光と闇、光と闇は二極のようで、実は三極になっています。

光でもない、闇でもない地点、一日に例えると、昼でもない、夜でもない。夜明けの時と日の入りの時がありますが。

それが0地点という中立の地点です。

これを、ポジティブとネガティブに例えると、どちらにも片寄らない地点が、真ん中にあります。

これも中立、この場合「ニュートラル」地点ですね。

善と悪、どちらにも判断しない「中立」の観点があります。

こうした、偏りのない、心と態度を、仏陀は、「中道」、論語には、「中庸が肝心」と説いてあります。

この0地点こそ、光と闇を融合させる地点です。

人間の現象世界は、三次元ですが、この三次元の世界は、二極性の世界として、両極のコントラストがくっきりしているのが特徴です。

これは三次元特有の性質で、この三次元に人間として生まれてきたのは。

このコントラストのくっきりした二極性の三次元でしか出来ない体験があるからです。

二極性の三次元で、人間は「二極の分離」という体験を通じて、極端から極端へと揺れ動きながら、

価値を求めて信念をつらぬき、善悪に戸惑い、喜怒哀楽に一喜一憂しながら、愛し憎しみ、それぞれのドラマを演じるのですが。

実は、因果応報というものは宗教が、カルマを独自に解釈したもので、カルマとは似て非なるものです。

カルマとは、宇宙がバランスをとっている現象であり。

例えば、因果応報だと、悪因悪果とか、言って前世で人を殺したら、現世で人から殺されるということになっています。

しかし、そもそも宇宙には善悪の判断がありません、しかし宇宙はバランスと均衡という法則性があるので。

地球も、もちろん宇宙ですので、そのバランスと均衡に偏りが起きた場合、バランスを取るための、揺りもどし現象として、

宇宙の生命体の行為に偏りが生じ、なおかつ自発的な修正がなされない場合、宇宙の性質としての、

そのシステムとしてカルマが行使されます。

カルマとは別に良くも悪くもありません、その生命体がどう受け止めるかによります。

カルマには、個人のカルマ、グループのカルマ、先祖代々のカルマなどがあり。

私たちが人間として生まれてきて予め人生のイベントを決めているのは、カルマがあるからです。

人間関係も、互いにカルマを解消するように出会うべくして出会っているのです。

人類は地球に対してもカルマがあります、これはカルマを説明するには一番わかりやすいかもしれない。

人間が地球を生命体として尊重せずに資源として資材として、つまり、モノとして地球の生命を、無惨に略奪し続けた結果、

人類の地球へのカルマは膨大な偏りとなり。地球はバランスを取るために必死です。

地球は息も絶え絶えですが、地球のダイナミクスなエネルギーはバランスを取るために、

大陸プレートの潤滑油の役割を持った原油を略奪され大地を揺るがし修正し、

大気の汚染を大気圏から宇宙に排出するためオゾン層に穴を空けています。

また有害な化学物質や大量の農薬を台風や大雨で自浄しています。

つまり現象として、今や地球の一部でありながら、「地球の癌化した細胞」である人類にとって異常気象や天災は自分達の謳歌してきた物質文明の、つけが返ってきてるわけです、

しかし、カルマはチャンスでもあります、実はこの地球のカタストロフィーを、地球はチャンスと捉え、今回のアセンションのための次元上昇のバネにするつもりです。

地球への心配は必要ありません、問題は人類の方にあります、しかしながら心配は無用です、人類は否応なく、内面の革命を体験するべき事態になり得ます。

ただ、それを苦しみながらやるか、楽々にやるかは自分次第です。

何にしろ楽観性が大事です、今回の地球の次元上昇についてこれない人も、今より悪くなるわけでもありません。

しかしながらドキドキワクワクしながら、五次元への移行は既に始まっています❗

古い価値観や既成概念が役に立たなくなります、逆に自然回帰的な価値観や古代の伝承が復活したり、

新しい形の共同体が形成されていき、リサイクルとシェアリングが主流になり、大量生産大量消費型経済は崩壊せざる得なくなりますね、

これが人類のカルマの解消になります、何故ならば、リサイクルとシェアリング社会こそ、自由と平等が実現し、合理的で、地球に限りなく負担が少ないからです。

貨幣制度も人類には百害あって一利無しです、人類の性質を著しく悪化させて、お金で人間の価値が計られたり、お金のために平気で騙す盗む、また貧困も飢餓も、お金による弊害なのです。