こんにちは音符

認知症の母を介護中のaichanです羊
とはいえ、仕事をしているため、土日だけの介護です虹
 

私の母は幼少期の頃からかなり苦労をしていました。


これまで、私の母や家族の最近のことを書こうと思ったのですが、

それにはまず、波瀾万丈?の母の小さい頃からのことを書かないと

そこから始まらないと

伝わらない。

残らない。

と、母の人生を最初から書こうと思いました。


時々、少しずつニコニコ

書き残していきたいと思いますあしあと






母は今住んでいる私の家から100キロぐらい離れた所で生まれました。

当時その村の村長をしていた家の孫とし初子で生まれました。
その当時、村長をしているということは、かなり裕福な家だったと思います。


母が生まれた時、父(私にとっては祖父)は20歳。母の母も若かったのではないかと思います。



その後、弟も生まれたようです。


が2番目かの弟が赤ちゃんの時亡くなったと。

そのため、母の母は、嫁ぎ先を出ることになったと聞いてます。母の父には、たくさんの妹達がいたとも聞いてます。

母と同じ年に生まれた伯母もいたとか…びっくり

そして、母の父が再婚出来る様に、母と弟達は養子として出されました。

母が4歳の時です。


母は全く覚えていないようですが、その後母が40歳の頃に、生まれた家を訪れた時、家や庭に記憶があったと話していますチューリップ



母が養子として出された先は東京。

昭和17年8月。


日本がマニラを占領、

アンネが日記を書き始めた年。





母は、その後、戦争に翻弄されていきますぼけー

           …続く


読んで頂き、ありがとうございました(◍•ᴗ•◍)❤ 

実は家族の諸々のことは、心が重くなる話で、なかなか書けずにいました。

今回やっと、少しずつ書いてみようという思いになったのですが、時間にどれだけ追いつけるのか…滝汗
気長に読んでいただけるとありがたいですブルーハーツ



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