「近代と伝統」をめぐる問題
熊本市の藤崎八旛宮の秋季例大祭で撮られた動画が批判を集めている。
祭りは5日間に渡って開催されたが、クライマックスは最終日の「飾馬奉納」である。馬に飾り立てた鞍を乗せ、勢子(せこ)と呼ばれる人々が掛け声をかけながら馬を追い、市内を練り歩く。数十の氏子崇敬者団体などがこれを行う。
問題となった動画では、休憩中、ロープでつながれた馬が執拗に素手やムチで叩かれている。他のいくつかの団体についても、馬の股間を引っ張ったり、電気を流したりしていた疑惑が出ている。
飾馬虐待の背景には、練り歩きの際、馬が興奮して暴れる方が盛り上がるという事情があるようだ。1983年には、練り歩きの際に爆竹が鳴らされ、暴れた馬に蹴られて見物客をはじめ、9人が重軽傷を負った。
奉納団体を統括する会長も謝罪し、6年ほど前には虐待防止委員会も設置されたというから、少なくとも関係者の間では以前から馬の虐待は認識されていたのだろう。特に今回の動画については明らかに動物虐待であるし、再発防止を徹底すべきだ。
他方で、この出来事はつきつめれば「近代と伝統」というより大きな問題とも関わるし、日本に限った話でもない。かつて英国では熊いじめがスポーツとして行われていたし、闘犬や闘鶏は今でも多くの地域で人気がある。欧米で盛んな狩猟や闘牛も同様だ。
近代化とは、これらの暴力が抑制されてゆくプロセスと言いかえられる。
動物虐待防止とブラック商家批判
日本でも、明治以降の近代化の中で動物愛護が主張されるようになる。
1891年、板垣退助が函館を訪問しているが、痩せた馬をムチ打って馬車を引かせる御者を見かけ、教え諭している。板垣によれば、フランスのパリには慈善会があり、衰弱した馬に過酷な取り扱いをした者は直ちに警察に訴えられるというのだ。手本とすべき欧米の価値観に寄り添った見解といえるだろう。
これより少し前の時期の新聞投書によれば、東京から大阪へ旅行し、千日寺の縁日に行ったところ、その中に、猿を鎖につなぎ見物人に石を投げさせて楽しませるものがあった(読売新聞1878年1月18日)。
東京人の投書者はこの見世物に「残忍なる大阪人の心」を感じ、東京にはこのようなものは決してないと誇りに思ったが、実は自分が暮らす茅場町の縁日でも生きた猿を子供に弓矢で狙わせるものがあり、恥ずかしさでいっぱいになった。
投書者は、こうした悪事を一掃するためにも児童教育が重要だとして、幼稚園設置を主張している。
確かに当時の動物の扱いはひどい。
新宿では馴染みの娼妓がこないという理由で犬を殴った男が逮捕されているし、青山の鍛治職人は毎夜親方に隠れて夜遊びしていたが、向かいの八百屋の犬に吠えられてバレてしまい、仕返しとして犬の横腹に真っ赤に焼いた鉄棒を押し当てて飼い主に訴えられている。
入谷では靴商人の男がスズメを餌にして猫を捕まえ、皮を剥いで三味線屋に売っていたが、上には上がいて、大阪日本橋の「猫取り名人」の女は、一晩に60匹近い猫を生け捕りにしたのちに絞め殺していた。
農耕や移動のために使役される牛馬についても酷く、水も飲まされずに1日中働かされたり、板垣の逸話にあったように、年老いて衰弱した牛馬が執拗に打たれて酷使されて死んでしまうことも珍しくなかった。
こうした問題を受けて、20世紀に入ると牛馬取扱規則の制定が主張されるようになり、さらに動物虐待防止会も発足した。
この時期には「雇人の虐待」も問題になっている。読売新聞社説は、動物とともに、商家の雇人である「小僧」への虐待も改めるべきだとしている(1903年9月3日)。
小僧の多くは10代前半であるにもかかわらず、大人と同じような仕事を課される。朝は暗いうちに起こされ、1分の休憩もなく、日付が変わる頃まで働かされ、粗末な食事しか与えられない。
当時の商家のブラックさは図抜けていた。この社説によれば、兵士も大変だが、休憩時間はあるし、週に一度は外出もできる。工場も大変だが、一度工場を出てしまえば、自由の身となる。小僧は商家に住み込みのため、雇い主の監督を一年中逃れられないのだ。
そして、小僧時代を経て、手代・番頭・雇い主となった者は、自分が雇った小僧に同じような虐待を繰り返す。だから日本の商人の多くは「因循姑息で、進取の気象を欠き、シミッタレタ眼前の小利益にのみあくせくしている」という。
順序が違うような気もするが、動物虐待防止の高まりによって、ブラック商家批判も展開されたのである。
100年前に議論は出尽くしていた
他方で、同年には次のような投書も掲載されている。
「動物虐待論がやかましくて、馭者(ぎょしゃ)がむやみに馬の尻を鞭打つことも出来ぬようになったが、僕は馬の尻よりも、長良川の鵜飼だの、宇治の蛍狩りだの、優にやさしく聞こえる遊びの中に、甚だしい動物虐待が行われているように思うのである」
牛馬をムチ打つのが虐待なら、伝統や娯楽として行われる鵜飼や蛍狩りの方がよほど酷いというわけだ。
今回も、飾り馬への暴力が虐待なのは当然として、それでは馬刺しを食べるのもやめた方が良いのかという意見があったが、虐待の適用範囲は限りなく拡大可能だ。
当事者からの反論もある。馬で人や荷物を運ぶ馬子(まご)からの投書だ。
「動物を鬼の如く取扱う無知な馬子」と言われるが、自分たちも好きでムチ打っているのではない。そもそも馬子には貧困層が多く、少しでも多くの荷物を運ばねば家族が養えない。背に腹は変えられないからムチ打っている。さらに言えば、牛を殺して肉を食うのもかわいそうだし、野菜や米でも同様だというのである(読売新聞1921年12月15日)。
およそ100年前には、現在あるような議論は一通り出尽くしていた。第2次大戦後になると、日欧の文化の違いも際立つようになる。
1960年代には、英国で、日本では犬が虐待されているという報道が繰り返された。内容は、日本人は犬を食べる、日本人は犬を撲殺するといった検討はずれのものだが、英国では日本製品の不買運動にまで行き着く。
1970年代に入ると、シドニーの日本料理店で伊勢海老を鉄板焼きにしたことが非人道的だと批判を集め、ロンドンの日本料理店でスッポンを調理した調理師と店長が罰金刑となり、店には嫌がらせの電話がかかるようになってしまう。
後者については、英国虐待防止協会のメンバー2人が身分を明かさずに来店してスッポンを注文し、わざわざ厨房で調理法を見届けた後に身分を明かして裁判所に告発した。
このメンバーによれば、スッポンにはエビやカニとは違って中枢神経があり、熱湯に入れるのは極めて残虐な行為だと批判しているが、そうすると国は異なるとはいえ、シドニーの伊勢海老の件はどうなるのか。
動物愛護の名を借りた異文化排撃のように見える。ロンドンでは、のちに毛皮取り扱い店が放火されるようになるが、明らかに行き過ぎた行動だ。
また先月後半から、フランスでは、完全菜食主義者である急進的ビーガンによって、精肉店が襲撃されている。
夜中に投石されたり、「動物への弾圧をやめろ」という落書きをされている。日中は日中で、ビーガンたちは子豚の死骸を持ってデモ行進をする。彼らが着ているTシャツには「肉屋は職業ではない」と書かれている。もはや職業差別ではないだろうか。
どの線までならやっていいのか…
今回のような明らかな虐待や暴力は論外として、伝統行事や異文化には確かに違和感を覚えるものもある。
祭についていえば、危険が排除される現代社会だからこそ、祭礼の非日常的な危険性が魅力的に見えるのも事実だ。
岸和田だんじり祭で、仮にだんじりが軽車両ということで標識前でいちいち一時停止していたら、祭として成立しないだろう(祭の時には道路の特別使用許可をとっていると思われるが)。
しかし、それでは祭を盛り上げるために動物を興奮させるにどの線までならやっていいのか、だんじりを引くスピードはどれくらいまでなら良いのか、あるいは海外の過激な動物愛護団体から攻撃されるイルカ漁はやめるべきなのか、いずれも一概には決められないのである。