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誰かの言葉に、静かに耳をかたむける。

ただ聴く、ただそこにいる。

気持ちがゆるむきっかけになれたら、

それだけでうれしい。

ここに綴るのは、日々のなかで出会った、

やさしい気配のようなストーリーたち。

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夫は目を伏せ、言葉を探すように、ゆっくりと口を開いた。


「知人の女性が、猫カフェを始めたいって相談してきて。

うちの会社で手伝えることがあればって話になったんだ。猫は苦手だったけど、まあ、仕事だし。でも…相手は知り合いの女性だし、いちいち話して余計な心配をさせるのも嫌で。だったら、言わないほうがいいって…そう思った」


その言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだった。


私は、報告書の写真を思い出していた。

あの、女性と並んで歩く後ろ姿。


探偵の報告には、

“親しげな様子も見受けられた”

と、淡々と記されていた。


「知り合い…」


問い詰めることはできなかった。

けれど、私の視線が、何よりの問いになっていた。


夫は、ほんの一瞬だけ目を閉じてから、

やっと私に視線を向けた。


「浮気なんかじゃないよ。でも…君がそう思ってしまうのも、無理はなかったんだと思う。

俺がちゃんと君に向き合えてなかったせいだ」


苦笑というより、ため息に近い声だった。


「もう、何かをごまかしたり、隠したりはしない。言いにくいことでも、ちゃんと伝えるよ。

…一緒に、向き合っていきたいから」


その言葉に、胸の奥がかすかに揺れた。

夫の声ににじんだ不器用さが、

ほんの少しだけ、私の中の何かを緩めていた。


私は、ゆっくりとうなずいた。


そして、夫がぽつりと付け加えた。

「それにしても…まさか、探偵に依頼するなんて。君に、そんな行動力があったとは…正直、びっくりしたよ」


目を丸くして、少しだけ笑ったその顔に、

私も、思わず肩の力が抜けた。

こんなふうに、夫も私に疑われないようにと

不器用に言葉を飲み込んでいた。


私だって同じだった。

疑うことで自分を守ろうとして、

本当は向き合うことが怖かっただけなのに。


私たちは、どちらも相手を思うふりをして、

結局、傷つくことを恐れて逃げていただけだった。もっと早く、こんなふうに話せていれば。


夫は、少し笑って、私の手をそっと握った。

私も、その手を握り返す。


完璧じゃなくてもいい。

でも、少しずつでも——

一緒に向き合っていけたら。


今は、ただ、それだけでいいと思えた。


事実がわかって、夫とも向き合って話せた。

誤解が解けた今なら、あのとき探偵に頼んだことも、意味があったと思える。


本音を話せる誰かがいること。

弱さを打ち明けられる誰かがいること。


その大切さを、私は奈緒に教えてもらった。


——ありがとう、奈緒。


そう心の中で、静かに言った。