動画をやる、ということから考える私のこと。
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数年前からYoutubeなどでの動画配信を
ずっとやりたいと思ってきたし
人から薦められることも多かったゆえ
自分の中で『動画をやる』ということに
特別な思いを抱えてきた。
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文字とは違う、私の新たな展開。
声や動画の方が
人に伝わりやすいがゆえに。
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私が大切にお伝えしてきていることを
うわべだけ吸い取って
・人のマネばかりして満足している人
・自分で考えたわけじゃないのに
あたかも最初から自分のもの
だったかのようにパクる人
が人間界にはたくさんいて。
(実際、私のインスタのコピーアカウントを
作られたことが認識しているだけで過去数回。)
私はそういう人間の姿を見るたび
絶望する気持ちになってしまう。
正直、その気持ちを味わうこと自体が
私は、つらい。
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端的にいうと
右ならえ右を重んじる人間がすごく嫌で
「ねぇ、もっとあなたの中から
あなたの声をだしなよ」
そう言ってしまいたくなるんだよね。
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あなたがあなたであることに
自信を持ってほしい
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絶望は、その本音の裏返し。
そんな人間らしい人間の姿も見たくないし
そこにいちいち絶望する自分も嫌だった。
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だからこそ
私は私で、自分のお伝えしていることって
長年の自分の研究の果てにあるものだから
とても大切に誇りをもって
お仕事をさせてもらっているがゆえ
守りたかったのよね、
私の手で守れる範囲で。
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でも、もういい加減
その守れる範囲から自分を外していくことが
私にとって、次の展開になっちゃったんだよね。
そうはいいつつも
その人間界に切り込んでいくことは
”外に出ていく”という面で、とても大きな局面。
それゆえ、
本当なそんな重圧に感じる事でもないのに
1人で身構えてしまい
動けずにいたというのが正しい表現かな。
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今まで、何でも1人でやってきたからこそ
誰かを頼る・お願いするということが
私はとってもとっても苦手なんだけど
(どう頼んでいいかわからない)
私の次のステップは
人を頼りながら、
「この世界でやり残したことを
ひとつひとつやっていく」
この一言に尽きるんだ。
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