置き去り犬めぐちゃん「強制執行」~「動物はモノ」という悲しい現実 | トピックス

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2019年12月12日 現代ビジネス







犬を飼いたいという夢を30年越しで叶え、今も「こりき」というゴールデンレトリバーと共に暮らす、漫画家で小説家の折原みとさん。折原さんが以前寄稿した「置き去り犬めぐちゃん事件」が、「強制執行」という形で幕を閉じたことが、12月3日、当事者のSNSに公開されて明らかになった。

人間と動物は一緒に暮らし、互いに心を通わせ、時に家族のように大切な存在になっていく。だからこそ、私たちがいますぐ考えなければならないことが、この事件から浮かび上がってくるのだ。

折原さんの緊急寄稿をお届けする。

6年半前、公園に置き去りにされていた

みなさんは「めぐちゃん」というゴールデンレトリバーのことをご記憶だろうか? 
 公園に置き去りにされた犬をめぐって、元飼い主と保護主とが所有権を争い、裁判にまで発展したことで話題になった、「置き去り犬、めぐちゃん事件」だ。

 この事件に関しては、2018年6月にかかせていただいた記事に詳しいが、簡単に説明しておこう。

 2013年6月。東京・吉祥寺の公園で、一頭のゴールデンリトリバーが口輪をはめられ、柵につながれていた。犬を保護した主婦・Aさんは、警察や保健所などに届出をした上で飼い主を探したが見つからず、その子を「めぐ」ちゃんと名付けて家族に迎える。

 が、めぐちゃんの「拾得物」としての期限を迎える10日前、飼い主の女性が現れ、めぐちゃんの返還を要求。めぐちゃんが2度も公園に遺棄されていたことや、それまで3ヵ月近く飼い主がめぐちゃんを放置していたことなどから、Aさんはめぐちゃんの返還を拒否し、裁判で争うことになった。

 結果は、保護主であるAさんの敗訴。

 犬を置き去りにしたのは、飼い主本人ではなく、交際相手の男性だったこと。遺失物法が定める期限内ギリギリではあるが、遺失物届を出したことなどを理由に、裁判所は「元飼い主が犬の所有権を確定的に放棄したとまでは認められない」と判断したのだ。

高齢のめぐちゃんを返還することが心配

この判決が下ったのが、2018年4月のこと。

 元飼い主はAさんに対し、めぐちゃんの即時返還を求めたが、Aさんは応じなかった。

 当時、めぐちゃんは14歳。大型犬としてはかなりの高齢だ。2度も公園に置き去りにされたトラウマで、分離不安も強かった。14歳という高齢のめぐちゃんにとって、今さら飼い主が変わることは、精神的にも健康上も悪影響が出るのではないか……。

 そう思うと、Aさんはめぐちゃんを手離すことができなかったのだ。

 裁判所の下した判決に従わない以上、いつかは「強制執行」が行われるかもしれない。Aさん家族は、いつ来るかもしれない「強制執行」の不安を抱えながらも、めぐちゃんとの生活を続けることにしたのだった。

 「その後、めぐちゃんはどうしているだろう……?」

 私も「こりき」というゴールデンレトリバーを飼っている。こりきとの生活の中で、ふとめぐちゃんのことを思い出すこともあった。

 ゴールデンレトリバーは、どんなに長生きしても、15~16歳が寿命だろう。どうか、「強制執行」が行われないまま、めぐちゃんが保護主さんのもとで幸せな最期を迎えることができますようにと……ひそかに、そう願っていた。

 が、つい先日のこと。

 保護主のAさんが、SNSで「めぐちゃん事件」の結末を報告したのだ。

 それは、この事件を知る人たちが何よりも恐れていたであろう、一番悲しい「幕引き」だった。

排泄の失敗を片付けていたその時…

2018年4月の判決から1年経っても、「強制執行」は行われなかった。

 しかし、敗訴から1年1ヵ月が過ぎた、2019年5月23日、「別れ」は突然やってきたという。

 AさんがSNSに投稿した内容によると、めぐちゃんは、まもなく15歳10ヵ月を迎えようとしていた。

 後ろ足が衰え、散歩も5分がやっと。上手く立ち上がることができず、排泄の失敗も増えた。認知症も始まりつつあり、ご家族はいよいよめぐちゃんの命の期限が迫っていることを感じていたという……そんな頃。

 排泄の失敗で汚れてしまっためぐちゃんの身体を洗って乾かしていたちょうどその時、恐れていたものがやってきた。

 突然の「強制執行」により、めぐちゃんは、Aさんご家族の元からいなくなってしまったのだ。

 それは、本当にあっという間の出来事だったという。自分で歩こうとしないめぐちゃんは、容赦なく抱きかかえられて連れて行かれてしまったというのだ。きっと、何が起こったのか、わけがわからなかっただろう。

 後には、呆然とするAさんご家族だけが残された。

 そして、それっきり……。Aさんたちは、めぐちゃんがどうなっているかも知ることはできないのだという。

 法の定めたこととはいえ、あまりにも非情で、悲しい結末に言葉もない。

 保護してから6年間、愛情を注いで来た“家族”とのこんな別れは、その“死”を看取ることよりもずっと辛い。いや、愛情があればこそ、Aさんご家族は、めぐちゃんを最期まで自分のもとで看取りたかったはずだ。

 何よりも、命の終わりの時が近づく中で、突然あたたかな家族の元から引き離されためぐちゃんのことを思うと……どうしようもなく胸が痛む。

動物は命としてより「モノ」扱い

では、どうして「めぐちゃん事件」は、こんな結末をむかえることになってしまったのだろうか? 2度もめぐちゃんを置き去りにすることをパートナーに許した元飼い主に、所有権が認められたのはなぜだったのだろう? 

 それはこの裁判が「動物愛護管理法(正式には『動物の愛護及び管理に関する法律』)」の「遺棄罪」ではなく、「遺失物法」の範疇での判決となったからだ。

 財布や鞄と同じように、「遺失物」として届けが出された以上、めぐちゃんの所有権は元飼い主にあり、返還しなければならなかった。

 「動物愛護管理法」という法律があっても、人間の「所有物」となってしまえば、動物はひとつの“命”ではなく、“物”として扱われてしまうのだ。

 しかし、財布や鞄ならば、3カ月間は警察で大切に保管されるのに、動物は数日で施設に送られ、殺処分されてしまうこともあるのだから、矛盾している。

 2019年6月、「動物愛護及び管理に関する法律等の一部を改正する法律」が公布された。

 それにより、動物をみだりに殺傷した場合の罰則の上限が、懲役5年または罰金500万円(現在は懲役2年または罰金200万円)。虐待や遺棄した場合の罰則が、懲役1年または罰金100万円(現在は罰金100万円のみ)に引き上げられることになる。

 動物を殺傷した者に対する厳罰化が進むのは喜ばしいことだが、それでも、相手が人間だった場合の罰則に比べれば、ずい分と軽い。もしも、大切な「家族」である動物の命を、他人に故意に奪われたとしたら、この程度ではとても納得できないのではないだろうか。

動物は「命あるもの」なのに

突然のめぐちゃんとの別れを、Aさん家族が受け入れるまでには、時間がかかったという。「強制執行」から半年以上、今も続く悲しみや喪失感の中、批判も覚悟の上で、Aさんが「めぐちゃん事件」の結末を公開したのには、理由がある。

 ひとつは、めぐちゃんのことを心配し、応援してくれた人たちに対する報告と、感謝を伝えるため。

 もうひとつは、この事件を通して、ひとりでも多くの人に、「動物たちの命」について考えていただきたい……という願いからだという。

 動物を“物”として扱う日本の法律。 

 法律以前に、動物を“物”としか見ない人たちもいる。

 いたずらやストレスのはけ口として動物を虐待する人間。悪質なブリーダー。軽い気持ちでペットを飼い、いらなくなったら放り出す無責任な飼い主……。
そういった人たちへの抑止力となるように、まずは法の上で、動物たちを、”物”ではなく、“命”と認めることが必要なのではないだろうか。

 何も、江戸時代の「生類憐れみの令」のような、極端な動物愛護法を望んでいるわけではない。
せめてもう少し、動物の命を尊重してほしい。
心ある、ひとつの”命”なのだと、法律の上でも認めてほしい。
法律は、変わらないものじゃない。何かがきっかけで世論が動き、法改正につながるというケースも少なくはない。

 つい先ごろも、危険な「あおり運転」が相次いで問題になったことから、警察庁は道路交通法の改正を進めることになったという。

 悲しい結末となってしまった「めぐちゃん事件」だが、この事件をキッカケに、動物に対する法律の現状に目を向けてくれる人が、少しでも増えればいいと思う。
ひとりひとりの知識や意識が変わっていくことで、何かが少しずつでも動いて行くことを……、Aさんご家族と共に願っている。

 そして何より、めぐちゃんを引き取った元飼い主の女性が、過去の後悔の分までめぐちゃんを愛し、めぐちゃんの最期の時間に寄り添ってくれることを信じて。
めぐちゃんの幸せを、心から祈りたい。

折原 みと