東北の震災の時
岩手県の大槌町に彼はいました
青年の安否が分かりませんでした
毎日グーグルに何度も彼の名を打ち込みました
ある時
「彼を見た」というわずかな情報が出ました
電話も通じません
私はクロネコヤマトに荷物を託しました
彼は生きていました
彼はあの 町舎に30分前までいました
町長はじめ多くの人が波にのまれました
彼は我が店のアルバイトで東海大学の学生でした
彼は長らく言っていました
「30分前に会った町長や皆の顔や声が忘れられません」
悔しくて仕方がありませんと
伊勢原には東海大学病院が有ります
そこに献体科が有ります
亡くなった方のご遺族が医学の役に立ててくださいと 身内の亡骸を預けます
その献体科の女性事務員から電話が来ました
「相原さん手伝って! 救援物資を集めますよ」
私は脳梗塞から退院したばかりでした
杖をつき足を引きずりながらお手伝いしました
4トントラックに2メートルほどの袋が何百枚も積んでありました
「これ何?」
「相原さん 分からないの? ご遺体の状態が」
バラバラのご遺体を集めるのです
私は愕然としました
眼の前に災害の現場が迫りました
毎年同じ事を思い出します
救援物資を沢山頂きました
伊勢原のこだわりのパン屋さんは 製品のパンを沢山いただき 感謝の声を沢山頂きました
○東北忌ならんで食うパン泪して 秀
合掌
※写真は大槌町旧庁舎
借り物です
