26才の時
まだ和歌山にいました
夏休みに四国一周の旅に出ました
車で高知に着き次に松山を目指している時に近道を見つけました
山道を下ると大きな煙突を見つけました
それが砥部焼(とべやき)の登山釜の佐川巌さんとの出会いでした
窯を見てギャラリーを拝見しました
沢山の作品が飾られていました
「どれでもお好きなものを差し上げましょう」
「ではこれを下さい」
と指さしましたら
「それは先日賞を取ったばかりですから別のものにして下さい」
私は少し驚きました
何も勉強もしていない私が良いものを見つけたのだなと
その時思いました
サラの気持ちで考えても良いのだな
それは今でも変わりません
砥部は白磁が得意な町です
白磁の壺も買いました
当時は私の初任給は50.000円でしたから
土産も10.000円以内であったと思います
50年間大事にしまっていましたから新品同然です
茶の道具は使込んだものが良いと云われます
茶会にも出したいと思います
高価なものでは有りませんが
人生初の茶碗
この茶碗の物語が語れます

まだ和歌山にいました
夏休みに四国一周の旅に出ました
車で高知に着き次に松山を目指している時に近道を見つけました
山道を下ると大きな煙突を見つけました
それが砥部焼(とべやき)の登山釜の佐川巌さんとの出会いでした
窯を見てギャラリーを拝見しました
沢山の作品が飾られていました
「どれでもお好きなものを差し上げましょう」
「ではこれを下さい」
と指さしましたら
「それは先日賞を取ったばかりですから別のものにして下さい」
私は少し驚きました
何も勉強もしていない私が良いものを見つけたのだなと
その時思いました
サラの気持ちで考えても良いのだな
それは今でも変わりません
砥部は白磁が得意な町です
白磁の壺も買いました
当時は私の初任給は50.000円でしたから
土産も10.000円以内であったと思います
50年間大事にしまっていましたから新品同然です
茶の道具は使込んだものが良いと云われます
茶会にも出したいと思います
高価なものでは有りませんが
人生初の茶碗
この茶碗の物語が語れます
