こんにちは音符

認知症の母を介護中のaichanです羊
とはいえ、仕事をしているため、土日だけの介護です虹
 

私の母は幼少期の頃からかなり苦労をしていました。

そんな母の人生を最初から書こうと思いました。

時々、少しずつニコニコ

書き残していきたいと思いますあしあと


前回のエピソードはこちら↓

『母のエピソード ⑥』こんにちは認知症の母を介護中のaichanですとはいえ、仕事をしているため、土日だけの介護です 私の母は幼少期の頃からかなり苦労をしていました。そんな母の人生…リンク認知症の母と 感謝の思いで介護日記。◕‿◕。 

 

うお座 うお座 うお座 うお座 うお座 うお座


中学を卒業した母は、義母が始めた雑貨店でお世話になってる問屋さんで働き始めましたニコニコ


そして、24歳で父と結婚。

お見合いでした。


父は農家の末っ子。姉兄がいて、姉はすでに嫁ぎ、兄も嫁をもらって一緒に住んでました。父の母(私にとって祖母)はおそらく胃がんで亡くなりました。そして、父(私にとっては祖父)は納屋で首吊自殺をして亡くなったそうですガーン




母は「こんな貧乏人の所に、婿で来てくれるんだから」と父との結婚を承諾したようです。



しかし、この父は、母の義父母よりさらに母を虐める人でした。




しばらくして姉が生まれました。


そして、母が出産で入院している間に、3人目の父が亡くなりました。


夜中酔っ払って帰って来たのか、居間で寝ていて逝ってしまったようです。

朝、父が母の義父を起こそうとしたら、亡くなっていたそうです。



姉はてんかんもちで、よく熱を出してはひきつけてしまい、知的にも障害が現れてきました。



母は、「自分が妊娠中毒症になっていたから弱い子になってしまった」とよく言ってましたショボーン

つわりが酷くて入院していたらしいです。 


でも、つわりは病気じゃないだろうと家族に連れ戻され、妊娠中しっかり休めなかったようです。




姉の通院に、電車で3時間はかかる遠くの大きな病院に、私もよく義理の祖母に連れられて通ったことが記憶にあります。





楽しいことが何も無いような母の人生ぐすん




でも母はいつも明るい人晴れ



というか、気にしない人ルンルン



それは、戦争でどん底を見てきたせいでしょうかショボーン



それとも性格でしょうか。



姉の誕生から5年後、私が生まれますキラキラ




…続く





私は父のことが大嫌いです。父はもう亡くなりましたが、思い出すことは嫌なことばかり。

そして、その嫌いな父から守ってくれた母には感謝の思いでいっぱいですぐすん