の『芭蕉全発句』では、もう少し丁寧に説明していて、「この義政の故事は芭蕉も知っていたと思う。一期一会として、最高の時間と空間を作り出すことに生きがいを見出した、中世的な美意識の中に生きていた。時鳥の一声という最高の瞬間を、名香を炷(た)くことでさらに純化し浄化しようとする生の態度が、ここには見えている。だが、句そのものは理に落ちている」と綴っている。

 たしかに、説明されれば、「理に落ちている」ことは理解できる。

 だが、不争の時代にはどのように捉えられていたのであろう。

 そのあたりが気にかかる。

 全集の解説者や学者たちは「耳」に秘められたIssueに気づいていないのだろうが、少なくとも不争は気づいていた。

 不争の許を訪れた三千人の食客のなかには、谷村での芭蕉仮寓について様々な事が語られたことであろう。掲揚句の「耳に香焼て」の故事が山口素堂の『とくとく句合』の判詞にあることなども『芭蕉句選年考』などを引用せずに心得ていたであろう当時の俳人たちの議論が、さて、どのようなものであったのかは分からないが、不争が<松風を気つかう耳やほととぎす>を下ろしたのは、あきらかに、<清く聞ン耳に香焼いて郭公>の句に対するレスポンスであり、芭蕉への憧憬であったことは疑いないだろう。が、それ以上に、「耳」に潜む「怖さ」や「奥行」をも掬い上げているのかもしれない。

 谷村の不争邸を訪れた菊守園見外は、

 

   夜ごと見る山さまざまや秋の月

   鎌留の山荒々し秋の月

 

の句を詠んでいる。

 

 深山に囲まれた夜には「眼」以上に「耳」が鋭さを増す。

   見外の句は視覚的である。

   しかし、山々を望みながらも、山々の沈黙や樹々を渡って行く風を異様な聴力で聴いているのである。

   夜の山行では背後に響いた幽かな音にも魑魅魍魎の気配を感じてしまったりする。異様な敏感さに囚われるのである。

 不争の句、表面上は穏やかだが、そんな「耳」の感受性への経験が揺曳してもいよう。<松風を気つかう耳やほととぎす>、耳は、松籟を「気づか」っていただけなのであろうか。

 

   『三冊子』には有名な「松のことは松に習え」の芭蕉の言がある。

 

 ザ・ザ・ガボールが亡くなったのは、2016年だった。

 1917年にハンガリーで生まれ、渡米してからスキャンダラスなハリウッド女優として一名を馳せた女優が、死んだ。

 享年99歳。

 それだけのことである。

 大したことじゃない。

 

 ザ・ザ・ガボールの名を知っている人も少ないはずだ。

 

 ガボールといえば、シルバー・アクセサリーのブランドだと思う人の方が多いだろう。

 そんな彼女の死を世界中に配信したのがどこの通信社だったのかは知らないけれど、彼女の訃報を知らせるニュースは、彼女の死を悼むというよりも「ザ・ザ・ガボールの美貌を後世に残すために彼女をミイラとして『保存』する」という夫の発言に力点が置かれていたように思う。

 「ミイラとして『保存』する」という話題は、彼女の訃報をボリューム・アップした。

 

 それにしても、長生きだった。

 

 ロシア革命が起こった年に生まれたのだ。

 そんな長命な彼女の「美貌」を保存するということばには、何やら諧謔めいたものを感じる以上に、<痛々しい猟奇>の臭いが漂って来そうな気もするけれど、彼女の晩年は病との戦いで、2002年には交通事故で身体の一部が麻痺し、その3年後には脳卒中、9年後には感染症で右足を切断していた。更に、肺炎を患ったりし、最後は心臓発作で亡くなっている。

 そんな満身創痍の彼女を「ミイラとして『保存』する」という言葉には、複雑なものを感じたのである。

 夫は、爵位を金で買うような人物で、怪しいところのある男だったらしいけれど、満身創痍で99歳まで生きた彼女の身体はけっしてうつくしくはなかったであろうから「ザ・ザ・ガボールの美貌を後世に残すために彼女をミイラとして『保存』する」ということばには痛々しいものを感じると同時に、たたかいつづけた彼女への賛辞とも思えて、複雑なのだ。

 

 ところでこの発言をした夫は9人目の夫だった。

 ザ・ザ・ガボールは9回結婚していたのだ。

 2回目の相手はヒルトン・ホテルの創業者、つまり、パリス・ヒルトンの祖父だった。パリス以前に、パリス以上に”お騒がせ”な騒動をヒルトン家にもたらしたのはザ・ザ・ガボールだったのだ。

 たった五年の結婚生活ではあったけれど。

 

 そんな彼女、「彼氏の喫煙、賭博、飲酒をやめさせたい」という人生相談にこんな風に回答している。                                         「直そうとしてはいけません。私の知人が、恋人の喫煙、賭博、飲酒を止めさせようとしました。でも、成功したとき、その男性に『君は、ぼくにはふさわしい女性ではない』と思わせてしまったのです」

 品行方正なんて大した問題じゃない、と言いたかったのだろうか。

 

 スキャンダルや病魔にまみれたザ・ザ・ガボールの人生、しかし、彼女はたたかったのだ。

 

      

   ヘミングウェイが愛したカクテルといえば、「モヒート」、「フローズン・ダイキリ」、

そして「午後の死」といわれている。

 

 16世紀に海賊の一員だったリチャード・ドレークが「ドラケ」という飲み物を考案し、これが「モヒート」となった。

 19世紀にキューバのダイキリ鉱山の技師だったジェニングス・コックスが「ダイキリ」を考案した。

 どちらもキューバゆかりの酒だ。

 一方、「午後の死」は、ヘミングウェイ自身の体験に由来しているといわれている。シャンパンと黒色火薬を混交した代物。「死」という名に恥じず、おっそろしい、カクテルだにゃぁ。

ハード・ボイルドだにゃぁ。

 その体験とはこんな感じだ。

 

 締め切りに追われ、追い詰められたヘミングウェイ。書けない、書けない。ああ、逃げたい。楽になりたい。

 狂おしくなる。

 あらぬ考えが浮かぶ。

 発作的に、黒色火薬を口に含んだ。火をつければ、・・・楽になる。

 発作というのは、ばかげている。

 恐ろしくもある。

 が、湿った口中でのこと、黒色火薬は爆発しなかった。かわりに、硫黄と硝酸カリウムで悲惨なことになってしまい、「何とかせねば」と我に返ったヘミングウェイ氏、酒棚へと走った。シャンパン瓶を取りだし、ラッパ飲みした。

 

 人心地ついた。

 

 この体験をもとに生まれたのが「午後の死」である。

 その後、流石に、黒色火薬は「まずい」ということになり、アブサンなんかが使われるようになり、定着した。

 

 アブサンを入れたグラスにシャンパンを注ぐ、それだけの酒だ。

 

 かれの短編小説のタイトルにちなんで、『午後の死』とも呼ばれたが、「ヘミングウェイ・カクテル」ともいわれている。

 このカクテル、ヘミングウェイは午後からしか飲まなかったらしい。

 どこまでがほんとうかは知らない。

 しかし、

 

   自殺しない本当の理由、それは地獄が終われば、人生がどれほど素晴らしいものになるか   

   を常に知っているからである。

 

と書き残しているヘミングウェイだけれど、61歳の時、ショットガンでこの世を捨てた。

 このときも、発作的だったのだろうか。

 そういえば、ニーチェのことばに、

 

   どんなに知的な女性でも、闇と発作と稲妻がある

 

というのがあったけれど、ハードボイルド作家のなかにも女性的な部分が潜んでいたということだろうか。

 

 そんなことで性差をもちだすのは、でも、浅薄だなぁ。浅薄だ。