ペットだけが動物じゃない。家畜と向き合う獣医師の人手不足が深刻 | トピックス

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2020年9月17 Forbes






新首相が誕生して、新しい内閣で政治が動き出したが、「獣医師が考える『人と動物のつながり』」というこのコラムも、実は時局の変化と無関係とは言えない。一時、物議をかもした「獣医師が不足している」という問題が、政策課題として再び脚光を浴びているからだ。

 獣医師というと、どのような職業を思い浮かべるだろうか。多くの人は、イヌやネコなどペットの病気を診断し、治療する「動物のお医者さん」をイメージすることだろう。

 この話題が取り沙汰された当時も、「獣医師が不足している」ことは話題に上ったが、「どういった獣医師が不足しているのか」には、あまり言及されることはなかった。 

 ペット獣医師の需要は高いが 

 20年前、筆者が獣医大学へ進学した頃は、CMに起用された犬種の人気が引き金となり「空前のペットブーム」が到来していた。新しいペット関連ビジネスも爆発的に増え、多くの人がペットを家族の一員と考える気風が高まりを見せた。

 すでに当時、一部の地域を除いては、ペットの診療施設は飽和状態に近いと言われ、動物病院の開業を夢見て入学した多くの学生には、厳しい現実を突きつけられた気がしたものだ。

 しかし、実際にはブームに伴って生まれた新しいニーズを引き受ける存在として、愛玩動物(ペット)の獣医師の需要は、引き続き高い推移を維持している。 

 一般的な診療に加え、しつけやペットの高齢化に伴う介護相談など、業務内容は多様だ。人と同等の医療サービスの提供をペットに求める飼い主も増え、循環器科、整形外科、腫瘍科といった専門化も進んでいる。優秀な人材の確保は常に必要とされ、需要と供給が活発に行われている分野であると言える。

 では、何が「獣医師不足」と言われる原因となっているのか。深刻なのは、「産業動物獣医師」や地方自治体に所属する「公務員獣医師」の担い手不足だ。

 産業動物獣医師は、牛や馬、豚などの家畜を診療の対象とする。人の衣食に供する動物の診療に携わるのだから、もっと身近な存在として認知されてもいいはずなのだが、現実は一般の生活者からは遠い存在となっている。

 産業動物が重大な疾病にかかることは、農家にとって財産を失うことであり、消費者にとっては、安全な食料の供給を安定的に受けるうえでの脅威にもつながる。

 診療のみでなく衛生対策や疾病予防、さらに家畜伝染病の流行などの有事には防疫の前線で対策を講じるのも、産業動物獣医師と、家畜衛生を担う公務員獣医師の公益の責務なのだ。

 例えば、2010年、宮崎県で「口蹄疫」(感染症)が発生した際は、牛や豚など29万7808頭もの家畜を殺処分するという事態が生じた。この対応に奔走したのもこれらの獣医師たちだった。

 さらに、農家と産業動物獣医師らが連携し、育成、出荷した家畜の、食品としての最終的な安全確保も、公務員獣医師の役割となる。屠畜、解体される家畜を検査し、安全な食肉であるという最後の判を押すのだ。 

 とにかく、これらの職務に就く獣医師の不足が、懸念され始めて久しい。




産業動物獣医師への就業率は約10%

獣医大学の教育カリキュラムも、ペットの獣医療を志望する学生が増え、そのニーズを反映して愛玩動物中心のものへと変化してきた。大学の立地環境も、必ずしも牛、馬、豚など家畜に親しめる環境とは言えず、生産現場からも遠い場合が多い。重ねて、産業動物を扱う教員の数も減少傾向にあるという。


 ペットの獣医師となることを志す学生に至っては、産業動物や公衆衛生に携わり、公益に資するという動機付けに乏しいまま、大学を卒業していく。


 一方で国は、国際競争力を高める一手として、霜降り「和牛」のブランディングを掲げ、インバウンドによる消費の増加など、畜産部門に期待をかけている。さらに、新型コロナウイルス感染症やSARSなど、新興感染症が次々に発生する昨今、家畜に対する感染症対策、衛生管理も年々重要性を増し、流通のグローバル化がそれに拍車をかけている。 


 つまり、産業動物獣医師や公務員獣医師の人材は不足しているが、ニーズは高まる一方なのだ。


 これらの獣医師の確保には、学生への動機付けが必要であるとともに、就業面における、国によるサポートの強化や、待遇の改善が必要とされているのが実状だ。


 農場への往診を基本とする産業動物獣医師の業務は、管轄内の農場を1日当たり300km移動する場合もあるという。診療以外の相談対応や衛生指導は無償で行われることもあり、コストに見合う業務とは言い難い。それでもなお、公益に資する業務として、機能を失うわけにはいかない。


 現在、獣医学専攻を設置する大学は、国公立大11校、私立大6校と少ない。国家試験に合格し、新たに獣医師となる数は、毎年約1000人であり(獣医学専攻は6年制、2018年に開学した岡山理科大学の一期生は受験年限に達していない)、その半数近くが愛玩動物の獣医師となり、産業動物獣医師への就業率は約10%、公務員獣医師は国家公務員も併せて15%前後の推移となっている。


 不足分野への人材確保には、学生の絶対数を増やすだけでなく、大学教育の再整備や、現場環境の最適化など、抜本的な解決の取り組みなども必要とされている。


 生活に直結するはずの「産業動物」という「生きた」存在は、消費者に顧みられることが少なく、それは同時に、そこに携わる人の存在への無関心にもつながっているように思われる。「獣医師の不足」は確かに課題として存在する。時局の行方とともに、これらの動向にも注意を傾けてもらえたらと思う。


 自治体に所属する公務員獣医師は、配属部局によって、保健所や動物愛護センターへ配属されることもあり、ペットであるイヌ、ネコを対象とした公衆衛生業務も分担している。


狂犬病予防対策、地域住民からの相談や苦情の対応など、これもまた、ペットブームの陰に隠れたさまざまな課題と対峙する職務でもある。これらの職務についても、また機会をあらためて述べたい。

西岡 真由美