昔の日本人、特に武士の動きは美しかった。
ある藩では、雨が降っても武士は傘をささず、走ることもなく歩いたそうだ。
道を歩く際、道の真ん中を歩き、角を曲がるときは直角に曲がったという。
武士はそのように凛々しく堂々と歩くべきだと考えていたのだと思う。
武家の女性の所作の美しさは世界に類を見ないほどだろうと思う。
和服の裾が乱れないようにきちんと正座し、袂(たもと)から腕が見えないように腕を動かし、襖(ふすま)や障子の開け閉めをする。

〈和服で正座し、美しい手つきで障子を開ける女性〉
武士の家では男子には武道を習わせ、女子には茶道や花道、裁縫などの習い事をさせた。
そういう習い事の中で武士や武家の女性たちは、見事な動きや所作を習得していったのだと思う。
といっても、これは想像である。
昔の彼ら彼女らの動きや所作を実際に見たわけではないからだ。
タイムスリップでもしなければ、そんなの見ることができるわけがない。
時代劇などで見るだけだ。
時代劇などで俳優が演じる動きや所作は、現代の武道や日本舞踊や茶道などの日本の伝統的な文化から想像したものだと思う。
現代の武道や日本舞踊や茶道などの日本の伝統的な文化は、多少の変化はあったものの、昔の動きや所作を今に伝えてくれているだろう。

〈茶道の所作〉
だから時代劇などを作る監督や演出家は、それら伝統文化の動きや所作から昔の人の動きや所作を俳優に演じさせる。
それらの動きや所作はどうして生まれ、根付いたのだろうかとよく考える。
武士の生活様式は、小笠原流などの礼法から来ている気がする。
小笠原流は、兵法、弓術、馬術、煎茶道、茶道、礼法(礼儀作法)の流派である。
室町時代中期以降、小笠原氏が武家社会における故実の指導的存在となって生まれた礼法だ。
礼法は伊勢流などほかにもあるが、江戸期に入ると徳川幕府は主にこの小笠原流を武士階級に浸透させた。
正座もそのひとつのような気がする。

〈女性の正座姿は美しい〉
江戸期に入る前は立膝で座ったりあぐらをかいて座るのが普通だった(女性でも)。
江戸期に入って幕府が大名や家臣に正座を義務付け、畳の登場で武士の生活の中で正座が広まった。
それが小笠原流と関わりがあるのかどうかは、調べてみたがわからなかった。
男でも正座した。
特に目上の人と対するときは、江戸期では男も正座した。
家でも正座する武士が多かったようだ。

〈正座する武士〉
ハカマを履かないであぐらなどをかけば下着が見えてしまう。
それで正座するようになったのかと思っていたが、幕府から「そうしろ」と言われたから正座したというのが本当のところのようだ。
あるいは、武道などで正座が身についたのかもしれない。
私は空手と合気道を習った。
師範や先輩の技を見るときなどは、合気道でも空手でも正座だった。

〈合気道道場で正座する門下生たち〉
空手は沖縄で生まれた武術だが、沖縄の空手家たちが大阪や東京に出てきて空手を広めていく中で、武士の伝統作法である正座を取り入れていったのかもしれない。
沖縄出身の空手家たちは、空手を唐手(とうでぃ)と呼んでいた。
中国拳法をもとに生まれた武術だったからだ。
しかし唐手では普及しにくいと考えたのか、「唐手」を「カラテ」と読ませ、「空手」という漢字を当てた。
空手には武器を使う技もあるが、原則は素手なので、「空手」という名前はしっくりくるものだったろう。
大阪や東京で空手を広める際に彼らは、入門してきた人たちにどう教えるか苦労したようだ。
最初のころは、突きや蹴りといった基本技の練習くらいしかさせなかったらしい。
剣道に型があることを知り、空手家たちも型を作った。
沖縄で生まれた唐手にも簡単な型はあったようだが、今のようなちゃんとしたものではなかったのだ。
空手の型は、昭和に入ったころに空手家たちが作り出した。
どれも即席で作ったようで、どの型も実戦的とは言いがたい。
空手の競技が行われるようになって久しい。
最初のころは剣道家が付ける防具を体にまとって闘ったり、拳にグラブをはめて闘ったりしていた。
しかし、「それでは美しくない」というので、「寸止め」という方法が編み出された。
突きや蹴りなどの攻撃を相手に当てないで、その直前で止めて手足を戻す方法である。
それがかなりの期間続いたが、それでは実戦に役に立たないと言う空手家たちが現れ、防具もグラブも付けないで闘うフルコンタクト空手が台頭した。
このフルコンタクトルールを頑なに拒み、いまだに寸止めルールで試合を行う流派もある。
グラブと防具を付けて試合をさせる流派もある。

〈グラブと防具を付けての空手の試合〉
この中で、寸止め系と防具系では、型競技に重きを置く。
テレビで空手の型競技を観たことがある。
昔の伝統的な空手スタイルで、スタンスが広く、拳は脇腹のところに構える。
これでは素早い動きができないし顔面突きが難しいのだが、伝統派は「伝統」を守るのが大切だと考えているのか、そのスタイルを変えない。
突きや蹴りを決める際には、「えーいッ」と気合いのこもった声を出す。

〈空手の型競技。美しい〉
格好はいいのだが、声を出して動きを止めるのはどうかなと思った。
その瞬間に相手にやられる恐れがあるし、相手が複数いたら絶対にやられると思った。
伝統派空手は、「空手に先手なし」とよく言う。
自分から攻撃を仕掛けるようなことはするなということだ。
相手が攻撃してきたら、仕方がないから攻撃を受ける。
それが空手というものなのだと考えているのだろう。
この考えは合気道の考えに通じる。
合気道でも自分から攻撃する技はなく、相手が攻撃してきたら、相手の手首や肘や肩の関節を極めて投げる技が多い。
それで相手を無力化させ、最後は相手と仲良くなるのが合気道だと師範たちは言う。
合気道の開祖は、「合気は愛や」と言っていたそうだ。
その精神を受け継いでいるのだろう。
しかし、護身術として使うならば、不良連中などに囲まれたら、「合気は愛や」などと言っていてはやられてしまう。
見事に技をかけて相手を動けなくしても、相手が札付きの不良などだったら、どんなことをしても「仲良く」などなれないと思う。
相手が複数だったら、そんな考えでは絶対にやられる。
だから私は、空手の立ち方をスタンスの狭い方法に変え、両手を構える位置も上段にした。
突き方も実戦で効果的な方法にした。
そのほうが素早く動けるし、顔面パンチを当てやすいし、効果的に相手を倒せるからだ。
合気道の技も改良し、一瞬で相手を倒せるような技を考案してきた。
その両者をうまく融合させて闘う方法を毎日練習してきた。
しかしこれは、あくまでも攻撃された場合に対処できるようにするためで、わざわざ敵を作って倒そうなどとは少しも思っていない。
私は好戦的な人間ではないのである。
ただ、恋人や家族や友人たちと一緒のときにチンピラとかに絡まれた場合、恋人や家族や友人たちを守るにはこうするしかないと考えてのことだ。
そのための練習を続けてきたが、空手の型を実戦的で美しいものにできないかと考えることがある。
そんな素晴らしい型があれば、その型稽古に力を入れればいいと思うからだ。
「型は実戦に通用しない」と言う人が多い。
空手の今の型はそうだと思う。
けれど剣道の型はそうではないのではないかと思っている。
私は剣道をほとんど知らないので自信を持っては言えないが、型稽古だけでも強くなれるのではないかと考えている。
実際、竹刀剣術がはやった江戸後期に、木刀の型稽古しかしない剣術家がいて、無敵だった。
寺田五郎右衛門という。
稀にではあるが、型稽古だけで強くなれる人間がいるのだ。
型稽古をイメージトレーニングととらえ、実際に相手と闘っていると強くイメージして稽古すれば、それなりの成果を上げることができると思う。
私は毎日、4人の敵に囲まれたとイメージし、正面の敵が殴りかかってきた、同時に後ろの敵が頭突きをしてきた、それらの攻撃をさばいている最中に左右の敵から蹴りやタックルを受けた…というようにイメージし、それぞれに素早く対処し、ひとりひとり短時間で確実に倒す練習をしている。
イメージはその都度変え、同じイメージでは闘わない。

短時間で確実に倒す練習をしているのは、もう68歳なのでスタミナがなくなってきているからだ。
このイメージトレーニングは型稽古に通じるものがあると思う。
私には素質などないので無駄なことをやっているのかもしれないが、強くイメージして練習しているので、敵である相手の動きが見えたように感じるときがあり、その攻撃をさばいて倒すと、「この稽古は実になるな」と感じることがある。
だから無駄ではないと思う。
そういう効果的な型を誰か作ってくれないか。
それを毎日毎日、何度もやれば実戦に使えるという型を。
しかも、美しい動きになるような型を。
剣術は剣道に、柔術は柔道になってスポーツ化した。
その過程で、本来は相手を殺したり動けなくするのが目的だった武術なのに、その目的を捨て去り、実戦性よりも精神性を優先するようになった。
それはそれでいい。
そのように生きるべきだと考えている人に意見するつもりはない。
むしろ、そのような武道の世界で生きていくなら、日本人の伝統的な美しい動きを残していってほしいと思う。
フルコンタクトの闘いやルール無用の総合格闘技では、「美しさ」を表現するのは無理だ。
だから、武道に美しさを与えるような型を作ってほしいのだ。
茶道や花道などのように。

〈茶道〉
【ダイエット記録】目標達成体重より+2.1キロ。