地域猫活動は猫好きがするべきではない。 | 猫と人について問題提起するブログ

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猫によるトラブルや愛護活動、それらを取り巻く人間の言動などについて、私が日頃から持っている疑問や考えを述べていこうと思います。
タイトルの通り批判的な内容が多くなりますが、みなさんの猫に対する考え方に少しでも影響を与えられれば幸いです。

私の持論です。
 
 
 
だって、猫好きは躊躇うでしょ?
地域猫活動の一環である去勢避妊手術。
野良猫のお腹に赤ちゃんがいた場合、中には可哀想だから堕胎できないという人もいます。
不幸な命を増やさないため」という名目があるのに。
この世に生まれたら可哀想と決めつけているのに。
目の前にしたら「生まれなきゃ可哀想」と矛盾したことを言うのです。
 
 

猫好きでない人・・・・・・便宜上猫嫌いと表現しますが、そういう人たちなら躊躇いません。
増えると困る以上の感想を持ち合わせませんから。
こう述べると血も涙もないように思われるかもしれませんが、
地域猫活動やTNRというのは、結局は人間のためにやっていることではないでしょうか?
野良猫が増えすぎると人の生活に影響を与えることは、本当は猫好きの皆さんもわかっているはず。
だけど猫好きは猫が迷惑な存在だと認めたくないから別の名目を掲げているのです。
不幸な命を増やさないためと。
 
 

違うと言うのなら、どうぞご自宅にパンクするまで野良猫を保護してみてください。
絶対いつか嫌になると思います。可愛いよりもつらいの感情が上回るでしょう。
そう思わなくても別の意味で生活が崩壊します。
だから、そんな生活は誰しも嫌だから野良猫を減らす。それだけの活動です。
付け足すと、動物愛護的に強硬手段は取りづらい世の中だから妥協策が敷かれているのです。
 
 

ある意味猫も不幸かもしれないが、それ以上に人が困るからというのが第一理由です。
そうでなければ、誰が外で勝手に生きている野良猫に干渉しようとするのでしょうか?
猫好きが何よりも嫌う人間の都合や人間のエゴというものが、他ならぬ自分たちの活動理由となっているのです。
それは猫好きにとって受け入れがたい事実なので、別の名目を掲げています。
不幸な命を増やさないためと。
 
 

地域猫活動及びTNR活動、そこに愛情は必要なのか?
私は真剣に疑問を抱いています。
過剰な愛情が地域猫活動を変な方向へ向かわせてしまっている例は多いのでは?
単なる住民ぐるみの餌やりなどがそう呼ばれている場合もあるのでは?
猫好きが関わると、このようなバイアスがかかる可能性も高いと思われます。
猫嫌いと言えども虐待なんて極端な悪例であり、まともな人ならば逆に粛々とこなせる気がします。
しかし、猫嫌いな人は猫に関わろうとしないでしょうから、自ずと猫好きが活動に関わるようになります。
活動者の多数が猫好きを占めることで、地域猫活動は猫好きの感性で浸透して現在に至るのではないでしょうか。
 
 
 
今回私が述べた意見は冷徹かもしれませんが、動物愛護精神を否定している訳ではありません。
また動物愛護活動自体も否定しません。
ただし、地域猫活動は繁殖を抑えて結果的に野良猫の数を減らそうとする活動であり、
根底にあるのは人の都合で動物をコントロールするという冷徹なシステムだと思います。
「動物を愛して救うための活動」という必要以上に感情的な情動が働いてしまうことで、
本来の活動の役割を妨害してしまい、時には新たなトラブルを産むなど問題が生じるのではないかと私は考えます。
 
 
 
一度地域猫活動を含めて、野良猫への人間の干渉を一切排したらどうなるのか。
私は、案外その方がトラブルが減るのではないかとさえ思います。