aichanの双極性日記

aichanの双極性日記

千歳在住の情けないおじさんです。
双極性2型で喘息で、ブログ〈Zensoku Web〉(https://aichanzw.seesaa.net/)、
note(https://note.com/aichanzw)もやっています。

「魚肉ソーセージ」というものがある。


安いからときどき買って食べるのだが、これがどうにも食べにくい。


本体が薄いビニールのようなもので包まれていて、「ここから剥がしてください」なんてことはどこにも書いていない。


縦に貼り合わせた部分があって、そこから剥けば剥けそうな気がするのだけど、それで成功した試しがない。


メーカーによっては剥きやすく工夫しているところもあるようだが、そういうメーカーの「魚肉ソーセージ」に当たったことがない。


仕方なく私は、カッターで先端部分を軽く切り、そこから剥いて食べるようにしている。

 


〈「魚肉ソーセージ」の私流の食べ方〉


私はこの方法で55年間もこのソーセージを食べている。


この「魚肉ソーセージ」を作っているメーカーさんに言いたい。


手(指)で簡単に剥けるような工夫をしてほしい。


コンビニのおにぎりだって、いろいろと工夫して包装を剥がしやすいようにしている。


そういう努力をしてほしい。


「魚肉ソーセージ」はずいぶん昔からある。


けれど、今の「魚肉ソーセージ」も昔の「魚肉ソーセージ」も、包装は同じである(と私には見える)。


何十年も何の改良もしてこなかったのは不思議である。


何とかしてくれないと。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+6.2キロ。

ハーマン・メルヴィルの言葉、


「人のまねをして成功するくらいなら、自分なりのやり方で失敗したほうがいい」


が好きだ。


ハーマン・メルヴィルはアメリカの作家で代表作は『白鯨』。

 


〈ハーマン・メルヴィル〉

 


〈『白鯨』〉


『白鯨』は前置きが長くて読みはじめると飽きそうになるが、途中からどんどん引き込まれていく凄い小説である。


メルヴィルの「人のまねをして成功するくらいなら、自分なりのやり方で失敗したほうがいい」という言葉に共感するのは、私が人真似が嫌いで、ほとんどのことを独習してからだ。


私は主に編集の仕事をしてきた。


当初はすべて手仕事で、鉛筆で企画書を書き、企画会議でそれを発表した。


ポジフィルムを使ったスライドはあったが、企画のプレゼン段階でそれを使うことはなかった。


手書きのイラストや表をコピーして編集部員に配り、プレゼンでその説明をした。


企画が通ると取材に入る。


企画書を作る段階で取材対象をピックアップしているので、アポを取るのは難しくなかった。


書籍で専門的知識を得るのは主に図書館で行った。


今のようにネットなんてなかったので、わからないことがあれば図書館で調べるか北大などの専門家たちに聞いて回った。


写真は自分で撮りにいった。


一眼レフカメラだったのでそれまで使ったことがなく、最初は戸惑ったがほぼ独学でいい写真を撮れるようになった(もちろんオートフォーカスではなかった)。


材料を揃えたら記事の執筆に入る。


手書きである。


どのような記事を書けば読んでもらえるか、どのように書けば読者にうまく伝えることがてできるか、これも考えて考えて独習した。


原稿ができたら何度も読み返して推敲を重ね、「よし」と思ったら原稿に赤ペンで書体(フォント)や大きさや字間や行間の指定をして写植屋に渡す。


写植は写真植字機の略で、昔の印刷物の文章はみな写植で打っていた(それ以前は鉛で作った活字版という細い棒〈その先に反転させた活字が浮き出ている〉を組んで印刷していた)。

 


〈写真植字機〉

 


〈写真植字機で打った文章は印画紙に打たれる〉


写植屋から上がってきた印画紙を切り刻み、あらかじめ書いておいたレイアウト通りに台紙に貼っていく。


レイアウトも誰かに教えられたことはなく独学で修得した。


カッターと特殊な接着剤とピンセットを使っての細かい手作業である。


こうしてできたものを版下(はんした)と呼んでいた。

 


〈版下作り〉


レイアウト通りに貼り終えたら、その台紙にトレッシングペーパをかけ、セロテープでそれを固定し、トレッシングペーパの上から赤ペンで指定していく。


文字に色をつけたかったらその指定、影をつけたかったその指定、写真の上にコピーを打ちたいときはそのコピーに「白くくり」と指定する。


白くくりとは白い縁取りのことである。


使用する写真(焼き付けしたもの)にもトレッシングペーパーをかけ、その上に赤ペンで線を引いて「この部分を使う」ことを明示する。


ここまでの作業を、小さい編集部では各自がひとりでしていた。


そういう経験者は、だから企画から取材、写真撮影、記事執筆、レイアウト、版下製作、指定と、すべてできる。


私もそうである。


このことが、後に編集作業をパソコンで行うようになったときにすごく役に立った。


この版下を印刷屋に渡す。


印刷屋はその版下を見て、写真を細かい点で構成されるものにし、それを指定通りに拡大したり縮小したりする。


文字が黒だけなら版下を写真に撮ってフィルムを作り、カラーものなら色ごとにフィルムを撮る。


それを特殊な溶液を塗ったアルミ版に乗せて特殊な加工をすると、インクの乗る部分だけが残って凸版になる。


このアルミ版を輪転機に巻いてインクを付けて印刷する。


カラーものなら、ひとつの印刷物につき少なくとも4枚の版を作り、それぞれに別の色のインクを付けて同じ紙に4回印刷する。


カラーの印刷物はこうして作られる。


このようなアナログ編集からデジタル編集に変わったのは、私が37歳のころである。


今から30年以上前だ。


印刷データ(版下)をパソコンで作るようになったのだ。


DTP(デスクトップ・パブリッシング=机上の印刷)という。

 


〈DTP作業の様子〉


当時の私は喘息がひどくて職場で働けない状態だったのでフリーになっていた。


そのため自分でパソコン(Mac)を買い、必要なソフトは仲間に頼んでインストールさせてもらった。


その代表的なソフトは、Photoshop(フォトショップ)、Illustrator(イラストレーター)、Pagemaker(ページメーカー)などである。

 


〈Photoshop〉

 


〈Illustrator〉


その使い方を誰かに聞くこともできなかったので、独習して覚えた。


というより、冒頭で書いたように私は「人まね」が嫌いなので、当たり前のように独学したのだ。


企画書はワードとかで作ることが多かったが、原稿はテキストエディタで打った。


レイアウトはまず手書きでし、それを見ながらIllustratorで大まかなものを作った。


テキストエディタで打ったものをIllustratorに流し込み、書体や大きさを変え色を付けた。


写真はフィルムカメラで撮影した。


写真はスキャナーで読み込んでデータにし、Photoshopで拡大したり縮小したり加工したりした。


イラストは手書きしたものをスキャナーで読み込んで特殊なソフトで加工し、それをIllustratorに読み込んで配置した。


Illustratorでイラストを作ることもできたが、当時のIllustratorは機能が少なく、複雑なイラストや図形などを作る際には苦労した。


チラシやポスターやリーフレットなどはそれだけでデータを作成できたが、ページものになるとPagemaker等のソフトを使う必要があった。


こうして印刷データを完成させ、そのデータを印刷屋に渡した。


印刷屋はそのデータからフィルムと版を作って印刷した。


喘息治療が変革され、吸入ステロイド療法という画期的な治療法が外国からもたらされ、その恩恵を受けて私は再び会社員(編集)になった。

 


〈喘息の革新的な治療薬の吸入ステロイド〉

 


〈吸入ステロイド療法にはピークフローメーターが必須である〉


そのころインターネットが登場してホームページがちらほら出てくるようになった。


私はタグを打つことで『Zensoku Web』というホームページを作り、毎日更新するようになった(今はない。内容の大半は〈Zensoku Web〉というブログに移してある)。

 


〈『Zensoku Web』のトップページ〉

 


〈ブログ〈Zensoku Web〉〉


そのころはホームページ作成ソフトなどなく、タグを打って作るしかなかったのだ。


タグについてはさすがにまるで知らなかったので、本を買ってきて、それを見ながら作った。


後にホームページビルダー等のソフトが出たが、『Zensoku Web』はずっとタグ打ちで作っていた。


なぜかというと、ホームページビルダー等でレイアウトしデザインしても、ブラウザで読み込むとレイアウトが少し崩れるからだった。


しばらくするとその欠点が解消されたが、それでも私はタグで作った。


仕事でホームページビルダーを使ったことはあるのだが、私にはどうもなじめなかったのだ。


このホームページビルダーの使い方も独学で修得した。


そのころデジカメが登場しが、当初のデジカメの画像は画素数が少なく、使えたものではなかった。


数年して画素数が格段に増え、写真はデジカメで撮影したものをPhotoshopで加工しIllustratorに読み込んで配置するようになった。


しかし今度はウツになり、フリーでも仕事ができなくなった。


やがて双極性障害(躁鬱症)になり、躁期には仕事をすることができるようになった。


ただし、そのころは40歳代後半になっていて、再就職ができなかった。


それでタクシー運転手などをして生きつないだ。


けれど双極症がひどくなり、普通の会社員ができなくなり、バイトしかできなくなった。


そのころになるとPhotoshopもIllustratorも革新的に機能を増やしていた。


写真の切り抜きや加工や文字の影付けなどが簡単にできるようになり、素材集やテンプレートまで備えていて、昔のように苦労して複雑なものを手作りしなくてもよくなっていた。


ということは昔の部下から聞いて知っていた。


ただしそれらソフトのCDを何台ものパソコンで使うことができなくなり、誰かにCDを貸してもらってインストールするなんてことはできなかった。


次にそれらソフトはサブスクになり、月々(または年々)の料金が高くて、私にはとても払える額ではなく、新しくなったそれらのソフトを使ったことはない。


今年になって、デザインに特化したDという障害者就労継続支援B型事業所(千歳)に入った。


そこには新しいPhotoshopとIllustratorがあると聞き、楽しみにして入所した。


しかし、使わされたのはCamvaというフリーソフトだった。


フリーとはいえCamvaはなかなかよくできたデザインソフトで、例えば字詰めとか行間調整もできる優れた機能を備えていた(ただし文字に斜体や長体や平体をかけられないしアウトラインをかけることもできない)。
素材集やテンプレートも入っていた。


しかし、無料で使用できる素材やテンプレートは限られていて、機能をすべて使えるようにするにはサブスクで金を払わなくてはならないものだった。

 


〈Camva〉


次に動画作成ソフトを使わされた。


Filmora(フィモーラ)というソフトである。

 


〈Filmora〉


これもなかなかできたソフトだが、作成した動画を見るには、使用した動画や画像や音声データなどが入ったフォルダの中に動画データを入れて見ないといけなかった。


動画データだけを単独で取り出して見るにはエクスポート(書き出し)が必要だったが、無料でエクスポートするとエフェクトと動きなどが消え、ときには動画が途中で切れたりした。


ちゃんとした動画を見るには、やはりサブスクで金を払わないといけなかった。


職員は「有料版が使えるようにしますから数日待ってください」と私に言ったが、数日どころか1週間経ってもそんなことはしてくれなかった。


しかも、私が使っていたパソコンはどうやらチンケだったようで、動画を作っているとテロップと音声がずれたりした。


備え付けのイヤフォンがイカれていて、何とか音ずれがないように作っても音がずれて聞こえるのだった。


パソコンもイヤフォンもイカれていたのだ。


そんなものを与えていて、しかも私が自分の作りたい動画を勝手に作ったら職員が私につらく当たり、私は躁期から鬱期に入った。


それで辞めざるを得なくなって辞めた。


鬱期に入ると私は引きこもり状態になるからだ。

双極症の私をうつ期に突入させたほどひどい態度と言葉だった。


そのことについてこの事業所は、私が役所に告発してから、慌てたように謝罪メールを送ってきた。


私がハラスメントを受けてから2ヵ月以上経ってからだ。


それまで、私にハラスメントをした職員も、そばで見ていたサービス管理責任者も他の職員も、それがハラスメントだとは気づかなかった。


障害者を預かる施設としてはあり得ないことである。


ひっどい事業所だった。


それはともかく、ああ、新しくなっているPhotoshopとIllustratorを使ってみたかったなあ。

『障害者B型事業所を辞めた(職員の傲慢な態度で鬱期突入)』

 

『イカれたイヤフォンで動画製作をさせられていた』

『双極性障害/今は鬱期/恐れていた引きこもり状態に突入』

『生きるべきか死ぬべきか…』

『障害者就労継続支援事業所と職員のあり方』

『障害者就労継続支援事業所には懲りた(死ぬ覚悟はもうできている)』

『退所した事業所からの謝罪メール』

『素晴らしい障害者就労継続支援B型事業所が岡山にある!』

『障害者就労継続支援事業所をどうすべきか?』


【ダイエット記録】目標達成体重より+5.0キロ。

喘息の主な症状は呼吸困難である。

 


映画やドラマで喘息児が出てくることがあるが、その子どもが演じるのは咳をすることである。


多くの人が、喘息は風邪みたいな病気だと認識しているのだ。


ある製薬会社の調査によると、日本には喘息患者が2百万人から3百万人もいるという。


最低に見積もっても2百万人、多く見積もると3百万人ということだろうか。


百万人もの幅があるのは、おそらく「喘息」と診断されていないが実は「喘息」だろうと思われる人、いわゆる『隠れ喘息患者』がかなりいるという推定をしているためではないかと思う。


そのことを先日、思い知った。


私はたまにツイートする。


喘息のこと、天下りのこと、政治献金のこと、最近は原発事故のことなどについて勝手なことをつぶやく。


「検索」という窓があったので「喘息患者」と打ち込んで検索ボタンを押してみた。


それで驚いた。


喘息患者さんのツイートが多かったからではない。


どうやら若い喘息患者さんがほとんどだったようなのでそのせいもあると思うが、多くの人が喘息を軽視しているのが感じられたからだ。


「つらい」「苦しい」というツイートもあったが、「メプチン(スプレー式気管支拡張薬)でしのごう」とか「ホクナリンテープ(気管支拡張薬)で少し落ち着いた」「耐えよう」とツイートを続けている人ばかりで、「吸入ステロイド薬」に触れている人が皆無に近かったのだ。

 


〈メプチンエアー〉


喘息の発作や息苦しさが出ても、気管支拡張薬で「治す」と表現している人が多かった。


スプレー式気管支拡張薬を吸えば、呼吸の苦しさはすぐ治まる。


ただし、すぐまた苦しくなる。


気管支拡張薬を吸ったり飲むのは対症療法にすぎないのだ。


しばらく症状が消えている人は「治った」と思っているようだったし、再発した人は再発したと認識しているようではなく、ただ単に「また症状が出た」としか受け止めていなかった。


喘息患者さんのそれらのツイートを見た限りでは、「喘息=単発的な発作などの症状」ととらえている人ばかりで、慢性病だととらえている人はごく少ないと感じた。


治療を毎日続けている人は少ないように見受けられた。


その治療も対症療法にすぎない気管支拡張薬によるものがほとんどだった。


吸ステの吸入をしているような人もいたが、その意義をきちんと理解している人は少ないように感じられた。


私は医者や看護婦さん(私は「看護師」という呼び名が嫌いなので、敬意を込めて「看護婦さん」と書く)が喘息のことをよく知らないので腹を立ててばかりいたが、患者さんも喘息のことをこんなに知らないのだと認識して呆然としてしまった。


でも、よく思い出してみると、昔は喘息のことをよく知らない方からよくメールをいただいたものだ。


そんな時代がずいぶん遠くなったように感じていたが、考えてみるとメール対応を頻繁にしていた20年くらい前でさえそういうメールはたくさん来ていた。


医者も看護婦さんも患者さんも、喘息に関してはたいして進歩してこなかったということだ。


厚生省(当時)は喘息治療のガイドラインを改めて吸入ステロイド薬を第一選択薬にはした。


だから医者たちは吸入ステロイド薬を処方するようにはなった。


患者さんも吸入ステロイド薬を使うようにはなった。


しかし、かなり多くのケースで医者は患者さんに吸入ステロイド薬のことをきちんと説明していないようだ。


知識がなくて説明できないのか時間がなくて説明しないのかわからないが、おかげで患者さんは吸ステがどういう働きをするのかさえ知らずに使う。


そんなありさまでは、吸ステを必要量、毎日欠かさず吸入している人もピークフローメーターを使っている人もかなり少ないと見るべきだと思った。


昔ながらの喘息治療に慣れている医者は吸入薬よりも服用薬を処方したがるケースが多いようなのも、喘息患者さんのツイートを見ていて感じた。

 


〈吸入ステロイド薬のレルベア/長時間持続型気管支拡張薬も含んでいる〉

 


〈ピークフローメーター〉


気管支拡張薬と抗アレルギー薬と咳止めを処方しておけばいいと考える医者が多いことも知った。


医者のあいだではいまだに吸ステがあまり重んじられていないのかもしれない。


そんないい加減な治療を受けている人は、いつ大発作で危険な目に遭ってもおかしくない。


昔は毎年7千人くらいもあった喘息死が近年は2千人を切るようになっている。


吸入ステロイド療法が普及したからだと喜んでいたが、普及したといってもそれは医者のあいだでは表面的に普及しただけで、患者さんともなるとごく一部に普及にしたにすぎないのではないかと思った。


こんな状態を放っておくと、患者さんは長い期間、苦しいのを我慢する結果になり、喘息患者さんの多くが「無音喘息」や「サチュレーション(血中酸素飽和度)の高い喘息」になってしまう怖れが多分にある。


そうすると「あなたは喘鳴がないから喘息ではない」などと『誤診』する医者が後を絶たないだろう。


それで満足な治療を受けられず重度喘息になって手遅れになる方もいるに違いない。


「サチュレーションが高いくせに何を苦しそうに」と看護婦さんから厄介者扱いされる患者さんも増えこそすれ減りはしない気がする。


それで患者さんが病院に不信感を持ったらどうなるか。


満足な治療を受けられない患者さんが増えて取り返しのつかない事態を招くことも増える気がする。


吸入ステロイド療法が普及したからといって安心してはいけないのだ。


あらためてそう思った。


本当の意味の普及が必要なのだ。


つまり医者も看護婦さんも患者さんも、喘息の原因と正しい治療法と自己管理の大切さをしっかり認識することだ。


喘息の原因は気道粘膜の慢性炎症にあり、その炎症を鎮める吸入ステロイド薬を毎日欠かさず十分な量を吸入しつづけなくてはならないというこの冷厳な事実を医療関係者も患者さんもガツンッと頭に叩き込まなくてはならない。
 

その役目は医者にあるだろう。


厚労省や医師会も積極的に動くべきだ。


「AC」のCMなんかで喘息のこれらの情報を流してくれるといいのだけど。


製薬会社にも頑張ってもらいたい。


世間の多くの人はいまだに喘息のことを「風邪のひどいやつ」くらいにしか認識していない。


少なくとも「慢性疾患なのでずっと治療を続ける必要のある病気」と認識している人はおそらくかなり少ないだろう。


それは喘息ではない人はもちろん、患者さんでも同じだと思う。


としたら、間違った認識を打ち破る力強い対策を取るべきだ。


「風邪のひどいやつ」程度と思ったら患者さんは受診もしないだろう。


そうなると『隠れ喘息患者』を増やすことになり、せっかく激減している喘息死がまた増える怖れもある。

★喘息は毎年数千人が命を落とす怖い病気である。
★苦しいのを長年我慢していると喘鳴がなくなりサチュレーションの高い重い喘息になる。
★鍛錬療法などは喘息の重度化を招く危険なものである。
★一度喘息になると完治は難しい。
★小児喘息が大人になったら治るというのは誤解である。
★毎日欠かさずピークフローメーターを吹き吸ステを吸入しつづける必要のある慢性疾患である。
★吸入ステロイド薬は全身性の副作用のほとんどない薬であり幼児でも安心して使える。
★吸入ステロイド薬には多くの種類があり、それぞれ正しく吸入しないと効果が期待できない。


これらの「認識」を何とかして少しでも早く世間に広く行き渡らせなくてはならない。


医者も医師会も厚労省も他の医療関係者も、そのことに力を入れてほしい。


ただし、脅すようなそういうPRだけでなく、希望を与える「認識」の普及も忘れてはならない。

★正しい治療と自己管理を続ければ喘息は良くなる。
★早期に正しい治療を開始すれば治療効果が大きい。
★きちんと治療し自己管理していれば日常生活に支障のない人生を送ることができる。


喘息の『誤診』問題も深刻だと思うが、その遠因にもなっている喘息に対する『誤解』も重大な問題だとあらためて思った。

〈Zensoku Web〉より
 

 

【ダイエット記録】目標達成体重より+5.9キロ。

Wikipediaによると、「春画」とは、特に江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた絵画のことである。


浮世絵の一種でもあり、笑い絵や枕絵、秘画、ワ印とも呼ばれるそうだ。


冊子状のものは笑本、艶本、好色本、枕草紙という。


その描写は必ずしも写実的でなく、性器がデフォルメされ大きく描かれることが多い…。

 

〈江戸時代の春画〉


けれど、江戸時代の春画を見ると、そんなにデフォルメされているとは思えない。

 

外国で一番有名なのは歌麿の春画のようで、大きなペニスを見た外国人は「Oh! Utamaro!!」と言うそうだ。

 

〈喜多川歌麿の春画を集めた『歌満くら』〉


ペニスが大きくは描かれているものもあるが、女性器は写実的だと思う。


日本のこの春画は外国に一部流れ、それを見た外国人たちは日本人のペニスは巨大なのだと思ったらしい。


陰毛も見事に描かれている。


隠すことなく、モロ出しで描かれている。


原画を描いたのは喜多川歌麿などの有名な浮世絵師たちだった。


歌麿は、NHK大ドラマ『べらぼう』で紹介された通り、江戸の出版界に旋風を巻き起こした蔦屋重三郎が見いだした浮世絵師で、蔦重の死後、どういうわけか春画を描いた。


落ちぶれた女優がヘアーヌードを出すことがよくあるが、歌麿も売れなくなって春画に走ったのだろうか。


それとも、春画は葛飾北斎も描いたので、当時のはやりで春画のような絵の需要が出てきたのかな。


それらを版画にするので、よくもまあ、こんなややこしいもの(特に陰毛)を彫って刷ったものだと思う。


一色刷りならまだしも、多色刷りなら、黒い部分、赤い部分、黄色い部分というように、一枚の絵なのに何枚もの版を彫らなくてはならない。


現代はそれを機械(今はパソコン)がやってくれるが、当時はみな手仕事だった。


当時の職人たちの技術の高さに驚くしかない。


戦国時代や江戸時代に来日した外国人は、どこの町に行っても遊郭があり、街道の宿場にも飯盛女という遊女がいるのに驚き、そのことを書き残している。


来日した外国人は宣教師が多かったので、日本人は好色だなあと余計にそう思ったのだろう。


女性と交わることのできない彼らは、うらやましいと思ったかもしれない。


しかし、好色なのは日本人だけではない。


春画は日本だけのものではないのだ。


西洋でも、早くも古代文明の昔に、男女の性愛を描いた絵画や彫刻が存在している。


紀元前30世紀ころのシュメールのウルの泥章(粘土板に描かれた線刻画)が残っていて、紀元前13世紀ころの古代エジプトのパピルスには「十二態位(ドデカテクノン)」と呼ばれる春画が描かれている。


古代中国では殷の紂王が画家に命じて男女交接図を描かせたことが、前漢の劉向『列女伝』孽嬖伝に記されている。


世界中の人間が好色で、春画を好んだのだ。


私が子どものころは、永井豪の『ハレンチ学園』が連載開始になり、大はやりになった。

 


〈『ハレンチ学園』〉


高校のころはビニ本が出て、女性器の最も重要な一部だけ黒塗りにした写真集が、やはり大はやりになった。


そしてヘアーヌードが登場し、インターネットが始まると、モロ出しの写真や動画を見ることができるようになった。


ただし、「モロ出し」は外国のものがほとんどだった。


日本では「モロ出し」の写真や動画を出すと「猥褻(わいせつ)物…ナントカ」という法律に引っかかるからだ。


昔、『イレブンPM』という深夜番組があった。


大橋巨泉が司会で、大橋は「日本もヘアー解禁にすべきだ」とよく言っていた。


外国では解禁されているのに日本が解禁されないのはおかしいということのようだった。


それがその十数年後に日本でもヘアーヌードが解禁となり、多くの女優などがヘアーヌード写真集を出すようになった。


江戸時代に戻ったのかなと私は思った。


江戸幕府は儒教を特に武士階級に強制した。


儒教の中でも朱子学を奨励した。


朱子学では、結婚前の男女の性行為を淫らなものとしているらしい。


そこから、女性の処女性が重んじられるようになったようだ。


それ以前は男女の関係はおおらかだったのに、江戸期に入ると急に窮屈になった。


ただし、武士たちが最も重視していたのは子孫を残すことで、そのためお嫁さんは子をたくさん産まなくてはならなかった。


家を継ぐ男子がいないのに当主が死ぬと家禄を没収され家を取り潰されるからだ。


それで嫁入り道具の中に春画を入れるということもあったらしい。


今で言う性教育のためのツールだったのだろう。


それは江戸期以前からあった。


江戸時代に入って武士階級が安定したので、“性教育”の習慣は江戸期には以前より盛んになったかもしれない。


朱子学的な考え方は農民や職人や商人にも行き渡り、それ以前に比べれば、女性が貞操を守ることなどが重要視されるようになった。


だけど、武士でさえ春画を好んだのだから、農民や町人はもっと好んだだろう。


それで春画が江戸の町を席巻した。春画愛好は明治、大正、昭和まで続いた。戦後すぐのころ、怪しげな事件が次々と起こった。


そのひとつが「下山事件」だ。


国鉄(今のJR)総裁の下山定則が、国鉄の線路上で轢断(れきだん)遺体となって発見されたのだ。


当時、GHQは下山に対して国鉄職員の大量の人員整理を要求していた。


それで悩んだ末の自殺との見方もあったが、状況証拠からは、他殺としか考えられなかった。


つまり、下山は別の場所で血を抜かれて殺され、その死体が線路上に置かれ、列車に轢断されたと見るべき状況にあったのだ。


なぜなら、轢断された下山の体からは血がほとんど出ていなかったからだ。


生きている人間が轢断されれば、大量の血が出る。


死んでいる人間が轢断などされても血は出ない。


しかし、GHQの圧力があったのか、警察は他殺説を捨て、自殺説を取った。


GHQが警察に圧力をかけたのなら、犯行はGHQ関係の人間たちによるものだったのだろう。


けれど敗戦国の警察はGHQの圧力に屈するしかなく、警察は下山が自殺したことにした。


他殺説を主張する警官たちは、下山の遺体からなぜ血がほとんど出なかったのか等のこととともに、死体が発見された前日の朝、下山が銀行の貸金庫に寄ったのに、そのに中にしまってあった春画をそのままにして銀行を出たのはおかしいと指摘した。


自殺しようとする者が、他人に見られたら恥ずかしいと思うような春画を残しておくはずがないというわけだ。
もっともである。


私だって、自殺するつもりなら、その前に、他人に見られたらまずいものはみな処分する。


だから私も下山総裁は誰かに殺されたのだと思っている。


話がそれた。


言いたかったのは、昭和の20年代でさえ、春画が存在していたということだ。

 


令和の今でも春画愛好家はいて、女性の愛好家は「春ガール」と呼ばれる。

 

また、江戸期の技法を使って春画を描く人も版画にする人も現代でも存在する。

 

彼ら彼女らは淫らな気持ちで春画を愛好したり描いたりしているのではなく芸術のひとつとして捉えている。


当時はヌード写真集なんてなかったから、男たちは春画を持ったのだろう。


今はヌードといえばヘアーヌードと言っても過言ではない。


ただし、性器の露出はまだ禁じられている。


性器もそのうちにモロ出しオーケーになるだろう。


江戸時代に戻るのだ。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+4.9キロ。

警察官の発砲がときどきある。


刃物を振り回す男に対して発砲することが多いようだ。


刃物は怖い。


しかし、武術を修得していれば相手が刃物を持っていようと素手で制圧するのはそんなに難しいことではない。


拳銃を使う必要なんてない。


素人はやたらに刃物を振り回すので厄介だが、訓練を積めば制圧できる。


警察官は、そういう相手に対してどう制圧するか訓練しているはずだ。

 


〈刃物男の制圧訓練。素手でやれよ! それにひとりだけで制圧しろよ〉


なのに、警察官は盾やサスマタを使い、しかも数人がかりで制圧することが多い。


警察官のくせになぜ素手で制圧しないのかといつも思う。


刃物事件が起こるたびに、その訓練の成果をなぜ発揮できないのか不思議でならない。


ずいぶん前には、刃物を持つ男を前にして、何もできずにうろうろする警察官の動画をテレビで見た。


素人よりも情けないと思った。


何の訓練もしていない怠惰な警察官だったのだろう。


安易にすぐ拳銃を抜くより、素手で制圧できるならそうしたほうがいいのは明らかだ。


警察官の訓練はどのようになっているのか。


実戦で有効な訓練をしているのか。


その訓練で警察官はどれくらい技を身につけているのか。


警察官はあまりにもだらしないないと思う。


そんな連中に給料を払う必要はない。


税金なのだ。


ろくに稽古もしていない警察官を税金で養う必要なんて少しもない。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.4キロ。

春まで通所していた千歳の障害者就労継続支援B型事業所で、事業所の責任者に「うざい!」と言った利用者がいた。


利用者というのは、障害者就労継続支援事業所に通所する障害者のことである。


上司に向かって「うざい!」とはっきり言うような人は、普通はいないだろう。


障害者就労継続支援事業所の責任者はサービス管理責任者といい、会社であれば社長のような存在である。


そのサービス管理責任者に対してモロに「うざい!」と言ったのだ。


普通の会社であれば、その人は出世は望めないだろう。


昔なら即、クビになったに違いない。


彼がクビにならなかったのは障害者就労継続支援事業所の利用者だからだ。


事業所からすれば利用者が来てくれるおかげで経営ができ、職員の給料も払える。


だから利用者には強い態度を取れない。


相手が精神障害者であれば、なおのこと強いことは言えない。


笑ってごまかすしかない。


その点は可哀想だなと思う。


サービス管理責任者に「うざい!」と言った利用者は、そのことを知っていて「俺たちのおかげでお前たちは食えているんだ」と思って、そんなひどい言葉を吐いたのだろうか?


その利用者は40代の男性なのだが、障害者のせいか会社員になったことがなく、社会経験も少ないのでそんな暴言を平然と吐いたと考えたほうがいいように思う。


サービス管理責任者は笑って「ウザイですか」と笑って受け入れていた。


こういう利用者は少ないが、内心では多くの利用者が暴言を吐いたこの利用者と似たようなことを思っているだろう。


職員はこのことをわきまえ、利用者には優しく接しなければならない。


まして精神疾患者に対してはなおのことである。


障害者福祉の一端を担うのであれば、その程度は我慢しなければならないと思う。


障害者就労継続支援事業所は、障害者を通所させると国から多額の給付金をもらえるという変な組織である。


障害者福祉なら行政がやるべきなのに、厚労省は障害者就労継続支援制度を作り、実際の設立と運営は民間に丸投げしている。


多額の給付金がもらえるというので、全国各地で障害者就労継続支援事業所がたくさんできた。


障害者を集めさえすれば、安いテナントでも借りてすぐ経営を始められる。


こうして全国各地で「障害者狩り」が始まった。


今も続いている。


私は札幌と千歳でいくつかの障害者就労継続支援事業所に通所した。


そのどれもにも、何らかの問題があった。


職員教育がなっていないのがその最大のものだった。


障害者就労継続支援事業所に勤めるならば、特に精神障害者については徹底的に頭に叩き込んでおかなくてはならない。


サービス管理責任者はその教育を徹底しなければならない。


しかし、実際は障害者就労継続支援事業所では障害者にパワハラをする職員がいたり、利用者を差別視する職員がいた。


職員の中にはパートもいたので、職員教育をしようにも難しいという実情があるのかもしれない。


けれど、職員教育に力を入れないのは、障害者就労継続支援事業所にとって致命的である。


私は双極性障害(以前は躁うつ病と呼ばれていた)だが、千歳の障害者就労継続支援事業所の職員からハラスメントを受けてウツ期に堕ちて引きこもり状態になり、いまだにそのままである。


恐るべきは、私にハラスメントをした職員は自分の態度や言葉がハラスメントになったことさえ認識しなかったことである。


さらに恐ろしいことに、そばで見て聞いていた別の職員もサービス管理責任者も、私が告発するまでそのことがハラスメントだったことに気づかなかった。


このまま放っておいたら私以外にも犠牲者が出ると考え、ずいぶん悩んだ末に役所に告発した。


するとサービス管理責任者から謝罪メールが届いた。


役所からの指導が入り、慌てて私にメールしてきたのだろう。


ハラスメントをされてから2ヵ月以上経ってからのことだ。


私が告発しなければ、その事業所はもっと犠牲者を出すことになったかもしれない。


精神障害者を預かる障害者就労継続支援事業所では、絶対にあってはならないことである。


札幌の障害者就労継続支援事業所ではもパワハラを受けたり、たくさんの仕事を振られてオーバーワークになった。


こういうことはもちろん事業所にも責任があるが、障害者就労継続支援事業制度だけ作って実際の事業を民間に丸投げしている行政にも責任がある。


職員教育も満足にしない障害者就労継続支援事業所を国はなぜ認可するのだろうか。


認可には、厳しい審査が不可欠である。


そして、認可後は定期的に監査するべきだろう。


行政にとっては最低限の責任である。


そうすれば障害者就労継続支援事業所は職員教育に力を入れ、私のような犠牲者を出さないように努力することがいかに大切か職員は自覚するようになる。


そうしなければならない。


それではじめて障害者就労継続支援事業所を名乗ることができると認識すべきである。


いや、それだけではダメだろう。


事業所の責任者であるサービス管理責任者は資格がないとなれないが、職員は無資格で働くことができる。


これも見直す必要がある。


サービス管理責任者の資格取得をもっと厳しくし、職員も資格がないと働けない仕組みにすべきである。


私はこれまで数箇所の事業所で働いたが、サービス管理責任者が職員を厳しく指導することはなく、職員にはさまざまな障害についての知識が欠如していた。


サービス管理責任者は職員を採用するに当たって、「利用者さんにはとにかく優しくしてください」くらいしか言わないのだと思う。


こんなありさまでは、私のような犠牲者がたくさん出るだろう。


障害者就労継続支援事業所は各地にたくさんある。


精神障害者は、障害者就労継続支援事業所に入所する際に、ネットの投稿などを見て、その点をきっちり確認したほうがいい。


面接では、サービス管理責任者はいい点ばかり強調する。


それを全面的に信じて入所するのは危険である。


ハラスメントを受けて退所した千歳の事業所のサービス管理責任者は、その前まで精神科のソーシャルワーカーをしていた。


「それなら双極性障害に詳しいはずだ」と私は思ったが、念のため彼女には「いつうつ期に入るかビクビクして生きています。うつ期に入ると引きこもり状態になって何もできなくなりますから」と言っておいた。


入所してから、職員にもそのことを言った。


それでも私は職員からハラスメントを受け、私がうつ期に入ったのがそのためだということに事業所はまったく気付かなかった。


私にとっては信じられない話だった。


障害者を預かる障害者就労継続支援事業所では、あってはならないことだからだ。


障害者にとって障害者就労継続支援事業所は最後の砦のような存在である。


大都市ならともかく小さな街では障害者を雇ってくれる会社などないからだ。


その「最後の砦」を行政は民間に丸投げし、ろくに監査もしない。


私のように告発する障害者がいないと、障害者就労継続支援事業所の実態は闇に包まれてしまう。


こんなことはもう決して起こしてはならない。


行政は、障害者就労継続支援制度を見直すか、各障害者就労継続支援事業所の監査を頻繁に行うべきだ。


民間に丸投げしているのは役人の数が少ないせいだと思うが、定期的に監査するくらいはできるだろう。


行政にはぜひそうしてもらいたいし、障害者就労継続支援事業所は職員教育に力を入れてもらいたい。


そのためには、サービス管理責任者の資格を与える際に、その人が管理職としての適性があるかも見極めなくてはならない。


かつ行政は、前述したように資格がないと障害者就労継続支援事業所では働けないように制度を見直すべきだ。


『障害者B型事業所を辞めた(職員の傲慢な態度で鬱期突入)』

 

『イカれたイヤフォンで動画製作をさせられていた』


『双極性障害/今は鬱期/恐れていた引きこもり状態に突入』

『生きるべきか死ぬべきか…』


『障害者就労継続支援事業所と職員のあり方』

『障害者就労継続支援事業所には懲りた(死ぬ覚悟はもうできている)』


『障害者を利用して儲ける人々』

『退所した事業所からの謝罪メール』


『素晴らしい障害者就労継続支援B型事業所が岡山にある!』



【ダイエット記録】目標達成体重より+5.5キロ。

日本人の誕生について、ずっと以前からよく考える。


「日本書紀」や「古事記」には、イワレヒコは日向から奈良に入って政権を打ち立てたとある。


それがヤマト王権だとも。


イワレヒコは後に神武天皇と諡(おくりな)された。


日本の初代天皇とされる人物である。


その即位は西暦で紀元前660年の2月11日である。


この記述を信じた右翼どもが、「2月11日」を建国記念日と定めた。


それでいまだに日本では「2月11日」が建国記念日で祝日になっている。


紀元前660年といったら縄文時代である。


弥生人が渡来する数百年前である。


そんな時代に日本を統一したような権力者がいたはずがない。


「日本書紀」は日本という国の正式な歴史書として作られた。


編纂したのは、藤原不比等(ふひと)である。


中大兄皇子(なかのおおえのみこ・後の天智天皇)とともに蘇我入鹿(いるか)を暗殺した中臣鎌子(後の藤原鎌足・かまたり)の息子である。


ふたりは宮中で蘇我入鹿を暗殺した。

 

おそらくクーデターだったろう。


そのころは蘇我入鹿が天皇で(当時はまだ天皇という呼称はなく大王〈オオキミ〉)、大きな権力を振るっていたのだと思う。


それを面白く思わない中大兄皇子と藤原鎌足はクーデターを計画し、うまくやり遂げた。


そして蘇我氏を滅ぼし、ふたりが政権を取った。


中大兄皇子が天智天皇になると、朝鮮半島の百済(くだら)を救うため大軍を派遣している。


相手は朝鮮半島を三分していた国のひとつ新羅(しらぎ)だが、その背後には唐が付いていた。


軍を派遣するなら新羅と唐の連合軍と戦うことになる。


とうてい勝ち目はない。なのに天智は大軍を百済に派遣した。


そして白村江の戦いで惨敗した。


このことから私は、天智か鎌足のどちらか、それとも両者とも百済出身者だったのではないかと思っている。


蘇我氏は、もしかすると縄文系の先住民の豪族だったかもしれない。


その蘇我氏が強い権力を振るっているのを鎌足たちは嫌ったのだと思う。


それで入鹿を暗殺し、自分たちの政権を作ったのではないか。このころは複数の豪族が順番に政権を任されていたのではないかと思う。


「天皇は万世一系」とよく言われるが、それは天武以降のことである。


古代は、複数の豪族が順番にヤマト政権のリーダーになっていたのだと思う。

 

「日本書紀」では、天昭大神(あまてらすおおみかみ)が孫のニニギを九州の日向に降臨させた。

 

ニニギの子孫であるイワレヒコは畿内に進み、大坂でいったんは敗れたものの、紀伊半島を南に降って熊野から山々を超えて奈良盆地に入り、そこを治めていた豪族を倒してヤマト王権の基礎を築いたことになっている。


イワレヒコが初代天皇の神武である。


これは、藤原不比等と当時の天皇でるあ持統が自分の子を次の天皇にしようと画策したがためにでっち上げた神話だろう。


イワレヒコが九州からヤマトに移ったのがわいゆる「神武東遷」である。

 


〈「神武東遷」〉


「日向」を「日本書紀」では「ヒムカ」と読ませている。


これを今の宮崎県の「日向」(ひゅうが)だと考える学者もいる。


ニニギが日本に降臨すると、山の上から朝鮮半島のほうを見て、故郷を偲ぶようなことを言った。


宮崎県から朝鮮半島のほうを見ても山々にさえぎられて山と空しか見えない。


北九州から朝鮮半島のほうを見たと解釈したほうが合理的だ。


とすれば、ニニギは“天”である朝鮮半島で生まれ、“降臨”したのは北九州だと考えたほうがいい。


いずれにしても、ニニギが天から降臨した地は「日向」で、それは九州である。


「ヤマト」はもともと九州にあったクニで、それが東に移ってヤマト王権を築いたことになる。


「邪馬台国」を日本人は「ヤマタイコク」と読むが、「邪馬台」を中国人が読むと「ヤマド」と聞こえるらしい。


とすると「邪馬台国」は「ヤマト」であり、それが日向から奈良に移ったと考えたほうがいいのかもしれない。


しかし、「日本書紀」には邪馬台国や卑弥呼についても、それらを記している魏志倭人伝についてもまったく触れていない。


当時の日本の権力者が魏志倭人伝を知らなかったはずがない。


では、どうして触れなかったのか。


「神功皇后」という架空としか思えなくて卑弥呼に通じるような女性を登場させているが、「日本書紀」を編纂させた藤原不比等は、そのことで「邪馬台国」と「ヤマト王権」のつながりを暗示させたかったのかもしれない。

 


〈「神功皇后」の想像図〉


では、なぜ「魏志倭人伝」とか「卑弥呼」と明確に書かなかったのか。


私は長年、そのことについて考えてきた。


弥生人が大量渡来して日本語の原型ができたころ、日本で勢力を振るっていた政権は複数あったのではないだろうか。


縄文系、渡来系とふたつだけでなく、縄文系にも複数、渡来系にも複数の政権があり、拮抗していたのではないか。


私は、今の関西弁を作ったのは弥生人だと思っていた。


主に北九州に上陸した弥生人はまず北九州で勢力を膨らませ、そして東に向かって畿内を制圧したと思っていた。


それで北九州の博多弁が変化していって関西弁ができたのだと考えていた。


仙台で生まれ育って今は北海道で暮らしている私の耳には、北九州の博多弁と関西弁はどこか似ているなと感じていたのだ。


しかし、博多弁と関西弁をよく聞き比べるとかなり違うなと最近感じた。


としたら、北九州に上陸して先住民を支配して政権を打ち立てた勢力と、畿内に政権打ち立てた勢力は違う民族だったのではないかと、最近はそう思うようになってきた。


北九州から日本に入ってきた渡来人と、山陰や北陸に上陸して渡来した人々は、違う民族だったのかもしれない(ほかにも渡来ルートはあったと思うが、主なものは上のふたつだと思う)。


北九州に上陸した弥生人は九州で政権を打ち立て、山陰や北陸に上陸した弥生人は畿内に政権を打ち立てたのではないだろうか。


継体天皇という謎の人物が「日本書紀」に登場する。


応神天皇の親戚みたいに書かれているが、おそらくは応神とは関係のない別の系統の豪族だったと思う。


この継体天皇は北陸から近畿に入って天皇になった。


北陸にも渡来人の豪族がいたのだと思う。


不思議なのは、継体が即位するまで数年かかっていることだ。


これはおそらく、継体ががそれまでの豪族とはまったく違った種族だったからではないか。


それで大和豪族と継体とが数年争い、継体が政権を取ったのだと思う。


この北陸の豪族の言語が関西弁のルーツになり、博多弁などの九州弁は、九州から東遷したと思われる応神系の豪族の言語だったのではないか。


つまり、博多弁のルーツになった言語を持つ渡来人と、関西弁のルーツになる言語を使っていた渡来人は別だったのではなかろうか。

 


〈渡来人の渡来ルート〉


私は邪馬台国は北九州にあったと考えているので、それが本当なら、関西に成立したヤマト王権とは違う民族によるものだったろう。


だから「日本書紀」は邪馬台国にも卑弥呼にも触れてないのではないか。


不比等(ヤマト王権)とは関係のないの話だったからだと思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+4.5キロ。

私は、北海道に渡ってナナカマドを初めて見た。


札幌の街路樹にはたくさんあり、小さな赤い実を付けているのを見て、初めて見る実なので、何の木だろうかと思った。

 


〈ナナカマドの赤い実〉


秋になったら葉も赤く紅葉し、その姿が実に美しい。

 


〈紅葉したナナカマド。今年もそろそろ紅葉するだろう〉


友達に聞いたら、「ナナカマドという木だよ」と教えてくれた。


友達はさらに、「7回カマドに入れても燃えないからこういう名前になったんだよ」と言った。


そんなに硬い木なのかと、見上げて私は感心した。


千歳の隣の恵庭に引っ越したら、いたるところにナナカマドの木があった。


街路樹だけでなく、多くの公園にもナナカマドが植えられていた。


調べてみると、「ナナカマド」は漢字では「七竃」と書き、牧野富太郎博士の「牧野新日本植物図鑑」によると、7回かまどにくべてもなお燃え残るほど燃えにくい木である、というのが名称の由来として一般的である。
しかし、別の説もある。


ナナカマドは実際にはそれほど燃えにくい木ではなく、それより木炭として火力の強い木で、これを作るには7日間炭焼きかまどに入れておく必要があることから、「ナナカマド」と名付けられたというのだ。


材が硬いのは確かなようで、備長炭の代用になるという。


とすると、後者の説のほうを信じたくなる。


「ナナカマド」はバラ科の落葉小高木で、北海道や東北地方では街路樹や公園樹としてよく植えられているそうだ。


私は仙台で生まれ、北海道に渡るまで仙台で暮らしたが、仙台でナナカマドを見たことはない。


見ていたのかもしれないが、紅葉したナナカマドや赤い実を見たことはない。


恵庭に住んでいたときは、すぐ近くにある公園がナナカマドだらけで、秋の紅葉を毎年楽しみにしていた。


赤い実は冬になっても落ちず、その上に白い雪が積もると実に美しい。

 


〈冬になるとナナカマドの赤い実に雪が積もる〉


千歳に引っ越したら、ナナカマドがあまりないのでとても残念で仕方がない。


千歳には、私の好きなドウダンツツジも少ない。


ドウダンツツジは小さな白い花をたくさん付ける珍しいツツジで、秋にはやはり見事に紅葉する。

 


〈ドウダンツツジの白い花〉

 


〈紅葉したドウダンツツジ〉


私は小さく可憐な花や赤い実や紅葉が好きなようだ。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.4キロ。

私はアリが好きだ。


中には噛みついてくるやつもいて、そういうのは別にして、私はアリを尊敬している。


私たちがよく見るアリは「はたらきアリ」で、巣から出て食糧を探しに出かける。


観察すると、「はたらきアリ」は相当のスピードで歩いている。


「はたらきアリ」を人間の大きさにしたとしたら、歩くスピードは人間が走るより速いのではないか。


しかも「はたらきアリ」は凄い力持ちでもある。


前足2本で自分の体より大きく重い獲物をかつぎ、巣まで持って帰る。

 


〈「はたらきアリ」は凄い力持ち〉


そんな大きくて重いものを持ち上げるだけでも脅威なのに、その態勢でこれまた凄いスピードで巣に向かうのだ。


人間にはとてもできない芸当だろう。


その「はたらきアリ」はすべてメスである。


メスなのに凄い力を持ち、恐るべきスピードで歩き、休むことがない。


立派としかいいようがない。


アリはハチと同じく社会生活をする昆虫で、「女王アリ」のもと一糸乱れぬ生活をする。


子どものころ庭に砂糖を置いておくと、「はたらきアリ」がたくさん集まった。


それを土を入れた透明な容器に入れると、「はたらきアリ」たちはすぐさま巣を作りはじめる。


「女王アリ」がいないのに、「はたらきアリ」たちはなぜか巣を作るのだ。


本能なのだろう。


飼育しても「女王アリ」がいないので、「はたらきアリ」たちが巣を作っても、「女王アリ」がいないので卵が生まれず、「はたらきアリ」は数ヵ月からせいぜい数年で死に、巣だけが残る。


「はたらきアリ」はメスだから「オスアリ」がいれば卵を産むのではないかと思ったことがあるが、「はたらきアリ」は通常は生殖能力を持たないので卵を産むことはできないという。 


「女王アリ」も「はたらきアリ」と同じくメスだが、栄養たっぷりのものを食べて育つから「女王アリ」になる。


ちなみに「女王バチ」は、「はたらきバチ」が花粉や蜂蜜を食べ、体内で分解・合成し、上顎と下顎の咽頭腺や大腮腺から分泌する乳白色のクリーム状の物質であるロイヤルゼリーを食べることで「女王バチ」になる。


だから「はたらきアリ」も「はたらきバチ」もきっと粗食なのだろう。


そこまでして「女王アリ」や「女王バチ」を育てるのは、アリは「女王アリ」と「女王バチ」がいないと繁殖できないからである。

 


〈「女王アリ」/周りのアリは「はたらきアリ」〉


そのためもあるだろうが、「女王アリ」の寿命は脅威的に長い。


多くのアリで女王の寿命は10年以上もあるのである。


中には約30年も生きる「女王アリ」がいる。


「女王アリ」が長寿なのは、「はたらきアリ」をどんどん産んでいく必要があるためと、巣の中で守られていて外敵や環境変化の影響を受けにくい生活をしているためではないかと考えられている。


「女王アリ」はメスの「はたらきアリ」だけでなく、オスのアリも産む。


「はたらきアリ」と比べると小さく弱々しい姿をしている。


「オスアリ」は巣の中にいて、何もしないらしい。


「女王アリ」が「別のところに新しい巣を作ろう」と思うのかどうか、「女王アリ」は巣を出て「オスアリ」とともに飛び立つことがある。


これを「結婚飛行」と呼ぶ。


種類によって「結婚飛行」の時期が違う。


クロナガアリは4月、クロオオアリは5月、ケアリは7月とばらばらである。


巣を作るのに適した場所にたどり着くと「女王アリ」は1匹の「オスアリ」と1回だけ交尾し、巣穴を掘って地中に潜る。


そこで「女王アリ」は「はたらきアリ」になる卵をどんどん産み、その卵から孵った「はたらきアリ」たちが、本能にしたがって巣を広げ、外から食べ物を調達してくる。


外敵が襲ってきたら巣を守る「はたらきアリ」もいて、彼女たちは「メジャーワーカー」とも呼ばれる。


巣の中で卵や幼虫や蛹(さなぎ)の世話をする係の「はたらきアリ」(「マイナーワーカー」と呼ばれる)もいる。


こうしてその「女王アリ」の巣はどんどん広がり充実していく。


「女王アリ」は巣の奥で卵を産みつづける。「オスアリ」と交尾することはもうない。


「オスアリ」と交尾することはもうない。


なのに「女王アリ」が死ぬまで卵を産みつづけられるのは、1回の交尾で得た精子を十年以上も保存する特殊な機能を持っているからだ。


こういうシステムはハチでもだいたい同じらしい。

 


〈女王バチ/中央〉


昔、『みなしごハッチ』というアニメがテレビで放映されていた。


主人公のハッチは「はたらきバチ」である。


ということはメスのはずなのに、「ハッチ」は男の子なのだ。


やがてお母さんに会えるのだが、「そんなことはあり得ない」と中学生くらいだった私は、制作した人たちにはいい加減なやつらもいるんだなと思った。

 


〈アニメ『みつばちハッチ』〉


シロアリも似たようなシステムでコロニーを作るが、しかしシロアリはアリやハチと違う仲間で、ゴキブリの仲間である。

 


〈シロアリの女王と「はたらきアリ」。こんなに巨大なのだ。ただし「アリ」ではない〉


違う仲間なのに似たような生き方をするのは興味深い。


多くの昆虫はだいたい1年で死ぬ。


例えばカブトムシは夏の終わりに産卵し、産卵された卵は腐葉土の中孵化し、幼虫は腐葉土を食べてでかいイモムシ状の姿になり、春の終わりころにサナギになり、夏の初めに羽化し、交尾をしてから夏の終わりころに死ぬ。


チョウなどは、サナギで冬を越した個体が春に羽化して交尾して卵を産み、その卵から孵った幼虫が冬になる前にサナギになって冬を越し……という種類が多いので、寿命は半年でしかない。


カゲロウは「はかない」生き物の代表のように思われている。


幼虫は水の中で暮らし、成虫になると羽が生えて飛ぶことは飛ぶが、その姿はあまりに弱々しい。

 

 


〈ウスバカゲロウの成虫。カゲロウというよりトンボに似ている〉

 


〈ウスバカゲロウの幼虫であるアリジゴク。縁の下などの雨の落ちない砂場にすり鉢上の巣を作り、そこに落ちたアリなどの小さな虫を大アゴで捉えて血を吸う〉


しかも成虫は数時間〜数日程度しか生きない。


「死ぬために成虫になるのか?」と思うくらいである。


「はかなさ」の象徴とされたのも無理はない。

 


〈カゲロウ/多くの種類がいる〉

 


〈カゲロウの幼虫/種類によって姿と大きさはかなり違う〉


ただ、幼虫は半年から1年程度生きるので、その寿命は他の昆虫とそう変わらない。


セミは幼虫時代を最低でも3、4年は土中ですごすので(日本のセミの幼虫期間は7年が多い)、成虫になって1ヵ月で死んでもかなりの寿命である。


中には17年も土中で暮らす種類もいて(アメリカの「十七年年ゼミ」)、卵から孵って成虫になって死ぬまでが寿命だから、セミは相当な長生きである。


しかし、上には上がいるわけだ。


それが「女王アリ」である。


「十七年年ゼミ」も真っ青の30年も生きるやつがいるからだ。


私は「女王アリ」を見たくて、子どものときにアリの巣をシャベルで必死に掘ったことがある。


しかし、どこまで掘り進んでも「女王アリ」の姿を見つけることができなかった。


もっと深いところにいたのか、シャベルでぐちゃぐちゃに掘っていったので穴の中が土だらけになって、それで発見できなかったのか…。


相当でかいようだから、一度見てみたいと今でも思っている。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.0キロ。

ニライカナイは、沖縄県や鹿児島県奄美群島の各地に伝わる他界概念のひとつである。


昔、『ウルトラセブン』でこれがテーマになっている回があった記憶がある。


確か、『史上最大の侵略』というタイトルだったと思う。

 


〈ウルトラセブン〉


それもそのはず、ウルトラシリーズを企画したひとりに、沖縄出身の金城哲夫(きんじょうてつお)がいたからだ。

 


〈若き日の金城哲夫〉


ニライカナイがテーマの回の脚本は金城が書いたのではないか。


ウルトラシリーズは他国から侵略されるといった内容の物語が多い。


それは琉球王国(沖縄の前身)がまず島津氏に侵略され搾取されるようになり、明治になっても沖縄県民は本土から「土人」と見られ、昭和に入って太平洋戦争になると軍部によって本土決戦の時間稼ぎのために犠牲にされた。


戦争が終わったら米軍は東側諸国(旧ソ連・中国などの共産主義圏)への牽制のため沖縄に多くの基地を作った。


沖縄県民の多くはそのために土地を奪われ、その後は毎日の騒音に悩まされ、何度も何度も、米国軍人による強姦被害にも遭った。


占領期間を終えても米国は日本は東側諸国の防波堤だと捉え、基地を残したままだった。


米国軍人による被害もなくならなかった。


米国のトランプは、「日本が有事になればアメリカが助けるのに、アメリカが有事になっても日本はこれを助けない。不公平だ」などと言っているが、日本に基地を置きたいのは米国なのだ。


米軍基地を置く費用をもっと出せとも米国は言っているが、日本の米軍基地は米国がそこに基地を置きたいからあるのであって、日本のためにあるのではない。


冷戦は終わったが、ロシアと中国と北朝鮮は米国にとって今でも脅威でありつづけている。


だから、そのすぐそばの海に浮かぶ日本列島は米国にとって非常に適した前線基地になるのだ。


日本は米国に、「じゃ、基地を更地にして出ていって」と言ってみればいい。


米国は困るに違いない。


トランプのことだから、また何か難癖を付けてくるだろうが、日本は知らん顔して「日本に米軍基地はいりません」と言いつづければいい。


米軍はそう言われても絶対に撤退しない。


話がそれた。


戻そう。


そういう悲惨な歴史を沖縄は持つ。


では、ニライカナイとは何か?


沖縄では、遥か遠い東の海の彼方、または海の底、地の底にあるとされる異界とされる。


豊穣や生命の源であり、神界でもある。


ニライカナイの概念は日本本土の常世(とこよ)国の信仰と酷似している。


「常世の国(とこよのくに)」とは、古代日本で信仰された、海の彼方にあるとされる異世界である。


一種の理想郷として捉えられていて、永久不変や不老不死、若返りなどと結び付けられた。


日本神話の他界観をあらわす代表的な概念で、古事記、日本書紀、万葉集、風土記などの記述にその顕れがある。 


柳田國男は、ニライカナイを日本神話の根の国と同一のものとしている。 


「根の国(ねのくに)」とは、日本神話に登場する異界のことだ。


縄文時代の後期に朝鮮半島などから大量の弥生人が稲作技術を持って日本列島にやってきた。


稲作を嫌った縄文人は北へ南へと追われた。


北に行ったのがアイヌ民族の祖先になり、南に向かったのが琉球民族になった。


研究者によると、古代日本語が沖縄に渡って4百年経つと今の沖縄方言に変化するという。


多くの琉球民族は、もとは日本本土にいたと考えるべきなのだ。


言葉にも信仰にも共通点があるのはそのためだ。


アイヌの人々も沖縄県民も、日本の先住民族の子孫なのである。


そのことを、われわれは深く認識したい。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.4キロ。