2025年10月19日 NATIONAL GEOGRAPHIC
何頭ものゾウが実現前に死亡、「もう後戻りはない」「これこそが進むべき道」と見送った責任者
ケニアと共にブラジルへ向かったチームによると、ケニアはサンクチュアリに到着した際、大きな鳴き声を上げたという。それはまるで、ラテンアメリカで2番目に大きい国アルゼンチンで136年間にわたったゾウの飼育の歴史に終止符を打つ、勝利の入場を告げるかのようだった。
自由になる前に力尽きたゾウたち
ここまでたどり着く道のりは険しかった。
アルゼンチンで移送対象に選ばれた最初のゾウは、アジアゾウの「ペルーサ」だった。ラプラタ動物園にいたペルーサも、ケニアと同じように生涯を孤独に過ごしていた。しかし2018年、グローバル・サンクチュアリ・フォー・エレファンツへの移送を数日後に控え、52歳で死んでしまった。
悲劇はそれだけではなかった。幼い頃からサーカスで芸をしていたアジアゾウの「メリー」は、民間動物園で飼育されていたが、ペルーサと同じく2018年に50歳で死んでしまった。
2024年には、移送と国境を越えるための国際許可を待っていたアフリカゾウの「クキー」が、わずか34歳でこの世を去った。そして、2025年のケニアの移送のわずか数週間前には、すでにリハビリを終えていた55歳のアジアゾウのオスである「タミー」も死んでしまった。
野生下での健康なゾウの平均寿命は60歳から70歳だが、閉じ込められている状態(飼育下)のゾウの場合、大幅に短くなる。
アルゼンチンからの全てのゾウの移送を計画した非営利団体「フランツ・ウェーバー財団」のエクイティ・サンクチュアリ責任者であるトマス・シオーラ氏によると、ケニアの場合、数十年にわたる飼育下での生活が徐々に、しかし容赦なくその体をむしばんでいったという。運動不足による脚の問題、筋力低下、腸疾患、肝臓病などだ。
「冬は非常に寒く、夏は非常に暑いです。そして、敷地は限られており、地面は硬かったです」と、オーデ氏はメンドーサ動物園の状況について語る。
メンドーサ動物園は2016年に閉鎖され、絶滅危惧種の在来種を飼育せずに保護するための施設であるエコパークに生まれ変わった。「私たちには、ゾウが必要とする専門的で集中的なケアを提供するための施設も予算もありませんでした」
2008年、現メンドーサ・エコパークの評議員であるレアンドロ・フルイトス氏は、メンドーサ動物園の閉鎖を求める署名活動を始めた。フランツ・ウェーバー財団の代表として、氏はメンドーサ州政府や国際機関との交渉を主導し、許可の取得に奔走した。しかし、氏が「政治的な気まぐれ」と表現する理由で、他の2頭のゾウの許可は4度、ケニアの許可は3度も失効した。
メンドーサ動物園は閉鎖以来、一般公開されていない。この10年間で、園内にいた1500頭以上のエキゾチック・アニマルが国内外のサンクチュアリや保護センターに移送された。このゆっくりだが着実な取り組みにより、残された動物たちはより広いスペースとより良い生活環境を得ることができる。動物福祉を確保するため、常に健康状態のチェックも行われている。
2016年以降、アルゼンチンの他のいくつかの動物園もエコパークに転換されたが、プロセスには時間と多額の資金が必要となる。
2020年にブラジルのサンクチュアリに到着した、アルゼンチンの他の動物園出身のアジアゾウ「マーラ」とアフリカゾウ「プピー」に、ケニアが合流したことは、長年の闘いと忍耐、そして喪失の証だ。ケニアが初めて赤い大地に転がった瞬間は、単なる自由の瞬間ではなく、そこへたどり着けなかった者たちへの追悼でもあった。
どのようにしてゾウたちの信頼を取り戻すか
ケニアのような年齢のゾウは、消すことのできない心の傷を負っていると、グローバル・サンクチュアリ・フォー・エレファンツの創設者であるスコット・ブレイス氏はいう。多くのゾウが、20世紀によく行われていた「選択的処分」の犠牲になったと氏は説明する。選択的処分とは、ハンターがヘリコプターからおとなのゾウを撃ち殺すというものだ。
「場合によっては、死んだ、あるいは死にかけている母親の脚に子ゾウを縛り付け、箱に入れることもありました」と、ブレイス氏は振り返る。これらの子ゾウはその後、密猟者や動物密売人によって世界中の動物園やサーカスに送られ、適切な食事も十分な運動スペースもないまま、檻の中での一生を強いられるのだとブレイス氏は語る。
ケニアが母親から引き離される悲劇を経験したかは不明だが、1984年、ドイツのベルリン動物公園との協定に基づき購入されてメンドーサに連れてこられたときは、まだわずか4歳だった。ケニアは別の子ゾウと共に囲いに入れられたが、その子ゾウはすぐに肺炎で死んだ。それ以来、ケニアはメンドーサ動物園で唯一のアフリカゾウとして独りで生きてきた。ゾウは本来、群れをなす非常に社会性の高い種だ。
しかし、フランツ・ウェーバー財団の獣医師ヨアンナ・リンコン氏は、悲しみの中にも希望を見出している。「こうした動物たちの信頼を得るのは難しいと思われがちですが、彼らはあまりにも打ちのめされているため、むしろ信頼を築きやすいのです」と、ケニア、マーラ、プピーの移送に参加し、クキーとタミーの健康診断にも携わったリンコン氏は言う。
リンコン氏は、ケニアの一つひとつの仕草を解釈することを学んだ。
「他のゾウでは鼻しか見ていませんでしたが、ケニアでは、眼差しを見ることを学びました」と、リンコン氏は言う。「彼らを理解し、敬意ある関係を築こうとしていることを示さなければなりません」
もう一つの障害は、輸送用のコンテナを安全な場所だとゾウにわかってもらうことだ。この中でゾウは食事や水を与えられ、ケアを受ける。コンテナには、ゾウが快適に過ごせるよう設計された、体を固定するシートベルトに似た装置がある。
これが、ストレスは多いが、一時的な状況であることを理解させなければならない。コンテナの扉を閉めるときは最も緊張する瞬間のひとつであり、ゾウが怯えたり怒ったりして、プロセス全体が遅れる可能性がある。
しかし、ケニアの反応は良好だった。コンテナに入れられた状況を受け入れ、5日間のブラジルへの旅を大きな問題なく耐え抜いた。
ブレイス氏はケニアを「とても繊細で表情豊かなゾウ」と評し、訓練の当初は「人間への用心深い近づき方や接し方に、明らかな深い不安」が見られたと語る。まだ始まったばかりだが、ケニアの変化を畏敬の念をもって見守っていると氏は話す。
「これこそが進むべき道」
現在、ケニアは“隣人”のプピーと心を通わせ、これまで以上に筋肉を使い、丘を登り、すんでいる場所の木をなぎ倒している。ケニアは泥や草の上で転がるが、それは喜びをもたらすだけでなく、体の古い皮膚を剥がし、足の健康状態を改善するのにも役立っている。
「トラウマの層が剥がれ始めているのを目の当たりにしています」とブレイス氏は言う。
シオーラ氏は、ケニアの物語が他の国々に影響を与えることを期待している。フランツ・ウェーバー財団は、南米の他国やヨーロッパ、特にスイスで今も飼育されているゾウの解放に向けて活動している。「ゾウは飼育下で生きるべきではありません。それは保全ではないのです」と、氏は語る。
メンドーサ・エコパークの責任者であるオーデ氏は、子どもたちにゾウを見せたかったのにと、がっかりした動物園の常連客の声をよく聞くという。
「人々は、動物園で見ていたものはゾウではなかったと理解する必要があります。それはただ、長い鼻と耳と脚を持つ動物の外見にすぎません。ゾウのように振る舞わず、ゾウのように食べず、ゾウのように生きてはいなかったのです」と、氏は説明する。
「ケニアの一つひとつの小さな歩みがわれわれに喜びをもたらし、これこそが進むべき道なのだと示してくれます。私がアルゼンチン最後の飼育ゾウとなり、もう後戻りすることはないのだと」
文=María de los Ángeles Orfila/訳=杉元拓斗
