2023年9月2日 時事ドットコムニュース
関東大震災や第2次世界大戦では、食糧不足や猛獣が逃げ出すことへの懸念から、人間の都合で動物が殺処分された悲しい歴史がある。こうした悲劇を教訓に、近年は災害時に近くの動物園同士が支援する体制が整えられており、担当者は「猛獣でも今は命を救えるはずだ」と話す。
日本最古の遊園地「浅草花やしき」(東京都台東区)は江戸時代末期の1853年に「花園」として誕生。72年から遊具が置かれ、86年からは動物を見せ物として人気を博したが、1923年に関東大震災で火災に見舞われた。当時の記録によると、四方を火に囲まれる中、園の職員が薬やピストルを使って猛獣を殺処分したという。
日中戦争が始まると、各地の動物園で空襲の際の猛獣脱走対策が検討された。背景には、36年に上野動物園で起きたクロヒョウ脱走事件があったとされる。クロヒョウは間もなく捕獲されて被害はなかったが、同園はその後、動物を危険度に応じて4分類し、殺処分の優先順位を定めた。
戦況が悪化した43年8月には、大達茂雄東京都長官(当時)が上野動物園に全猛獣の殺処分を命令。ゾウやライオンなど14種類27頭が餓死させられるなどして命を奪われた。全国各地の動物園でも同様の処分が行われ、閉園になったり、軍事基地になったりした園もあった。
日本動物園水族館協会によると、95年の阪神大震災までは近隣の動物園同士が自発的に情報共有して対処するだけで、全国的な体制は整備されていなかった。97年に起きたロシアのタンカー「ナホトカ」沈没事故で日本海に重油が流出したのを機に、同協会が所属の水族館などを支援するようにした。
2016年の熊本地震では、熊本市動植物園が被災しておりが壊れ、飼育環境の維持が難しくなった。このため同協会の手配で、トラやライオンを近くの動物園に移送。他の園からは水を入れるポリタンクや発電機などの支援物資が届けられたという。松本充史副園長は「備えていても不測の事態は起きる。一刻を争うケースもあり、いかに早く情報を共有するかが重要だ」と話す。
同協会の永井清事務局長は、過去の殺処分について「悲しい事実だ。食糧も不足していた時代で、なぜ猛獣に肉をあげるのかという思いもあったのだろう」と推し量る。「過去にそのようなことがあったことが一概に悪いとは言えないが、今は許されない。猛獣でも安全に避難できる体制があり、命は救えるはずだ」と強調した。