私の父は仙台で小さな会社を経営していた。
真面目一方で自分の給料を抑えて従業員に多くの給料を払っていた。
だから社長といっても給料は安く、私が子どものころは母が毎日家計簿を付けてはため息をついていた。
ところが私が中学生になったころ、取引先の会社の社長たちがうまいことやって家庭の出費を会社の出費として計上していることを父が知り、父もそのようにすることが多くなった。
喜んだのは母である。
家庭の出費のほとんどを会社の出費で計上してくれと父に頼み、家庭の光熱費も食費も家族の外食費まで会社の出費として計上しはじめた。
そのころから父は私に、「彼女や友達と喫茶店やレストランや飲み屋に行ったりしたら〈上様〉で領収書もらってきて」と言うようになった。
なんでとも言わず私はそのようにした。
父はその領収書を会社で使った接待か何かの領収書として計上していたのだと思う。
母は会社の名前のタクシー券をもらい、どこへ行くにもそのタクシー券でタクシーを使うようになった。
それを知った私は、それ以来、家族と外食に行くことをやめたし、領収書をもらってくるのもやめた。
会社の金でタクシーに乗って遠出して外食するなんてことや私の領収書で会社から金を引き出すなんて悪だと感じたからだ。
しかも、外食はだいたいしゃぶしゃぶ屋かふぐ料理店で、だいぶ金がかかる。
それを会社の金で落とすなんて私には耐えられなかった。
しかし母はそれが当然という顔でいて、父の給料はほとんど母の丸取りになった。
母は創価学会員だったから教団に多額の献金(創価学会では年に1回、“財務”と称して会員から金を集める。幹部たちは「献金すれば功徳がある」と説く。名誉会長の池田大作が死んだが“財務”は今後も続けられるだろう)をするようになり、また選挙になると公明党の選挙事務所に行って多額の寄付を置いてくるのだった(公明党の選挙事務所の奥には仏間があり、そこでみんな南無妙法蓮華経の題目を唱える)。
残った金で母は大好きな和服をたくさん買ったり、さして必要でもない健康食品や健康器具などを毎月大量に買うようになった。
真面目な社長はもちろんたくさんいるだろうが、私の父のような社長も少なくないと思う。
家庭の出費まで会社の経費として計上している会社も多いはずだ。
税務署よ、ちゃんと仕事しろ!
【ダイエット記録】目標達成体重より+0.5キロ。