◯川魚は琵琶湖にすまふ十二月
         秀樹

◯人は人錦は京なりにしん蕎麦
         秀樹

27才で伊勢原青年会議所の専務理事になりました。
正月に理事長の代理で京都の宝ヶ池の国際会議場での全国理事長会議に出席いたしました。

それをきっかけに年に一度は京都に行きました。

暮から正月にかけて錦市場に通いました。

川魚の「のとよ」
お麩の「麸房」
昆布の「千波」
京野菜の「川政」

のとよ西店の大将は私が行くのを待っていて店を閉めてからよく飲みに行きました。
のとよからは琵琶湖の川魚を仕入れていました。

女将さんが厳しい人で大将は酒を止められていました。
「関東からお客さんがわざわざ来たのだから仕方がない」などと大将は言い訳を言っていたようです

少し病弱な女将さんも亡くなったらしいのですが大将とももう連絡はしていません。

京都から少し足を伸ばして大阪の「黒門市場」の味噌屋さんと仲良くなり、それをきっかけになり仙台味噌から信州味噌、京都の白味噌の勉強をしました。
あの女将さんもどうなったのでしょうか。

必ず寄ったにしん蕎麦の店も今は無くなったようです。

あれから40年もたちました。
多くの方が帰幽されたでしょう。
料理屋の思い出はいろいろ重なってきます。