aichanの双極性日記

aichanの双極性日記

千歳在住の情けないおじさんです。
双極性2型で喘息で、ブログ〈Zensoku Web〉(https://aichanzw.seesaa.net/)、
note(https://note.com/aichanzw)もやっています。

私には息子と娘がいる。


この「ムスコ」と「ムスメ」の語源は何だろうかと昔から不思議だった。

 


「コ」は「子」の「コ」か「日子(彦)」の「コ」、「メ」は女性を表す古代語の「メ」かなとは思っていた。


「ヒコ」は男の名前に付けるもので、「メ」は女性のことだったのだ。


しかし、「ムス」がわからない。


調べてみると、「ムス」は「生まれる」という意味の「産(む)す」から来ているようだ。


「君が代」の「苔のむすまで」の「むす」と同じ意味である。


「生まれる」「生じる」「増える」という意味が「ムス」にはあるという。


古代日本語には「むすひ」という言葉があった。


「産霊」と書かれる。


「魂を産む」といった生命の誕生に関わる言葉である。


「おむすび」という言葉もそこから来ているのかもしれない。


これらの言葉は縄文時代に芽生えていたと考えられている。


それはともかく、とすれば、「産子」とか「生女」とか書いてもよさそうだ。


それがなぜ「息子」と「娘」になったのか。


「息」には、「息づく」「生きている」といった意味があるそうだ。


そこで古代人は、生まれて成長する男の子のことを「息子」と書くようになったらしい。


では、「娘」はどうだろうか。


「娘」の本来の意味は「母親」のことで、中国で「娘」といえば「お母さん,母ちゃん」を指すらしい。


とすれば、生まれて成長する女の子を「ムスメ」と呼ぶようになったのは古代日本人で、それに「娘」という漢字を当てたのも日本人のようだ。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.9キロ。

昨年暮れ、冷蔵庫が壊れた。


仕方なく、Amazonで安いのを探して新しいのを買った。


届いたのを見たら、壊れた冷蔵庫よりもずいぶん小さかった。


冷蔵室の容量が少なく、買いだめすることができなくなった。


冷凍室なんてほとんど氷を作ることくらいしかできず、冷凍食品もほとんど買えなくなった。


それより問題だったのは、新しい冷蔵庫の支払いだった。


PayDayという方法を使ったのだが、これだと分割払いにできる。


3回払いにしたので月々の返済額は大したことはなかった。


しかし、ギリギリの低空飛行で何とかやりくりしている家計では、その程度の負担でも応えた。


その支払いがやっと終わったと思ったら、今度は洗濯機が壊れた。


少し前から、「洗い」と「すすぎ」のときにガガガガと凄い音がするようにはなっていた。


かなり昔の洗濯機なので、もう寿命なのかとは思っていた。


それが先日、スイッチを入れるだけでゴゴゴゴーというものすごい音が出るようなった。


プラグを抜いてしばらくしてまたコンセントに挿してスイッチを入れてみても同じ。


ついに壊れたのだ。

 


暗澹となった。


通所していた障害者就労継続支援B型事業所は退所した。


ひどい言葉を浴びせられたからだ。

 

《2026年6月12日》ー双極性障害/今は鬱期/恐れていた引きこもり状態に突入


それ以来、鬱期に突入している。


そんなときに「これはないだろ…」と思った。


鬱期で人に会うのも難しいう上に家計が以前よりも苦しくなっている。


呆然とした。


娘に相談することにし、LINEを送った。


「日曜日に電気屋行こう!」と返信があった。


娘に会うのも億劫だったし電気屋に行くのは怖いが、洗濯機がないとはなはだしく困るので、娘に電気屋まで連れていってもらうことにした。


その間に風呂桶で洗濯物を洗ったのだが、何とか洗えたものの、絞って干すのが大変だった。


ぎっちり絞ったはずなのに、干した洗濯物の下の床には、数時間にわたってポタポタと水滴が落ちつづけた。


そんなこともあり、娘に電気屋に連れていってもらうことにしたのだ。


私はクルマを持っていないので、電気屋などに行くには娘のクルマに頼るしかないのだ。


前に冷蔵庫が壊れて買い直したときは、Amazonで買った。


そうすると壊れた冷蔵庫を引き取ってはもらえない。


大型ゴミで処分しようとしたら、冷蔵庫は専門の業者に有料で引き取ってもらわないといけないと教えられ、業者に頼んだら7千円も取られた。


洗濯機も同じだろうから、大型家電店で新しい冷蔵庫を買い、壊れた冷蔵庫を引き取ってもらったほうがいいと娘に教えられた。


それで一昨日の日曜に大型家電店に行ったのだが…。

 

娘が「キャッシュバック」になるような買い方をしたいと言い出し、アパートのWi-Fiの買い替えとかスマホの買い替えとかを相談するコーナーに行き、店員にいろいろと話を聞き、「家に帰って主人に相談してまた来ます」と言うではないか。

 

Wi-Fiとかスマホの買い替えをするとキャッシュバックを受けられることがあるかららしい。

 

しかし、自分の一存では決められないと思ったのか、「主人にそうだかしてまた来ます」ということになったわけだ。

 

そのあとに洗濯機を見るには見たが、娘としてはキャッシュバックで得た金で洗濯機を買ったほうがいいと考えていて、洗濯機を買うことなく帰ってきた。

 

私は洗濯機を買うだけの目的で大型家電店に行ったのに、何とも拍子抜けだった。


洗濯機売り場で娘が店員に話をいろいろ聞いていた。


配送はしてくれるそうで、しかし壊れた洗濯機を引き取るかどうかは「実物を見てから」ということだったようだ。

 

壊れていても引き取ってくれるそうだが、その場合は5千円かかるという。

 

ああ、また手洗いして手で絞って洗濯物を干さないといけない。

 

ああ……。

 

ただ、帰りに娘の家に招待され、手作りのスープカレーをご馳走になった。

 

どうやら「父の日」だったからのようだ。

 

これはバカみたいにうまかった!

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.1キロ。

 

「さようなら」という挨拶言葉は、昔の特に武士が「左様なら、これにてご免」と言っていたことから来ている。


「そうであれば(その通りなので)、これにて失礼する」という意味だ。


「左様でござる」「左様でございます」ともよく言っていた。


正確に言うと、江戸時代よりももっと以前の平安時代から「左様」は使われていた。


朝廷の左大臣は右大臣より位が高かった。


昔は、右より左のほうが上だと考えられていたわけだ。


だから「左様」といえば、自分より上位の人に対して使う言葉だった。


「あなた様がそのようにおっしゃるのであれば」という意味なのだ。


それが江戸期の武士が例えば自分よりも下位の人に対してまで「左様なら」「左様でござる」と言うようになったのは、たぶん謙遜してのことだったろうと思う。


言ってみれば、受け入れて引くといった印象を持つ言い方である。


つまり「左様なら」も「左様でございます」も敬語なのだ。


では「右様」と言うことはないのか?


ないようだ。


「そうであれば」という言葉が「さようなら」という挨拶言葉に変わったのは、明治になって元武士たちが「左様なら」をよく使ったのが民間にまで広まり、別れるときに使われるようになったのだろう。


東北や北海道では、別れるとき「したっけね」と言う。


これは「そしたらね」が訛ったものだ。


きっと、「左様なら」が変化して「そしたらね」になり、「したっけね」が生まれたのだろう。


「こんにちは」は、「今日はお日和がよろしいようで」という挨拶言葉が省略され、「こんにちは」になった。


東北では「おみにょうにち」という挨拶言葉も使われている。


これは「お明日」のことで、「またあした」という意味である。


「こんばんは」はもちろん「今晩は」で、本来はその後に「お元気ですか」とか付けていたのだろうが、いつの間にか「こんばんは」だけで済ませるようになったのだろう。


日本人は言葉を短縮させたり省略させるクセがあるので、そのせいもあってそういう短縮型の挨拶言葉にしたのに違いない。


英語の挨拶言葉は「Good bye」にしろ「Good night」にしろ、そのまんまの意味だ。


「Good bye」を直訳すれば「良いお別れ」だし、「Good night」は「良い夜を」という意味で、まさに挨拶の意味である。


中国語では「おはよう」は「早」や「你早」と言う。


「你」は「あなた」の意味で、だから「你早」は「あなたは早いね」という意味だろうか。


「你」を使う言葉としては「你好」(ニーハオ)がよく知られている。


これは「こんにちは」とか「お元気ですか」という意味である。


日本の挨拶言葉と少し似ている点はあるが、言葉そのものの意味に挨拶の意味がもともと含まれているという点で日本の挨拶言葉とは違う。


日本語の「じゃあね」は「では」が変化した言葉だと思う。


「これにてご免」という挨拶言葉からは、「ごめんなさい」「ごめんください」といった挨拶言葉が生まれた。


「ごめんください」は、訪問したときにも、帰るときにも使う。


「ご免ください」は「失礼します」という意味も持つので、そういう使い方がされるようになったのだと思う。


日本人は言葉の意味をあまり考えず、みんなが使うからとか、便利そうだからといった理由で、多くの挨拶言葉を作ってきたのだろう。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.1キロ。

日本人の誕生について、ずっと以前からよく考える


「日本書紀」や「古事記」には、イワレヒコは日向から奈良に入って政権を打ち立てたとある。


それがヤマト王権だとも。


イワレヒコは後に神武天皇と諡(おくりな)された。


日本の初代天皇とされる人物である。


その即位は西暦で紀元前660年の2月11日である。


この記述を信じた右翼どもが、「2月11日」を建国記念日と定めた。


それでいまだに日本では「2月11日」が建国記念日で祝日になっている。


紀元前660年といったら縄文時代である。


弥生人が渡来する数百年前である。


そんな時代に日本を統一したような権力者がいたはずがない。


「日本書紀」は日本という国の正式な歴史書として作られた。


編纂したのは、藤原不比等(ふひと)である。


中大兄皇子(なかのおおえのみこ・後の天智天皇)とともに蘇我入鹿(いるか)を暗殺した藤腹鎌足(かまたり)の息子である。


ふたりは宮中で蘇我入鹿を暗殺した。

 

〈蘇我入鹿の暗殺〉


おそらくクーデターだったろう。


そのころは蘇我入鹿が天皇で(当時はまだ天皇という呼称はなく大王〈オオキミ〉)、大きな権力を振るっていたのだと思う。


それを面白く思わない中大兄皇子と藤腹鎌足はクーデターを計画し、うまくやり遂げた。


そして蘇我氏を滅ぼし、ふたりが政権を取った。


中大兄皇子が天智天皇になると、朝鮮半島の百済(くだら)を救うため大軍を派遣している。


相手は朝鮮半島を三分していた国のひとつ新羅(しらぎ)だが、その背後には唐が付いていた。


軍を派遣するなら新羅と唐の連合軍と戦うことになる。


とうてい勝ち目はない。


なのに天智は大軍を百済に派遣した。


そして白村江の戦いで惨敗した。

 

〈白村江の戦い〉


このことから私は、天智か鎌足のどちらか、それとも両者とも百済出身者だったのではないかと思っている。


蘇我氏は、もしかすると縄文系の先住民の豪族だったかもしれない。


その蘇我氏が強い権力を振るっているのを鎌足たちは嫌ったのだと思う。


それで入鹿を暗殺し、自分たちの政権を作ったのではないか。


このころは複数の豪族が順番に政権を任されていたのではないかと思う。


「天皇は万世一系」とよく言われるが、それは天武以降のことである。


古代は、複数の豪族が順番にヤマト政権のリーダーになっていたのだと思う。


「日本書紀」では、天昭大神(あまてらすおおみかみ)が孫のニニギを九州の日向に降臨させた。


ニニギの子孫であるイワレヒコは畿内に進み、大坂でいったんは敗れたものの、紀伊半島を南に降って熊野から山々を超えて奈良盆地に入り、そこを治めていた豪族を倒してヤマト王権の基礎を築いたことになっている。


いわゆる「神武東遷」である。

 


〈「神武東遷」〉


「日向」を「日本書紀」では「ヒムカ」と読ませている。


これを今の宮崎県の「日向」(ひゅうが)だと考える学者もいる。


ニニギが日本に降臨すると、山の上から朝鮮半島のほうを見て、故郷を偲ぶようなことを言った。


宮崎県から朝鮮半島のほうを見ても山々にさえぎられて山と空しか見えない。


北九州から朝鮮半島のほうを見たと解釈したほうが合理的だ。


とすれば、ニニギは“天”である朝鮮半島で生まれ、“降臨”したのが北九州だと考えたほうがいい。


いずれにしても、イワレヒコの孫であるニニギが天から降臨した地は「日向」で、それは九州である。


「ヤマト」はもともと九州にあったクニで、それが東に移ってヤマト王権を築いたことになる。


「邪馬台国」を日本人は「ヤマタイコク」と読むが、「邪馬台」を中国人が読むと「ヤマド」と聞こえるらしい。


とすると「邪馬台国」は「ヤマト」であり、それが日向から奈良に移ったと考えたほうがいいのかもしれない。


しかし、「日本書紀」には邪馬台国や卑弥呼についても、それらを記している魏志倭人伝についてまったく触れていない。


当時の日本の権力者が魏志倭人伝を知らなかったはずがない。


では、どうして触れなかったのか。


「神功皇后」という架空としか思えなくて卑弥呼に通じるような女性を登場させているが、「日本書紀」を編纂させた藤原不比等は、そのことで「邪馬台国」と「ヤマト王権」のつながりを暗示させたかったのかもしれない。

 


〈「神功皇后」の想像図〉


では、なぜ「魏志倭人伝」とか「卑弥呼」と明確に書かなかったのか。


私は長年、そのことについて考えてきた。


弥生人が大量渡来して日本語の原型ができたころ、日本で勢力を振るっていた政権は複数あったのではないだろうか。


縄文系、渡来系とふたつだけでなく、縄文系にも複数、渡来系にも複数の政権があり、拮抗していたのではないか。


私は、今の関西弁を作ったのは弥生人だと思っていた。


主に北九州に上陸した弥生人はまず北九州で勢力を膨らませ、そして東に向かって畿内を制圧したと思っていた。


それて北九州の博多弁が変化していって関西弁ができたのだと考えていた。


しかし、北九州の博多弁と聞き比べると関西弁はかなり違う。


としたら、北九州に上陸して先住民を支配して政権を打ち立てた勢力と、畿内に政権打ち立てた勢力は違う民族だったのではないかと、最近はそう思うようになってきた。


北九州から日本に入ってきた渡来人と、山陰や北陸に上陸して渡来した人々は、違う民族だったのかもしれない。


北九州に上陸した弥生人は九州で政権を打ち立て、山陰や北陸に上陸した弥生人は畿内に政権を打ち立てたのではないだろうか。


そして博多弁などの北九州弁が生まれ、大阪弁などの関西弁が生まれたのではないだろうか。


いずれもその主体は朝鮮半島の人たちだったと思うが、朝鮮半島でも地域によって言語や習慣が異なっていたようなので、日本に渡来した彼らは、九州弁と関西弁のもとになる言語を使っていたと考えるほうが素直な見方かなと思う。


だから「日本書紀」は邪馬台国にも卑弥呼にも触れてないのではないか。


不比等とは関係のない民族の話だったからだと思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.2キロ。

昔、いくつかの小説らしきものを書いた。


『小説・柿の木旅館』は最近書いたもので、これはパソコンで打ったので「note」に投稿することができた。

 

 

 

 

 

 

しかし、他の小説らしきものは、一部投稿できたものもあるが、タイトルしか投稿できていないものもある。


一部投稿したのは、『バンブーの渓』『恋人ゲーム』だ。

 

 

 

 

 

 

 


『明日娘』はタイトルしか投稿できていない。

 


『明日娘』も『バンブーの渓』も『恋人ゲーム』も完成している。


40年近く前に打ったものだ。


タイトルしか投稿できていなかったり一部しか投稿できていないのは、それらが昔のワープロで打ったもので、フロッピーディスクにしか保存されていないからだ(プリントアウトはしておいた)。


ワープロ時代からパソコン時代になってパソコンでもフロッピーディスクに保存していたころ(昔はMOやCDなんてなかった)、『明日娘』と『バンブーの渓』と『恋人ゲーム』をパソコンで読み込もうとしたらできなかった。


ワープロで打ったものをパソコンで読み込めないのは不思議だった。


編集の仕事をしていたとき、ワープロで打った原稿を印刷屋に渡すとそれで印刷できていた。


当時は印刷屋もパソコンを使っていなくてワープロを使っていたからだろうか。


それで仕方なく、『バンブーの渓』と『恋人ゲーム』についてはプリントアウトしたものを見ながら途中まで打った。


しかし、何度か引っ越しを重ねるうちに、プリントアウトしたその原稿がなくなってしまった。


それで『バンブーの渓』と『恋人ゲーム』は途中までしか打てなかったのだ。


『明日娘』は、フロッピーディスクもプリントアウトしたものもなくなってしまった。


初めから書き直そうとか、途中まで打ったものは続きを打とうと何度も思うのだが、忙しかったりその気になれなくて、ここまで来てしまった。


フロッピーディスクが残っている『バンブーの渓』と『恋人ゲーム』については、今のパソコンで何とか読み込んで投稿したかったが、読み込めなくてダメだった。


パソコンにつないでフロッピーディスクを読み込む機器があることを知って、それを購入してパソコンにつなぎフロッピーディスクを挿入してみたが、読み込めなかったのだ。


私が使っていたのはシャープの「書院」というワープロだった。


この中古品を買えばフロッピーディスクを読み込めると思うのだが、ためらってしまう。


読み込めても、ワープロ画面かプリントアウトしたものを見ながらパソコンで打ち込まなくてはならない。


そういう入力は私は苦手なので、どうにも気が乗らないのだ。


フロッピーディスクを使えるパソコンのころに、全部打っておくのだったと悔やまれる。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.4キロ。

日本人は、いつでもよく「すいみません」と言う。


軽い挨拶程度の言葉としても使うし、間がたもてなく使うときもあるし、本当に謝るときにも使う。


もとは「済みません」で、取り返しのつかない失敗をしたときに使っていた言葉だろう。


それがいつの間にか、本来の意味だけでなく、人間関係の潤滑油的な使い方をされるようになった。


英語に訳すと「I'm sorry」となり、謝罪かお悔やみの言葉になる。


だから英語圏の人に「すいません」と安易に使うべきではない。


例えば交通事故を起こしたとして、そのとき自分が悪くなくても相手に「すいません(I'm sorry)」などと言ったら、「責任はお前にある! それをお前は認めた!」ということで、損害賠償しなければならなくなる。


これは英語圏の人に限ったことではなく、お隣の中国でもそうなのだそうだ。


中国人に「すいません」と言ったら、自分の罪を認めることになる。


他の国についてはわからないが、おそらく英語圏の人と中国人と同じのような気がする。


だから外国に行ったら、その点は注意したほうがいい。


しかも「すいみません」と言いながら日本人はペコペコと頭を下げる。


これでは、どう見ても心から謝っているようにしか見えない。


電話しながらも日本人は、相手がそこにいないのに「すいみません」と言いながらペコペコと頭を下げる。

 


日本人の私でさえ変だなと思うので、外国人なら「何、この人?」と不思議に思うだろうし、どう見ても聞いても「謝罪している」としか思えないと思う。


日本人はまた、「がんばれ」とよく言う。


「すいません」と同じく口ぐせみたいになっている。


「頑張る」は「仕事に全力を尽くし、最後までやり遂げる」といった意味である。


粘り強さ、根気強さ、勤勉などとも解釈できる。


しかし多くの場合、単に応援する言葉や励ましの言葉として使う。


上司が部下に「頑張れよ」と言っても、その「頑張れ」には「仕事に全力を尽くし、最後までやり遂げる」というほどの意味は込められていないことが多い。


励ます言葉なのだ。

 


阪神淡路大震災や東日本大震災などの大きな災害が起きると、他の地域の人が現地の人々を励ます思いを込めて「がんばれ」と言うことが多い。

 


大災害に見舞われた人は「がんばれ」と言われなくても「頑張る」ことしかできない。


こんなに頑張っているのに、「がんばれ」とはどういうことか?


現地の人はそう思うだろう。


他の地域の人たちが「がんばれ」というのは励ましているだけであって、他意はない。


けれども、「がんばれ」と言われた現地の人にしてみれば、いい気持ちにはならないだろう。


これは病人に対しても言える。


頑張って闘病している人に「がんばれ」はむごい言葉だと思う。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.2キロ。

昔、まだ若いころ(40年くらい前)、道東の釧路の近くの音別(オンベツ)川に釣行した。


確か7月に入って間もないころだった。


人間の手があまり入っていなくて堰やダムのない素晴らしい川だった。


中流にクルマを止めて、そこから河原に降り、流れの中を遡行しながらフライフィッシングをした。


ヤマメとニジマスがめちゃくちゃいる川で、どんどん釣ってはリリースしてを繰り返して、かなり上流まで達した。


するとニジマスは釣れなくなり、ヤマメは少し釣れるものの、ほとんどがアメマス(降海するイワナ)ばかり釣れるようになった。


時計を見るともう夕方に近く、川の中を降りていくと、クルマを止めたところに着くころには夜になると思われた。


それで周囲を見渡し、川から林道に歩いてのぼれるところを探し、そこから林道に出て、歩いて下流に向かった。


林道は土道だったが、やがてアスファルト道路になった。


そのとき、アスファルトの真ん中に丸っこくて黒くて小さな生き物らしきものがいるのに気付いた。


近寄ろうとしたら、そいつは丸っこい体をびよ~んと伸ばして4倍くらいの長さになり、頭のほうをずっと先のほうのアスファルト地面に付けた。


と、今度は後ろに残ったの部分を前に前進させ、頭部とくっつけた。


また丸っこい体に戻ったのだ。


そしてまた体を伸ばして頭部を前方に着地させ、後部を引っ張るようにしてまた丸っこくなる。


シャクトリムシ式の歩き方をしていたわけだ。


「ヤマビルだな」と思った。


見るのは初めてだった。


近づいて観察してみると、丸っこい体は1センチ程度だが、伸びると6センチ近くにもなった。


4倍くらい伸びたと見たのは遠くから見たからで、実際には6倍くらいにも伸びることを知った。


近くにあった小枝で突いてみると、ヤマビルは丸まってしまった。


掴んでみようかなと思ったが、吸いつかれて血を吸われるのは嫌だなと思い、そのまま放ってクルマのところまで戻った。


水の中にもヒルはいて、ヒルを真似たフライもある。


魚たちはヒルも食べるのだろう。


水の中に棲むこのヒルはチスイビルという。


名前の通り、吸血する。


そしてヤマビルも吸血する。


ヤマビル木の枝とかいて、下を動物が通りかかると、落ちてその動物に吸い付き、血を吸う。


調べてもみると、下を徹動物の足音や体温や排出する二酸化炭素を感知して落下するらしい。


チスイビルは緑色をしていて、ヤマビルは茶褐色や赤褐色をしているという。

 


〈ヤマビルいろいろ〉


しかし、私の見たヤマビルは真っ黒だった。


ヒルには数百もの種類があるそうだが、日本いるのは、このヤマビルとチスイビルの2種類だけのようだ。


昔の医者はこのヤマビルをたくさん飼って、患者を手当てした。


ヒルを何匹も患者の体に吸いつかせ、血を吸わせるのだ。


たぶん高血圧などの患者に有効だったのだろう。


その後、秋になってまた音別川に行ってみた。


すると下流でデカい魚があちこちでライズしていた。


「サケだろう」とは思ったが、釣る気はなかった。


彼らは産卵するために帰ってきたのだから、その邪魔をしたくなかったからだ。


初夏にクルマを止めたところまで林道を走っていくと、林道から川に降りられるすべて場所に白い鉄柵が張り巡らされていた。


禁漁になったのかと思ったが、そんな話は聞いていなかった。


それで初夏にクルマを止めた地点から入渓できず、アメマスばかり釣れた上流まで行ってみた。


するとそこは鉄柵がなく、らくらく入渓できた。


ただし、先行者が4人もいた。


彼らは川の中央に5メートル間隔くらいに4人でちょうど四角になるように立ち込んでいた。


みなルアーロッドを握っていた。


少し近づいてみると、透明度が高い川だったので、その4人の中央に2匹のデカい魚の姿が見えた。


サケにしては少し小さいなと思った。


私は彼らから離れて、少し上流のところでフライフィッシングを始めた。


ところがまったく釣れない。


初夏にはあんなに釣れたのにどういうことかといぶかしんだ。


すると、木の茂みが流れに少し覆いかぶさっている流れの中に、キラッと光るのが見えた。


そこを見ていると、「キラッ」が何度も繰り返されている。


魚だろうとは思ったが、どうしてしばしば光るのかわからなかった。


そこにドライフライを流してみたが反応なし。


小さいフライにも大きいフライにも、水生昆虫だけでなく陸生昆虫のフライを流しても反応がまるでない。


それでそこから少し上流に移動し、一か八かで、アトラクターと呼ばれる派手派手なフライを流し、「キラッ」が連続するポイントで上流のほうに逆引きした。


魚を食べる魚は、目の前を横切るものに反射的に食いつく習性があるので、その習性を期待してのことだ。


そしたら「ガツンッ」とすぐヒット。


「デカい!」とすぐわかった。


もしかしてサケかと思ったが、釣り上げてみるとデカいアメマスだった。


抱えてみたら、尻のところから小さなイクラがポロポロとこぼれ落ちた。


「そうか、産卵行動をしていたんだ」と、「キラッ」の正体がわかった。


サケ科の魚は、産卵場所にたどり着くと、オスがメスにまとわりついてツガイになる。


そして放卵、放精をする。


「キラッ」は、オスがメスにまとわりつくときに体を傾けたりねじったりするときに太陽の光がアメマスの体側に反射してのだろう。


つまり、アメマスは産卵行動に入ろうとしていたわけだ。


私はすぐさま、そのメスのアメマスを川に戻してあげた。


寸法だけ測った。


50センチだった。

 


〈産卵のために戻ってきたアメマス。陸封型のイワナと比べると白い斑点が大きい〉


下流を見ると、ルアーマンたちはまだ同じところに同じ姿勢で立っていた。


ルアーでも釣れるだろうが、あんな近くに立っていたら魚から丸見えだし、私のように逆引きなどをして目の前でルアーを反転させるなどの工夫をしないと釣れないだろうなと思った。


今の音別川はどうなっているだろうか。


「音別川のアメマスは壊滅的」と、ネットで見た。


釣り人がわんさかと押しかけて資源量が激減したのだろうか。


それとも温暖化による沿岸水温の上昇で、サケと同じく母川に帰ってこられなくなったのだろうか。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.6キロ。

「稽古」(けいこ)という言葉は、武道を習い自習してきた私にとってはあまりにも普通に使う言葉なので、その語源が何かなどと考えたことはなかった。


ただ、「稽古」の「稽」という文字がなにやら難しそうに見え、「どういう意味なんだろう?」と考えたことはある。


「稽」が難解そうな漢字だということと「古」を組み合わせていることから、たぶん古くにできた言葉なのだろうとは思っていた。


「練習」とはどこか違った意味を持つのではないかとも感じていた。


けれど、怠慢なことにこれまで調べたことがなかった。


最近はネットで何でも調べることができる。


それで「稽古とは?」で調べてみた。


すると、「稽古とは、広く芸道に共通して使われる主に練習を指す言葉である」と書かれてあった。


「練習」と同じ意味なのかと思った。


もっと調べてみると、次のように書いてあった。


「『書経』などの中国古典籍にある言葉であり、日本では『古事記』文末に“稽古”がある。その意味は、“古(いにしへ)を稽(かむがへ)ること”である」


「稽」は考えるという意味を持つようだ。


ということは、古くから伝えられてきた技術をよく学び、よく考え、身につけるために努力することを「稽古」というのだろう。


実際、こう書かれてあるサイトもあった。


「“稽古”には、師を通じて先人が培ってきたものを学ぶという意味が含まれているところが“練習”と違う」と。
こうも書かれてあった。

●稽古は一般的なスポーツやレクリエーションなどで行われる練習と重なる部分が多いが、練習が競技会などの本番を目指して必要なスキルを習得するために行われる
●多くの芸道では稽古は技の習得とともに自己の内面を研鑽し高めるプロセスとして捉えられており、そのすべてが本番であるといわれる
●稽古はスポーツの練習などと比べると躾(しつけ)的な要素も多く、修練や錬成などと言い換えられる場合もある
●稽古は師の技を見て盗んで身につけることが多い
●芸道における修行の過程を説明するのに『守・破・離』という言葉が使われることがある


「守破離」は仕事の上でもよく聞く言葉なので知っている方も多いだろう。


『守』は師の教えを忠実に守る基本の段階、『破』は自分で考え工夫して自立する段階、『離』は独自の新しい世界を確立すること、つまり創造の段階を指す。


「守破離」は仕事の上でもよく聞く言葉なので知っている方も多いだろう。

 


〈「守破離」〉


「守破離」を大事にするのは、まず基本からという考えが芸道には強くあるからだと思う。


ただし「練習」でも「守破離」を行うことは可能である。


勉強や仕事でもそうだ。


ここまでみてくると、「稽古」は「練習」とは意味合いが深いところでかなり違うと言っていい。


つまり「稽古」とは、「芸道で行うもの」であり、「技の習得とともに自己の内面を研鑽して高める」ものであり、それは「師から盗んで身につけるもの」であり、「しつけ的な要素が多い」のだ。


「技の習得とともに自己の内面を研鑽して高める」ものであり「しつけ的な要素が多い」のは、それが芸道を学ぶからだろう。


「芸道」とは、日本武術(弓道・相撲道・剣道・柔道・空手道等)、日本舞踊、能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃、邦楽、蹴鞠、歌道、香道、書道、盆庭、煎茶道、茶道、華道、礼式などのほか、伝統工芸的な手工業、古典園芸など、ひろく技術を伝承する分野のこと」である。


「芸」は修練によって身につけた技術、「道」は体系を表す。


体系的な教えを持つ古くからの技術全般を「芸道」というのだろう。


「芸道」の中に「礼式」が含まれていることからも想像できるように、「芸道」と呼ばれる技術体系は「礼」を重視する。


「礼」を無視したストリートファイトと的な武術などは「芸道」には含まれないと考えていいだろう。


また「訓練」という言葉もあり、これも「稽古」や「練習」と似た意味を持っていそうだ。


調べてみると、この三者を簡単に説明するとは以下のようになる。

◆稽古:反復して身につけることだが、先人の教えを学ぶ(師の技を見て盗むことも含める)という意味が含まれるもの
◆練習:技能・学問などを、何度も何度も繰り返すことで身につけること
◆訓練:技術などを繰り返し練習させ、相手に身につけさせること


「稽古」は古くからある体系的な芸道を師から学び、師の技を盗み、先人の教えをくみとって習得することであり、「練習」は技能・学問などを熱心に学んで身につけることだと言っていいと思う。


それに対して「訓練」は、教える側が教えられる側に「練習」させることと言っていいだろう。

 


〈弓道の稽古風景〉


〈相撲道の稽古風景〉


〈剣道の稽古風景〉


〈柔道の稽古風景〉


〈空手道の稽古風景〉


〈合気道の稽古風景〉


〈日本舞踊の稽古風景〉


〈茶道の稽古風景〉


〈書道の稽古風景〉


なんかスッキリしたぞ。


と思ったが、「ピアノのお稽古とも言うなあ」と疑問が湧いた(「ヴァイオリンのお稽古」という言い方は私は聞いたことがないが)。

 


〈ピアノの「お稽古」〉


「芸道」なら師匠や師範に教えてもらう際には正座して両手を床につけ頭を下げるような丁寧な「座礼」をするのが普通だし、試合の際はきちんと「立礼」するが、ピアノ教室に通って先生に教えてもらう際、「お願いします」と言ってぺこんと頭を下げる程度だろう。

 


〈伝統的な芸道での「座礼」〉


それを「礼」と呼んでいいものか?


「礼」には違いないが、イニシエから伝わる日本的な「礼」を大幅に簡略化したものである。


それに多くの「芸道」が「技の習得とともに自己の内面を研鑽し高める」ことになるのに対し、ピアノを習っても「技の習得」はできても「自己の内面を研鑽し高める」ことになるかどうか…。


人によってはそれをなし得るケースもあると思うが、多くの場合、ピアノを習うのは子どもだと思うので、「自己の内面を研鑽し高める」ことにはあまりならないと思う。


「ピアノの練習」を「ピアノのお稽古」と言うようになったのは、日本の伝統的な習い事を女性が「お稽古」と言っていたので、それにならったのではないか。


と、こんなところかな。


ああ、いろいろ調べて疲れた。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+1.5キロ。

昔の日本人、特に武士の動きは美しかった。


ある藩では、雨が降っても武士は傘をささず、走ることもなく歩いたそうだ。


道を歩く際、道の真ん中を歩き、角を曲がるときは直角に曲がったという。


武士はそのように凛々しく堂々と歩くべきだと考えていたのだと思う。


武家の女性の所作の美しさは世界に類を見ないほどだろうと思う。


和服の裾が乱れないようにきちんと正座し、袂(たもと)から腕が見えないように腕を動かし、襖(ふすま)や障子の開け閉めをする。

 


〈和服で正座し、美しい手つきで障子を開ける女性〉


武士の家では男子には武道を習わせ、女子には茶道や花道、裁縫などの習い事をさせた。


そういう習い事の中で武士や武家の女性たちは、見事な動きや所作を習得していったのだと思う。


といっても、これは想像である。


昔の彼ら彼女らの動きや所作を実際に見たわけではないからだ。


タイムスリップでもしなければ、そんなの見ることができるわけがない。


時代劇などで見るだけだ。


時代劇などで俳優が演じる動きや所作は、現代の武道や日本舞踊や茶道などの日本の伝統的な文化から想像したものだと思う。


現代の武道や日本舞踊や茶道などの日本の伝統的な文化は、多少の変化はあったものの、昔の動きや所作を今に伝えてくれているだろう。

 


〈茶道の所作〉


だから時代劇などを作る監督や演出家は、それら伝統文化の動きや所作から昔の人の動きや所作を俳優に演じさせる。


それらの動きや所作はどうして生まれ、根付いたのだろうかとよく考える。


武士の生活様式は、小笠原流などの礼法から来ている気がする。


小笠原流は、兵法、弓術、馬術、煎茶道、茶道、礼法(礼儀作法)の流派である。 


室町時代中期以降、小笠原氏が武家社会における故実の指導的存在となって生まれた礼法だ。


礼法は伊勢流などほかにもあるが、江戸期に入ると徳川幕府は主にこの小笠原流を武士階級に浸透させた。


正座もそのひとつのような気がする。

〈女性の正座姿は美しい〉


江戸期に入る前は立膝で座ったりあぐらをかいて座るのが普通だった(女性でも)。


江戸期に入って幕府が大名や家臣に正座を義務付け、畳の登場で武士の生活の中で正座が広まった。


それが小笠原流と関わりがあるのかどうかは、調べてみたがわからなかった。


男でも正座した。


特に目上の人と対するときは、江戸期では男も正座した。


家でも正座する武士が多かったようだ。

 


〈正座する武士〉


ハカマを履かないであぐらなどをかけば下着が見えてしまう。


それで正座するようになったのかと思っていたが、幕府から「そうしろ」と言われたから正座したというのが本当のところのようだ。


あるいは、武道などで正座が身についたのかもしれない。


私は空手と合気道を習った。


師範や先輩の技を見るときなどは、合気道でも空手でも正座だった。

 


〈合気道道場で正座する門下生たち〉


空手は沖縄で生まれた武術だが、沖縄の空手家たちが大阪や東京に出てきて空手を広めていく中で、武士の伝統作法である正座を取り入れていったのかもしれない。


沖縄出身の空手家たちは、空手を唐手(とうでぃ)と呼んでいた。


中国拳法をもとに生まれた武術だったからだ。


しかし唐手では普及しにくいと考えたのか、「唐手」を「カラテ」と読ませ、「空手」という漢字を当てた。


空手には武器を使う技もあるが、原則は素手なので、「空手」という名前はしっくりくるものだったろう。


大阪や東京で空手を広める際に彼らは、入門してきた人たちにどう教えるか苦労したようだ。


最初のころは、突きや蹴りといった基本技の練習くらいしかさせなかったらしい。


剣道に型があることを知り、空手家たちも型を作った。


沖縄で生まれた唐手にも簡単な型はあったようだが、今のようなちゃんとしたものではなかったのだ。


空手の型は、昭和に入ったころに空手家たちが作り出した。


どれも即席で作ったようで、どの型も実戦的とは言いがたい。


空手の競技が行われるようになって久しい。


最初のころは剣道家が付ける防具を体にまとって闘ったり、拳にグラブをはめて闘ったりしていた。


しかし、「それでは美しくない」というので、「寸止め」という方法が編み出された。


突きや蹴りなどの攻撃を相手に当てないで、その直前で止めて手足を戻す方法である。


それがかなりの期間続いたが、それでは実戦に役に立たないと言う空手家たちが現れ、防具もグラブも付けないで闘うフルコンタクト空手が台頭した。


このフルコンタクトルールを頑なに拒み、いまだに寸止めルールで試合を行う流派もある。


グラブと防具を付けて試合をさせる流派もある。

 

〈グラブと防具を付けての空手の試合〉


この中で、寸止め系と防具系では、型競技に重きを置く。


テレビで空手の型競技を観たことがある。


昔の伝統的な空手スタイルで、スタンスが広く、拳は脇腹のところに構える。


これでは素早い動きができないし顔面突きが難しいのだが、伝統派は「伝統」を守るのが大切だと考えているのか、そのスタイルを変えない。


突きや蹴りを決める際には、「えーいッ」と気合いのこもった声を出す。

 


〈空手の型競技。美しい〉


格好はいいのだが、声を出して動きを止めるのはどうかなと思った。


その瞬間に相手にやられる恐れがあるし、相手が複数いたら絶対にやられると思った。


伝統派空手は、「空手に先手なし」とよく言う。


自分から攻撃を仕掛けるようなことはするなということだ。


相手が攻撃してきたら、仕方がないから攻撃を受ける。


それが空手というものなのだと考えているのだろう。


この考えは合気道の考えに通じる。


合気道でも自分から攻撃する技はなく、相手が攻撃してきたら、相手の手首や肘や肩の関節を極めて投げる技が多い。


それで相手を無力化させ、最後は相手と仲良くなるのが合気道だと師範たちは言う。


合気道の開祖は、「合気は愛や」と言っていたそうだ。


その精神を受け継いでいるのだろう。


しかし、護身術として使うならば、不良連中などに囲まれたら、「合気は愛や」などと言っていてはやられてしまう。


見事に技をかけて相手を動けなくしても、相手が札付きの不良などだったら、どんなことをしても「仲良く」などなれないと思う。


相手が複数だったら、そんな考えでは絶対にやられる。


だから私は、空手の立ち方をスタンスの狭い方法に変え、両手を構える位置も上段にした。


突き方も実戦で効果的な方法にした。


そのほうが素早く動けるし、顔面パンチを当てやすいし、効果的に相手を倒せるからだ。


合気道の技も改良し、一瞬で相手を倒せるような技を考案してきた。


その両者をうまく融合させて闘う方法を毎日練習してきた。


しかしこれは、あくまでも攻撃された場合に対処できるようにするためで、わざわざ敵を作って倒そうなどとは少しも思っていない。


私は好戦的な人間ではないのである。


ただ、恋人や家族や友人たちと一緒のときにチンピラとかに絡まれた場合、恋人や家族や友人たちを守るにはこうするしかないと考えてのことだ。


そのための練習を続けてきたが、空手の型を実戦的で美しいものにできないかと考えることがある。


そんな素晴らしい型があれば、その型稽古に力を入れればいいと思うからだ。


「型は実戦に通用しない」と言う人が多い。


空手の今の型はそうだと思う。


けれど剣道の型はそうではないのではないかと思っている。


私は剣道をほとんど知らないので自信を持っては言えないが、型稽古だけでも強くなれるのではないかと考えている。


実際、竹刀剣術がはやった江戸後期に、木刀の型稽古しかしない剣術家がいて、無敵だった。


寺田五郎右衛門という。


稀にではあるが、型稽古だけで強くなれる人間がいるのだ。


型稽古をイメージトレーニングととらえ、実際に相手と闘っていると強くイメージして稽古すれば、それなりの成果を上げることができると思う。


私は毎日、4人の敵に囲まれたとイメージし、正面の敵が殴りかかってきた、同時に後ろの敵が頭突きをしてきた、それらの攻撃をさばいている最中に左右の敵から蹴りやタックルを受けた…というようにイメージし、それぞれに素早く対処し、ひとりひとり短時間で確実に倒す練習をしている。


イメージはその都度変え、同じイメージでは闘わない。

 


短時間で確実に倒す練習をしているのは、もう68歳なのでスタミナがなくなってきているからだ。


このイメージトレーニングは型稽古に通じるものがあると思う。


私には素質などないので無駄なことをやっているのかもしれないが、強くイメージして練習しているので、敵である相手の動きが見えたように感じるときがあり、その攻撃をさばいて倒すと、「この稽古は実になるな」と感じることがある。


だから無駄ではないと思う。


そういう効果的な型を誰か作ってくれないか。


それを毎日毎日、何度もやれば実戦に使えるという型を。


しかも、美しい動きになるような型を。


剣術は剣道に、柔術は柔道になってスポーツ化した。


その過程で、本来は相手を殺したり動けなくするのが目的だった武術なのに、その目的を捨て去り、実戦性よりも精神性を優先するようになった。


それはそれでいい。


そのように生きるべきだと考えている人に意見するつもりはない。


むしろ、そのような武道の世界で生きていくなら、日本人の伝統的な美しい動きを残していってほしいと思う。


フルコンタクトの闘いやルール無用の総合格闘技では、「美しさ」を表現するのは無理だ。


だから、武道に美しさを与えるような型を作ってほしいのだ。


茶道や花道などのように。

 

〈茶道〉

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+2.1キロ。

私は、死んでも葬式などしてもらいたくない。


戒名なんてものも不要である。


日本仏教は、江戸期に入ってから葬式仏教に成り果てた。


どうしてそうなったのかは以前に書いたのでここでは書かない。


ただ、日本仏教が釈迦の教えとは全然違うとだけ言っておこう。


寺院は、葬式や墓地経営などで儲けている。


しかも宗教団体なので無税である。


そんな坊さんたちに金儲けをさせたくない。


葬式を寺院でしてもらうこともあるだろうが、だいたいは葬儀屋を頼むだろう。


その際でも坊さんに「お礼」としてカネを渡さなくてはならない。


戒名などもらうとすれば、びっくりするようなカネを取られる。


冗談じゃない。


息子や娘にそんなカネを払わせる気はない。


だいたい日本仏教は釈迦の教えと関係ないのだから、「仏教」ではない。


中にはマトモな教義で信者の苦しみに寄り添ってくれるような宗派もあるが、だいたいは釈迦の教えではない大乗経典を持ち出し、「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」と唱えれば、極楽に行けるとか功徳がが受けられ金持ちになれるとか、そんなインチキで信者を騙す。


そんな“仏教”寺院の坊さんにお経を唱えてもらってもどうにもならない。


戒名なんて、誰が考え出したのか知らないが、そんなものがなぜ必要なのか?


神社や教会で葬式をしてもらおうとも思わない。


神道(しんとう)は日本の土俗信仰だが、明治政府が国教みたいにしたから、日本はおかしな方向に向かってしまった。


今も神道を信じる人には右翼が多い。


そんな物騒な神社で葬式をしてもらおうなんて考えもしない。


キリスト教だって、「愛」を説きながら信者たちは戦争したりしている。


天地創造や処女懐胎なんてあるわけがない。


そんな教会で葬られるのも嫌だ。


人間、死ねばそれで終わりである。


天国も地獄もないと思う。


ただ、あちらの世界に行くだけだ。


あちらの世界に行き、亡くなった愛犬アイルと早く会えればそれでいい。

 

〈亡くなった愛犬アイル〉


それだけが私の望みだ。

 


【ダイエット記録】目標達成体重より+3.2キロ。