続いて、汝窯の張公巷窯出破片です。

 

二重開片が見て取れます。

角度により色が異なって見えます。

汝窑とは、世界で70件程しか確認されていない、幻の北宋官窯です。

ところが、下記の記事のように研究が進んできました。

 

官窯とは、皇帝をはじめとする宮廷の人々の用品を焼いた窯、もしくはその製品を意味します。宋(960―1279)は北方遊牧民である女真族の侵入によって1126年に首都の●(さんずいに卞)京(べんけい・現在の河南省開封)を追われ、南の臨安(現在の浙江省杭州)に遷都。文献では、南宋期(1127―1279)の官窯青磁の生産は郊壇下と修内司の2箇所とされ、うち1980年代半ばに発掘調査された杭州市南郊の烏亀(うき)山麓の窯址が郊壇下官窯と確認され、1990年代末から2001年にかけて同市西北郊の鳳凰(ほうおう)山麓の老虎洞で調査された窯址が修内司官窯の可能性が高いとされています。かつて著名な陶磁研究者小山冨士夫(1900―1975)は、この青磁輪花鉢を郊壇下官窯の作としました。汪慶正・上海博物館副館長(1931―2005)は近年、修内司官窯説を公表しています。

 台北の故宮博物院などに伝わる汝窯(じょよう)の青磁は、1980年代半ばの発掘調査から、都が南に移る以前の北宋末期に河南省宝豊県清涼寺村で焼かれたのが確実と考えられるようになりました。南宋官窯に比べると釉層が薄く、貫入もわずかしか見られません。色はかすかに藍色を帯びた淡い粉青。青磁水仙盆(大阪市立東洋陶磁美術館蔵、幅22cm)に見られる通り、洗練の極とも言える器形、底部に至るまで細心の注意を払った作りなどから、これらは宮廷用の器だった可能性が高いとされています。ただし汝窯が果たして南宋の文献にある北宋官窯そのものであるか否かの論議には、まだ決着が付いていません。

 最後に近年の注目すべき発見を紹介しましょう。1999―2004年の河南省文物考古研究所による調査で、清涼寺村・汝窯址のすぐ北西に位置する汝州市街の張公巷(ちょうこうこう)から、宮廷用の器らしい一群の青磁片が発掘されたのです。昨年秋にそれらを手に取って見て、皿や碗の薄作りで端正な造形、丁寧で細心な底部の処理などから、民間向けの器とは考え難いと感じました。2004年5月に内外の研究者を集めて現地で開いたシンポジウムでも、汝窯との関係や張公巷が北宋官窯であったか否かなど、活発な議論が交わされたようです。興味深いことに張公巷の陶片の釉は汝窯よりも幾分厚めで、色は汝窯に似た淡いブルーも一部に見られるものの、多くはソラマメに似た淡緑色。発掘地点は検品後の不良品捨て場らしく、製品を焼いた窯本体が未発見であること、現時点では確実に張公巷の出土品と一致する完形の青磁が世に伝わっていないことなども相まって、今後様々な論議を呼びそうです。小野公久「やきものガイド」

 

そこで、張公巷の出土品の破片が高額落札されるように成りました。

さらに、完品があるかもしれないとの憶測が生まれています。

 

東京国立博物館の汝窯 川端康成旧蔵、香取御夫妻寄贈の《汝窯青磁盤