2011年におこなわれたニッセイ基礎研究所の調査によれば、日本全体の孤独死者数は約2.7万人にのぼるという。65歳以上の一人暮らし世帯に限定しても、2006年に約1900人だった孤独死者数は2016年には約1.7倍の約3200人まで増加している。
しかし孤独死は高齢者に限った問題ではない。30代から50代のいわゆる「現役世代」の人間でも、時として孤独死にいたることがある。フリーライターとして孤独死や事故物件について関心を寄せる菅野久美子氏の著書『 家族遺棄社会 孤立、無縁、放置の果てに。 』(角川新書)より、一部を引用する。
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犬に体を食べられた独身派遣OLの最期
孤独死の要因として挙げられるのが働き方だ。
それは、ある年の夏も終わる9月の末のこと。上東(編注:同書で取材を行った特殊清掃員)は、ある女性から連絡を受けた。姉が孤独死したので、マンションの部屋を片付けてほしいという。
「くれぐれも部屋の中を見て驚かないでください」と女性は動揺した表情を浮かべながら、思いつめたように上東に告げた。
孤独死は通常、激しい死臭が周囲に漂っているケースが多い。近隣住民からの苦情などの場合、部屋のドアや換気扇の隙間から漏れ出た、強烈な臭いがマンションのフロア全体に充満していることがほとんどだ。しかし、この物件の場合はそんな臭いとは違って、獣のような臭いが、ドアの隙間から漂ってきた。妹によると、亡くなったのは、42歳の女性で派遣の事務職をしていたという。姉と生活をともにしたのは幼少期だけで、その後はずっと疎遠になっていた。
長期の海外旅行中に犬をその女性に預かってもらっていた近所の人が、帰宅後、女性に電話をしてもつながらないことから、警察に通報。
飼い主の死後、放置されるペット
警察官が部屋に入ると、女性の遺体はすでに一部が白骨化していた。夏場は特に遺体の腐敗の進行が速い。女性の妹によると、部屋の中では犬が3匹、遺体の傍らを走り回っていたという。中でも、女性の愛犬だった大型犬だけはやせ衰えて、亡くなった飼い主のそばにピッタリと寄り添い、餓死寸前だったという。警察によると、痛ましいことに遺体の一部を犬に食べられた痕跡もあったらしい。
ドアを開けると、上東の予想どおり糞や尿などの凄まじいアンモニア臭が部屋中に充満し、床には犬たちのものと思われる、乾いて水分を失った大量の糞がコロコロと転がっていた。
女性が亡くなっていたのはベッドだったが、死臭はほとんどなく、体液もわからなかった。あまりに遺体が長期間放置されすぎて、体液も乾いてしまっていたからだ。そのため、死因は不明だった。
このケースでは、奇跡的に犬は生存していたが、飼い主がペットとともに孤独死しているという例は決して少なくない。たいていは、ペットも飼い主亡き後、飢えと苦しみの中で壮絶な死を遂げる。また、食べ物がなくなってしまって、ペロペロと顔をなめているうちに、ガブリと食いついてしまうこともある。なんとも悲しい現実だ。
人は寂しさの行き場を求める
上東は語る。
「犬たちは亡くなった飼い主が起き上がり、いつもの日常が戻ることを待っていたと思うの。自分が着る洋服よりも愛犬に愛情を注いでいたのがわかる。人は寂しさの行き場を探し求めるものなの。きっと、それがこの女性にとってはペットだったんだろうね」
それを表すかのように、妹によると、見つかったガラケーには、犬の預け先や仕事場以外の人とのつながりを示す連絡先や写真は、一切なかった。
よそ行きの洋服は仕事用と思われるスーツだけ。唯一、犬の散歩用のラフな洋服がハンガーにかかっていた。遺影になりそうな写真が全く見つからないため、上東は、書き損じた履歴書に貼ってあった証明写真をかろうじて妹に手渡した。
女性の仕事は、数カ月ごとに派遣先が変わる事務職だ。家族とも疎遠だったこともあり、会社が休みであるお盆の期間は、毎年一人で過ごしていたらしい。ただでさえ入れ替わりが激しい職場で、お盆明けに職場に出勤しなくても、女性の部屋を訪ねてくる人はいなかった。
上東は女性についてこう語る。
「数カ月単位で職場は変わるし、たとえ職場の同僚と仲よくなっても、また別れが来るよね。だから、あまり職場の人とも深入りしない付き合いをしていたんじゃないかな。
孤独死の可能性を高める働き方の志向
ただ唯一、犬の散歩をしていれば近所の人と仲よくなることもある。たわいのないコミュニケーションでほほ笑み、一日が終わる。この女性はきっと心の優しい素敵な女性だったと想像するよ」
女性は就職氷河期の真っただ中で、派遣社員という働き方を選択せざるをえなかった可能性もある。ニッセイ基礎研究所は、「長寿時代の孤立予防に関する総合研究~孤立死3万人時代を迎えて~」という研究結果から、【社会的孤立者の特徴(傾向)】を割り出している。その中に、働き方として、「割り切り」「仕事優先」志向の人が挙げられている。
この女性のように数カ月ごとに派遣先が変わる流動的な職場だと、人間関係が希薄になり、その場その場での割り切った人間関係になりやすく、濃密な関係を築くのは困難になるのだ。
また、ストレスを一人で抱え込んでしまい、一度心が雪崩のごとく崩壊すると、家の掃除をしなくなり、部屋の中を徐々にゴミが占拠していく。中には、衣類を天井ほどまでため込んだ女性もいた。
些細なきっかけでセルフネグレクトに陥る
部屋が汚くなると、人を招き入れなくなるという悪循環が起こる。特に現役世代は、健康を害してしまうと誰にも気づかれず、セルフネグレクトに陥り、命が脅かされるようになる。身内との縁が切れていたり、近隣住民からも孤立しているという特徴もあり、行政も捕捉が難しいのが現状だ。
度重なる遺族や現場の取材から、男性はパワハラや失業などいわば、社会との軋轢から、セルフネグレクトに陥るケースが多いと感じた。しかし、女性の場合は、失恋や離婚の喪失感、病気など、プライベートな出来事をきっかけに、一気にセルフネグレクトに陥りがちだ。また、責任感の強さから、誰にも頼れずゴミ屋敷などのセルフネグレクトになり、孤立してしまう。
女性が一度、世間から孤立すると他人が見てもわかりづらい。まだ自分は大丈夫だと仮面をかぶるからだ。しかし実際は、雨が降ると外に出たくなくなり、体がだるいと動きたくないという狭間で、そのギャップに苦しむ。そんな自分に嫌悪感を覚えて自己否定が始まり、最後に精神が崩壊する。女性の孤立は、男性の孤立より、見抜きづらくなる。
女性の孤独死の現場を目の当たりにすると、私自身、同じ女性としていたたまれない思いを抱いてしまう。それは、孤独死は私個人とも無関係ではなく、むしろ、誰の身に起こってもおかしくないという思いを強くするからだ。
孤独死は決して他人事ではない
長年、孤独死の取材を行っているが、ご遺族の方にご本人の人生を聞かせていただくと、対人関係や仕事でつまずいた経験があるなど、何らかの「生きづらさ」を抱えていた人も多い。
私自身、元ひきこもり当事者であり、今も人間関係では、打たれ弱い面があり、「生きづらさ」を抱えている。亡くなった方とは趣味や性格や生い立ちなど、私と共通点が多く、共感することが多々ある。ご遺族も、そんな生前の故人の「生きづらさ」や「社会の抱える矛盾」を知ってほしいと取材に応じてくださることもある。
現在、社会問題になっている8050問題に代表されるような中高年のひきこもりが孤独死という結末を迎える日も遠くないし、実際にもう現場では起こっているという実感がある。かつてのひきこもりだった自分も同じ結末を迎えていたかもしれないと思うと、切ない気持ちになる。
誰もが人生の些細なつまずきをきっかけとして、孤独死という結末を迎えてしまう。そして、孤独死は決して他人事ではないということを私たちに突きつけてくる。