なんでもない様な事が
幸せだったと思う〜
なんでもない夜の事
2度とは戻れないカーボ〜、、、♪
こんばんはわーい!カボミでっすすす⭐︎
今日は特に何事も起こらず子供達と楽しく過ごせました。
朝はおもちゃを破壊しているトマトを眺めながらシリアルを立ち食いし、2人を午前中に公園へ連れて行く為にマッハで家事をこなして。
そしてふと横を見ると甘夏が目に入る。しかしよく見ると甘夏、、、
ミカンやん。
と甘夏の皮を被ったミカンに衝撃受けながら、公園へ出発。
そして公園へ行く途中、甘夏をくれたおばーちゃんとまた出会う。お庭で植木鉢の手入れをされていた。
お腐り気味の甘夏の皮を被ったミカンを食べたかどうか聞かれたら困るので、ポテトは「おばーちゃんだ!」と話しかけようとしたので「こんにちは〜!」とだけ言って早足でポテトを連れ去って歩いた。
そして今日の公園にはちらほら小さい子がいて、その中にポテトと同じくらいか少し上かと思われる男の子と下2人も男の子という3人のメンズを連れた親子がいた為、1番上の子は幼稚園お休みしてるのかなぁ、、、と勝手に共感してなんだか安心してしまいました。
はい!本題に入りまするたてまつりまする〜。
実はね終わってなかったんですよ、このシリーズ。笑
でもこれで終わり!
母方の祖母についてのお話です。
私の父方の祖父母、特に祖母が私の事が気に食わないのは幼稚園生くらいで気づきましたが、唯一私にとって癒しの存在は母方の祖母でした。
(ちなみに父方の祖父は祖母が何を言っても聞かないし怖い存在だったので、すべて見て見ぬふりをして私が祖母に何かされても助けてくれる事はありませんでした。)
母方の祖母(以下おばーちゃん)は隣街に住んでいて近くはなかったんですがたまに母に連れられて遊びに行ってました。
おばーちゃんちには猫と犬がいて、動物も好きだったので行くのが楽しみでした。
またおばーちゃんはとっても優しくて穏やかで、私が遊びに行くとお菓子を必ず用意してくれていました。
私は自分でも父方の祖母から嫌われている事を気づいていましたが、更に母からも「あんたはおばーちゃん(父方の祖母)から嫌われている。」と教えられていたので、私にとってのおばーちゃんは母方の祖母だけだと決めていました。
(てゆーか、母も母でわざわざ娘に祖母から嫌われている事を伝えるなんて酷いもんですよね。苦笑)
クソ祖母とどこかへ出かけた思い出は全くないんですが、おばーちゃんとは動物園へでかけてソフトクリームを食べたり、紙コップが出てくる自動販売機でジュースを買ってもらったという思い出が残っています。
辛い記憶を楽しい記憶でかき消したい、、、。
母の兄弟の子供、つまりおばーちゃんにとっての孫は私以外全員男の子だったので、私は孫の中で唯一の女の子の為、本当に可愛がってもらいました。
ですが私が高校生の時におばーちゃんの癌が発覚しました。大腸癌でした。
見つかった時には手遅れだったようで、あっという間に色んな所に転移してしまいました。
高校生の私はおばーちゃんが癌という病気になってもあまりピンときていなかったんですが、病院でモルヒネにより顔がパンパンに腫れ上がった顔を見た時には涙が出てきてしまいました。なんとか助かってほしいと思いました。
ある程度症状が落ち着いた所でおばーちゃんは家に戻る事になりました。
奇跡的に車椅子に乗れる様な所まで回復したりして、自宅に戻ればもっと良くなるのでは?と考えたりしていました。
私の母親は長女だった為、責任感からか仕事の合間におばーちゃんちに行っては介護していました。もちろんヘルパーさんも利用していましたが。
休みのたびに母はおばーちゃんの元で介護する為、私もそれに付いていってました。
おばーちゃんは寝たきりとなっていましたが頭はしっかりしていた為、動けないのにも関わらず毎回行くたびに「カボミちゃん、冷凍庫にアイスがあるよ。食べていきな。」と声をかけてくれました。
おばーちゃんは動けないのになぜ冷蔵庫の中身がわかるんだろう?といつも不思議でした。今思うとおじーちゃんに買ってきてもらっていたんだなと思いますが、ハーゲンダッツのバニラと抹茶が必ず用意されていたのでハーゲンダッツを見る度に思い出します。
高校生3年生で特に進路も決まっておらず、やりたい事もなく何をしたらいいのかわからなかった私は、おばーちゃんの事を見て人を助ける仕事がしたいと思うようになりました。
ただ人を助けると言っても医者になんかなれるわけもないし、看護師、介護士しか思い浮かばなかったので、人を助けられる仕事ってどんなものがあるんだろうととにかく調べまくりました。
辿り着いたのが今の職業です。2年前?3年前?に辞めてしまいましたが、私には向いているな〜と思います。
ただ学生の時は勉強についていけなくて何度も学校を辞めたいと思ったし、国家試験の日なんて緊張で一睡もできなくて昼から頭痛と戦いながら試験をこなすはめになり、試験後に飲みに行ったけど試験が難しすぎて落ちたんじゃないかと心配で全然楽しめない。
頭もクソ痛すぎてずっと拳で頭叩いて痛みに痛みを加えて緩和させるという気持ち悪い行動をとって、、、。わいは何やってんねん、ほんまに。
またその年は試験内容がガラリと変わってしまって全国的に不合格者が多い年だったので、クラスメイトの中には不合格者もチラホラいて、、、。一緒に頑張ってきたからもうほんまに複雑で。今でもよく国家試験の夢を見ます。よく受かったなと思う。本当にトラウマ。笑
結局おばーちゃんは骨にまで癌が転移してしまい、苦しんで苦しんで私が高校生の秋に亡くなってしまいました。
泣きすぎてお葬式の事、よく覚えていません。普段無口で表情ひとつ変えない兄弟も亡くなったおばーちゃんを見て号泣していました。
それだけおばーちゃんは愛されている存在だったと思います。
私は子供だったので全く知りませんでしたが、おばーちゃんは亡くなるまで苦労の絶えない人だったそうです。
小さい頃に両親がなくなってしまい、おばーちゃんは旅館?に引き取られたらしいんですけど、まぁ酷い扱いだったようです。
また私にとっては豪快で面白いおじーちゃんも事業に失敗しまくって借金まみれの生活で、金銭面ではおばーちゃんもずっと働いてやりくりしていたそうです。
母が言うには小さい頃、家に借金取りが来たことは何度もあって、学校の給食費も払えないからおばーちゃんが近所に頭下げてお金を借りていたと言っていました。
そして家計が苦しく母の他に子供が2人、つまり3人子供がいた為、長女の母にやつあたりがすごく頭から水をかけられたり、手をあげられたりしていたと聞かされました。
私の知っているおばーちゃんとはかけ離れたものでしたが母の言う事は本当で、おばーちゃんが亡くなったあともおじーちゃんは借金があって結局、母親含め兄弟3人で借金を返済していました。(自己破産という手もありましたが、母達が考えて辞めました。)
話は変わってしまいますが私は母の事好きではないんですが、母もまた可哀想な人だった訳です。母は小さい頃、病気がちで喘息やアトピーに苦しんでいてお金がない所に手がかかる子供という事で、おばーちゃんの怒りを買ってしまいとにかく手をあげられていたみたいなんですよね。
金銭面で苦しいって本当に心の余裕がなくなりますよね。子供も3人いて、夫は借金まみれで。おばーちゃんも苦労していたんだなと思うし、母もまた過酷な環境で育っていて、なんだか可哀想だったんだなと思います。
私も小さい頃よく母に怒られ手をあげられていましたが、母が育ってきた背景を考えると母もこういう風に育てられていた為、こんな風にしか出来なかったんだろうなと思います。
今、自分に子供が産まれて私は絶対に子供に愛情をかけて育てる、例えば母や父が私の子供達を侮辱したら私は絶対に許さない、自分と同じ思いは子供達にさせたくないと思っています。(父も母も孫は可愛がってくれているので心配ないですが。)
でもどんなに子供達が大好きでもイラっとしてしまう時はある訳ですよ。
私の場合はクソ祖母の血も流れている為か、すぐにカッとなるし怒りの度合いも言葉じゃ表せないような怒りの波に襲われます。
そして母はすぐに手が出る人なので、私もすぐに手が出そうになります。
出す時もありますし、力加減をコントロールできない時もあります。
もちろん限度はありますし、手が出ても1回叩いたら終わりです。叩き続けてボコボコにするとかそんな病的な事はありません。
おばーちゃんから母に、母から私に、そういった負の連鎖ってあるのかなと思いますが、私は同じにならない、私は違うと思っています。
母は叩き出すと止まらない所があり、小さい頃はヒックヒックと呼吸が苦しくなるまで泣いていた記憶が多々あるんですが、そんな時、ごめんねと一言いって母に抱きしめてもらいたかったという記憶も鮮明に残っているんです。
なので私は手をあげてしまったら必ず子供達に謝ります。そして抱きしめます。もちろん怒りがおさまってからですが。
怒る感情が湧き上がる事を湧き上がらないようにセーブする事はできないんです。私の場合は。でも怒る感情があるのは仕方がないというか人間として産まれたんだから、湧き出て当たり前の感情だなと思っています。
そして寝顔にごめんねでは伝わらないんです。私は言葉にして直接ごめんねが言ってほしかったし、泣いてる時には抱きしめてほしかったんです。だから私は自分が怒って手をあげてしまって矛盾しているなと思いながらも、ごめんねとハグはするようにしています。
色んな子育て論があるので色々参考にしたいけど、私は私が感じた事しか書けないので、自分が小さい頃にされて嫌だった事(母から怒られた時の事や誕生日をお祝いされた記憶がないこと、兄弟と比較され続けたこと、父方の祖父母から嫌われていた事などなど)は子供達にはしない、させないと決めています。
話の着地点が大幅にズレましたが、、、
私はおばーちゃんのおかげで誇りをもてる仕事につけたのでとても感謝しています。
人間の醜い所ですが、なんで優しいおばーちゃんは苦しんで亡くなったのに、人を傷つけまくるクソ祖母は生きているんだ、コイツが苦しんで死ねば良かったのにと思ってしまいます。(大丈夫かな、、、こんな事ネット上で発信して、、、通報されたりしないかビクビク。)
でも優しくていい人ほど、先にいなくなってしまうのかなと思います。
嫌だなと思う人ってストレスとかなさそうだし、長生きしそうですよね。笑
またこのブログは若い子の目には止まらないと思うけど、祖父母から存在を否定されても、母親から兄弟と比較され続けたり、永遠と祖母の愚痴を聞かされ続けてうんざり、、、などなど母親との関係が微妙であっても、同じ時は永遠に続かないから大丈夫と思ってほしいです。
小さいうちは本当に無力だけど、だんだんと大きくなれば必ず状況は変わります。
そして知識は武器にもなるので私はバカだと言われ続け、比較され続けてきましたが、自分には可能性が秘められていると思い続けて努力をしてほしいです。
このなんとも言えない環境で育ってきたからこそ学んだ事も沢山あるし、できれば普通の温かい家庭で育ちたかったなと思う事もあったけど、この環境だったからこそ子供達をより愛せるのかなと思ってます。
頑張りましょうと言うのはあまり好きではないので、とにかく楽しみましょう!
煉獄さんの様に底抜けに明るく!
では皆さん、また明日も元気に1日を楽しみましょーんこねりー!
おやすみなさい☆