aichanの双極性日記

aichanの双極性日記

千歳在住の情けないおじさんです。
双極性2型で喘息で、ブログ〈Zensoku Web〉(https://aichanzw.seesaa.net/)、
note(https://note.com/aichanzw)もやっています。

台風の季節になってきた。


それでテレビの天気予報などで、「台風○号は沖縄に上陸し、その後、列島に上陸する恐れがあります」というアナウンスがよく聞かれるようになった。


これをそのまま素直に聞くと、日本列島に沖縄は含まれていないように聞こえる。


日本列島と言った場合、本州と四国と九州と、あとは小さな島々をすべて含む。


沖縄も先島諸島も大東島も奄美諸島も伊豆諸島も、もっと言えば国後島も択捉島もみんな日本列島に含まれる。


なのにテレビのアナウンサーにはその意識がないのか、それとも沖縄を日本でないとでも思っているのか、冒頭のようなアナウンスを普通に行う。


そのようなアナウンスを聞く沖縄県民たちはどう感じているだろうか。


「ワァたちは日本人と認められてないのさー」と思うのではないか。


沖縄の歴史をみれば、それは征服され搾取され犠牲になってきた悲惨きわまりないものだ。


もとは琉球王国という独立国だったのに、薩摩島津氏に征服され、島津氏は、琉球で栽培されるサトウキビから取れる砂糖を独占して自分のものにした。


島津氏は琉球の反乱を恐れて武器を持つことを島民たちに禁じた。


明治になって琉球は沖縄県として日本のひとつの県として認められた。


しかし、明治政府は沖縄県民の保護をろくにしなかった。


明治政府の中には、沖縄県民がヤマト民族ではなく異民族だと思う人が多くいたようだ。


そういう目で沖縄県民をみれば、政府から優遇されなかったのも当然だろう。


北海道のアイヌの人々も同じ目にあった。


北海道開拓使はアイヌの人々を土人と呼び、やはり異民族として扱った。


冗談ではない。


アイヌの人々も沖縄県民も、日本の先住民族である縄文人の末裔なのである。


縄文人は古モンゴロイドである。


古い時代にアジアに至ったモンゴロイドで、その特徴は、小柄で細身でまぶたが二重で体毛が多い。


この特徴は、アイヌの人々にも沖縄県民にも共通している。


紀元前に大陸や朝鮮半島から大量の異民族が日本列島になだれ込んできた。


弥生人である。


彼らは、古モンゴロイドと違い新モンゴロイドと呼ばれ、大柄で体格がよく体毛が少なかった。

 


〈縄文人と弥生人との顔の違い〉

 


〈古モンゴロイドと新モンゴロイドの誕生と移動〉


弥生人は北九州や山陰や北陸などから列島に渡来し、主に関西圏に定住した。


縄文人の多くは狩猟・採集生活をしていた。


弥生人の渡来とともに、彼らと稲作を始めた縄文人もいたと思うが、多くは山に北に西に移動した。


山に移動した縄文人は、後にサンカと呼ばれる人々になったと思われる。


サンカの人々は、後に賎民として蔑視され差別される存在のひとつになったように思う。


非差別民族のルーツは古代天皇家が渡来人を奴隷にしたことに始まるという見方もある。


サンカの人々も、その渡来奴隷とともに賎民に落とされたのではないか。

 


〈サンカの人々。今でも彼らは隠れて住んでいるらしい〉


北に移動した人々は、関東・東北から北海道にまで行き、ロシア沿海州から南下してきたオホーツク人と混血してアイヌ民族になった。


西に移動した人々は奄美諸島を経て沖縄にまで達し、琉球民族と呼ばれるようになった。


しかしどちらも、日本の先住民族である縄文人の末裔なのだ。


日本を征服した弥生人は、縄文人たちを奴隷にしたりしたように思われる。


そして、自分たちこそ日本の本当の民族だと主張し、後に彼らは自分たちのことをヤマト民族と呼んだ。


つまり、ヤマト民族というのは日本を征服した侵略者たちなのである。


彼らこそ異民族なのである。


現代の日本人の多くは混血を繰り返してきて、ほとんどの人は縄文人と弥生人の血を受け継いでいる。


しかし、北と南と山深くに住んだ縄文人たちは、ヤマト民族とあまり混血せず、弥生人とは明らかに違う見た目のまま今日に至っている。


自分たちこそ日本の本当の住民だと思っているヤマト民族にしてみれば、自分たちとは外見も言葉も違うアイヌの人々と沖縄県民をいまだに異民族だと感じ、まともに扱わなかった。


太平洋戦争末期には、米軍が沖縄に上陸するとわかっても、日本軍と天皇は沖縄を見捨てた。


それで沖縄県民の実に四分の1が犠牲になった。


戦後は米軍が沖縄各地の私有地を勝手に接収してたくさんの基地を作った。

 


〈沖縄の米軍基地〉


米軍兵士は沖縄で非人道的な狼藉を繰り返した。


その状況は、沖縄が本土に返還されても続いている。


そのことに対して「沖縄の犠牲を減らすべきだ」と声を上げた国会議員はいたろうか。


彼ら国会議員の中には、沖縄県民のことをまともに考えていないと思われる連中が多い。


国民の中にもそういう連中がいる。


特に右翼はヤマト民族だけが日本国民だという考えを強く持っているので、アイヌの人々や沖縄の人々を、いまだに土人と呼んではばからない。


北海道でも、いまだにアイヌの人々を蔑視したり差別する人が多い。


札幌では数年前から「アイヌの史実を学ぶ会」が地下街で開かれている。


そこで展示されるパネルには「アイヌは先住民族ではない」とか「明治政府はアイヌに広い土地を与えて優遇した」とか書いてある。

 


〈「アイヌの史実を学ぶ会」の代表の伊藤昌勝は「アイヌが先住民族だって全然わからない」とうそぶいた〉


これは事実と明らかに違う。


アイヌの人々が日本列島の先住民族であることは多くの研究者が認めていることであり、それを受けて国会は何十年も前に「アイヌは先住民族である」と明確に示した。


「アイヌに広い土地を与えた」ということはあったが、それは開拓に適しない不毛の土地だったのである。


つまりアイヌの人々は差別され、邪険に扱われていたのだ。


それはヤマト民族ではなく異民族と見られていたからだろう。


繰り返すと、「ヤマト民族」というのは、日本の先住民族から日本を奪った侵略者なのである。


もともとの日本人ではない。


先住していた縄文人を征服、あるいは駆逐して日本を乗っ取った弥生人が「日本人」を名乗るほうがおかしい。


歴史は勝者の側が作る。


日本を乗っ取った弥生人は、自らを天孫族として国の正式な歴史書「日本書紀」に記した。


畿内にヤマト王権を建てた彼らは、出雲を征服した。


「日本書紀」では出雲王がヤマトに国を譲ってくれたと書いてあるが、あれは大嘘である。


「出雲風土記」にはそんなことは一行も書かれていない。


もしかすると出雲は縄文人の国だったのかもしれない。


出雲地方にはズーズー弁を話す人たちがいる。


ズーズー弁といえば東北である。


ズーズー弁と呼ばれるような話し方は、あるいは縄文人の話し方だったのではないか。


それで東北と出雲地方にズーズー弁が残ったのかもしれない。


札幌地下街では開かれてきた「アイヌの史実を学ぶ会」を後援しているのは、右翼中の右翼の「日本会議」である。

 


〈「日本会議」のホームページ〉


「日本会議」も右翼なので、アイヌの人々と沖縄県民を「日本人ではない」と今でも蔑視している。


アイヌの人々を先住住民ではないと主張する「アイヌの史実を学ぶ会」を後援したのも当然である。


「日本会議」にしてみれば、よくぞ言ってくれたという気持ちで後援しているのだろう。


「日本会議」は、平和憲法を改悪して戦争のできる国にしようと企んでいるろくでもない右翼である。

 


〈「日本会議」が憲法改正案の必要性をまとめたチラシ。天皇を元首にして自衛隊を軍隊にしようとしている〉


とにかく、アイヌの人々と沖縄県民は縄文人の末裔であり、であれば日本の先住民族なのである。


それを否定する右翼には、今なお侵略者としての遺伝子が受け継がれているのかもしれない。


「日本会議」が作った憲法草案通りに自民党は憲法を変えようとしている。


その内容は平和憲法ではなく、日本を戦争のできる国にする戦前までの大日本帝国憲法と変わらない。


彼ら右翼は、侵略者である弥生人の血が騒ぐのを抑えきれないような連中なのだろう。


自分もまたヤマト民族のはしくれとして、アイヌの人々や沖縄の人々、サンカと呼ばれて今も山の中で隠れて暮らしている人々に、申しわけない気持ちでいっぱいになる。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.8キロ。


 

今日は、亡くなった愛犬アイルの命日。


7回忌だ。


あれから6年か…。


早いものだ。


パパはもうとっくに死ぬ予定だったのに、なぜかまだ生きている。


早くお前に会いたい。

 

早く死にたい。


待っててね。

 

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.5キロ。

千歳の障害者就労継続支援B型事業所に通所していたとき、動画製作を学んでいた。


そこの指導員からひどい言葉を浴びせられて鬱期に突入して退所したことは前に書いた(『言葉よる攻撃で鬱期突入(障害者B型事業所を辞めた)』)。


動画製作といっても素材の動画がほとんどなく、仕方なくネットから画像を持ってきたり、AIで画像を生成し、つなげて動画らしきものを作ることが多かった。


最初はネットにアップされている他人のショート動画の模写をさせられた。


次に、指導員から課題を与えられて、それに従って、やはりネットやAIで画像を用意し、それをつなげて動画らしきものを作った。


そのうち指導員に負担を与えたくなくて、自分で課題を考え、それでショート動画を作った。


それらの過程で、不思議なことが何度も起こった。


最初にテキストでストーリーを作り、それでナレーションを作り、短時間の動画になるかどうか確認した。


ショート動画になると判明したら、使用する画像をネットで探したりAIで作った。


それら画像をナレーションに合わせて並べていき、その画像の上にテロップを入れていく。


だいたいできたら、BGMや効果音を入れ、画像やテロップにエフェクトを入れたりして完成させる。


それを何度も見直し、備えられているイヤフォンを付けて聞き直す。


テロップとナレーションが合っていれば指導員に見てもらう。


指導員は、なぜか自分専用の高そうなヘッドフォンを持ってきて私の使っているパソコンにつなぎ、ヘッドフォンを耳に押し付け、私の作った動画を見る。

 


するとほぼ必ず、「テロップとナレーションがずれている」と指摘してくるのだ。


指摘されて私はイヤフォンを付けてもう一度見直し聞き直す。


けれど、テロップとナレーションがずれているようには聞こえない。


テロップもナレーションも画像も、動画製作ソフト上ではブロックになっていて、それを積み重ねている。


その始まりが縦一直線になっていれば、テロップとナレーションと画像が同時に始まるはずである。


私が使っていたイヤフォンでは、「ずれ」は感じられなかった。


けれど、指導員が自分専用のヘッドフォンで聞くと「ずれている」というのだ。


「どうしてなのか?」とずっと疑問だった。


「俺の耳はおかしいのではないか…」とずっと悩んだ。


この事業所を辞めるとき、自分のUSBメモリに、それまで作った動画ファイルをすべて保存して持ち帰った。


そうして、事業所で使っていた動画作成ソフトをダウンロードし、これまで自分の作った動画を見てみた。


ソフトはフリーなので、書き出ししないのであればタダで使えるのだ。


そのときはイヤフォンをしなかった(持っていなかたので)。


すると、テロップとナレーションがずれているのがはっきりわかった。


テロップとナレーションのブロックは縦一直線にちゃんと並んでいる。


なのに、テロップの始まりとナレーションの始まりがずれている。


事業所で私が使っていたパソコンの調子が悪かったのかソフトに問題があったのかはわからないが、ブロックをちゃんと積んでも「ずれ」が生じていたのだ。


それでも、私の使っていたイヤフォンで聞くと、「ずれ」は感じなかった。


しかし、指導員が自分専用のヘッドフォンで聞くと「ずれ」ていた。


まったく不思議である。


パソコンかソフトの調子が悪かったせいもあるのだろうが、それでも指導員がヘッドフォンで聞くと「ずれ」を感じ、私がイヤフォンで聞くと「ずれ」が感じられない。


それで思った。


事業所で私が使っていたイヤフォンがイカれていたのではないかと。


そんなイヤフォンを与えておいて「音がずれている」はないだろうにと思った。


あの指導員は、私が使っていたイヤフォンがイカれているのを知っていて、それで自分用のヘッドフォンをわざわざつないで私の作った動画を見ていたのかもしれない。


考えすぎかもしれないが、それもあり得るかもしれないと思ってしまう。


ひどい言葉を浴びせられて精神が木っ端微塵になっている今の私は、そんなふうに考えてしまうのだ。


あのままあの事業所にいたら、イヤフォンの不具合に気づくこともなく、私はますます追い込まれていただろう。


辞めてよかったと、あらためてそう思った。

 

 

【ダイエット記録】目標達成体重より+4.4キロ。

日本にはストーブというものが明治後期になるまでなかったと言っていい。


囲炉裏やコタツや火鉢が暖房器具だった。


寝るとき寒ければ、人々は石を焼いて手ぬぐいに包み、それを抱い寝た。


明治十年すぎ、外国にはストーブという暖房器具があると知った役人だったか政治家だったかが、北海道開拓のために移住した開拓民のために薪ストーブを作って配布した。


ところがさっぱり普及しなかった。


どうしてかはわからない。


薪に火を点けるのが面倒だとか、見たこともないそんなものを使えるかと嫌ったせいかもしれない。


私は後者のように思う。


江戸時代以前から蝦夷地には和人が入り込んでいた。


そのうちの武勇の優れた武田氏が道南の松前に城を築き、蝦夷地各地のアイヌの人々と戦って降し、彼らを集めて酷使し、彼らが獲ったサケや昆布などを本州に送って金にした。


やがて商人が松前藩に代わってその事業をするようになり、アイヌの人々はもっともっと過酷な労働をさせられるようになった。


ところで、松前藩の武士の邸宅も商人の家も、本州の日本家屋そのままだった。


日本家屋は高温多湿の気候に合うように作られるようになったもので、隙間風が多い。


北国にはまったく向いていないのだ。


松前の人々はそういう隙間風だらけの家に300年近くも暮らした。


東北の人々もそうだ。


もっといえば、昔の日本家屋は関西以西に向いた建物で、関東以北の環境にはまったく向いていなかった。


江戸だって冬は寒かったはずだ。


なのに、日本人は何の工夫もしなかった。


オンドルくらい考えられなかったのかと不思議である。


日本家屋ではない家に住めば日本人でなくなるとでも思っていたのだろうか。


耐えることが美徳だと思っていたのかもしれない。

 


〈火鉢は私が小さいころまで使われていた〉


蝦夷地でも、家屋や暖房器具とともに着るものも本州と変わらなかった。


和服は寒さに弱い。


それでも彼らは頑なに和服にこだわった。


マフラー的なものはあったが毛糸ではなく綿で編んだものだった。


和服を着ないと日本人でなくなるとでも思っていたのだろうか。


ストーブという日本的でないものを見せられても、拒否感が先に立ったのではないか。


こんなものを使うと日本人でなくなるとまで思った人もいたかもしれない。


私の住むアパートは千歳というよく冷える町のはずれにあり、冬はよく冷える。


壁の下地として貼ってある石膏ボードは数ミリと薄く、その上、断熱材が入っていなくて(床も)、ものすごい手抜き工事でできたアパートなのだ。


それでも、開拓民のことを想って耐えることにしている。


何しろ昭和初期までの開拓民は、細い木と草で作った粗末すぎる家に住んでいたのだ。

 


〈大正のころの北海道開拓村の普通の家〉


窓は壁をくり抜いてムシロを垂らしたもので、入口も穴を開けてムシロを垂らしていたという、恐るべき家で厳寒の冬を越していたのだ。


暖房器具は囲炉裏だけ。

 


〈狭い家の中に大勢が住むことで何とか寒さをしのいでいた〉


そんな家が、北海道各地の開拓村に点在していた。


よくもまあ、そんな家で冬を越したものだと呆れるしかない。


もっと呆れるのは、アイヌの人々はもっとずっと以前から、そのような家で冬を乗り越えていたことである。


寒さに順応していたせいもあるだろうが、よくまあ耐えたものだと感心する。


北海道の住宅が気密性の高いものに変わったのは、ほんの60年くらい前からのようだ。


それまでは隙間風でみんなふるえて暮らしていたそうだ。


元妻の父親はオホーツク海に面した小さな村で生まれたが、小さいころは家族みんなで囲炉裏に足を向けて寝たそうだ。


だから足はまあ暖かったが、体と顔と頭が冷えて冷えて、布団をかぶって寝るしかなかったという。


朝目覚めると、口元にある布団のはしに白い霜ができていたそうである。


それに比べれば、今の私はまだまだずっとずっとマシである。


仙台から北海道に渡って友達の家に冬に招待されたとき、友達の父親がランニング(今のタンクトップみたいな下着)とステテコ姿で出てきたのには驚いた。


今の北海道の家は、冬はばんばんストーブを炊くので、夏みたいに暖かいのだ。


北海道の灯油は、政府の補助か何かで、本州より安く買うことができる。


しかも、北海道の企業は冬季に従業員に「暖房費」という名の手当を出すところが多い。


だから道民はストーブをばんばん炊くのだ。


しかし暖房費が高騰しているので、今はランニングを着ている父ちゃんは少なくなっているのではなかろうか。


たぶん、ランニングの上に長袖のシャツを着て、下はステテコではなくジャージくらいは履いているように思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.4キロ。

犯罪を犯した人間がよく精神鑑定を受けさせられる。


無駄だなと私は思っている。


私は、精神障害者だと偽って札幌で生活保護を受けている人を知っている。


札幌に移る前は千歳に住んでいて、そのときは私と同じ障害者就労継続支援B型事業所に通所していた。


このおばさんはうつ病だと嘘をついて役人と周囲を騙している。


うつ病患者なのに、パワハラはするし、人と激しく言い争う。


またこのおばさんは膝に障害があると訴えているが、その膝で男に金蹴りをやって男を倒しているので(この件で彼女は千歳の駅前交番で取り調べを受けている)、膝の障害というのも嘘だろう。


それと横隔膜が下がっていて体調が悪いと訴えているが、人の2倍のご飯を食べ、千歳市内の飲食店を盛んに食べ歩いていたので、これも嘘ではないかと疑っている。


私はこれまで何人かの精神科医を見てきたが、「私はうつ病のようです」と言えば、ほぼすべての精神科医は信じてくれるだろうなという感触を持った。


精神鑑定とはどういうことをするのか知らないが、犯罪者が嘘を付き通し、うなだれていたりすれば、医者としてはうつ病だと診断せざるを得ないだろう。


派手に騒いだりでかいをことを言いまくったりしたら躁病と診断されると思う。幻覚や幻聴が見えたり聞こえるようなフリを続ければ、統合失調症と診断する医者が多いだろう。


精神病は、それらの症状をよく知っていればその患者のフリをすることは可能だと思うのだ。


だから私は精神鑑定を信じていない。


医者によって見解が分かれることからして信用できないではないか。


異常な犯罪を犯す犯罪者の多くは心に闇を抱えている。


しかし、それを精神病と短絡的に見るのは間違っていると思う。


それよりも人を犯罪に向かわせるのは、おそらく育った環境だと思う。


親に虐待されたとか、学校でひどいイジメに遭ったとか、会社でパワハラを受けたとか、そういうことで傷つき世間を恨むようになった人が犯罪をおかすことが多いのではないか。


例えば安倍晋三を射殺した山上被告も、母親が旧統一教会に入信して財産ことごとくを献金したため兄弟が自殺したりして、それで安倍を恨むようになったのだと思う。


統一教会を日本に招き入れたのは安倍の祖父の岸信介で、安倍は岸の遺志を継いで旧統一教会と手を結び、選挙協力を頼んだ。

 


〈来日した文鮮明と歓談する岸信介(右)〉


ほかの自民党議員も安倍を見習って旧統一教会に接近した。

 

山上被告はそのことを知って、安倍をこのままにしていたら、旧統一教会はますます日本にはびこり、犠牲になる日本人が増えると危惧したのだろう。


人を殺すのは絶対にいけないことだが、そこまで山上被告を追い詰めたのは何だったのか、検察も裁判官もよく考えてほしい。


精神鑑定で精神疾患者だとなると、罪が軽くなる。


無罪になることもある。


これは納得できない。


例えば何人も殺人を犯しても死刑にならないなんておかしいと思う。


中には本当に恐怖の幻覚を見たりして犯罪に走る場合もあるだろう。


しかし、それを証明するのは著しく困難だと思う。


罪を犯したのだから、その罪に応じた相応の罰を与えていいと思う。


このことは病人、例えば認知症患者にも言える。


認知症の患者さんの中には、入院したりすると、ナースやヘルパーさんなどに対し、罵倒したり体を触ったりとやりたい放題になるケースが多い。


けれど彼らは、「パワハラ」や「セクハラ」などで訴えられることはない。


「病気なんだから仕方ない」と、ナースもヘルパーも世間もそう思ってしまう。


それはわかるが、罪は罪である。


認知症なら罰せられても何も感じないかもしれないが、それでも罰したほうがいいと思う。


そのように社会は変わったのだということを、まだ健康な人々や健康ではないけど罪を犯していない人に知らせるためだ。


そうなれば、いざ自分が病人や障害者になったら自分を律しようという自覚が生まれる。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.5キロ。

「なごり雪」は、伊勢正三が作詞・作曲した『かぐや姫』の楽曲である。

 


〈伊勢正三〉


『イルカ』によるカバー・バージョンがヒットを記録し、世代を超えて歌い継がれている。


もう50年も前に作られた曲だが、若者でも「なごり雪」を聴いたことのある人は多いと思う。

 


〈「なごり雪」を歌う『イルカ』〉


「春一番」は、『キャンディーズ』の9枚目のシングル曲である。


これも50年くらい前の曲で、『キャンディーズ』は早くに解散したから、知らない若者が多いかもしれない。

 


〈「春一番」を歌う『キャンディーズ』〉


この2曲には共通点がある。


いずれのタイトルも、それまでになかった言葉か、あったけれど使われていなかった言葉なのだ。


「なごり雪」は、『イルカ』が歌って大ヒットしたことで、2013年に日本気象協会が「季節のことば36選」で3月の言葉のひとつに選定した。


これを知った作詞・作曲した伊勢正三はこう語っている。


「ものすごく嬉しかった。実はこの曲を発表した当時、“なごり雪”という言葉は存在しなかった。勝手にこんな言葉を作られては日本語の乱れを助長する。『名残の雪』に変えたらどうだとまで言われた。作り手としては〈の〉はどうしても入れたくなかった。曲はヒットしたがモヤモヤは残った。あれから40年近く経って気象協会の〈季節のことば〉に選ばれたと聞き、胸のつかえがおりた気分」


以来、「なごり雪」という言葉が市民権を得て、春の季語にまでなったのだ。


一方、「春一番」は、立春から春分の間に初めて吹く暖かくて強い南風のことである。


具体的には、日本海に低気圧が発達したときに、初めて毎秒8メートル以上の南寄りの風が吹いて気温が上がる現象でもある。


しかし、その「春一番」が吹いたからといって気象庁が「“春一番”が吹きました」と発表したことはなく、そのため「春一番」という言葉はほとんど使われていなかった。


『キャンディーズ』が「春一番」という曲を歌って全国的にヒットした。

 


〈『キャンディーズ』〉


作詞したのは樋口雄右である。


彼がなぜ「春一番」という言葉を使ったのかはわからない。


もしかすると「春一番」という言葉を知っていたのかもしれない。


しかし、大多数の国民は「春一番」という言葉を知らなかった。


それで気象庁に、「“春一番”って何ですか?」という問い合わせが殺到した。


このため気象庁は「春一番」の定義を定めざるを得なくなり、昭和26年まで遡って「春一番」が吹いた日を特定し、平年値を作り、『春一番の情報』を発表するようになった。


こうして「春一番」は国民の間で普通に使われる言葉になったのである。


作詞家の力を感じさせてくれる話である。


ところで、『イルカ』が「なごり雪」を歌いはじめたのは25歳くらいからだ。

 


〈少し年齢のいった『イルカ』。若いころと面差しはほとんど変わっていない〉


見た目には年齢はもう少し下かなと私は思った。


それから50年も経ってもう75歳になっているのだが、最近の「イルカ」の写真を見ると、そんなに老けたようには見えない。

 


〈最近の「イルカ」〉


『キャンディーズ』は「普通の女の子に戻りたい」という名文句を残してずっと前に解散した。


その後、3人のうちランちゃん(伊藤蘭)とスーちゃん(田中好子)は女優として活躍した。


スーちゃんは若くしてガンで亡くなったが、ランちゃんは水谷豊と結婚し、子どもを産み、最近、またステージに立った。


その姿を見たときは驚いた。


もう70歳近いのに、『キャンディーズ』時代の顔のままと言っていいほど若々しかったからだ。


体型も細身のままで、たぶん若いころとあまり変わっていないと思う。

 


〈70歳目前で伊藤蘭はコンサートを行った〉


作詞家の伊勢正三も樋口雄右も凄いが、『イルカ』も『伊藤蘭』も凄い。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.3キロ。

明日6月1日は、北海道の西と南でヤマメ釣りが解禁される日である(道東・道北の解禁日は7月1日)。


道南や道央では4月1日~5月31日までがヤマメが禁漁なのだ(道東・道北は5月1日~6月30日まで禁漁)。


この時期にヤマメを禁漁にしているのは、孵化したヤマメを海に降らせるためだ。


ヤマメは冬の終わりから春の初めにかけて孵化し、春から初夏にかけて降海するからだ。


今ごろ道南・道央の川では、多くの釣り人が数メートル間隔で川辺に並び、竿を出していることだろう。

 


〈ヤマメ釣り解禁日の道南の朱太川〉


今の時期に釣れるのは、今年生まれた稚魚で、海に降らなかったオスが主流である。


メスの多くはすでに海に降っている。


ヤマメは日本固有と言っていい(韓国にもいるらしい)サクラマスというサーモンの河川残留型(本州では陸封型がほとんど)のことで、今ころになると、前年の秋に産卵した卵から春先に孵化した稚魚が8センチからせいぜい10センチくらいまで成長して活発に泳ぐようになる。


そのうちのメスの多くは、禁漁期間中に降海する。


オスのほとんどは川に残るのである。


それを釣り人が釣るのである。


釣れた小さなヤマメを釣り人は新子と呼ぶ。

 


〈新子ヤマメ〉


ヤマメは渓流魚の中で最も警戒心の強い魚だが、新子ヤマメにまだ警戒心はなく、釣り人がずらりと並ぶようなところでもどんどん釣られてしまう。


ヤマメの新子を天ぷらやフライにして食べるととてもおいいしいので、釣り人たちはリリースせず持ち帰り、家で食べる。

 


〈新子ヤマメの天ぷら〉


新子釣りは道内各地で盛んに行われているので、海に降らずメスが戻ってくるまで川で成長すべきオスの稚魚がどんどん釣られて少なくなってしまう。


本州ではダムが多いので海に降るヤマメは少ないが、北海道ではダムが少ないし、ダムがあっても寒い地域なのでヤマメはそんなに上流でなくても生息し、ある程度大きくなればメスのほとんどが降海する。


本州の渓流では普通、ヤマメとイワナは秋から翌年の春まで禁漁である。


ヤマメとイワナは秋に産卵するので、その産卵を邪魔しないよう秋から禁漁にしているのだろう。


春まで禁漁を続けるのは、ヤマメとイワナが孵化するまで見守ろうということだと思う。


しかし、それでも本州ではヤマメが激減したため、漁業組合などがヤマメを放流し、有料で釣り人に釣らせる河川が多い。


北海道では、ヤマメ資源はほとんど自然繁殖に頼っていた。


北海道の孵化場では、近年は秋サケとともにサクラマス(ヤマメ)の人工孵化放流も行っている。


サクラマス資源が減ってきたからだ。


そのためサクラマスの回帰数は増えてきている。


そのおかげで、サクラマス漁をする海の漁師たちは助かっている。

 


〈北海道沿岸で行われるサクラマス漁(登別)〉


近年は道内の多くの河川に釣り人たちがヨーロッパ産のブラウントラウトを放流している。


ブラウントラウトは獰猛な魚食魚で、かなり大きな魚までガブガブ食べてしまう。


それでヤマメが激減している河川が増えている。


私がよく釣行する千歳川でも、ヤマメは滅多に釣れなくなった。


ブラウントラウトに食い尽くされようとしているからだ。


食べる魚がいなくなり、ブラウントラウトは共食いを始めた。

 


〈共食いをするブラウントラウト〉


そのため小型・中型のブラウントラウトも釣れなくなった。


生息しているのは、とんでもなく巨大化したモンスター・ブラウンだけである。

 


〈ブラウントラウトは、このでかい口と鋭い歯で魚たちを食いあさる〉


これは先日、千歳川で釣った54センチの大型ブラウンだが、腹を割いて胃袋を見たらしぼんでいた。


今の千歳川には、大型ブラウンしかおらず、彼らのエサとなる魚たちがもうほとんどいなくなっているのだ。


千歳川の孵化場でもヤマメの放流はしている。


メスは降海するのでいいが、川に残るオスは、ほとんどブラウンに食われてしまう。


腹を空かせている大型ブラウンたちは争ってそれらヤマメを食いあさるだろう。


このままでは、いくら人工孵化放流をしても、河川のサクラマス(ヤマメ)資源は枯渇してしまう。


海を回遊して大きくなったメスのサクラマスが戻ってきても、ペアとなるオスがいないのでは産卵できないからだ。


そのようなことを関係機関に手紙に書いて送ったことがある。


返ってきた手紙には「サクラマスの回帰数は増えているので、今のところブラウンの駆除については考えていない」という内容が書かれてあった。


その返信を何度も読み返してみて、行政は釣り人のことは二の次にしか考えていないのだと思った。


海の漁業者のことしか考えていないのだと、あらためてそう思った。


自然産卵が減っても人工孵化放流によってサクラマスが沿岸にさえ帰ってきてくれればいいということだと思う。


そうすれば海の漁業者はサクラマスを漁獲できるからだ。


ブラウントラウトによって河川のヤマメが絶滅しても、どうでもいいと考えているとしか思えない。

 

ずいぶん昔、北海道の水産試験場がろくな成果を上げていないという批判が漁業者から上がった。

それはないだろうと思った私は道立水産試験場の研究員に密着してルポルタージュを書いた。

そういう経緯から、『北の魚たち』という図鑑を企画して水産試験場からひどく感謝された。

 

 

それはさておき、道内の水産関係機関は、漁業者の声ばかりを気にしている
 

道内の機関だからしょうがないのだろうが、漁業者だけに得をさせるというこれまでのやり方を見直すべきだと思う。

水産資源は漁業者だけのものではないのだ。


日本固有と言っていい大事なヤマメ(サクラマス)が絶滅してもいいと考えているとしたらとんでもない連中である。


くどくなるがもう一度言う。


ヤマメ(サクラマス)は日本固有と言っていいサーモンなのである。


その貴重な生物を守るのは日本人の必須の務めだと思う。


しかもこれはヤマメだけの問題ではなく、生態系の問題でもある。


例えば千歳川には多くのカワセミ等の鳥が棲む。

 


〈カワセミ〉


彼らが狙うのは小型の魚で、それは千歳川の場合、ヤマメの新子であることが多い。


そういうことも考えれば、内水面のヤマメが絶滅したら、生態系が大きく狂って、将来、何らかの問題が起こるのではないか。


いや、起こるだろう。


行政は、事故でも何でも、起きてから問題解決に動くことが多い。


しかし生態系が大きく狂ってしまったら、もとに戻すのははなはだしく困難である。


無理と言ってもいい。


ブラウントラウトの駆除をすべきだと思うが、ブラウンが激増している今となっては駆除はほとんど無理だろう。


であれば、せめてヤマメの新子釣りを禁止すべきだ。


そうすれば、サクラマス(ヤマメ)の自然産卵に少しはつながると思う。


河川の生態系を守るためにも、行政は今すぐ動かなくてはならない。


行政がヤマメの新子釣りを認めているのも、内水面におけるサクラマス(ヤマメ)資源などどうでもいいと思っているためではないか。


行政がサクラマス(ヤマメ)を人工孵化放流しているのは漁業者だけのためで、釣り人のことなどどうでもいいと考えているのだと思う。


釣りのことを行政は「遊魚」と呼ぶ。


そんな遊びをしている連中のために人工孵化放流をしているのではないということに違いない。


道民の税金で人工孵化放流をしているに、得をするのが漁業者だけというのは納得できない。


釣りは確かに遊びだが、今や立派なゲームになっていて、多くの愛好家がいる。


そういう愛好家たちのためにもサクラマス(ヤマメ)資源を提供してもらいたいものだ。


そういうことも行政の大切な役目だろう。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.3キロ。

私はイジメが大嫌いだ。


弱い者イジメをするなんて人間のクズだと思っている。


そのイジメを私の上の妹はしていた…。


イジメの相手は下の妹だ(私にはふたりの妹がいる)。


それを知ったときのショックはたとえようがない。


下の妹が小学校に上がったころから上の妹のイジメが始まったらしい。


「始まったらしい」と書いたのは、そのとき小学校高学年だった私はまったく気づかなかったからだ。


父も母も気づかなかった。


それほど狡猾に上の妹は下の妹をイジメを続けた。


下の妹は低学年だったので上の妹と一緒に通学しなければならなかった。


すると上の妹は下の妹に「わたしの少し後ろを歩け!」と命じ、近くを歩かせなかった。


上の妹は美人で通っていたので、自分より容姿の劣る妹と一緒にされたくなかったのかもしれない。


そして通学の際、妹に対して罵声を浴びせたり馬鹿にしたりというのが毎日だった。


そのころ下の妹は密かに日記を書いていて、そのころのページには「ねえちゃん死ね! ねえちゃん死ね!」と毎日書いていた。

 


下の妹は62歳になる今でもそのノートを持っていて、私は20年ほど前にそれを見せられた。


上の妹は小学校を出て中学に進んでも高校に行っても、下の妹へのイジメを続けた。


大人になって結婚して子どもを産んでもイジメは止まらなかった。


そんなある日、下の妹から私の携帯にメールが入った。


「ねえちゃんに殺される!」というメールだった。


上の妹と下の妹の間で何かいさかいがあり、すると上の妹が「今からあんたを殺しにいく!」というメールを下の妹に送ったのだ。


こういうことは以前からあったようだが、そのときは「ねえちゃん、本気だ」と下の妹は思ったみたいだ。


それで、それまで私に黙っていた上の妹のイジメについて下の妹が語りはじめた。


私は呆然とした。


上の妹は利己的で性格が悪いが、下の妹をイジメているとは思ってもみなかったからだ。


私は下の妹を守るにはどうしたらいいか考えた。


というのも、妹ふたりは仙台に住んでいて、私は遠い北海道に住んでいたからだ。


考え抜いて私は、上の妹に「俺の家族、親戚に連絡を取るな。取ったらただじゃすまさない」というメールを送った。


「下の妹と連絡を取るな」などと言えば、下の妹が上の妹にイジメられていることを私に告げ口したことが上の妹にバレてしまうと思ったからだ。


それで親戚一同に連絡を取るなとメールしたわけだ。


そのためイジメはやんだ。


しかし、私の娘が北海道で結婚式を挙げるとなったとき、上の妹を呼ばないわけにはいかない。


それで上の妹の息子に頼んで上の妹への連絡を頼んだ。


ずいぶん前に離婚して母子家庭になって母子家庭手当をもらっていた上の妹はヤクザと付き合って密かに月に35万もの援助をしてもらっていた。


しかしそのヤクザとも切れ、上の妹は老後のことが心配になって、どういう手段を使ったのか不明だが、横浜みなとみらいに住む野村證券に勤める男の元に転がり込んでいた。


そのことは私たち親戚には隠れてやった。


成人しているとはいっても子どもふたりを置き去りにして男の元に走ったことがバレてはまずいと思ったのだろう。


だから上の妹に連絡するには彼女の息子に頼らなければならなかった(彼だけは母親との連絡が取れた)。


連絡を受け取った上の妹は、「兄ちゃんの娘の結婚式をぶちこわしてやる!」というメールを私に寄越した。

 

「俺の家族、親戚に連絡を取るな。取ったらただじゃすまさない」というメールを私から送られたことを、上の妹は執念深く恨んでいたのだろう。


「これは本気かもしれない」と感じた私は、上の妹が所属する創価学会の横浜支部の支部長宛に手紙を書いた(上の妹は創価学会員である)。


信仰する宗教団体の幹部から指導されれば、彼女といえども思いとどまると考えてのことだ。


それが功を奏したのかどうかわからないが、結婚式で上の妹はおとなしくしていて、二次会に誘うとそれにも来て「ぶちこわし」はしなかった。


だけど用心して、上の妹の席とは離れたところに下の妹を座らせ、その隣に私が座った。


下の妹は上の妹のことを恐れるあまり精神的に不安定になっていたからだ。


あのときほどハラハラしたことはない。


「俺の家族、親戚に連絡を取るな。取ったらただじゃすまさない」とメールした後、下の妹へのイジメはなくなっているようだ。


しかし、私たち兄妹の関係は完全に壊れた。


今は修復する気もない。


上の妹が「わたしは長年、妹をイジメてました。すみません」とみんなに謝らない限り私は許さない。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.9キロ。

通所していた千歳の障害者就労継続支援B型事業所を退所した。


そこで動画作成について学んでいたが、自分には適性がないと見切ったので、辞めたのだ。


私が動画作成を学びたいと思ったのは、映画やドラマのオープニング動画を作れるようになにりたいと思ったからだ。


そのことは、入所するときに事業所の責任者にも指導員にも話した。


なのに事業所ではスマホで見るショート動画しかやらせてくれなかった。


そういうのは、頼まれても作りたいと思わない。


作っていてもまったく面白くなかった。


そういう気持ちがあるからなのか、私の作った動画はあまり評価されなかった。


しかし、これは基本を身につけるための練習なのだと自分に言い聞かせて頑張ってきたが、いくら努力してもいい動画を作ることはできなかった。


自分には動画作成の適性がないのかと思った。


それで自分で企画した動画をいくつか作ったが、それもあまり評価してもらえなかった。

 


〈自分で企画して作った動画の一部の冒頭〉


もう一度だけ挑戦して、それでダメだったらあきらめようと思った。


それで、私が自分で作りたい題材を考え、スマホではなくテレビ画面で観るような動画を作った。

 


〈最後に作った記録映画のシーンのいいくつか〉


ある事件についての、11分半の長い記録動画である。


10分くらいにはなるだろうと思っていたが、少し長くなった。


それで指導員に「見てください」と言ったら、「11分? そんなの見てられない」と一蹴された。

 

 

「そんなの?」と驚き、開いた口がふさがらなかった。

 

何日もかけて渾身の力を振り絞って作ったのに、「そんなの」とはあまりにひどいではないか。

 

この事業所ではスマホで観る動画を専門に作っているので、その指導員にしてみれば、そんな長い動画を作ってどういうつもりかと言いたかったかもしれない。


「スマホで観る動画じゃない」と言おうと思ったが、もうどうでもいいやと思って、それは言わなかった。


最近、その指導員は特定の利用者とばかり話していて、私も含めて他の利用者と話をしなくなっていた。

 

目つきからして変わった。

 

目をかけている人には優しい目をするが、そうでない人には冷たい目をするようになった。

 

できる人なので、少しばかり傲慢さが出てきているのかもしれない。

 

障害者施設でそういう姿勢は職員としても指導員としてどうなのかと思ったが、私に対してもそういう態度と目に変わったので、意見することは控えていた。


見放されたのかなと思っていたが、やはりそうだったのだと思った。


「そんなの見てられない」という彼のそのひと言は、躁鬱病の私を鬱期に落とすのに十分な威力を持っていた。

 

障害者を抱える事業所が障害者にそんなひどい態度を取ったり言ったりするのは大問題である。

 

障害者虐待と言っても過言ではない。

 

私を鬱期に突入させるのに十分すぎるほどの乱暴な言葉は“凶器”と言っていいので、虐待という表現は大袈裟ではない。

 

『言葉による攻撃はパワハラだ!』でも書いたように、言葉による暴力は身体的な暴力よりもはるかに大きなダメージを相手に与える。

 

あの指導員のいる事業所には怖くて行けない。


帰宅するまで何とか耐えていたが、帰宅したら、気が抜けたのか完全な鬱になっていた。


もう誰とも会えないし、電話で話すこともできない。


それで事業所には退所する旨メールした。


これで工賃がもらえなくなり、今後の生活が厳しくなる。


もしかすると生活していけなくなるかもしれない。


でも、それでもいい。


いつまで生きられるかわからないが、ひとりで釣りにいくくらいならできるので、今後は釣り三昧のカントリー・ジェントルマンで行こうと思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.6キロ。

私は釣りにいくとき、ウェーダーを履く。


ウェーダーは昔の胴長的なものだが、今はゴム引きの分厚く重いものではなく、軽くて動きやすく、「胴長」とはかなり雰囲気が違う。


その上、外からの水ははじくが内側に溜まる汗は外に逃がすという画期的な素材でできているものも多い。


だから今の釣り人は「胴長」とは普通言わず、「ウェーダー」と言う。


そのほうがしっくりくるからだ。


ところで、私はウェーダーのショルダー・ストラップに「ナースウォッチ」をぶら下げている。


私のフィッシングベストは重くて2キロもある。


ウェーダーを履いてフィッシングベストを着るとき、ちょっと時間がかかる。


まず右腕を通し、次に左腕を通すのだが、左腕にはめている腕時計が引っかかって、なかなかうまく着ることができないからだ。


それで、釣りにいくときは腕時計をしなくなった。


その代わり、昔使っていてバンドの壊れた腕時計の本体に細いストラップを付け、それをウェーダーのショルダー・ストラップに巻いてぶら下げるようになった。


その腕時計が壊れてしまい、今は「ナースウォッチ」にしている。


この「ナースウォッチ」はAmazonで買った。


ネットで「時計 ぶら下げる」で検索したら出てきたのが「ナースウォッチ」だったのだ。


「なんで“ナースウォッチ”って名前なの?」と不思議に思って調べた。


そしたら、看護婦さん(男性もいるから「ナース」と書こう)は普通、腕時計をはめるて仕事をするのを禁じられていることが多いと知った。


腕時計のバンドには菌が付着しやすく、また作業するとき邪魔になったり、患者を介助する際に腕時計で患者の体を傷つけてしまうため、ほとんどの病院ではナースに腕時計の着用を禁じているらしい。


日本に限ったことではなく、外国でもそうだという。


WHO(世界保健機構)でも、「ナースの腕時計禁止」を奨励している。


腕時計だけでなく、指輪などのアクセサリーも禁止らしい。


そういえば、病院やクリニックで見るナースたちは、確かに腕時計も指輪もしていないなと思い出した。


「ナースウォッチ」にはいくつかの種類がある。

 


〈さまざまな「ナースウォッチ。機能もいろいろ〉


私が買ったのはぶら下げるタイプだが、カラビナなどで制服に直接取り付けるタイプのものもある。


時計の6時方向にカラビナ等の接続器具が設置してあり、時計を持ち上げることで時間をすぐ確認できる。

 


〈一般的な「ナースウォッチ」〉


業務中に見やすい設計になっている。


患者の脈拍を測る、点滴の滴下数を計測するという場合に、秒数表示は必須なので、アナログタイプであれば秒針付き、デジタルタイプでも秒数の表示がついているモデルがいいそうだ。


パルスメーター(暗算することなく一目で脈拍数がわかる表示)などが文字盤に刻まれているモデルも多く、非常に実用的なデザインが多い。

 


〈パルスメーターを付いた「ナースウォッチ」〉


入浴介助をすることもあるので、「ナースウォッチ」は防水性も必須だという。


ナースには夜勤もあるので、蓄光付きのウォッチだと使用しやすく、そういう「ナースウォッチ」もある。


中にはソーラー充電式のものもある。


だとすると、介護士やホームヘルパーさんも「ナースウォッチ」をしているのかもしれない。


もしかすると、子育て中のママさんなどにも「ナースウォッチ」はいいかもしれない。


私の買った「ナースウォッチ」はひどく安いもので、長針と短針とと秒針と時間を表す数字があるだけのもので、「生活防水」とは書かれていたが、川で転んだりしたらダメになりそうなチャチなものだ。

 


〈私が買った「ナースウォッチ」〉


ナースの現場も介護の現場も厳しいなあ。


認知症の患者さんが増え、そういう人は平気で怒声を放ち、罵り、ナースや介護士等の体に触り、ワガママを言ったりする。


普通の人なら「パワハラ」や「セクハラ」や「モラハラ」などで訴えられるが、彼らは病人だから訴えられない。


それも「どうなんだろう?」なと思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+4.9キロ。