《2024年6月30日》ー日本の昔の発明家たち | aichanの双極性日記

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日本で初めて「水中脱出」のマジックをしたのは初代引田天功である。

 

〈初代引田天功〉

 

初代引田天功は、アメリカの水中脱出マジシャンのマジックを参考にして日本で初めて水中脱出マジックをやった。

 

アメリカのそのマジシャンとはハリー・フーディーニ(1874-1926)という。

 

〈ハリー・フーディーニ〉

 

しかし、それよりも70年も前の日本の江戸時代に水中脱出マジックは行われていた。

 

空中浮揚と思われるマジックまでされていた(NHKの『歴史探偵』より)。

 

そのマジシャンの名前は伝えられていない。

 

幕末、日本が開国すると日本の多くのマジシャンが欧米に渡ってマジックを披露した。

 

大好評だったという。

 

世界で初めて飛行機を飛ばしたのはアメリカのライト兄弟である。

 

1903年に世界初の有人動力飛行に成功した(ただし、世界初という点についてはグスターヴ・ホワイトヘッドによる1901年8月の初飛行が世界初であるという指摘がある)。

 

しかし、それよりも12年前の明治12年に日本の二宮忠八がプロペラ式の模型飛行機の飛行実験を成功させた。

 

ただし、動力であるモーターの提供がうまく受けられず、ほんのちょっとしか飛べなかった。

 

モーターさえ得られれば二宮は世界で初めて長距離有人飛行を成功させたといわれている。

 

二宮忠八については、吉村昭の『虹の翼』に詳しい。

 

〈二宮忠八〉

 

〈二宮忠八が作った有人用飛行機の模型〉

 

江戸時代は士農工商というように身分が分けられ、新規の発明などを幕府は喜ばなかった。

 

しかし商品経済の発達によって江戸時代には多くの発明家が出たのだ。

 

平賀源内(高松藩出身)などもそうだろう。

 

エレキテルはヨーロッパから渡来したものを真似て作っただけだからそう褒められたものではないが、彼は発明家であるとともにさまざまな才能を持っていて、例えば日本初のコピーライターだった。

 

「土用の丑の日」というのは彼が鰻屋に頼まれて作ったコピーだ。

 

鰻の旬は夏ではなく盛夏には売上が落ちる。

 

そこで「土用の丑の日には鰻の蒲焼を食べて栄養を摂ろう」ということを広めたわけだ。

 

それから富永仲基(とみなが なかもと)がいる。

 

江戸時代の大坂の学者で、「大乗仏教は釈迦の教えとは何の関係もない」と喝破した。

 

また秋田藩の安藤昌益(あんどうしょうえき)もいる。

 

医師で、思想的には無神論やアナキズムの要素を持ち、農業を中心とした無階級社会を理想とした。

 

その死後、近代の日本において、社会主義・共産主義にも通じる思想を持った人物として評価を受けた。

 

さらに山片蟠桃(やまがたばんとう)もいる。

 

江戸時代後期の商人であり学者で、極めて唯物論的な立場を取り、天文、宗教、経済、歴史等を百科全書的に論じた『夢の代』は、無鬼論(無神論)の主張、地動説の支持、応神天皇以前の日本書紀の真実性の否定など先進的な持論を展開した。

 

それから宇和島藩の裏店子(うらたなこ)、つまり最下級の商人だった「ちょうちん貼り替え」嘉藏がいる。

 

黒船来航直後、宇和島藩は自藩の力で蒸気船を作ろうとし、蒸気窯の設計・製造を嘉藏に命じた。

 

嘉藏は断ることもできず、長崎に行ったりして蒸気窯の仕組みを必死に研究し、数年後に見事に作り上げた。
さらに華岡青洲がいる。

 

世界初の全身麻酔薬を開発し、それによる乳癌手術を成功させた。

 

欧米で初めて全身麻酔が行われたのは、青洲の手術の成功から約40年後となる。

 

彼らも発明家といえば言えるだろう。

 

 

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