HIVに感染している人たちが当事者として自らの「いま」を語る「ポジティブトークセッション」が学会初日の122日午後2時から、第5会場で開かれました。

 昨年の第31回学術集会・総会で初めて開かれ、その時の生島嗣会長から第32回の白阪琢磨会長にも、とくに続けてほしいという要請があったセッションです。

 その要請にこたえ、今回は日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラスの高久陽介会長に加え、今回は尾辻かな子衆院議員が座長となり、3人の男性が登壇しました。

 最初の方は薬物使用者として逮捕され、刑務所での生活も体験されていますが、その刑務所生活の中で「すごく人間扱いされ、社会では人間扱いされなかったのにどうしてだろう」と感じたそうです。HIV陽性であること、薬物を使用していることに対し、いわゆる日本の社会が、刑務所と比べても人を「人間として扱おうとしない」要素を抱え込んでいるとすれば、そのことはHIV/エイズ対策が担うべき課題のひとつでもあります。

 この方はまた、出所時の経験として、「おかえり」と声をかけられたことが、生きる支えとなったことも、涙で声を詰まらせながら語っていました。

個人の感想で恐縮ですが、ああ、ここにも榎本さんに助けられた方がいるといまさらながらにあの人懐こい笑顔を思い出しました。

2番目の方は、新宿2丁目のバーで親しくなった男性から(たぶん催眠作用のある薬物を入れた)飲み物を飲まされ、意識を失っている間に性行為を強要されたことがHIV感染のきっかけだったと語っています。性暴力を受けた経験が心理的に服薬の継続を困難にし、支援のサービスを受けることもためらわせてきたということです。

今は特定非営利活動法人ぷれいす東京のミーティングに参加するようなり、ボランティアスタッフの研修も受けて同じ病気で苦しむ人たちの役に立つことを目指しています。そうなるまでには、ぷれいす東京に100回から200回は電話をかけ、電話相談スタッフからは「名前を言わなくても声を聞いただけで分かりますよ」と言われるほどだったそうです。支援には長い積み重ねが必要なことを示すエピソードでもあります。

最初の方も、2番目の方も、HIVに感染して自分は幸せだったと思うと語っていたことも印象的でした。HIVに感染しなければ出会えなかった人たちと出会うことができ、経験できなかった体験を得ることもできたということです。

もちろん、その背景にはHIV感染や薬物使用に伴う事情、あるいはそこに至る様々な困難を背負ってきたという事情もあるでしょう。

2番目の方は、ぷれいす東京のボランティア研修を受けた時からポジティブトークのスピーカーとして話すことを目的にしてきたとも語っていました。セッションの意義はおそらく、当事者の話を聞くことと同時に、自らが語りたいことを語れる場が存在することにもあるようです。

3番目の方は、内定の際にHIV感染を告げず、虚偽申告をしたとして、病院から就職の内定取り消しを通告された方です。今年7月に内定取り消しは違法だとして病院を運営する社会福祉法人「北海道社会事業協会」(札幌市)に損害賠償を求める訴訟を起こし、報道でも取り上げられたので、ご存知の方も多いと思います。報道では十分に伝えきれていない経緯などを丁寧に報告されました。お話の内容はあまり詳細に報告できませんが、「嘘をついた」と言われる過程にも嘘とは言えないやり取りがあったように私には受け止められました。

また、それ以前に医療機関が個人情報の保護をどこまで重視しているのか、厚生労働省のガイドラインが有名無実化しているのではないかといった問題点も浮上しています。

座長の高久さんからは「日本のエイズ対策の中で人権の問題に真剣に取り組む必要がある。HIV感染を理由にして医・職・住(いしょくじゅう)の権利が失われている状態には耐えられない」との指摘がありました。