現代のキリスト、ユダヤ、イスラムの、いわゆる一神教の「創造主」は、「崇高で厳格な神」だが。

多神教の神々は「神」というより自由奔放で傍若無人でありながらスーパー人間という感じだ、

争い戦い堕落し怠けたり現代の人間より人間臭いのだが、

威厳があり気高い、この神々をヨーロッパから追放してしまったのが

ヨーロッパに覇権を築いた「ローマ帝国」が国教として政治に利用した一神教である「キリスト教」である。

砂漠地帯の厳しい神の宗教であるユダヤ教を基盤にキリスト教は生まれイエスキリストの弟子たちが聖書を書いた。

因みに日本人には神道があり、これは多神教であり八百万の神々は人間より人間臭い、やはり自由奔放で傍若無人なスーパー人間という感じだ。

例えばキリスト教の神が善であり光であるならば、人間は永遠の罪人となり常に神に許しを乞い、

罰を与え苦しみ喘ぐ仕組みになる、従って死ぬまで教会に通い神に許しを乞い献金し、お金持ちは免罪符を教会から買って天国への切符とする、

教会には金が集まり政治と結託することで民衆はローマ帝国の都合のよいようにコントロールできたのだ。

なぜならば聖書には「内在する悪の問題」という教えがあり、

人間とは内面に悪を内包している存在であり罪悪感という永遠の罰を自分に与える仕組みになっているからだ、

ここで「愛」については愛と善が混同されているようだが「愛」は「悪」の形でも現れるのだ。