私が27才の4月某日

大山阿夫利神社の職員会議で大山能の事が話題になりました。  

ある方の行為により大山能はここに終焉を告げられました。

その関係者はここにいました。

時の宮司目黒潔氏(狂言座)と観世流の能役者(大山能指導者)のいざこざでした


折口信夫が芸能論で「黒川能は組織がしっかりしているが大山能は危うい」としるした事が現実となりました。

私は最後の子方でした。

私の家は何十代も続いたシテ方でしたし私は高校生まで子方でゆくゆくはシテの予定でした。

もう一軒シテ方は大木将監さんの家。

父は残念がっていました。

これが呆気なく終わった大山能の終焉でした。

思い起こせばその時の方々はすべて鬼籍に入られました。

写真は伊勢原市大山が最初にニュース映画に登場した画像です。

今私が72歳。

昔々になりました。


写真は子方の私です