ブドウ畑の中の陳列台

ブドウ畑の中の陳列台

「酒にまつわる歴史と文学と映画、そして旅」を愉しむために

 

 

 ペーソスを表現するためには年季がいる。 

 

 『ペコロスの母に会いに行く』(2013)の背後に流れるユーモア(≒諧謔)やペーソス(≒哀感・哀愁)は人生経験の豊富さに基づくものであろう。

 森崎東の作品にはどこか妙な味がある。

 そこが好きなのだが学生時代に池袋・文芸地下で『黒木太郎の愛と冒険』(1977)を観たのが彼との出会いのはじまりだった。

 主演を務めた田中邦衛の記憶は鮮明に残っている。

 『男はつらいよ』の三作目、『男はつらいよ フーテンの寅』(1970)のメガホンをとったのは山田洋次ではなく、山田の助監督を務めていた森崎東だった。

 それ以前の1967年にはモーパッサンの『女の一生』を脚色し、『さそり』 の脚本を書いている。

 68年にはドリフターズの出演映画の脚本も書いていて、更に、69年には『喜劇 女は度胸』『喜劇 男は愛嬌』を監督していることからの起用だったのだろうか。三歳下の山田の何らかの配慮も働いたのかもしれないとも思えた。

 

 守備範囲の広さが窺われるのだけれど、92歳まで生きたかれはとてもたくさんの脚本を書き、メガホンをとっている。

 『時代屋の女房』(1983)、『塀の中の懲りない面々』(1987)、『釣りバカ日誌スペシャル』(1994)、『美味しんぼ』(1996)なんかも撮っているし、TVドラマもいっぱい撮っている。

 

 2004年には『ニワトリは裸足だ』が封切られていて、主演は肘井美佳だった。ちょっと前に、Eテレの『大人の基礎英語』のなかのドラマにも出演していた俳優さんだ。石橋蓮司、原田芳雄、余貴美子、倍賞美津子も出演していて期待したのだけれど、タイトルに感じられた諧味ほどの共感はできなかった。

 

 諧謔、そう、森崎東の作品には、さまざまな笑いのかたちを期待してしまうのだ。あからさまな笑いや、悲しみを湛えたかのような笑いや、狂ったような笑いや、さまざまな笑いのかたちを、だ。

 もちろん、それだけではない。

 『野良犬』(1973)のエンディングでは沖縄問題が顔を出すし、コザ暴動や原発事故がくる『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』(1985) では暴力団や正義の味方からはみ出た刑事たちが出てきたりする。後者のタイトルは『共産党宣言』のパロディなのだろう。

 そんな森崎東が『ペコロスの母に会いに行く』を撮ったのは85歳の時で、老いというテーマを、かれ本来のユーモアやペーソスを余すところなく発揮させながら描いている。

 ブラックな笑いやナンセンスな笑いが、多分、森崎の中にもあるのだろうけれど、それを直截に表白せず、抑えている。ブラックなものやナンセンスなものを人生という劇場の中で昇華させ得たときににじみ出てくる情感がペーソスなのだろう。

 

 秋の日の

 ヴィオロンのためいき

 身にしみてひたぶるにうら悲し  ヴェルレーヌ

 

 ネットで森崎東の27作品がランキングされていて、『ペコロス』はBランクと評価されていた。

 

 もう一度、言おう。

 

 上質なペーソスを表現するためにはそれ相応の年季がいる。理解するのにも、だ。 

 

 

 

 

 

 

   「うたがき」と読むのだろうか、「かがい」と読むのだろうか、古代のことだけれど、「歌垣」という催しがあった。

 常陸の筑波山や大和の海石榴市、軽市などで春秋に催された催しで、あちこちから男女が集まってきて、歌を交わしあい、相手を求めあった祭事だったようだ。

 

    それって、乱婚祭とか暗闇祭?

 

 まあ、一夜の睦言を交わしあうことが最終的な目的だったのだろうけれど、呪術的な饗宴の場であり、ことばによる勝負というか、歌合せみたいな側面もあり、勝敗は言霊の強弱が決したと言われている。言霊の強弱によって判定が下されたということだから明確な勝敗基準があったのかどうかは定かではないし、判定はその時の場の雰囲気や気分におおきく左右されたのかもしれない。

 とはいえ、ことばの饗宴が演じられたのであり、その点、直情的で直接的な集団夜這いなんかとは大きく異なろう。

 

 筑波山の場合、相模あたりから参加した女性もいたらしい。

 古代世界の情報と人の流れは、ぼくらが考えているよりもかなり流動性で、広範囲にわたっていたということだろう。

 で、集まった男女は歌で競った。

 と言っても『のど自慢』とは違う。

 即興で、相聞歌やさまざまな題材の詩を韻律にのせて奏でなければならないのだ。

 だれでも参加できたらしいから、韻律に載っていればOKといった感じで、格式ばったものではなかったのだろう。ことばを交わしあいつつ相手を見定め、求愛する、とても大掛かりな合コンみたいなものだったのかもしれないけれど、ただの合コンではない。

 韻律に則った「詩のボクシング」を演じなければならなかったのだ。

 レベルがどうであれ最低限のルールやそれなりの教養が必要だったはずで、そんなイベントが関東平野一帯を巻きこんで行われていたのだから、凄い。

 

 とても凄い。

 

 関西の代表格は海石榴市だったようだ。

 大和の南の、すでに存在しない物流の交差点みたいな古代都市で催され、こちらもかなり大掛かりなものだったらしい。

今でも海石榴市という名を文献で目にすることがある。

 

 かつては大陸の雲南省あたりからベトナム、フィリピン、インドネシアなどにも歌垣は存在したらしい。

 あくまでも歌を掛け合う祭宴であり、雲南省あたりでは現在でも命脈を保っているようだ。「はないちもんめ」みたいな感じの写真を見た覚えがある。

 動画を観た訳ではないので正確なことは分からないけれど、フォークダンスみたいに健全な出会いの場なのかもしれないと思いつつ古代人たちの神聖で、猥雑で、パワフルな「歌垣」に魅せられているのであった。

 

 ことばというか、声がセクシュアルな武器であることを心得ていたはるかな先人たちの生への渇望が、羨ましい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          

 

 

 

 痛みを歌いあげる詩人はきっと宗教的心性を宿している。

 神話を素材にしながら原初的な心性へと下りていける、心性を、だ。

 

 そんな確信がわたしを捉えて離さないのだけれど、例えば、”This is the End”とジムが歌いあげるとき、その詩に聴き入っている「わたし」のこころは何時の間にかどこか遠いところにワープしていて、目を閉じたままうなだれているのだ。

 

           ♪ Come on 

            Fuck fuck

            Alright

            Fuck fuck   

            KIll   kill   kill   kill

 

 おそらくそこには川がながれている。殺害されたのはわたし自身なのであろう。そして、わたしの意識はその川の流れのやや深いところを、溺死したオフィーリアのようにゆるりと流されていくのだ。それをドッペルゲンガーのように眺めている「わたし」もいて、「わたし」はすでに輪郭を喪失してしまっているひとつの気配に過ぎないのかもしれない。

 その気配へ呼びかける。

 

      ♪  Beautiful friend、 My only friend

 

 この「 friend」は川底を流れていく「わたし」であり、誰でもありうる「わたし」なのかもしれない。個我が消し去られて「神話的深層」に浸り、通時的な「集合意識」に合流しはじめているところに顕現してくる「 friend」。

 

 恋人との別れから発想された詩らしいけれど、ベトナム戦争やドラック、フラワームーブメント的な内省を通過し、ジムは自らのこころの深層に下りていったのであり、そこで、深層としての、古層としての、自己である「 friend」を感受し、語りかけたのだ。

 時間経過とともに、「 friend」はその姿を変えていく。 

 

   ♪ Beautiful friend、 My only friend

 

 「わたし」の深いところ、古いところに潜んでいる気配のようなものにとっぷりと浸りつくしていると「わたし」が「わたし」であることに違和を感じはじめることになるのかもしれない。

  

 「わたし探し」だとか、「自己確立」だとかは大切だ。

 

 しかし、ジムはそのことに根源的な疑義を感じたのかもしれない。

 そして、わたしがわたしであることの根源的な痛みを感じはじめた果てに、

 

   ♪ 笑いと軽い嘘の終わり、死のうとした夜は終わった

 

と言い切り、、『The End』は終わる。

 

  あっは、わたしがわたしだって、ぷふい、それは嫌なことだ。

 

 埴谷雄高の『死霊』の一節だっただろうか。

 

 

 

            

  

  尼僧が酒場に立ち寄り酒をのんだ時は、死刑
 

 ハムラビ法典の中にある条文である。

 厳しい。             

 過剰な報復を禁じた「目には目を、歯には歯を」で有名なハムラビ法典だけれど、流石に、「酒を飲んだ時は、死刑」という条文にはついていけない。女性差別をも感じたりする。おそらく、男性の聖職者の飲酒は許されていたのであろう。

 この法典が編まれたバビロニアはチグリス、ユーフラテスの下流域にあり、今の、イラクあたりだ。酒というのは、ビールのことらしい。法で禁止しなければならないくらい酒場で尼僧の飲酒が行われていたということなのであろう、か。風紀を乱す、あるいは、神に仕える女は酒など飲んではならないということなのであろうか。 

 法典が出来たのは紀元前18世紀のことだ。日本列島は縄文時代で、文字すら持っていなかったのだから、法典まで持っていたことに驚くべきなのであり、近代以降の人権意識を以って断罪するのはお門違いなのかもしれない。                                             

 とは言え、死刑というのは厳しい。厳しすぎる。そんなことを思っていると、こんな句が過った。
 
       ひばりよひばりワイングラスを毀してよ   豊口陽子 

 

 姿が見えない高いところでその鳴声だけが聞こえてくるひばりだけれど、弾丸のように直下降する。弾丸のように、だ。掲揚句はそのひばりに呼びかける。「ワイングラスを毀してよ 」と。

 ワイングラスはさまざまな象徴なのであろう。

 

 ところで、夏目漱石の『草枕』にはひばりについての、こんな下りがある。  

 

 あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない・・・

 

 ただ声だけが空の裡に残る、か。

 漱石はロンドンに留学し、神経衰弱寸前まで英文学に没頭したようだけれど、ひばりという鳥が早起きの象徴と看做されている詩が英文学にはある。

     例えば、Robert Browningの詩だ。漱石の神経衰弱に掉さした詩句でもあろう。

 

  春の朝、7時。朝露。ひばり。蝸牛。神は天に。地にはただ平和がある。

 

 早起きと平和の象徴としてのひばりではあるけれど、漱石の「雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかも知れない」という下りを読みながら、「早起きと平和の象徴としてのひばり」観に呪詛のような見解を投げつける漱石の心中を思うのであった。

 Percy Bysshe Shelleyには『To a Skylark/ひばりに寄す』がある

 

  I have never heard

  Praise of love or wine

  That panted forth a flood of rapture so divine.

                  

 賛歌である。

 社会主義的な思想を公言するShelleyはイギリスにはいられなくなり、海外に逃れるが、そんな亡命生活のなかで、妻メアリーとともに小道を散策しているときに、空高く響き渡るひばりの声に啓示を受け、書き上げられた詩であると云われている。妻はゴシック小説『フランケンシュタイン』を書いた人物である。

 Shelleyは、すがたは見えないひばりの歌声について綴っているけれど、詩の前半ではひばりの声を賛美し、後半ではその声と詩人の歌声とを比較しながら、目には見えない「美」を追い求めていた。

 同じ英国ロマン派詩人のWilliam Wordsworthが「To the Cuckoo/カッコウに寄す」で試みたのと同じ方法であるとも言われているけれど、1820年の6月、リヴォルノで書かれた。

 ハムラビ法典の「死刑」に目配せしながら<ひばりよひばりワイングラスを毀してよ >の句のひばりは、さて、どんなひばり観が仮託されているのであろうか。

 ところで、漱石には、

 

  物草の太郎の上や揚雲雀

 

の句がある。

 

 

 

 

 

 『テルマとルイーズ』(1991)を観ていて『俺たちに明日はない』(1967)の90年代版だと思ったのだけれど、そう思ったのはわたしだけではなく、多くの批評でも同様のことが云われている。

 

 もちろん、双方のエンディングは異なる。

 

 車ごと崖からダイブするテルマとルイーズと、抗戦の果てに蜂の巣のように銃殺されたボニーとクライドの違いである。

 そこには「反撃」の有無の違いがある。

 このことはエンディングでカミカゼ的に自滅する『イージーライダー』(1969)についても云える。

 『テルマとルイーズ』は警官たちに取り囲まれて逃げ場を失い、グランドキャニオンの崖へダイブするけれど、『イージーライダー』のピーター・フォンダはハーレー・ダビッドソンごと南部の意地の悪い連中に体当たりしてゆくのである。

 

 牧歌的な50年代と激動の60年代後半の違いだろうか。公民権運動の盛り上がりや異議申し立てのベトナム反戦を挟んだ前後の違いだろうか。

 

 『俺たちに明日はない』は世界恐慌時代の銀行強盗

 『イージーライダー』はベトナム戦争時代の麻薬の運び屋

 

である。

 明らかに主人公たちは犯罪者だ。

 屈折した夢を見ている犯罪者、だ。

 しかし、かれらを追いつめたのは社会システムなのだという視点が双方の制作者の心中にはひそんでいて、アメリカンニューシネマに底流していた思潮でもあろう。「理不尽で、不可解な仕組み」に挑んで、散る。反逆の刃を宿し、その刃を抜いて、散っていくのである。

 

 その散華は「叫び」でもあったはずだ。

 

 

 それに対してクリント・イーストウッドの『運び屋』(2018)は、金に困った退役軍人の主人公が「車を運転するだけで金になる仕事」を斡旋され、それが「犯罪」だとは知らずに濡れ手に粟のような仕事にのめり込んでいく物語だ。

 そこに「叫び」は感じられない。

 むしろ、いろいろな問題を抱えている普通の退役軍人が「犯罪」を逆手にとることによって、儲けた金で喪失しかけたプライドを回復していくプロセスですらある。

 『俺たちに明日はない』『イージーライダー』の主人公たちが、云ってみれば、プロの犯罪者であるのに対して、『テルマとルイーズ』『運び屋』の主人公たちはド素人なのだ。

 ド素人が犯罪にひきずりこまれていくのだ。

 『テルマとルイーズ』の場合は、普通の主婦が女性であるがための「理不尽」に追いつめられて罪を犯し、官憲に追われ、最後は現実からすら逃避してしまう。お互いの手を握りあってグランドキャニオンからダイブするのである。カタストロフである。

 かのじょたちは、ド素人として、終始、受動的であった。

 そのことを象徴的に表しているのが、

 

「テキサスではレイプされた方が悪人になるの」

 

というセリフだろう。

 MAGA的なマッチョ志向の心性の、奥まったところに見え隠れする理不尽に通じるものがあるのかもしれない。

 『イージーライダー』でデニス・ホッパーに向かって異種の人間を排除するかのように発砲した南部男たちの理不尽も根は同じだろう。

 原点にはKKK的と云おうか、村社会におけるエスノセントリズム的な心性があり、それはわれわれのこころに巣食っている普遍的な理不尽でもあろう。

 民主主義は、そんな「理不尽」を「理不尽」として捉えられるべきだとする理念であった。

 しかし、最近は「理不尽」が被害者面したり、正義の味方のふりをしたりして表舞台で跋扈している。嘘やはったりや責任転嫁をかまして大衆を煽動しているのだ。

 血にまぶされながら築き上げてきた民主主義という制度には欠陥がある。あちこちで矛盾が噴出してもいる。

 とはいえ、人類がやっと手にした代えがたいものでもある。

 であるのに、われわれはそのことに鈍感になりすぎている。

 盲点だ。

 その盲点ををついて、大切多制度を踏みにじってゆこうとする勢力の跋扈、隆盛には無念すら感じる。

 

 時代は変わる。

 

 しかし、変えてはいけないものがある。

 手放してはいけないものがあるはずなのに、そんな信念や気概など、どこ吹く風、軽薄なデマゴーグにちょろまかされていく時代なのだろう。

 

 だからこそ、立ち止まって歴史をふりかえってみる必要があろう。

 

 『テルマとルイーズ』の中で「大学生に戻る」とうそぶく青年がサンドバックみたいな頭陀袋を背負ってヒッチハイクをしている。Gパンに白いTシャツ、そして白いテンガロンハットをかぶったおとこが、だ。ブラッド・ピットが演じていたけれど、かれはテルマとルイーズの逃走資金を盗んで姿をくらませてしまう。

 かつてはそんな詐欺師のような小者は端役としてこそこそ姿をくらませていたのだろうけれど、今は、違う。

 

 主役だ。

 

 世界のあちこちでそんなキャラがにょきにょき生えてきていて、「既得権者やウオーキズムに果敢に立ち向かっていくオレ」やら「可哀想なあたし」やらを演じている。そんな似非ヒーローやお涙頂戴の三文芝居を、SNSの映像としてシャワーのように浴びながら衆人はころりと騙される。

 

 自らが拠って立つ大切な土壌(制度)に墓穴を掘るのである。

 

 問題は、本来、端役であるはずの小者たちの笑顔にまぶされた<嘘とはったりと責任転嫁>を受け入れてしまうわれわれがいるということなのだろう。

 

 21世紀前半のこの時代に撮られるべき「ニュー・シネマ」のエンディングが、グランドキャニオンよりも深い奈落の崖への集団ダイブなどでなければいいのだけれど・・・・。

 

 

 


 

 

 

 

                                                                      

       

 

 

 

    1970年代のフランスには、パルサー、ゴング、アンジェ、タイ・フォン、ポチョムキン、モナ・リザなどのプログレ系バンドがいたけれど、そのなかで、「フランスの”イエス”」と呼ばれていたのがアトールである。

 日本に紹介されたのは他のフレンチ・プログレ・バンドより遅かったようだけれど、ぼくは、一時、このアトールの音でこころを鎮めていた時期があった。

 

 八十年代の後半のことだ。

 

 どんな要件だったかは忘れたけれど、某外語大で少数民族のことばを研究していた女の子の部屋を訪ねたとき、ラジカセからアトールが流れていて、驚いたことがあった。それほど親しい仲ではなかったけれど、数あるカセットテープの中からアトールの『夢魔』をさりげなくかけてくれた彼女のホスピタリティーに驚いたのだった。

 当時のぼくは社会に出たばかりで慣れない仕事に追われ、その疲れを癒すためにアトールの音で、日々、溜まっていく何かを中和していたのだった。周囲に、アトールを聞いているなんて口にしたこともなかったから、まったくの偶然だった。

 

 けれど、ときどき、本当にときどき、そのことを思い起こすと不思議な気分になる。

 

 ぼくの心の中に隠れていた「夢魔」を無意識に呼び覚まし、交感しようとしていたかのじょがいたのだろうか。

 そんな邪推をしたりするのだ。

 時間の経過というのは、結構、記憶を捻じ曲げることがあるから、どこかで脱線しているのかもしれないし、久しぶりに『オールド・パー』を呑みつつのことだから、妄想にひっぱられているのかもしれない。

 酔いはじめている。

 「あの時、かのじょの部屋で、ぼくと一緒にいたのは生身の女性ではなく、一つの概念だったのかもしれない」などと、脱線に脱線を重ねていて、そんな状態でキーボードを叩いている。

 『オールド・パー』の名の由来となったパー爺さんは、百歳を過ぎてから破廉恥な事件を起こしたりした伝説上の人物で、今では信じられないことだけれど、かれの人気は高かった。

 酒の選択が悪かったのかもしれない。

 

 話を戻そう。組曲『夢魔』はアルバムのB面に収録されている。

 

 夢魔の呼び名は国によって異なるようだけれど、僧侶が自分の上半身をむちで打ったりする映像を観た覚えがあって、生身の身体を誘惑しようとする夢魔を追い出そうとする行為だそうだ。もちろんそれだけの理由でむち打ちをするのではないのだろうけれど、誘惑に呼応しようとする体内の何かに出て行ってもらうための苦行ではあるのだろう。

 女性器を経ないまま地にこぼれた精液が「夢魔」になるとも言われている。

 そのせいだろうか、夢魔は「臭い奴等」などとも呼ばれてもいて、そんな夢魔は、でも、とてもいたずら好きで、夜な夜な、人間たちに悪さを仕掛けるというのだ。

 だからだろうか、東欧のある国ではクルブス、インクルブスなどと呼ばれていて、「組み伏すもの」「組み伏されるもの」という露骨な意味があるそうだから、夢魔とは、性的欲求の別名だとも言えよう。

 誘惑するものを悪魔とみなすならば、そのヒエラルキーの最底辺にうごめいているのが夢魔であろう。

 

 リビドーの別名?

 

 悪魔学を熱心に研究したことがあると言われる埴谷雄高は、けっこう、夢魔についても語っていて、かれにとって夢魔は「虚体」の原初形であり、かれが目指した「存在の革命」は、一面では、夢魔を昇華させることでもあったのかもしれないなどとも思われるのだ。

 聖職者が性的な欲求を遮断するというのは、いきものの営みのとてもおおきな部分を否定するということなのだろうけれど、今日のニホンの仏教僧侶は妻帯を許され、極端な禁欲が神父たちの醜聞を引き起こしていることをカトリック内部で議論されているという話を聞いたりすると、どこかのじめりとした暗闇でほくそ笑んでいる夢魔の顔がみえてくるような、そんな気もするのである。

 

 アトール、1972年結成のBandである。

 

 

 

 

 

 ヘミングウェイの『老人と海』の中に、

 

   心の底からやりたいと思わないなら、やめておけ

 

ということばが出てくる。

 ネット通販で色紙が売られていたりするから、人気があるセリフなのだろう。ハードボイルド系ならチャンドラーの「男はタフでなければ生きられない。優しくなければ生きてる値打ちもない」が有名だけれど、パパ・ヘミングウェイの件のセリフも当たり前のことを言っているだけなのに、

 

 説得力がある。

 

 一種の格言なんだろう。うん。

 でもねぇ、ぼくらがやることの大半は「心の底からやりたい」などと思って行動している訳じゃぁない。むしろ、やりたくないことばかりに囲まれているのが、ぼくらの実情なんだろう。やりたくないことをやらなければ生きていけないのが、現実じゃぁないか、とヘミングウェイの御高説に茶々を入れてみたくもなる。

 

 あ、違う

 

 ヘミングウェイが言っていることはそんなこっちゃ、ない。

 決断のことを問題にしているんよ、多分。

 大切な決断をする時には、それが、心の底からやりたいことなのかどうかと自分に問いかけることが大切で、たとえ失敗に終わっても、心から望んでいたことなら悔いはない。

 そう言いたいんだろう。

 

 行動派のヘミングウェイの、生きていく上での知恵ってところかな。

 

 ところで、吞兵衛は飲みたいからついつい縄のれんをくぐり、「とりあえずビール」などとはじめるのだろうけれど、「心から飲みたいのか」なんて問いつめたことなど、金輪際、ない。

 で、節操もなく、ついつい深酒と相成る。

 んでもって、宿酔に苦しむ。

 実にしばしば苦しむ。

 いやいや、かなりしばしば苦しむ。

 

 でも、懲りない。

 

 そんな吞兵衛には、ヘミングウェイのことばを捩って、

 

   心の底から飲みたいと思わないなら、やめておけ

 

と洒落てみるか。

 多少は、二日酔いの苦しみから解放されるかもしれない。

 でもなぁ、そんなことばを呟きながら飲む酒なんて、美味くねぇだろうなぁ。うん、美味くない、、、はずだ。

 

 

 

 

       

 

 サントリーに「ホワイト」というウイスキーがあった。

 そのCMにシナトラ・ファミリー(Rat Pack)の一人だったサミー・ジェームス・JRが出演していた。かれの音感のすごさが感じられるCMだ。

 

 サミーをシナトラ・ファミリーに加えようとしたとき、黒人であることを理由に周囲から猛反対されたけれど、シナトラは強引にファミリーに加入させた。サミーの音楽的才能に惚れこんだからだと言われているけれど、シナトラ自身、イタリア系移民ということで、差別されていたこともあり、差別に批判的であった。

 公民権運動が盛り上がろうとしていた時期で、まだ、黒人差別が根強かった時代のことだ。

 

 『ゴッドファーザー』の中の、人気が低迷していた人気歌手ジョニーのモデルはフランク・シナトラだといわれている。優男に描かれているけれど、反差別の信念は生涯にわたって貫かれたようだ。

 でも、サミーに対して日常的に差別的な言葉を吐いたりもしていたようだ。

 矛盾を抱えこんだ人物ではあったらしい。

 

 そんなシナトラはこんな言葉を残している。

 

 「酒は人類にとって最大の敵かもしれない。しかし、聖書にはこう書いてある。『汝の敵を愛せ』」

                            

 どんな人間だって矛盾を抱えこんでいる。

 その矛盾がうみだす落差を笑いや美に変えられる力量が、エンタメにとっての才能なのかもしれない。 

 

 「27クラブ」ー  27歳で夭折した欧米系ミュージシャンの一群を指した呼び名だ。

 

 幼児死亡率が高かった縄文時代の平均寿命は15歳、農耕によって食糧事情がちょっと向上した弥生時代になると10代後半から20代後半、平安時代は30歳だ。戦国時代になると戦乱の影響でかなり低下する。15歳だ。

 江戸時代になると30歳から40歳くらだといわれる。 

 医療環境が整っていなかった時代のことで、幼児死亡率もかなり高かったから平均寿命が短いのも当然かもしれないともおもわれるのだけれど、それにしても、               

 

 短い。

 

 51歳まで生きた芭蕉さんは、40歳をこえたころから「翁」を称していたようだ。不惑、わたしたちの感覚では、中年、である。

 40歳にしてすでにお孫さんがいらっしゃる方は「おじいちゃん」と呼ばれてもししょうはないのだろうけれど、大抵の40歳の方々に「おじいちゃん」と声をかけたりしたら、戸惑われるか、不機嫌な顔をされるんじゃないか、と思う。

 それにしても、人生100歳が言われる私たちの時代はあまりに長寿だ。

 だからだろうか、27歳は青年期の終わり頃の年齢だとも言える。

 それなりの経験を積み、責任を持たされたりする年齢ではあるけれど、青さが残っている。                                   

 中途半端な年齢なのだ。

 

 そんな27歳という年齢で夭折したミュージシャンは、たとえば、 

 

  『クロスロード』のロバート・ジョンソン(1938)      

  『ドッグ・オブ・ベイ』のオーティス・レディング(1967)   

  ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーン(1969)      

  ジミー・ヘンドリクス(1970)                

  ジャニス・ジョップリン(1970)               

  ドアーズのジム・モリソン(1971)                

  ニルヴァーナのカート・コバーン(1994)

 

などがいる。

 詩人のジョン・キーツ(1821)やオーブリー・ビアズリー(1898)なんかも「27クラブ」の一員に加えられることもある。                                                           

 「27クラブ」リストの死因を見ると、1960年代の終わりから70年代の初めにかけては薬物中毒死が多い。

 才能に恵まれ、感受性がつよかったであろうミュージシャンたちは私たち凡人には分からない圧力に追い詰められていたのだろう、か。

 27クラブはジャンキーの巣窟だともいえるのだけれど、今だってジャンキーは多い。

 LAやペンシルベニアなどで、強力な鎮痛剤であるフェンタニルの副作用でゾンビ化したジャンキーが屯している映像を目の当たりにしたりすると、暗澹となる。

 

 だけじゃぁない。

 

 麻薬を口実にして利得を求める人たちがいることには、憤慨すら覚える。 

 トランプ政権が、ベネズエラへ侵攻し、マズゥロ大統領を拉致した大義名分は「麻薬」の密輸だった。けれどベネズエラから米国への麻薬の密輸はそれほどではない、と聞く。                                      

 麻薬は、口実なのだ。

 そんな風にして、利権や権力の収奪を目論んだりするのは19世紀のアヘン戦争の時代とどれほどの違いがあるのか。歴史から学ばない「大国主義」の横暴に辟易し、つよく批判したいとは思うのだけれど、無力だ。

 無力ではあるけれど、異議申し立てはしていきたい。

 もちろん、小声ではあるけれど・・・。

 

 前世紀の60~70年代の「27クラブ」の多くが麻薬中毒死であったのはベトナム戦争やらフラワームーブメントの影響もあったのだろうけれど、現在、例えば、ペンシルベニアのケンジントン通りに吸い寄せられるように集まり、ゾンビのようになってゆく、かれら、かのじょたちを追い詰めていく真因が何であるのかを直視する必要があろう。憂慮しながら、考えつづけてゆきべきなのだ。

 追い詰められていく私たちの時代を、だ。

 

 ところで、サルバドール・ダリにこんな迷言がある。

 

  わたしはドラックはやらない。

  わたし自身がドラックだ。

 

 

 

 

 

 R144は、秩父往還と呼ばれた。

 そのR144沿い、恵林寺のやや西の木立に巨大な草鞋が掲げられていたけれど、最近はみかけない。草鞋を編むだけの人手も労力も、ない、ということなのだろうか。

 とはいえ、志摩の郷、湯村温泉にある塩択寺山門には巨大草鞋が掲げられていて、写真がそれだ。

 

 だいだらぼっち(巨人)のための草鞋であろうか。

 

 

                 

 

 

     古代心性へのオマージュとして巨大草鞋をつくっているのかもしれないけれど、すでに巨人への憧憬は、現代人であるぼくらのなかでは変質してしまっているのかもしれない。

 ゴジラや、うねりながら世界を移動する「マネー」や「情報」などへと姿を変えているのかもしれないとも思えるのだ。

 どちらの巨人も草鞋なんかは必要としない種類の「巨人」なのだろうけれど、すべての巨人たちに草鞋を履いて貰いたい、などと思ったりもする。

 

 ところで、R144が走る甲府盆地には湖水伝説というものがあったらしい。湖畔にはコロボックルが住んでいたのだという。アイヌに語り継がれたちいさな人々、コロボックル、がである。

 東京の石神井などもふくめた甲府盆地などは、天孫系にはげしく抵抗した諏訪の荒ぶる神ミシャグジの勢力圏だったらしいけれど、アイヌと同様のコロボックル伝説があったというのは不思議な感じがする。 

 「シャクジイ」という響きは「ミシャグジ」に由来するのだという。

 東北を拠点として、横浜などまでの関東にかけてアラハバキが信仰されていたともいわれている。

 さて、関東においてミシャグジとアラハバキはどんな関係だったのだろう。

 

 日本充血吸虫に胎内感染するとある年齢から成長が止まるらしい。

 

 業病地帯と呼ばれていた地域、そう、コロボックルが住んでいたといわれる湖水伝説の地には、若年で成長が止まった人たちがかなりいたらしい。

 コロボックル伝説というのは、実は「悲しい事実」を下敷きにしているのかもしれない。

 だいだらぼっち(巨人)のための草鞋はみかける。けれど、コロボックルのための草鞋は見かけない。 

 残念なことである。 

 

  年を以て巨人としたり歩み去る      高浜虚子

  稲の世を巨人は三歩で踏み越える     安井浩司