《2023年2月24日》ー文章のコツ | aichanの双極性日記

aichanの双極性日記

千歳・札幌の季節の風景とレザークラフトとアウトドア(特にフライフィッシング)。
双極性2型で喘息で『Zensoku Web』というHP(http://zensokuweb10.starfree.jp/index.htm)、
ブログの〈Zensoku Web〉(https://aichanzw.seesaa.net/)を運営している!

日本語の文章を書く際のコツについて書きたい。

 

まず、日本語には主語がないと言っておきたい。

 

例えば「私は君を愛する」という文章があるとする。

 

これを欧米語風に説明すれば「私は」が主語、「君を」が目的語、「愛する」が述語ということになる。

 

この説明でいいように思えるが、「私は」の「は」について考えると、どうも主語とは言えないのだ。

 

例えば「君は黄色と青色のどちらが好きですか?」という問いに対して、「私は黄色です」と答えるとしよう。

 

日本語の文章ならこれで全然意味が通る。

 

ところがこれを英語に直訳すると「私は黄色人種です」ということになるだろう。

 

日本語のこの「は」とはいったいどういう意味を持つのか。

 

結論を言ってしまえば、この場合の「私は黄色です」は「私について言えばその答えは黄色です」ということになる。

 

このような意味が「は」にあることから、「私は」というのが厳密に言って主語なのかは判断が難しいのだ。

 

「私は君を愛する」「私は黄色です」という場合の「私は」は主語と呼ぶべきではなく主格とでも呼ぶべきものだと言える。

 

では、例えばこういう文章はどうだろうか。

 

「私が君を愛する」

 

これは「私が」は主語だと言えそうだが、「私は」と違った意味合いを強く感じて少し迷う。

 

「私が君を愛する」は「この私が君を愛する」と強調するときや、例えば「彼ではなく私が君を愛する」というように「君を愛する」のがほかでもなく私なのだと言いたいように聞こえる。

 

だから「私が」も単純に主語というのははばかられる。

 

これも主語ではなく主格と言ったほうがいいだろうと思う。

 

すなわち日本語の文法の基本は「主格+目的語+述語」であると言っていい。

 

さて、次に目的語について考えてみよう。

 

例えば「私は人類愛に溢れて心が優しく美しい君を愛する」という文章があるとする。

 

「君」は目的語、「人類愛に溢れて心が優しく美しい」はその修飾語である。

 

これを「私は美しい心が優しく人類愛に溢れた君を愛する」と書き直してみる。

 

印象が違うと思う。

 

まず「私は美しい」という部分が目に入るので、「この人は自分が美しいと思っているのか」と思ってしまいがちだ。

 

ところが次に「心が優しく」と出てくる。

 

すると「美しい心が優しく」という部分が気になり、どういうことかと混乱する。

 

「人類愛に溢れた君」まで読んで、初めて全体の意味を察することができる。

 

しかし、その場合でも、ちょっとわかりにくい文章だと言える。

 

これは最初の通り「私は人類愛に溢れて心が優しく美しい君を愛する」と書いたほうがいい。

 

結論を言ってしまえば、目的語を説明する修飾語は長いものから順に並べるのが基本なのだ。

 

「人類愛に溢れて」「心が優しく」「美しい」というように。

 

この法則を使うとわかりやすい文章を書くことができる。

 

なお、この場合の「私は人類愛に溢れて心が優しく美しい君を愛する」という文章は、このままよりも次のように工夫するとより良い。

 

「私は、人類愛に溢れて心が優しく美しい君を愛する」

 

たったひとつの読点(「、」)を入れるだけでとても読みやすくなり、わかりやすくなる。

 

また、「人類愛に溢れて心が優しく美しい君を私は愛する」と書いてもよい。

 

主格と述語はくっついているほうがわかりやすいのだ。

 

最後に、「が」の使い方について書いておきたい。

 

「私が」の「が」ではなく、「……したが、……だった」という接続詞的な「が」だ。

 

この接続詞的な「が」にはふたつの使い方がある。

 

「私はそう考えるが、あなたはこう考える」というような逆接の接続詞的な「が」、つまり「しかし」と同意義な「が」がそのひとつ。

 

もうひとつは、「私はそう考えるが、あなたもそう考える」というような、並列の「が」である。

 

この並列の「が」はあまり使わないほうがいい。

 

逆接の接続詞的な「が」だと取られると読みにくくなるからだ。

 

「が」とあれば「しかし」だろうと思って次を読むと並列の文章が続くと、裏切られたような気分になる。

 

この並列の「が」を多用する人がいる。

 

ふたつの文章をことごとく「が」でつなぐのだ。

 

そういうことはやめたほうが読者のためだ。

 

また、「そう考えた私だが……」という使い方もどうも感心しない。

 

素直に「私はそう考えたが……」と書けばいいではないか。

 

文法的には間違いはなさそうだし「私」を強調したいのかもしれないが、どこか気を衒(てら)っているようで感心しない。

 

感心しないといえば、漢字を多用するのも感心しない。

 

熟語はだいたい中国語だからそのままでいいし、述語の動詞なども漢字にしたほうが読みやすいのでいい。

 

しかし、昔の武士の文章みたいに「有り難う」とか「左様です」とか「畏まりました」とか「御座います」などと書くのはどうかと思う。

 

「ありがとう」「さようです」「かしこまりました」「ございます」と、みんなひらがなでいいではないか。

 


【ダイエット記録】0.2キロ減った。あと9.3キロだ。