「場」には「場」のことばがあり、景色がある。
そのことばに見合った関係性が結ばれ、景色に見合った雰囲気が漂う。
「(歌垣は)大和の三輪山麓で開かれた」と言われたり、「三輪山の周辺の交通の要所にあった」と言われたりする場(トポス)が、あった。
海石榴市である。
飛鳥時代以前から存在していたらしいけれど、「つばいち」とか「つばきいち」と発音するらしい。
とはいえ、母音の数もかなりあったらしい飛鳥時代の発音が現代のわたしたちに聴きとれるものだったのか否かはわからない。
「市」というのだから「交易」の場であったろう。
三輪山の麓に海石榴市観音堂があり、そのちかくにあったのではないかとかなり具体的に比定されたりすることもあるけれど、しかし、今となっては、現在の桜井市金屋あたりに存在していたと伝承されているだけで、明確なことは分かっていないらしい。
時代を経て移転したのではないか、とも云われている。
海柘榴市という字面や音感にもよるのだろうけれど、古代の「幻影空間」と言うか、「幻想のトポス」のような印象を受けたりもする。
様々な空想を誘なうのだ。
この海石榴市の歌垣が読みこまれた歌が『万葉集』に納められていて、
紫は灰さすものぞ海石榴市の八十の街に逢へる子や誰れ
たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰と知りてか
などがある。
それぞれの歌の意訳は、
〈紫の染料は灰汁を入れることで綺麗に映えるものです。赤紫に咲く椿(海柘榴市)、にぎやかな海石榴市で出逢ったあなたは、さて、誰なのでしょう?〉
〈母が呼んだわたしの名を告げることはできますが、行きずりのあなたがどんな方と知って告げようと言うのでしょうね〉
と、なる。
どちらも相手の素性が分からないことが強調され、行きずりの出会い(恋〉が暗示されているのだけれど、そんな出会いの中で歌を詠み合うのが「歌垣」なのだ。
単なる合コンではない。
即興で歌を詠み合い、優劣を競うのだ。
負けた者は勝った者に身を委ねるなければならない。他愛無い一夜限りの恋愛遊戯に思われるのだけれど、仮想が現実を凌駕するというからくりがひそんでいる。
海柘榴市はそれを醸成する「場」なのだ。
男女の間に非日常的な言語空間を現出させ、その仮想の言語空間における勝敗がリアルな身体性を拘束する、という構図なのだ。
なかなかに由々しい催事ではないか。
※
一夜の睦言を交わし終えると、何事もなかったかのように日常生活に帰っていったらしい。
飛鳥時代になると未婚者だけではなく、既婚者も歌垣の日にはおおっぴらに「浮気」がゆるされるようになったようだ。ハレの日がそうであったように、日ごろの鬱憤を発散するお祭りでもあったのだろう。
そんな秘め事へと至る歌垣であれば、三輪山麓の方がふさわしいのではないかと感じられたりもする。太古、神に奉仕する巫女は性を鬻いでいたのだとも云われ、この国にかぎらず盗賊とともに人類最古の職業であったのだから、神域である三輪周辺においておおらかに「性」の交換がなされたことは必然だったのかもしれない。
社会を成立させている交換体系はメッセージの交換、財の交換、性の交換の三つであるとみなされることがあるけれど、この場合の性の交換とは婚姻を意味している。
歌垣は疑似交換であった。
奈良時代になると、歌垣から「歌」性やそれにまとわる呪術の色合いは薄まり、一夜の疑似婚姻の意味合いがつよくなり、平安時代以降は交通の要所、長谷寺参拝の入り口として栄え、そのころになると歌垣が催されることもなかったらしい。
交易(財貨の交換)の繁栄がメッセージと性の交換の「催し」としての歌垣を駆逐したのでだろう、か。
グローバルにひろまった財貨の交換の肥大化が、ローカルな様々を駆逐し、世界を漂白し、平準化していくプロセスは、すでに、「歌垣」の駆逐からはじまっていたのかもしれない。
※
かつて「歌垣」は日本列島のあちこちで催された。関東平野では筑波山で、春と秋に、日程を決めて開催された。
とても大掛かりだったようで、関東平野一帯を巻き込んで行われ、今の神奈川県あたりから駆けつけた女性もいたというのだから、驚きだ。
奈良時代になってからのことだけれど、常陸の国に赴任した高橋連虫麻呂は「歌垣」に参加したご当人として、こんな歌を詠んでいる。タイトルは「筑波嶺に登りてカガヒせし日に作れる歌」、筑波山に登り、歌垣に参加した日に作った歌、という意味である。
鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に率ひて 未通女壮士の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 吾も 交はらむ わが妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より 禁めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 言もとがむな
反歌 男神に雲立ちのぼり時雨ふり濡れとほるとも吾帰らめや
あきらかにオージーパーティのノリである。
そんな「歌垣」であるが、踏歌と合体して宮廷の正月行事となり、歌合せや連歌の母体となったと言われている。芸術化の過程から抜け落ちていった部分は、あるいは遊び女文化へと特化・職業化し、あるいは村落共同体における夜這いへと分化していったのだろうか。
しかし、それだけとも思われない。


