能登の震災は心痛みます
今から30年前
神戸の震災がありました
私は伊勢原市の山王中学のPTA会長をつとめていました
まず校長に相談しました
末松校長は「よし 全校を上げて支援しょう」と言いました
私は全PTA会員に衣類の提供をお願いしました

ダンボールに何十個も集まり
東名高速の伊勢原バス停に山と積まれました

そこに
能の大倉正之助さんの率いるトラック軍団が来ます
何度も神戸と往復をされました

15年前
東北の震災がありました

地元の東海大学病院の
献体科の女性事務員が
「相原さん 支援物資を集めるから手伝って」と言われ
私は脳梗塞の片麻痺で手伝いました

彼女は4トントラックで東北に行きます
そのトラックに2メートルほどの袋が何百枚有りましたので尋ねました
「相原さん分からないの?
津波に流されたご遺体は普通の状態では無いのよ」
唖然としました
実際の光景が目の前に浮かびました

市内の有名パン屋が大量にパンを焼き
それも彼女に託しました
毎日塩むすびを食べていた方々は美味しいパンに感動して涙を流がされたと聞きました

能登の震災の中に
私の輪島塗の工房の人がいます
非常な有名店です

京都嵐山の吉兆に椀を納めていました

その縁で
私が地元の大山の旅館の経営者を連れて
輪島まではバス旅行をしました

朝市の突き当りの食堂で名物の「いしる鍋」食べてから彼の輪島塗りの工房とギャラリーを尋ねました

おおよその想像では
あの朝市の食堂は焼けたのでしょう
彼の工房は少し離れた所に有ります

年賀状だけのやり取りになっていました

あえて電話をすることも出来ません
来年の年賀状を待つしか有りません

歳をとるとだんだん涙もろくなってきます