中学2年のとき、私の席の隣に忠美(ただよし)という運動神経抜群の男子生徒が座った。
私たちはすぐ仲良くなった。
私は学年でトップクラスの成績の学業をおさめ、彼は学年でトップクラスの運動能力を発揮していたので、それでお互いを認める気持ちが強かったせいかもしれない。
彼は軟式野球部で、内野を守っていた。
ある日、学校の帰りに彼の家の隣にある女子高校の校庭でキャチボールをしようということになった。
私は彼が内野選手だからそれほどの球を投げるとは思っていなかった。
彼が小柄だったこともあって軽く構えてキャッチャーを務めた。
すると、彼は軽い力で投げたのだろうが、私には物凄い豪速球にしか見えない球を投げてきた。
私はよっぽど逃げようと思ったが我慢して目をつぶってグラブでその球を掴んだ。
二球目も彼は物凄い球を投げてきた。
私はかろうじて受けた。
内野手でさえこれほどの球を投げるのだったら、ピッチャーはもっと凄い球を投げるのだろうと私は思った。
しかも忠美は軽く投げたのだ。
思い切り投げられていたら、私はその球を掴むことができたかどうか…。
相手がピッチャーだったら絶対に捕れないだろうと思った。
後年、私は仙台の設計事務所に勤めた。
その会社では取引先の会社とよく野球の試合をした。
いつもは引き分け程度の結果だった。
しかし、あるときの試合では取引先の会社が、卑怯にも高校を卒業したばかりの元野球部員をバイトで雇ってバッテリーにした。
その高校とは、ダルビッシュを出した仙台の東北高校で、甲子園への切符を争う大会で、数年前に全国制覇を果たした仙台育英といつも対決していた強豪校なのだ。
〈ダルビッシュ有〉
その野球部の元部員だから技術は全国レベルである。
ピッチャーを務めたのはピッチャー専門でやっていた選手ではなかったようだが、その投げる球は物凄い豪速球で、それだけで私の会社の人間はみな三振した。
私はかろうじて何度かバットに当てたが、ファールになるところまではいかず、球はバットにかすっただけでキャッチャーミットに収まった。
キャッチャーも元野球部員だから、バットに少しかすって軌道が少しずれたくらいの球は容易にキャッチできたのだ。
しかもピッチャーはスライダーまで投げてきた。
これには私たちの会社の人間はバットを振ることさえできなかった。
その後、忠美はどうやら大学の工学部に入ったらしく、卒業後は自分の設計事務所を仙台で開いている。
私は仙台から北海道に渡ったが、45歳くらいになったころから年に一度、忠美から同窓会への出席を求める往復ハガキが届くようになった。
どうやら忠美は中学の同窓会の幹事になっているようだった。
しかし私は、その往復ハガキに返信したことがない。
私はうつ病(正確には双極性2型障害)になってしまっていて、会社勤めもできなくなっていてドロップアウトしてしまっていたから、金はないしうつ病がひどくて昔の友達と会うのも億劫で、同窓会になどとても出席できなかったのだ。
昨年は私が札幌から千歳に引っ越したので、忠美からのハガキは届かなくなった。
今年も届かないだろう。
高校の同窓会への案内も届かなくなった。
いつも届けてくれていたのは東日本大震災で被災した農家の男で、たまに電話もくれて誘ってくれたが、そのころの私はウツがひどくて、適当な理由をこしらえて出席を辞退していた。
その連絡ももう来なくなっている。
少しさみしい。
【ダイエット記録】0.4キロ増えた。あと-5.9キロだ。