Wikipediaによると、「春画」とは、特に江戸時代に流行した性風俗(特に異性間・同性間の性交場面)を描いた絵画のことである。
浮世絵の一種でもあり、笑い絵や枕絵、秘画、ワ印とも呼ばれるそうだ。
冊子状のものは笑本、艶本、好色本、枕草紙という。
その描写は必ずしも写実的でなく、性器がデフォルメされ大きく描かれることが多い…。

〈江戸時代の春画〉
けれど、江戸時代の春画を見ると、そんなにデフォルメされているとは思えない。
ペニスが大きくは描かれているものもあるが、女性器は写実的だと思う。
(日本のこの春画は外国に一部流れ、それを見た外国人たちは日本人のペニスは巨大なのだと思ったらしい)
陰毛も見事に描かれている。
隠すことなく、モロ出しで描かれている。
原画を描いたのは喜多川歌麿などの有名な浮世絵師たちだった。
歌麿は、先日最終回を迎えたNHK大ドラマ『べらぼう』で紹介された通り、江戸の出版界に旋風を巻き起こした蔦屋重三郎が見いだした浮世絵師で、蔦重の死後、どういうわけか春画を描いた。
落ちぶれた女優がヘアーヌードを出すことがよくあるが、歌麿も売れなくなって春画に走ったのだろうか。
それとも、春画は葛飾北斎も描いたので、当時のはやりで春画のような絵の需要が出てきたのかな。

〈春画の最高傑作と言われる、喜多川歌麿の「歌満くら」〉
(外国で一番有名なのは歌麿の春画のようで、大きなペニスを見た外国人は「Oh! Utamaro!!」と言うそうだ)
それらを版画にするので、よくもまあ、こんなややこしいもの(特に陰毛)を彫って刷ったものだと思う。
一色刷りならまだしも、多色刷りなら、黒い部分、赤い部分、黄色い部分というように、一枚の絵なのに何枚もの版を彫らなくてはならない。
現代はそれを機械(今はパソコン)がやってくれるが、当時はみな手仕事だった。
当時の職人たちの技術の高さに驚くしかない。
春画は日本だけのものではないようだ。
戦国時代や江戸時代に来日した外国人は、どこの町に行っても遊郭があり、街道の宿場にも飯盛女という遊女がいるのに驚き、そのことを書き残している。
来日した外国人は宣教師が多かったので、日本人は好色だなあと余計にそう思ったのだろう。
女性と交わることのできない彼らは、うらやましいと思ったかもしれない。
しかし、好色なのは日本人だけではない。
西洋でも、早くも古代文明の昔に、男女の性愛を描いた絵画や彫刻が存在している。
紀元前30世紀ころのシュメールのウルの泥章(粘土板に描かれた線刻画)が残っていて、紀元前13世紀ころの古代エジプトのパピルスには「十二態位(ドデカテクノン)」と呼ばれる春画が描かれている。
古代中国では殷の紂王が画家に命じて男女交接図を描かせたことが、前漢の劉向『列女伝』孽嬖伝に記されている。
世界中の人間が好色で、春画を好んだのだ。
私が子どものころは、永井豪の『ハレンチ学園』が連載開始になり、大はやりになった。

〈『ハレンチ学園』〉
高校のころはビニ本が出て、女性器の最も重要な一部だけ黒塗りにした写真集が、やはり大はやりになった。
そしてヘアーヌードが登場し、インターネットが始まると、モロ出しの写真や動画を見ることができるようになった。
ただし、「モロ出し」は外国のものがほとんどだった。
日本では「モロ出し」の写真や動画を出すと「猥褻(わいせつ)物…ナントカ」という法律に引っかかるからだ。
昔、『イレブンPM』という深夜番組があった。
大橋巨泉が司会で、大橋は「日本もヘアー解禁にすべきだ」とよく言っていた。
外国では解禁されているのに日本が解禁されないのはおかしいということのようだった。
それがその十数年後に日本でもヘアーヌードが解禁となり、多くの女優などがヘアーヌード写真集を出すようになった。
江戸時代に戻ったのかなと私は思った。
江戸幕府は儒教を特に武士階級に強制した。
儒教の中でも朱子学を奨励した。
朱子学では、結婚前の男女の性行為を淫らなものとしているらしい。
そこから、女性の処女性が重んじられるようになったようだ。
それ以前は男女の関係はおおらかだったのに、江戸期に入ると急に窮屈になった。
ただし、武士たちが最も重視していたのは子孫を残すことで、そのためお嫁さんは子をたくさん産まなくてはならなかった。
家を継ぐ男子がいないのに当主が死ぬと家禄を没収され家を取り潰されるからだ。
それで嫁入り道具の中に春画を入れるということもあったらしい。
今で言う性教育のためのツールだったのだろう。
それは江戸期以前からあった。
江戸時代に入って武士階級が安定したので、“性教育”の習慣は江戸期には以前より盛んになったかもしれない。
朱子学的な考え方は農民や職人や商人にも行き渡り、それ以前に比べれば、女性が貞操を守ることなどが重要視されるようになった。
だけど、武士でさえ春画を好んだのだから、農民や町人はもっと好んだだろう。
それで春画が江戸の町を席巻した。
春画愛好は明治、大正、昭和まで続いた。
戦後すぐのころ、怪しげな事件が次々と起こった。
そのひとつが「下山事件」だ。
国鉄(今のJR)総裁の下山定則が、国鉄の線路上で轢断(れきだん)遺体となって発見されたのだ。
当時、GHQは下山に対して国鉄職員の大量の人員整理を要求していた。
それで悩んだ末の自殺との見方もあったが、状況証拠からは、他殺としか考えられなかった。
つまり、下山は別の場所で血を抜かれて殺され、その死体が線路上に置かれ、列車に轢断されたと見るのべき状況にあったのだ。
なぜなら、轢断された下山の体からは血がほとんど出ていなかったからだ。
生きている人間が轢断されれば、大量の血が出る。
死んでいる人間が轢断などされても血は出ない。
しかし、GHQの圧力があったのか、警察は他殺説を捨て、自殺説を取った。
GHQが警察に圧力をかけたのなら、犯行はGHQ関係の人間たちによるものだったのだろう。
けれど敗戦国の警察はGHQの圧力に屈するしかなく、警察は下山が自殺したことにした。
他殺説を主張する警官たちは、下山の遺体からなぜ血がほとんど出なかったのか等のこととともに、死体が発見された前日の朝、下山が銀行の貸金庫に寄ったのに、そのに中にしまってあった春画をそのままにして銀行を出たのはおかしいと指摘した。
自殺しようとする者が、他人に見られたら恥ずかしいと思うような春画を残しておくはずがないというわけだ。
もっともである。
私だって、自殺するつもりなら、その前に、他人に見られたらまずいものはみな処分する。
だから私も下山総裁は誰かに殺されたのだと思っている。
話がそれた。
言いたかったのは、昭和の20年代でさえ、春画が存在していたということだ。
(令和の今でも春画愛好家はいて、女性の愛好家は「春ガール」と呼ばれる。また、江戸期の技法を使って春画を描く人も版画にする人も現代でも存在する。彼ら彼女らは淫らな気持ちで春画を愛好したり描いたりしているのではなく芸術のひとつとして捉えている)
当時はヌード写真集なんてなかったから、男たちは春画を持ったのだろう。
今はヌードといえばヘアーヌードと言っても過言ではない。
ただし、性器の露出はまだ禁じられている。
性器もそのうちにモロ出しオーケーになるだろう。
江戸時代に戻るのだ。
【ダイエット記録】目標達成体重より+4.3キロ。