【新幹線で東京から母の面会に来た一番下の妹】


迎えに来た粉雪


🌼は~疲れた。10/3 金曜日

午後10時

やっと転がれます。コロリン

用事を4つこなしてから駅へ妹を迎えに行きました。妹は、母と1番仲がよかったので

フィギュアスケートが好きな妹と母

こたつで📺観戦してる姿を思い出しました。性質が1番良いのがこの妹

長女粉雪と次女は、反抗的だったので恐ろしく気の強い母とはそりが合わなかった。キョロキョロ

が、この年にもなるとそりゃああんなに反抗的な娘ならかわいくもないよね、と自分でわかるようになった。

ここまで来ると今までの負の感情は、消えちゃった。

【母は酸素マスクで大きな呼吸をしていた】

妹を部屋に残して、相談員さんやケアマネジャーとお話しした。

0歳で生まれた子が、26歳になるまで、、26年間母のお世話をしてきて、脳外科医師や看護師さんたち、介護関係、福祉関係の人たちに支えられてきた。

命の現場で働く人たちは、良い意味でドライな言葉を発する。

「壊れた脳は元には戻りません。」

そういえば、会った脳外科医師たちは、みんな若かった。

現実的な真実を家族(もっぱら粉雪1人で説明を聞いた)に話すわけだけど

ドライに言われた方が
淡々と受け入れられた。

「はい。わかりました。」

今日も母は終結の方向なんだな、とケアマネジャーの話から感じた。

「お帰りのとき」のパジャマを

今日は、買った。

面白いもので「こっちの柄の方がいいかな~」と母の「お帰り用」パジャマをあれこれ選んだ。


1番怖かった時間は、
26年前、脳挫傷による9時間の脳外科手術の最中。赤いランプ。ときどき無機質な音で開閉するドアの音。

階段に座っていた粉雪。
親戚たちは、待合室。

脳外科医師からは、「手術中に亡くなるということもあるかもしれません。」と言われた。

発狂しそうに怖かった。

前の晩もキツイ母と粉雪は、口げんかをしたので、「お母さん、このまま逝くんじゃ、後味悪いんだけど~」と空を見上げながらつぶやいたっけ。

それが、26年前の10月。


早いなぁ。色々ありすぎて、

でも、全部忘れちゃった。


🔶✨先日🏡で中3の孫が描いた金木犀の絵を額装してきました。

渋めのゴールドの額縁を選びました。

🗻珍しいわ。今日は、くっきり



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続く