aichanの双極性日記

aichanの双極性日記

千歳在住の情けないおじさんです。
双極性2型で喘息で、ブログ〈Zensoku Web〉(https://aichanzw.seesaa.net/)、
note(https://note.com/aichanzw)もやっています。

ワンコに服を着せるとなということは前に書いたような気がするがまた書く。


ワンコは、汗をかかない。


汗腺がないのだ。


肉球と鼻にはあるみたいだが、体には汗腺はない。

 


〈ワンコの肉球〉


ワンコはよく舌を出してハアハアやっている。


あれは体温を逃すためだ。


舌の水分を蒸発させることで体温を調節しているわけだ。

 


〈舌を出してハアハアするワンコ〉


愛犬に服を着せる飼い主が多い。


冬ならまあいいが、夏や暖かい室内で服を着せると、ワンコは体温調節がうまくできなくなる。


特に猛暑の夏の外なんかでは熱中症になりかねない。


愛犬をより可愛らしくしたいために服を着せるその気持ちはわかる。


しかし、ワンコのことを本当に思うのなら服は着せるべきではない。


また汗腺は鼻にもあるので、噛み付かないようにとワンコの鼻を布なので口ごと覆っている人もいるが、それもやめたほうがいい。


私の愛犬は5年くらい前に亡くなったが、服なんか着せたことがない。

 


〈服を着せられたワンコたち〉


あと首輪も付けたことがない。


もし私が首輪なんて首に巻かれたら嫌なので、ワンコもあまりいい気持ちはしないだろうと思ってのことだ。

 


〈首輪を付けられたワンコ〉


私は愛犬を自分の子どもだと思っていたので、自分の子どもの嫌がるようなことは絶対にしないと決めていた。


散歩に連れていくときは、ハーネスを付けて、それにリードをつないでワンコと歩いた。

 


〈散歩用のハーネス〉


全国の愛犬家の方、どうかワンコに服を着せないでください。


お願いします。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.7キロ。

 

 

ついにやった!


千歳川で54センチの大物ブラウントラウトをヒットさせた。


慎重にランディングした。

 


〈54センチのブラウントラウト〉


長い道のりだった。


千歳に来てもうすぐ3年。


それからずっと、毎週のように千歳川に釣行した。


しかし、釣れるのはせいぜい30センチちょっとまで。


そういう中型のブラウントラウトも、去年からぱったりと釣れなくなった。


「今年こそは!」とまだ雪の深い2月から釣行したが、釣果はいつもゼロ。

 

これまではフライで狙っていたがまるで反応がないので、この日はルアーで狙った。


ヤマメもニジマスも食い尽くして共食いをしているらしき大型ブラウンを釣るには、ブラウンに似たルアーを使ったほうがいいだろうと思い、少し赤めのルアーをキャストした。


ブラウンの体は薄茶で、その体側には赤い斑点があり、ちょっと見には何となく赤っぽく見えるのだ。

 


〈ブラウンの体〉


流れに倒れている木のすぐ近くに着水させてリールを巻くと、すぐさまヒットした。


思ったほどは引かなかった。

 

引き方は、ただ重いだけでアメマス(イワナ)に似ていると思った。


ブラウン以外の魚が釣れたらリリースするが、ブラウンはリリースしない。


いつもは草むらに捨てている。


ヤマメやニジマスを食い尽くそうとしているブラウンを駆除しなければならないと考えているからだ。


しかし、この大物ブラウンは持ち帰った。


会社の人が「大きいのが釣れたら食べてみたい」と言っていたからだ。


それでアパートに持ち帰り、ぬめりとウロコを取ってから頭部を切り落とそうとした。


まな板の上に乗せてもはみ出すのでシンクの中でさばいた。

 


〈釣り上げてから15分も経っているのにシンクの中に置かれたブラウンはまだ生きていた〉


そのときでもブラウンはまだ生きていた。


サケ科の魚でこんなにしぶとい魚は初めてだ。


包丁が百均で買ったやつなので頭部を切り落とすのが大変だった。


次に腹を裂いて内臓などを取り除き、尾ビレを落とし、でかいので半分に切った。


その際も包丁が切れなくて苦労した。

 

内臓を取り出す際、胃袋がパンパンに膨らんでいるだろうと思っていたのに、意に反してしぼんでいた。

 

今の時期、大型ブラウンのエサになる魚や大型昆虫がいないからだと思う。

 

大型化したブラウンは小さなものを食わない。

 

写真を見てもらえればわかるが、ブラウンの口はでかく、しかも歯が鋭い。

 

このでかい口で魚たちを食いあさり、大きな虫をも飲み込み、ますますでかくなるのだ。

 

もうすぐ、千歳川の上流にある孵化場からサクラマスの稚魚(ヤマメ)が放流される。

 

それを待っているのかもしれない。

 

とすれば、今後はヤマメに似たルアーに分があるかもしれない。


フライにもセミフライや小魚をイミテーションした大きなものもあるが、ルアーのほうがどうも有効なようだ。


大物は倒木の下とか木の枝が垂れて流れに突き刺さっているようなところの奥に潜んでいる。


そういうところをフライで狙うのはかなり困難である。


ルアーなら慎重にやれば何とかなる。


ルアーで釣るよりフライで釣るほうが好きだが、今後もしばらくはルアーで攻めてみようと思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+4.3キロ。

末法とは、釈迦の教えが消えてしまう時代のことだ。


大乗経典には、釈迦滅後、二千年後に末法の世が到来すると書かれている。


大乗経典は釈迦の死後、4百年から千年も経ってからまとめられたもので、それらの経典には釈迦の教えとはまるで違うことが書かれている。


釈迦は「悟達して“苦”を克服する」ことを目的に生きろと説いただけである。


だから釈迦の教えは、宗教というよりも哲学と言ったほうがいいかもしれない。


釈迦は、何の努力もせず成仏できるなんてことはひと言も言っていない。


死んだら成仏するとも言っていない。


だいたい成仏とは、仏の境地に達することで、つまり悟達した人の境地になることを言う(小乗経典)。


「仏」という人になるのではない。


さらに、悟達するためには、厳しい戒律を守りながら修行しなければならないとも説いている。


なのに大乗経典をまとめた人たちは、例えば阿弥陀仏の名を唱えれば極楽に往生できるとか、戒律を守らなくても成仏できるとか、男女交合すると成仏できるとか、釈迦が聞けばぶっ飛びそうなことを「釈迦の声」(経典の「経」とは「声」の意味)としてまとめたのだ。


だから、大乗経典に依る仏教は、正確にいえば仏教ではない。


悟達できる人なんてまずいないので、そんな「宗教」では信者を集められないと後世の弟子たちは考え、それで釈迦の教えとはまったく違う民衆救済的な「宗教」をでっち上げたのだろう。


けれど、「仏教」のいい点は、ほかの宗教を信じる人や国を見下したり殺したりしたことがあまりないことだ。


(古代インドでアショーカ王が仏教を信じない人々と戦ったり、古代日本で仏教を信じる蘇我氏が物部氏と戦ったり、戦国時代に一向宗徒が一揆を起こしたり織田信長などと戦ったことはあるが、それは国と国との戦争のような大規模なものではなかった)


日本の日蓮は、大乗経典の法華経こそ釈迦の本当の教えだと信じ、それ以外の経典を信じる者や宗派を攻撃した。

 


〈日蓮〉


しかも日蓮は、自分は「末法に生まれた」と信じていた。


釈迦は紀元前5世紀ころに死んだのだが、日蓮の当時は紀元前千年ころに入滅したと思われていた。


日蓮が生まれたのは鎌倉時代で、西暦1,200年前後だ。


それで日蓮は末法に生まれたと信じたのだろう。


大乗経典には、「私の教えが消える末法には真の仏が登場して民衆を救う」といったことが書かれている。


それで日蓮は、自分こそが末法の仏だと考えたフシがある。

 


〈日蓮が書いた「観心本尊抄」をよく読むと、自分が末法の本仏だと言っているように受け取れる〉


しかし、それも大乗経典に書かれていることであって、釈迦の言ったことではない。


その日蓮の教えを奉じる創価学会が折伏〈しゃくぶく=破折屈伏〉と称して他の宗教や信者を攻撃したのは有名である。


日蓮の教えは非常に論理的で、創価学会がそれを現代的にわかりやすく論理を構築したので、創価学会の会員は他の宗派や宗教を攻撃しやすかった。


それら論理のもとは大乗経典にあるので、釈迦の教えではなく、創価学会員が「これこそ釈迦の本当の教えだ」と説いても設置得力はゼロに近い。


他宗派を攻撃した日蓮はやや攻撃的だったが、人を殺したり、まして戦争などしなかった。


仏教を名乗る他の宗派も、一部の例外はあるものの大掛かりな戦争などしなかった。


それに比べると西洋の宗教を信じる人たちは、その宗教の教えにしたがって戦争をよくした。


今もそうだ。


例えばユダヤ教の聖典である「旧約聖書」には、神が「ユダヤ民族以外は殺してしまえ」と言ったと書いてある。

 


〈「旧約聖書」〉


イスラエルは、ユダヤ教以外の宗教を信じる人や国家にたびたび戦争を仕掛けてきた。イスラエルはユダヤ民族が建てた国である。


そこに住んでいたパレスチナ人を追い出すようにして国家を作った。


残ったパレスチナ人に対してイスラエルはずっと戦争を仕掛けている。


イスラエル人は理不尽だなと、私は昔からそう思っていた。


今もイスラエルはパレスチナ人を攻撃し、さらに他国にも戦争を仕掛けている。


一般国民はどうかわからないが、首相のネタニヤフは、ほかの理由もあるようだが、旧約聖書の「ユダヤ民族以外は殺してしまえ」という神の言葉を信じて戦争を仕掛けているように思えてならない。


他の民族が死ぬことに抵抗を感じておらず、それが当然だと思っているような態度なので、ネタニヤフは神の行為として戦争をしているように見える。

 


〈イスラエルの攻撃によって黒煙が上がったイランの街〉


イスラム教でも、イスラム原理主義者たちは、世界各国でテロ行為をしている。


彼らはイスラム教の聖典であるコーランの教えに従っているので、コーランにも、受け取りようによっては旧約聖書的なことが書かれているのかもしれない。

 


〈イスラム原理主義者はニューヨークに建つワールドトレードセンタービルに飛行機で突っ込んだ〉

 


「愛」を説いたキリスト教でも、十字軍などで他国に侵攻したことがある。

 


〈十字軍〉


魔女狩りをしたこともある。


日本のオウム真理教は、「地下鉄サリン事件」などのとんでもないテロ事件を起こした。

 


〈地下鉄サリン事件〉


独善的な教義を持つ宗教は危険だと思う。


宗教の教祖の多くは、神の啓示を受けたとか神の言葉を預かった(預言)とか言って宗教を興す。


その啓示とか預言が物騒なことだったり、嘘だったりしたらどうなるだろうか。


だいたいにして神の啓示を受けるなんてことは、まずないだろう。


精神疾患のひとつに統合失調症がある。


幻覚を見たり幻聴を聴いたりする病気だ。


だから私は、宗教の教祖の多くが精神疾患者か大嘘つきだったのではないかと思っている。


信教の自由は認める。


けれど、変な宗教を宗教団体として認可するのはやめてほしい。


宗教団体の申請ではどういう手続きや審査が行われるのか知らないが、お役人さんには突っ込んで審査してもらいたいと思う。


人々は、勧誘されても安易に入信しないほうがいい。


よく    確かめてから行動しよう。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.7キロ。


〈日本書紀〉


「日本書紀」によると、垂仁天皇のとき、都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)という人物が今の敦賀に上陸した。


頭にツノがあったので「ツヌガアラシト」(ツノがある人?)と呼ばれたのだろう。


おそらく武人がツノのある兜をかぶっていたのだと思う。


彼は朝鮮半島から来たらしい。


この「ツヌガ」が訛って今の敦賀の地が「ツルガ」と呼ばれるようになったという。


そのことを敦賀出身の友達に話すと彼はその故事を知らなかった。


敦賀の市民も知らないのかと私は少し驚いた。


都怒我阿羅斯等は日本に聖王がいると聞いて朝鮮半島から渡ってきたらしい。


それで都怒我阿羅斯等は垂仁天皇に数年仕えたという。


このことからもわかるように、朝鮮半島と日本は昔から交流が盛んだった。


日本の天皇の祖先が朝鮮半島の王族出身だといわれているのもうなずける。


宮内庁は、天皇の陵墓と比定されている古墳の発掘調査を許していない。


調査されると天皇の祖先が朝鮮半島出身だとバレるからだと憶測する人がいる。


私もそのひとりだ。

 


〈世界最大の古墳「大山古墳」。仁徳天皇の墓だといわれているが証拠はない〉

 


〈架空の天皇である神武天皇墓まである〉


宮内庁は主に「日本書紀」の記述から各天皇の陵墓だと比定したが、「日本書紀」に書かれてある歴代天皇のうち、十代天皇までは架空だと断定されている。


十一代からは実在した天皇もいるが、その天皇の墓がどの古墳なのかは、「日本書紀」を読んでも確定はできるものは少ない。


それを宮内庁は無理やり比定した。


宮内庁は天皇陵墓の発掘調査を許し、研究者たちは天皇のルーツを明らかにすべきだ。


朝鮮半島出身でも全然かまわないではないか。


だいたい、今の大阪人のDNAだったか何かは今の韓国人のそれとほとんど同じだという。


弥生時代に入って古墳時代まで70万人もの人々が朝鮮半島から日本に渡ってきて主に関西圏に移住した。


今の関西人が現代韓国人とほぼ同じDNAを持っているのは当然なのだ。


天皇だって同じなのではないか。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+4.0キロ。

日本は唯一の被爆国である。


広島でおよそ14万人、長崎でおよそ7万人が亡くなった。

 


〈原爆が投下されてキノコ雲が上がった広島〉


この死者数は昭和20年末までの数字で、被曝してその後亡くなった人も多い。


亡くならないまでも、重い病気で多くの人が苦しんだ。


そのため、「日本が核廃絶を訴えるのはどの国が訴えるより力がある」のは事実だろう。


大量の核兵器を持つアメリカやロシアや中国が「核軍縮」を他国に呼びかけても説得力など皆無である。


だから日本が核廃絶に向けて行動するのはとても大事なことだと思う。


だけど、と考えてしまう。


日清戦争、日露戦争、日中戦争、太平洋戦争で、日本軍はどれだけの他国人を殺害しただろうか。


特に日中戦争では、日本軍は中国市民に対して虐殺・放火・略奪・強姦をしまくった。


満州では、731部隊が細菌兵器や毒薬を開発し、主に中国人で人体実験をした。


つまり殺した。


その数はハンパではないと言われている。

 


〈731部隊の一部〉


戦後起きた「帝国銀行事件」は、731部隊の生き残りか、日本国内で毒薬等を開発していた部隊の生き残りの仕業だったとみられている。


なぜなら、犯人が銀行職員に飲ませた青酸化合物は、そのふたつの部隊で開発された特殊な毒薬だったからだ。


そのため警察は初めは彼らのことを追った。


しかしアメリカが細菌兵器に関する情報を得たいがために、GHQが警察に圧力をかけた。


やむなく警察は別方向に捜査を方向転換させ、薬の知識などない画家の平沢貞通を逮捕して、死ぬまで刑務所に入れた。

 


〈冤罪で逮捕された平沢貞通〉


それは余談。


話を戻す。


正確な数は不明だが、南京では日本軍が中国軍兵士だけでなく一般市民まで「大量虐殺」したとも言われている。

 


〈南京に侵攻して勝ち誇る日本軍兵士たち〉


ナチスドイツのフォロコースト(ユダヤ人虐殺)よりはマシかもしれないが、大量の中国人を殺したのは事実だ。

 


〈フォロコーストが行われた施設とユダヤ人女性たち〉


戦後、ドイツは、犠牲になったユダヤ人の家族にきちんと謝罪し、賠償金を出した。


その後もドイツは謝罪を続けている。


だから今は、ドイツが他国から罵声を浴びせられるといったことはない。


しかし、日本は違う。


植民地にした朝鮮半島でやりたい放題をしたのに、韓国に対してろくに謝罪していない。


賠償金は少し出したが、それで韓国国民が納得したわけではない。


なのに日本政府は、韓国に対する謝罪と賠償は済んだと言って、その後は誰も謝罪しないし賠償金を払うこともない。


中国についても同じ。


日本はろくに謝罪もせず、満足な賠償金も払わず、その件はもう決着したものと言ってはばからない。


だから韓国も中国も、いまだに反日なのだ。

 


〈中国の半日運動〉


日本政府は「賠償金を払ったのだから、この件は終わっている」と言うが、中国と韓国の人々がまだ抗日・反日なのは、それでは謝罪が足りないと思っているからだろう。

 

日本にはそういう負い目がある。


そのことを思うと、「核を廃絶させろ!」と日本人が叫んでも、韓国や中国の国民の耳には届かないだろう。


日本は両国に対して、あらためて謝罪し、賠償金を出すべきだ。


そうしないと、「核廃絶」とか「戦争反対」と言っても、説得力に欠けてしまう。


自民党は憲法を「改悪」して、日本をまた戦争のできる国にしようとしている。


それを絶対に阻止し、今の平和憲法を守り抜かなければならない。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.8キロ。

前に通所していた障害者就労継続支援B型事業所に、ひどく頭の硬いオヤジがいた。


彼は「同性愛を認めるってか? バッカな話だよな~。そもそも生物は子孫を残すために生まれてくるんだよ。子孫を残せない同性愛者なんて不要な存在だ!」と息巻いていた。


「それはどうかな?」と私は思った。


というのも、同性愛行動をするのは人間に限ってのことではなく、多くの動物で確認されていると知っていたからだ。


1999年、ブルース・ベージミルという研究者は、交尾に限らない同性愛的行動が1,500に近い種で観察されると報告している。


類人猿や猿では、同性愛行動がかなり多く見られる。


知能が高くなるほど同性愛行動は多くなるようだ。


下等というわけではない動物の多くも同性愛行動をする。

 


〈同性愛行動をするキリンの様子〉

 


〈オス同士で同性愛行動をするライオン〉

 


〈同性愛行動をするペンギン〉

 

〈同性愛行動をするアホウドリ〉


昆虫等の下等で本能のみで生きている動物でも同性愛行動をする。

 


〈オス同士のトンボが同性愛行動をしている様子〉


中にはメスと間違ってオスと交尾しようとするオスがいたりするのかもしれないが、そうではないケースもあるという。


とすると、動物は子孫を残すためだけに生まれてくるとは言い切れないのではないか。


多くの動物で同性愛行動が見られるのは、「進化の謎」のひとつである。


繁殖に結びつかない行動が、なぜ自然淘汰されなかったのかという疑問が出てくるからだ。


この問いは「ダーウィン・パラドックス」と呼ばれる。


ロンドン大学インペリアル・カレッジのヴィンセント・サヴォレーヌ博士らは、同性間の性行動が偶発的な例外ではなく、集団生活を円滑に維持するための適応的な行動である可能性を示しているという。


猿の中には、異性と交尾するより同性と交尾することの多い種類もある。


そういう行動をすることによって、集団生活が円滑に行われることがある。


人間の場合はそんな目的で同性愛者になるのではないと思うが、面白い見方だと思う。


あるいは、大いなる自然の法則が働いているのかもしれない。


つまり、人間も動物も増えすぎて、このままだと地球に溢れてしまう状況が迫ってきたため、自然の力が動物に同性愛者を作り出しているとは考えられないだろうか。


何だか宗教くさい見方だが、私にはそんな気がしてならない。


同性愛行動は昔からあった。


ソクラテスが同性愛者だったことは有名だし、宗教者の多くが女犯の戒律により異性と交わることができず、同性間で愛し合ったし、日本でも戦国時代には特に武将たちが稚児を戦地に連れていって性行為をするのが普通だった。

 


〈ソクラテス〉


江戸時代にはオカマのことをカゲマ(陰間)と呼び、陰間茶屋という男用ソープランドみたいな店がたくさんあった。

 


〈陰間茶屋〉


古代から同性愛者はたくさんいたと思う。


人間の数も動物の数もまだ少なかったのに、同性愛行動をする人間も動物もいたのだ。


とすると、私の考える「大いなる自然の力」によるのではないのかもしれない。


いずれにしても、同性愛者はたくさんいて、それは人間に限らない。


彼ら彼女らが子孫を残さなくても、それでいいではないか。


口を尖らせて「子孫を残せない同性愛者なんて不要な存在だ!」などと言う必要はまったくないと思う。


現代は多様化の時代だし、いろいろな人がいてもいいだろう。


そういう人たちを偏見や差別の目で見るのは時代遅れだし、人間としてどうかなとも思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.3キロ。

「もてなす」といえば「お客を歓迎して接待する」という意味である。


東京五輪誘致で、滝川クリステルが「お・も・て・な・し」と言ったのは記憶に新しい。

 


では、「もてなす」という言葉はもともとはどういう意味なのか。


もともと「歓迎して接待する」という意味だったのだろうか。


これは「以て」+「成す」からできた言葉で、本来の意味は「自分が何かを相手にすることで、何かを成す」ということになる。


「以て、成す」と聞いて、聖徳太子が制定したとされる憲法十七条を思い浮かべた人が多いだろう。


その第一条に「和を以て尊しと成す」とあるからだ。


聖徳太子は蘇我氏と縁が深いように「日本書紀」には書いてある。


中大兄皇子(後の天智天皇)と藤原鎌足(藤原氏の祖)が「乙巳(いっし)の変」で蘇我入鹿(いるか)を殺し、その勢いで蘇我氏を滅ぼした。


蘇我入鹿は大王(おおきみ)だったと思うので、その入鹿を倒して政権を奪取したクーデターだったと思う。


おそらく、当時は数家の豪族が交代で大王(後の天皇)を務めていて、「乙巳の変」のときは入鹿が大王だったのだろう。


「日本書紀」を編纂したのは鎌足の子の不比等(ふひと)なので、その事実を隠すとともに蘇我氏が怨霊になって祟らないように、蘇我氏を象徴するような聖徳太子という聖人をでっち上げたのだと思う。


蘇我氏には入鹿、蝦夷、韓子、馬子という変な名前ばかりある。


これは不比等が適当に付けた名前だろう。


「蘇我」という名前も怪しい。


法隆寺は聖徳太子が建てたと伝えられているが、これも蘇我氏の鎮魂のために不比等が建てたのだと思う。


つまり、聖徳太子は架空の存在だと思う。


したがって憲法十七条を制定したのは別の人物である。


その第一条を「和を以て尊しと成す」としたのは、前述したように数家の豪族が覇を競っていたからだと思う。


それで「みんなで仲良くして、ひとりの大王を立てよう」ということになり、憲法の第一条を「和を以て尊しと成す」としたのではないか。


脱線したので話を戻す。


では、「以て、成す」がどうして「歓迎して接待する」意味になったのか。


それは、「以て、成す」が「何かを相手にすることで、何かを成す」意味だったため、「相手を歓迎して相手の気持ちをやわらげる」ことなども指すようになったからだと思われる。


そのうち「もてなし」が主に「客を歓迎して接待する」意味として使われるようになったのではないか。


それに丁寧語の「お」を付けて「おもてなし」という言葉が誕生したのだと思う。


違うだろうか?

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.0キロ。

戦国武将の直江兼続(なおえかねつぐ)は、兜に「愛」と切り抜かれた鉄製の前立てを取り付けていた。


NHKの大河ドラマ『天地人』の主人公で、妻夫木聡が演じた。

 


〈『天地人』で兼続を演じた妻夫木聡〉


上杉謙信の薫陶を受け、その遺志を謙信の跡を継いだ景勝とともに上杉家隆昌のために生きた。


上杉家は越後を本拠にしていたが、秀吉によって会津に移され、秀吉の死後、石田三成と密かに提携して徳川家康を討とうとした。


このため、関ヶ原の戦が終わると、家康によって上杉家は米沢に移された。


会津では120万石だったのに米沢はたった6万石だった(寄騎を含めると30万石)。


家臣たちの多くは、禄をくれなくてもいいと言って米沢まで来た。


家老だった直江兼続は、彼ら家臣が生活していけるよう、不毛の土地を開拓したり、さまざまな特産物の栽培や生産ができるようにし、家臣・農民などから慕われた。


そういう思いや考え方が、兼続にとっては「愛」だったのである。


兼続の前立ての「愛」は英語の「love」ではない。


「愛」は漢字だから中国から伝わった言葉だ。


中国で「愛」といえば、「親が子をかわいがる気持ちや、好きな人など特定の人を慕う気持ちのこと」である。 


そのほかにも「音楽への愛」のように、ある物事を大切に思う気持ちや、「人間愛」のように個人的感情を超え、温かく慈(いつく)しむ気持ちなど、幅広い意味がある。


現代人の多くは「愛」に「love」の意味しかないと思っているかもしれないが、「愛」という漢字にはそれだけではない広い意味があるわけだ。


兼続の「愛」は、「人間愛」「相手を慈しむ」といった意味を込めたものだったろう。


幕末から明治にかけて生きた西郷隆盛は「敬天愛人」という言葉を好み、座右の銘とした。

 


〈西郷隆盛が身呑んで揮毫した「敬天愛人」の書〉


「天を敬い人を愛す」という意味だが、この場合の「愛」も「love」ではなく「人間愛」「相手を慈しむ」といった意味合いを持つ。


マザー・テレサは「愛の反対は憎しみではなく無関心です」と言ったという。


この「愛」はどういう意味なのか?


マザー・テレサの言葉から考えると、「関心を示す」ことになりそうだ。


だからこの場合の「愛」も「love」ではない。


「人間愛」「相手を慈しむ」意味ではないかと思う。


英語では「愛」のことを「love」とも言うが「affection」とも言う。


また「devote」という言葉を使う場合もある。


「love」は(誰かや何か)を「強く愛する」意味を持ち、「affection」はそれより柔らかい意味を持つようだ。
「devote」には、何かに時間や手間を捧げるという意味がある。


とすると、中国で生まれた「愛」という漢字の意味は「devote」に近い。


マザー・テレサが言った「愛」もその意味に近いのではないか。


話を戻すと、直江兼続は戦国武将に珍しく学問があり、それで「愛」という言葉の本来の意味を知り、前立てにしたのではないかと思う。


秀吉が死んで家康が暗躍して秀吉側の武将たちをどんどん味方に付けていった。


兼続は、家康の暗躍を激しく嫌い、家康から上杉家当主の景雄の上洛を促されたが、「直江状」と呼ばれるようになる手紙を家康に送りつけて上洛を断った(当時、家康は江戸に帰らず関西にいた)。


その中で家康のことを悪しざまに書いていて、それを読んだ家康は激怒したという。


「直江状」は原本が残っておらず、兼続が本当にそれを書いたのか疑問を抱く人もいるが、兼続が家康を嫌っていたのは確かだと思う。


そのことは、秀吉の遺児・秀頼を擁する石田三成に兼続が味方しようとしたことでわかる。


石田側は関ヶ原で家康側と戦って負けた。


この戦闘に兼続は参加せず、会津で家康を後方から討とうと考えていたようだ。


しかし関ヶ原の戦がたった数時間で終わってしまったため、兼続は何もできなかった。


関ヶ原後、家康は石田側に付いた武将たちをことごとく罰した。


上杉家が会津から米沢に移されたはそのためだ。


「直江状」のこともあったから家康は上杉家を取り潰すことも考えたようだが、上杉家は謙信以来の武侠を誇っていたし、上杉家を取り潰そううすれば東北諸藩がどう対応するかという危惧があり、米沢に移すにとどめた。


「愛」のことから話がずいぶん広がってしまった。


最後に、中国で「愛」がどのように使われているか紹介したい。


「愛人」といえば日本人は不倫相手のことなどを指す。

 


〈テレサ・テンの『愛人』。彼女は台湾出身だから、曲のタイトルと歌詞の内容に違和感を持ったかもしれない〉


しかし中国ではパートナーの意味で、つまり恋人や配偶者のことである。


中国では今は、「愛」=「love」に近い意味になっているのかもしれない。


キリスト教が説く「愛」も、男女間の「愛」ではなく、「人間愛」「相手を慈しむ」ほうの「愛」だろう。


今の政治家に、直江兼続や西郷隆盛のような「愛」を持っている人、国民を慈しむ人はいるだろうか。


いない、と私は感じる。


自分を慈しむ「愛」しかないと思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.8キロ。

私の好きな歴史上の人物の第一は諸葛(しょかつ)孔明である。


『三国志演義』で有名な天才的軍師であり、天才的行政家だった。


昔から中国はコネや賄賂がモノをいう国だったが、孔明は実に清廉だった。


劉備(りゅうび)のために蜀(しょく)という国を建てさせ、劉備が「私の死後は皇帝になってくれ」と言われても断り、劉備亡きあとはその子の劉禅を皇帝にした。


自分は自国の民のために優れた行政をし、魏と呉という他国との戦いに明け暮れ、五丈原という戦地で没した。


彼ほど欲の少ない人は、中国史上(もしかするとアジア史上)、おそらくいないのではないか。


私も「欲」のあまりない人間なので、孔明の生き方に激しく共感する。

 


〈諸葛孔明/後世の人が想像で描いたもの〉


私の好きな歴史上の人物の第二は日本の真田信繁(幸村)である。


父の昌幸は武田信玄の家臣だったが、武田家滅亡後、信州上田の城主になった。


ここで二度にわたって徳川軍を撃退した。


二度目は、昌幸は豊臣側につき、関ヶ原に向かう徳川秀忠の三万八千もの軍を、わずか数千の軍で信州上田城で迎え撃ち、徳川軍を翻弄した。


秀忠は上田城を落とせず関ヶ原にも間に合わず、徳川本隊が戦場に来ないという大失態を犯し、家康に激しく叱られた。

 

(このため東軍として戦ったのは豊臣恩顧の大名で、西軍ももちろん豊臣恩顧の大名だから骨肉の争いになった)


関ヶ原で西軍(豊臣側)が負けたため、家康によって昌幸と信繁は紀州九度山に流罪となって昌幸は65歳で死んだ。


信繁は昌幸の次男で、中年になるまで九度山で流罪のまま日を送った。


家康の悪賢い陰謀で豊臣側が戦に立ち上がると、豊臣側は信繁に「大坂城に入城してほしい」と密使を送ってきた。


信繁は周囲に住む農民を騙し、豊臣側か贈られた金で武装して大坂城に入り、「大坂冬の陣」では「真田丸」というユニークな出城を築いて徳川軍をさんざんに苦しめた。

 

信繁の父昌幸は、かつて武田家の家臣として川中島で上杉謙信軍と戦った。

 

そのとき昌幸は川中島に小さな出城を築いた。

 

その図面を見ると、信繁が大坂城の南に築いた出城「真田丸」に酷似している。


このことからもわかるように、信繁は戦術の才を持っていたと思うが、その多くは父の昌幸から学んだものだろう。


九度山に幽閉されていたとき、昌幸から戦術を学んだのかもしれない。

 

ただし、昌幸は戦術の天才だったとともに謀略の天才でもあった。


この点は信繁は見習わなかった。


性格的に、謀略のような裏の戦術が嫌いだったのではないかと思う。


大坂城を陥せない徳川軍は、大砲を引き出してきて大坂城本丸を砲撃した。


その砲弾のひとつが淀殿の部屋の近くにぶっ飛んできたため淀殿は恐怖に駆られて講和を進めるよう家臣に命じた。


大坂城を支配していたのは、秀吉の側室で秀頼の母だった淀殿だったのだ。

 

秀頼は関白になっていたが、淀殿は何の官位も持たないただの母親にすぎなかった。

 

しかし、秀頼の生母というだけの立場で、豊臣家の武将たちを支配した。


信繁ら武将たちは講和に反対したが、淀殿には逆らえなかった。


講和がなると家康は、大坂城の堀をすべて埋めてしまった。


講和では「外堀だけ埋める」となっていたのだが、ずる賢い家康は堀という堀を全部埋めたのだ。


「真田丸」も取り壊された。


大坂城は本丸剥き出しの裸城になってしまい、「夏の陣」で信繁は野外戦をするしかなくなった。


信繁は何度も大坂城に伝令を出し、「秀頼様のご出陣」を督促したが、淀殿が「そんな危ないところに秀頼を出せますか!」と拒否したので実現しなかった。


信繁は覚悟を決め、赤備えの見事な真田軍を引き連れて家康の本陣に向けて突進した。


大将は後ろに控えて家臣たちに命じて戦をさせるのが普通だったのに、信繁は軍の先頭に立って馬を走らせた。


信繁は「もうすぐ家康!」というところまで迫り、家康に自害を覚悟させたほどだ。


そこで家康の旗本たちに囲まれて果てた。


信繁には、家康の首を取って豊臣家の大名になろうといった気持ちはまったくなかったようだ。


天下の大名たちの多くが家康についている状態では、豊臣家は滅ぶだろうと見切っていたはずだ。


家康を討っても、もうどうにもならない時勢になっていると知りながら、武士らしく「名こそ惜しけれ」の精神で突撃したのだと思う。


鎌倉武士から始まった「名こそ惜しけれ」の生き方を貫いた見事な生き方、死に方だった。


そんな真田信繁のことを私は日本人として誇りに思っている。


ちなみに「信繁」から「幸村」に名を変えたのは関ヶ原からのようだから、その間に大坂方についた信繁には思うところがあったのかもしれない。

 


〈真田信繁〉


私の好きな歴史上の人物の第三は日本の吉田松陰である。


松陰は幕末の長州藩の貧しい武家に生まれ、伯父から「武士は公僕なのだ」ということを殴られながら叩き込まれた。


そのせいか松陰は、「私」の意識の薄い青年に成長した。


そして思想と行動はひとつでなければならないと信じた。


尊王攘夷思想を持っていた松陰は、幕府の開国政策を批判した。


しかし、攘夷(外国人を打ち払う意)を叫ぶ前に、外国の文明を見て行動すべきだと思った。


それで、ペリー艦隊の船に乗せてもらってアメリカに行くべく、友人と船に乗って艦隊に漕ぎ寄せて乗船した。


ペリーは幕府との交渉に差し支えると考え、松陰をアメリカに連れていくことを拒んだ(アメリカはまだ幕府と条約を結んでいなかった)。


そのことがあって幕府は松陰を捕らえ、罪人を運ぶカゴに松陰を乗せて長州藩に戻した。


長州藩は幕府の手前、松陰を獄に入れるしかなかった。


出獄しても松陰は家から出ることを禁じられた。


その家で松下村塾を開き、若者たちに多大な影響を与えた。


けれど弟子たちが志士活動するのをみて、松陰は彼らに以下のような手紙を送った。


「僕は忠義をするつもり。諸友は功業をなすつもり」と。


この言葉は私の座右の銘である。


「忠義」は今の時代にそぐわないいが、彼の時代には正義だった。


私だったら、「僕は信念を貫くつもり」と書き直すだろう。


松陰は天皇への忠誠のために死のうとしていた。


対して弟子たちの中には、幕府を倒して出世しようとしている人もいたのだろう。


私も「功業」を目指すことに興味がないし、そういう人を見ると怒りが湧くことさえあるので、松陰の気持ちが少しはわかる。


松陰は若くして幕府によって断首され、弟子たちは討幕運動へと進んだ。


久坂玄瑞、高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文などである。


松陰がいなかったら、長州藩が過激化することはなかったと言われている。


それほどの影響力を持つ教育者だったことも素晴らしいが、それよりも私が共感するのは、孔明と同じく清廉だったことだ。

 


〈吉田松陰/老けて見えるが、これで二十代である〉


私の好きな歴史上の人物の第四は土方歳三である。


土方歳三は、幕末の京の志士たちを震えあがらせた新選組の副長である。


土方は多摩の大百姓の末っ子として生まれ、バラガキと呼ばれるほどやんちゃだった。


近藤勇とは少年のころから仲が良く、天然理心流に入門して師範代にまでのぼった。


近藤はこの天然理心流の四代目を継いだ。


その土方や近藤が京の治安を守る新選組を結成したいきさつについては省く。


京都守護職を務めた会津藩のお預かりだったとだけ書いておく。


徳川幕府最後の将軍慶喜(よしのぶ)が大政奉還しても、薩長土は錦旗をでっちあげ、自分たちを官軍、慶喜を賊軍と規定し、徳川氏を滅ぼそうとした。


新選組を含む旧幕府軍は鳥羽伏見で敗れ、江戸に戻った。


旧幕府の武士たちの一部は結束し、また会津藩はもちろん東北諸藩も薩長土のやり方に反対し、戊辰戦争が始まる。


会津藩士や会津の庶民は官軍になった薩長土と果敢に戦った。


会津若松城が砲弾や銃弾で崩れ落ちそうになるまで戦ったが、それ以上の交戦は無理で官軍に降伏した。

 


〈戊辰戦争で崩れそうになった会津若松城〉


その少し前に、今の千葉県で近藤は官軍陣地に投降して斬首された。


土方はめげず、旧幕府艦隊とともに蝦夷地(今の北海道)まで行った。


リーダーの榎本武揚(旧幕臣)は、蝦夷に共和国を作るつもりだった。


官軍はその蝦夷地の箱館(今の函館)にまで進軍し、榎本は降伏を決意する。


そうみた土方は、とうてい勝ち目のない戦場に単騎で突き進み、官軍の銃弾に倒れた。


「いったん幕府についたからには最後までその信念を貫こう」と考えていたのだろう。


新選組は薩長土の志士たちを数えきれないほど斬り殺しただけでなく、隊内の多くの裏切り者や卑怯者を斬首したり切腹させたりした。


降伏しても自分は斬首されるだけだと思ったろうし、それよりもかつての部下たちを死に追いやった身としては、生き延びるという道など選択できなかったのだと思う。


ともあれ、戊辰戦争で最後まで官軍と戦ったのは土方歳三なのだ。


その生き方に惚れ惚れしてしまう。


江戸幕府を開いた家康は自分の子孫を将軍にすることしか考えていなかった人間なので大嫌いだ。

 

政権を世襲させるなんてやつはダイッキライなのだ!

 

世襲議員も大嫌い。

 

世襲企業も大嫌いだ。


徳川幕府もあまり好きではない。


土方の生まれた多摩は幕府の直轄地で、天領と呼ばれていた。


そんな土地で生まれ育った人間は、幕府や将軍を雲の上の存在のように敬ったろうし、「オレたちは将軍さまの百姓だ」と威張る気持ちにもなったろう。


けれど土方の場合、幕府のために最後まで戦ったのは、それだけが理由ではない気がするのだ。


信念や節度を貫き通す強い意志がもともと彼にはあったのではないかと思う。


それで、時代が封建制から変わるべく動いていることに気づいていても、土方は最後まで戦ったのだ。


そういう土方さんを、私は敬愛している。


「第四番目」にしたが、誰の生き方が一番好きかと問われたら、土方歳三と答える。


時代遅れだと言われても、自分の信念を貫いて生き、死にたい。

 


〈土方歳三/箱館で撮影された。超美男子である〉


ほかにも、直江兼続(かねつぐ)や上杉鷹山(ようざん)なども尊敬に値する人物だと思っているが、今回は敢えて上記四人を挙げた。


私は、清廉だったり、信念を貫いた人を敬愛する性格のようだ。


自分もそう生きたいと願っているからだろう。


そういえば、きょう5月11日は土方さんの命日だ。


冥福を祈る。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.7キロ。

『サンダーバード』(Thunderbirds)は、1965年から1966年にイギリスで放送されていた人形劇による1時間枠の特撮テレビ番組である。

 


〈『サンダーバード』〉

 

〈登場する人形たち〉


日本でも同時期にテレビ放映された。


当時小学生だった私は、それに夢中になった。


日本では『ゴジラ』『ガメラ』『ウルトラマン』などの特撮映画が封切られたりテレビ番組が放映されていたが、その特撮と比べると『サンダーバード』の特撮ははるかに上回っていたからだ。


「サンバーバード」は、ある孤島に基地を持つ人間が自分の子どもたちを隊員にし、ロケットや宇宙ステーションや貨物運び用の大型ジェット機や潜水艇など、1号から5号までの乗り物を備えて子どもたちに操縦させ、地球で起きるさまざまな危機を救う物語である。

 


〈「サンダーバード」の基地〉

 


〈「サンダーバード1号」〉

 


〈「サンダーバード2号」〉

 


〈「サンダーバード3号」〉

 


〈「サンダーバード4号」〉

 


〈「サンダーバード5号」〉


登場人物は人間ではなく操り人形なのだが、違和感を抱かないほど実にうまく操っていた。

 


〈『サンダーバード』に登場する人形たち〉


何より凄いのは、前述したように特撮である。


ロケットの発射、ジェット機の発進と飛行はまるで実物のようだったし、また陸地や海の様子も本物に見えて驚いた。


第一話では確か最新鋭のジェット旅客機が飛行場に着陸することになったとき、車輪が出ないトラブルが起きた。


それで「サンダーバード」が出動し、「サンダーバード2号」で特殊な車両4台をその飛行場まで運び、着陸しようとするその旅客機の下に4台の特殊車両がぎりぎり入り込み、タイヤを上下にきしませながら土煙を上げて旅客機を支えて滑走し、見事に停止させるという内容だった。


あまりにリアルで、とても特撮には見えなかった。

 


〈「サンダーバード2号」が特殊車両を積んで飛行場に着陸するシーン〉

 


〈「サンダーバード2号」は、特殊車両や潜水艇(サンダーバード5号)を格納して現地に飛ぶ〉


「少年マガジン」などの少年誌では『サンダーバード』についてよくグラビアで紹介した。


そこには、ロケットやジェット機が飛ぶシーンは、ロケットやジェット機を細いピアノ線で吊るし、空のバックを動かして撮影しているのだと書いてあった。

 


〈「サンダーバード2号」の飛行シーン〉


発射や離陸シーンでは大量の煙が勢いよく発生し、噴射ノズルからは、物凄い勢いで炎が噴き出すのだった。

 


〈「サンダーバード1号」は基地のプール部分がスライドして、その地下から発射されるのだった〉

 


〈「サンダーバード2号」の離陸シーン〉


そのころの日本の特撮では、ロケットやジェット機から噴射される炎はライターの炎のようで、炎の先がゆらゆらと揺れるようなか細いもので、どう見ても「あれでは飛べない」と子どもでもわかった。


それに比べて『サンダーバード』は本当に飛ばしているようしか見えなかった。


少年誌のグラビアにはそのロケット等や基地のミニチュアと人間とが写っている写真も載っていて、それを見るとミニチュアはかなり大きなもので、だから迫力があるのだなと思った。

 


〈「サンバーバード」基地のミニチュアと特撮チームの人間〉


山で爆発が起こり山が崩れて山肌が剥き出しになると、何とそこには地層が見えた。


ただ単に土を盛り上げてミニチュアの山を作ったのではなく、地層が見えるように数種類の土を使ってミニチュアの山を作っていたのだ。


細部にこだわり抜いて特撮シーンを作っていたのだ。

 

〈これは『サンダーバード』の映像ではないが、『サンダーバード』の特撮チームはこんなふうに地層まで作っていた〉


この特撮チームは、後に『決死圏SOS宇宙船』という映画でも特撮シーンを担当した。

 


〈『決死圏SOS宇宙船』〉


その特撮も凄まじいものだった。


太陽の向こう側に行くべくロケットが打ち上げられるのだが、そのロケットがアメリカのアポロ計画で使われたサターン5型ロケットそっくりで、その打ち上げシーンは、どう見ても本物のサターン5型ロケットの発射シーンを使ったとしか思なかった。


しかし、これも大きなミニチュアであり、ド迫力の発射シーンも特撮なのだ。

 


〈『決死圏SOS宇宙船』のロケット打ち上げシーン。これは特撮である〉

 


〈『決死圏SOS宇宙船』のミニチュアロケットと発射台〉


また小さめの飛行船も登場するのだが、これまた本物にしか見えず、地上からの離陸と飛行シーンは、本物を作って飛ばしているとしか思えなかったほどリアルだった。

 


〈『決死圏SOS宇宙船』に登場する飛行船〉


これほどレベルの高い特撮番組が登場したのだから日本の例えば円谷(つぶらや)プロも特撮にもっと力を入れるのではないかと期待したが、日本の特撮映画や特撮番組の特撮のレベルはあまり変わらなかった。


たぶん日本ではそれほど金をかけられなかったのだと思う。

 

『サンダーバード』のさらにいいところは、ナニナニ怪獣とかナニナニ星人とかいう敵が現れてそれに立ち向かうのではなく、地球各地で実際に起こりそうな事件解決のため活動するところがまたいい。


しかも、「サンダーバード」という組織はひた隠しに隠し、危機を救った痕跡をなくして消えるところである。


やってくれるんだよ、まったくもう。


『サンダーバード』は、15年くらい前だったろうか、CGで復活した。

 


〈CGで復活した『サンダーバード』〉


それは漫画的で、昔の『サンダーバード』のほうがはるかに迫力があったし、リアルだったと感じた。


今は何でもかんでもCGで作ってしまうが、CGではなくミニチュアでリアルさを追求する職人のようなチームがまた出てほしいと思う。


CGで画像や動画を作るのがどんなに大変かは想像できる。


きっと手作り特撮並みの労力を要するのだと思う。


凄い仕事をしていると感心する。


けれど私は、手作りの特撮のほうが好きなのだ。


古い人間なのである。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.8キロ。