こんにちは音符

認知症の母を介護中のaichanです羊
とはいえ、仕事をしているため、土日だけの介護です虹
 

私の母は幼少期の頃からかなり苦労をしていました。

そんな母の人生を、時々、少しずつニコニコ

書き残していきたいと思いますあしあと

前回のエピソードはこちら↓
       エピソード①

   ちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょちょうちょ


4歳で、東京にもらわれて行った母。


母の義父は、飛行機の何か部品を作る仕事をしていたようで、仕事場には飛行機の模型がたくさん並んでいたと、母は言ってましたニコニコ


義母は、芸者さんだったとか?と聞いてます。



義母は、寄席や歌舞伎などよく見に行っていたらしく、自分も連れられて行ったけど、全然面白くなかったとも母は言ってましたうーん


子どもが欲しかったのは義父のようです。



母の話を聞いていても、義父にとても可愛がられた感じがしていましたブルーハーツ


だからからなのか、義父は滅多に怒らない人だったようで、母が叱られたのは一回だけだったと。


(ものさしを無くしたことで一回叱られただけだったわ〜ショボーンと、母から何回も聞かされましたニコニコ



…母は、二人を本当の父母だと思ってました照れ


そして、小学校2年生の3月10日。








その日の夕方、母は学校のグランドにある鉄棒で友達と遊び、「ばいばい、また明日ねー」と言って別れたそうです。







しかし、それ以来その友達とは会えないまま。







その夜、






東京大空襲にあったのです。




突然の友達との別れに、子どもながら淋しさを強く感じたのではないでしょうか。





「○○ちゃんとあれっきり会ってない。みんなどうしたんだろうなあ…ショボーン




と、母は思い出してはよく言ってたものでしたぐすん



               …続く





今回のコロナ休校を、戦争と被らせて考えている人達がいらっしゃいます。

確かに、次の日当たり前のようにあった学校がない!というのは似ていますね照れ



中国では、終息し始めているというのもネットニュースで見ました。
ほんとうかな?ほんとうだとイイナおねがい